帰宅!?
「坊や。自分の体の事を考えて行動しないと、そのうち歩けなくなるよ」
腰に手を当て、魔力触診をするランケイさんが言った。
「えぇ……分かってます……」
ランケイさんは戦場で衛生兵をしていた経験があるらしく、普段は宿舎の受付だが、医務員としても活躍しているらしい。
「どうですかランケイさん。リーパーさんを病院へ連れて行った方がよろしいですか?」
俺の事を親身になって心配するアニさんは本当に優しい。しかし今病院へ連れていかれるとマズイ。ランケイさんの言葉次第では、俺の研修は今日で終わるだろう。
「いや。元々壊れていた場所に負荷をかけたせいだから、病院へ行っても治りゃしないよ」
「それは大変です!」
病院へは行かなくて済んだが、治らないってどういう事!? ずっと痛いままなの!?
「慌てるんじゃないよアニー。治らないっていうのは完治って意味だよ。しばらく安静にしていれば痛みは引くよ」
「それは良かった」
マジで良かった。もう完全に壊れて、一生このままかと思った。
「それに、病院へ行っても安静にしてろと言われて、シップだけ渡されて終わりだよ」
「そうなんですか……」
「そうだよ。坊やの場合椎間板ヘルニアみたいなもんだから、魔法医療でも治療は難しいんだよ」
やはりそうなんだ。当時治療を受けたときも、医師から同じ事を言われた。魔法治療はあくまで本人の治癒力を高めるもので、冒険者などが行うような、術者又は他から貰ったエネルギーを使っての治療は、患者の寿命を著しく損なうらしく、魔法医は行わないらしい。
「では、リーパーさんは今後、腰への負荷が掛かる動作は出来ないという事ですか?」
「そうでもないさ。生き物の治癒力はアニーが考えるよりずっと凄いんだよ。完治とまではいかないが、坊や次第でかなり良くも出来るよ」
マジっすか! そんな裏技あるなら喜んでします!
「本当ですかランケイさん! 教えて貰えますか! 俺、腰を直したいんです!」
渡りに船とは正にこの事だ。普段の生活には問題無いが、老後の事を考えると腰は直しておきたかった。もしかしたら寝たきりになる可能性もある。
「そうかい。じゃあ、毎日腹筋と背筋を鍛えて筋肉を付ける事だね」
うっわ~、チョーめんどくせぇ~……。やっぱり知識のある人間からすれば、それが手っ取り早いようだ。
「あんたの場合、神経が圧迫されて痛むんだよ。だから筋肉で背骨を支えてあげられるほど筋肉を付ければ、徐々にだが良くなっていくよ」
「……そうなんですか……頑張ります……」
もう諦めてコルセットでも着けようかな。医者には着けろとは言われたけど、着けると一生それが無いと生活出来ないと言われた為、今まで着けてこなかった。やっぱり人間は自然のままに生きるのが正しい。
「まぁそういうわけだよ。だから坊やは、今はゆっくり休むことだね。シップを貼って五日も大人しくしていれば良くなるよ」
それってお家に帰れって事ですか? もう諦めて、後日研修に来るしかないのか……
「じゃあ次は、お坊ちゃんの方だよ。手を見せてごらん」
お坊ちゃん!? キリアってお坊ちゃんて呼ばれてるの!? ……マジウケるんですけど。
折角ここまで受けた研修が水の泡になるのだと肩を落としていても、キリアがお坊ちゃんと呼ばれた事に反応してしまった。
「お願いします」
キリアもランケイさんには逆らえないようで、お坊ちゃんと呼ばれても反論することなく手を見せた。
「どうだい、痛むかい?」
「はい」
痛がる反応を見て怪我の状態と患部を判断するため、ランケイさんは少し乱暴にキリアの右手を触る。しかしキリアはクールを気取りたいのか、痛いはずなのに声を出すどころか表情も変えない。アイツはなんで医師が乱暴に患部を触るのか分かっていないらしい。
「…………」
反応を見せないキリアに、ランケイさんは魔力触診を始めた。
「なるほどね。これだけ傷んでいればもうハンターは務まらないね」
「はい」
キリアの右手は大きな怪我を負っていたようで、それが原因でハンターを引退したらしい。それが分かると、何が原因で右手を負傷したのか気になった。
「キリア」
「なんだ」
「お前、右手どうしたんだ?」
「……お前には関係ない」
関係無い! ……確かにそうだ。キリアの怪我など俺には関係ない。……いや、そういう事じゃないから! ライバルとしてアイツだけ俺の怪我知ってるのはフェアじゃないだろ!
「坊ちゃん。私は怪我の状態を把握する義務がある。どういう状況で右手に傷を負ったのか教えて貰えるかい?」
「……分かりました」
アイツは本当に素直じゃない! 俺の質問に素直に答えていれば、ランケイさんに諭される事も無かったのに。ざまぁみろ!
「去年、ハント中に誤って犬狼の縄張りに入ってしまい、そこで右手を噛まれて負傷しました」
犬狼は数十頭の群れでコロニーを作る。犬狼自体は人に対してそれほど好戦的な生き物では無いが、繁殖期になると攻撃的になる。その時期にはギルドの方でも注意喚起するが、標的を追い掛けているうち誤って縄張りに入ってしまう事がある。本来ならメンバーにナビゲーターを置くのだが、忙しくなるとナビゲーター自体も管理を忘れる事が多々ある。
「その後病院へは行ったのかい?」
「はい。医者の話だと、表面の傷は綺麗に消えるが、切れた腱や骨、筋肉は完全には治らないと言われました」
「そうかい。まぁこれだけの傷なら仕方が無いね」
俺達二人は似た者同士なのかもしれない。だからキリアは俺をライバルと認めたのだろう。まぁ俺は貴族じゃないけど……
「坊。手の方は痛みが引くまで動かさないよう我慢するしかないね」
お坊ちゃんから坊にまで格下げ。キリアってすごい勢いで親しくなるよね。あれ? 俺達似た者同士は間違いか?
「アニー」
「はい」
「この二人の怪我は持病みたいなものだから、医者へ行っても変わらないよ」
「そうですか。では、どうすれば良いのですか?」
「家に帰して、痛みが引くまで安静にさせるしかない」
それはマズイ! このままじゃリリアに焼きを入れられる! なんとかせねば!
「待って下さい! 俺の手は研修には問題無いはずです! 俺は研修が終わるまで帰るつもりはありません!」
キリアは猛然とアニさんに研修の続行を望んだ。
今しかない! 俺も加勢して最後まで研修を続けるぞ!
「しかしキリ……」
「俺ッ!」
どうしてこういうタイミングで天は俺に味方してくれないのだろう。ここぞというタイミングで加勢しようと思ったのに、アニさんと被ってしまった。お陰で一瞬の間が出来てしまった。
「リーパーさん、キリアさん。研修はまた受けられます。しかし怪我は早く治療しなくてはなりません。貴方達にはこれから先も長い人生が待っています。今ここで無理をして一生後悔するような怪我を負う必要はありません。今回は残念ですが、お二人には明日、帰郷してもらいます」
「ちょっと待って下さい! 俺達の怪我は持病です! 今治療に専念せずとも結果は同じです! どうか研修を続けて頂きたい!」
キリア必死! っというか俺も帰されるわけにはいかない!
「俺の腰も同じです! 俺は山亀の時でさえぎっくり腰になりましたが、最後までやり遂げました! このくらいならまだやれます!」
「しかし……」
「お願いします!」
「…………」
もう拝み倒ししかない! 仕事への熱意は無いが、今こそ熱意を見せなければ大変な事になってしまう!
「アニーさん。この怪我は俺達二人が原因です。ですから、この痛みは自分への戒めです! これから先も続けるギルドスタッフとして成長するため、これも試練として受け入れたいので、容赦なく研修を続けて頂きたい! お願いします!」
「そう言われましても……」
うおおぉぉぉ! もう行くしかない! なんとしてでも研修を続けさせるんだ!
「お願いします! 俺達はもう三十になります! 今ここで躓いていられるほど余裕があるわけでは無いんです! どうかお願いします!」
自分で言っていて思ったが、じゃあ喧嘩なんてすんなって話だけど、今は四の五の言ってられない!
「どうか、どうかお願い致します!」
「お願いします!」
普段はいがみ合うキリアだが、今この時だけは連帯感を覚えた。
「……分かりました。ですが、もし私が駄目だと判断したら、如何なる場合も即中止させて頂きます! それでよろしいですか?」
「はい!」
おっさん二人が必死になって懇願する姿に、アニさんはとうとう根負けしたようで、条件付きでの続行が決まった。恐らく俺が言った三十になるが効いたのだろう、哀れむような目をしていた気がする。
「ランケイさん。お二人が椅子に座って見学するのは、問題ありませんか?」
「問題無いよ。リーの方は座っていても痛むだろうけど、自業自得だよ」
「分かりました。では……」
アニさんがそう言いかけたとき、扉をノックする音が聞こえた。
「誰だい? 空いてるよ?」
ランケイさんがそう言うと女性スタッフが顔を覗かせ、アニさんを呼んだ。呼ばれたアニさんは女性に近づくとヒソヒソと何かを話し合い、俺を呼んだ。
「リーパーさん」
「はい!」
「リーパーさんにお客様が来ておられるようです」
「客?」
「はい。マリア様とクレア様というハンター様です。ご存知ですか?」
マリアとクレア? あの二人が何故ミズガルドのギルドに?
「はい。シェオールの知り合いです」
「そうですか。では皆さん。見学の移動も兼ね、受付へ移動致しましょう。リーパーさんはそのままマリア様とクレア様に面会して下さい」
「はい」
こうして移動も兼ね、俺達は受付の見学へと向かう事になった。




