晴天
ポイントへ向かう間、先ほどとは打って変わって馬車の中には重たい空気が流れていた。ロンファンもすでに戦闘モードに入ったのか、いつもの緩い表情は影を潜めた。
戦闘区域を走るため馬車は使い古しのボロい物で、とても埃臭く、床のあちこちに黒ずんだシミがあった。恐らく負傷兵を運ぶのに使われていたのだろう。
しかしそんな馬車のお陰か、全員を高い集中状態に持って行くには最高の雰囲気だった。
車外の景色が見えるのは後方しかなく、車輪の跡が作った車線と、時折通り過ぎる小部隊が寂しい。空はとても青く、夏虫の音がこの先で死闘が繰り広げられている事など微塵も感じさせなかった。
しばらく無言で馬車に揺られていると、火薬のような臭いがして来た。そしてはるか遠くで爆音のような音も聞こえて来た。その音と臭いは進むにつれて強くなり、馬車が停まった頃にはすぐ近くで戦闘しているのではと思うほどのものになっていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
馬車が完全に停止すると一人の将兵がやって来て、俺達をテントへ招いた。
「初めまして。私はミズガルド王国軍、第六大隊、第二〇小隊を任されているモーリスだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
テントに入るとここの指揮官らしき人物が自己紹介を始めた。それにしては若い。この歳で指揮官とは相当なエリートなのだろう。だけど時間も無いのに長々と聞いてもいない肩書を並べる必要はあるのだろうか? こういう所が軍を好きになれない。
「では手短に説明する」
「お願いします」
また~! さっき説明受けたよ? こっちは時間が無いんだよ! 何やってんのこの人!? バイオレットもお願いすんなよ!
「現在ターゲットはD3ポイントに到達。ゴーギャン隊が合流し応戦している」
指揮官は地図にある駒を指さし説明する。
応戦? この人戦争しているわけじゃないよね? 俺達はハントに来たんですけど……
「ゴーギャン隊が合流した事で、ターゲットの進行はかなり落ちた。だがまだ完全に止められてはいない」
この人の言い方だと、なんか別の作戦に聞こえる。
「君たちは作戦通りD4ポイントで待機してくれ」
「分かりました。ド……落とし穴の状況と、アドラ・メデクはどうなりましたか?」
あ、今ドロップって言おうとした。仕方ないよね、俺達ハンターだもん。でも軍はなんで落とし穴って呼ぶの? もしかして効果が無いって馬鹿にしてるから? ばっかじゃねぇ―の?
「落とし穴の進捗状況は、現在六十五パーセントだ」
分かり辛い! 何六十五パーセントって? それはもう使えるの?
「アドラ・メデクに関しては、現在もターゲットの頭部にて交戦中だ」
ターゲットの頭部にて交戦中? この人絶対実戦経験ないよね?
「そうですか、分かりました。私達はこれからD4ポイントに向かいます。この区域には魔法陣によるトラップを仕掛けますので、不必要に軍を近づけないで下さい」
「分かった。よろしく頼む」
「はい。皆行くよ!」
いまいちピンとこない現状報告だったが、それなりに状況の変化が分かった。まぁ聞かないよりはマシくらいだけど。
ここからは当然と言っちゃ当然だが、徒歩による移動となった。それでも経験豊富なハイランクパーティーという事もあり、慌てることなく歩く。そんな中、バイオレットが状況の変化に合わせた作戦を説明する。
「いい、説明するからみんな聞いて!」
バイオレットは歩きながら地図を広げ、全員に注目させた。
「思ってたより大分位置が変わったから、ミサキちゃんとマリアちゃんはこの辺りで魔法陣を書いて」
「分かりました」
「はい!」
最初の位置からかなり西側へずれたが、場所的には問題なさそうだ。だが……
「問題はブレイクポイントなんだけど……」
当初の作戦では、バイオレットは丘の上からフローライトドラゴンをブレイクするため狙うと言っていたが、軍の情報が確かならもうそのポイントは使えない。
「かなり苦しいけど、この辺りの木の上から狙うから、最初と同じで指定する場所までインダクションして。場所は着いてから教えるから」
「分かりました」
「了解しました」
クレアとキリアはなんの疑問も持たずに即答する。自信溢れるバイオレットの口ぶりもあるが、よく考えたら無理じゃない? ミズガルドでも指折りの重撃ハンターでも止められないんだよ? こんなほっそいバイオレットが可能なの?
「リーパー君もそれでいい?」
「えっ? あ、分かりました」
不安は全く拭えないが、今はバイオレットの策に期待するしかない。とにかくやって駄目なら他を考えるしかない。
「じゃ、そういう事で。皆死なないよう気を付けてね」
「はい!」
作戦自体の変更はなかったため、バイオレットはもう地図を仕舞い作戦会議は終了した。そのタイミングでマリアが声を掛けて来た。
「ねぇ? リーパーさん」
「うん? どうしたマリア?」
「これ。誘導に使えるかもしれないから使って」
マリアが差し出したのは小さな青い小瓶だった。四角い小瓶はガラス製で大きな蓋がお洒落だ。
「なんだこれ?」
「ユヌ・ランコート」
「ユヌ・ランコート? ……ああ、香水か」
「そう」
「そうって、今は要らないよ。こんなの貰ってどうすんだよ?」
賢いマリアの事だから、「リーパーさんて臭いから、せめて死ぬ時くらいは良い匂いでいてよ」なんて事は言わないだろうが、どう使えば良いのか分からない。
「フローライトドラゴンの仲間って、甘い匂いが好きらしいんだって。だからもしかしたら誘導に使えるかもしれないよ?」
「そうなの?」
「うん。本で読んだ事ある」
さすが文学少女! このパーティーでは唯一の低ランクだが、俺よりも役に立つ!
「ありがとうマリア。もし必要だったら使わせてもらう」
「うん!」
ミサキとクレアはめっちゃ香水見てるけど、これは世のために役立てるの! だからそんなに見てもあげません!
そうこうしていると、前方に沢山の兵隊がスコップで穴を掘っているのが見えた。恐らくここがDなんとかポイントで、ドロップを作っているのだろ。しかし六十五パーセントとか言っていたのだが、掘削作業中の兵士の腰くらいの深さしかない。横にはかなり長いが、あれでは全然深さが足りない。百パーセントでなんぼの深さにしてんのよ?
さらに近づくと、その後ろに大きな平原が見えて来た。平原には数えるほどしか身を隠すような岩は無くだだっ広い。しかしそんな地形だからこそ兵士たちが大きな陣を組んでいた。
最悪の場合フローライトドラゴンをそのまま西へ向かわせるしかないのだが、あちら側にも街がある。そのため軍は最終手段としてここで大規模な攻撃をする気なのだろう。魔導学院の関係者らしき集団が待機し、大砲や投石機まで用意している。
だが気になったのは、グリッツ城へ向かったはずの冒険者らしき若者の集団が、何故か岩の上で寛いでいる。俺達が口出しするような事ではないのだが、恐らくバックアップとして待機しているのだろうが寛ぎ過ぎだ。それに、なんで冒険者の若い奴はあんなに露出の多いお洒落な格好してんの!? 鎧着ろよ! 悪魔出て来ても知らないからな!
多少の不安は残るが、それでも横を通り過ぎるときはバイオレットがコート何とかという女性ハンターに手を上げ挨拶した。コート何とかというハンターもそれに気付き笑顔で応える。
罠の方は順調のようだが、まだあの深さならアプセットするにはミサキに全てが掛かっているようだ。
せっせと穴を掘る兵士たちに別れを告げると、森の入り口を警備している部隊がいた。俺達は構わず先に進んだのだが、そこを通る際、彼らは何故か胸に手を当て最敬礼していた。
これには正直参った! キリアとかクレアとか、もちろんバイオレットもそうだが、自身に満ち溢れる彼女たちは胸を張っているのだが、こういうのには全く慣れていない俺達弱卒の貧民ハンターには迷惑以外の何物でもない!
ミサキは帽子を目深に被り下を向き、マリアは目を合わせないようキョロキョロ。俺だってソワソワが止まらない! ロンファンに関してはオロオロってこういう事を言うんだと思うくらいの動きをしている。
そんなパワハラの門を抜けると、かなり近くで戦闘をしている音が聞こえた。火薬の臭いは慣れたせいもあるのかもしれないが、それほど感じない。だが、ドラゴンのような叫び声と地面を揺らすような重い音は、周りに目線を飛ばしてしまうほど近く感じる。
その感触は進むにつれ確かなものになり、バイオレットが足を止めたときには、前方約二百メートル先に暴れるフローライトドラゴンの姿が見えた。
「じゃあミサキちゃん。この辺りに魔法陣を書いて」
どうやらここが俺達のポイントらしいのだが、どう見てもフローライトドラゴンが近すぎる! 今から書いてたら間に合わないんじゃないの!?
「分かりました。しかしちょっといいですか?」
「何?」
そうだよねミサキ。全然間に合わないよね? 完全に作戦ミスだよね?
「相手の大きさを把握しておきたいので、もう少し近づいても良いですか?」
そっち~!? ミサキって意外と度胸あるよね。ただでさえ時間が無いのに、そんな余裕見せるなんて、さすがはブラックリストハンター!
「良いわよ。じゃあ私達はそのまま配置に着くから、ついてきて」
「はい」
俺としてはもう、遥か先のフローライトドラゴンを目にした瞬間心臓バクバクなのに、この子凄いわ。感心しちゃう。
森は整備されていただけあり、平坦な道は歩きやすい。そのうえ程よく当たる日差しのお陰で、最高の森林浴日和だ。
こんな時でなければ観光に来たいくらいだ。俺のケツ神様どんだけ!




