成長
足早に歩くキリアについて行くと、オフィス前の中庭に出た。どうやらここで勝負するらしい。しかし辺りには昼休み中に運動する先輩や、ベンチで本を読む従業員の姿があった。
俺としてはもっと人目の無い所が良いのだが、どうせ二三発殴れば終わるため、気にしない事にした。
「リーパー、ベストは脱げ」
制服を汚すわけにもいかず、俺とキリアはベストを脱ぎ、後を付いて来たアリアに渡した。
「本当に喧嘩するんですか?」
おっさん二人が殴り合うなんて冗談ですよね? くらいに思っているアリアは心配そうに言うが、全く動揺しているような素振りは無い。
そうだよね~。仕事の休憩中に、それもおっさんが殴り合うなんて、誰も聞いた事ないもんね? でも俺達はやるんです! こいつとだけはやると言ったらやるんです!
「大丈夫だよ。喧嘩って言ってもすぐ終わるから」
「えっ、でも……」
アリアが何か言おうとしていたが、時間も無いためさっさと始める事にした。
「おい。お前ワイシャツは脱がなくていいのか?」
「何故だ?」
「お前の鼻血で汚したら、怒られるぞ」
「ふっ。お前が一発でも入れられたならほざけ」
「上等」
喧嘩前の挨拶を済ますと、お互いが構えた。
キリアは格闘術を習得していた。そのため俺から見ても綺麗な構えを取る。右拳で顎を守るように腕を畳み、左腕は迎撃用にくの字に折って腹の前で揺らす。左足を前にして、右足に重心を置くように背筋を伸ばし腰を落とす。体全体には無駄な力は一切入っておらず、斜に構えた肩からは脱力感が漂う。
以前より柔らかい構えに、また腕を上げたのが分かった。
対して俺は、一切の格闘術を修めてはいない。昔はフィリアに何度も教えられたが、覚えているのは殴られた記憶ばかりだ。唯一覚えているのが、内臓にダメージを与えれば即決で終わるというくらいだが、その全てがやられた記憶しかない。
だから俺はフリースタイルで挑む! 拳を軽く握り、いつでも最大級の攻撃が出来るように準備し、いつでも飛び掛かれるように前のめりに腰を落とす。
俺が最も得意とする戦法は、掴み倒してからのマウント攻撃だ。
構えたままじりじりと距離を詰め出すと、キリアが右周りに動き始めた。
キリアは拳を使った打撃を得意とし、威力は無いが素早い左拳の攻撃で動きを止めに来る。そして常に死角死角へと動き回る姑息な戦術を得意とする。
これには初めの頃は連敗を期したが、幾度となく戦ううちに対応が出来るようになっていた。
キリアの左拳の攻撃は俺の視界を奪うためのもので、目を瞑った一瞬で右の拳を叩きつけてくる。だからといって左拳の攻撃を躱すと、再び距離を取ってぐるぐる俺の周りを動き出す。
そこで俺が考案した対策が、左拳は躱さず敢えて貰う。その代わり同時にタックルをかまし、マウントを取るというものだ。
キリアは肩をゆらゆら揺らしながら、円を描くように右周りに距離を詰めてくる。俺は背後を取られないよう追いかける。
穏やかな呼吸に緩やかな動き。この流れるようなキリアの動きが曲者だ。もう間もなくお互いの手が届く間合いに入るという距離まで近づいても、全く威圧を感じない。しかし少しでも間合いに入ると、電光石火の拳が飛んでくる。
ここからが本当の勝負の始まりだ!
手だけを伸ばしてくるキリアの方が若干間合いが広い。そのディスアドバンテージが俺の集中力を高める。しかし、逆に言えばそこにキリアの隙がある。
キリアは当然俺の作戦を知っている。だからこそ間合いの半歩外でタイミングを計り続けている。
――風が吹いた。その瞬間、俺の視線を振り切ろうとキリアが突然速度を上げた。
どうやらキリアは、ずっと俺を倒すためのイメージトレーニングを積んできたのだろう。さすがはライバル。しかしそれは既に経験済み。キリアは死角の一瞬を付いて攻撃を仕掛けようとしているのだろうが、俺だって対策は出来ている!
高速で動き始めたキリアは、目で追い続ける事に限界がある事を理解していた俺は、一歩下がって距離を取った。が、それを待っていたかのようにキリアが直線的に前へ出た。
不意を突かれた俺だったが、一歩の間合いのお陰で迎撃の準備が整っていた。それに気付いていないキリアは、左足を強く踏ん張ると左拳を飛ばしてきた。
一発目は寸でのところで躱したが、予想以上にキレの増していた二発目はもろに右目に貰った。しかしキリアが右を繰り出そうとして作った一瞬の空白に素早く反応して、腹目掛けタックルを仕掛けた。
右目に貰ったパンチのせいで視界はほぼないが、この距離なら捕まえられる! そう思っていたのだが、腕を巻き付ける一瞬にキリアがすり抜けた。
こいつは予想以上に腕を上げていた! ハンドスピードだけでなく、体捌きまで鍛えていたとは脱帽だ! しかし! 運よく右足を踏ん張ったタイミングですり抜けたため、すぐに体を正面に向け、キリアの右拳をはっきり捉えることが出来た。
躱せる! そう思い、右拳を捌いてから殴り返そうと構えた。が、あの野郎は一瞬の溜めを作り、俺のタイミングをずらした。
お陰で見事に右のフルショットを喰らい、首がグキッとなって腰もグキッとなった。
やっちまったぜ! まさか喧嘩で腰をやるなんて、完全にやられた!
殴られた頬の痛みより腰に走った衝撃の方が凄まじく、思わず倒れ込んでしまった。
「ちょっとまれっ!」
すぐに降参しなければ追撃が来ると思い、口の中の出血もお構いなしに、手の平を見せてキリアを止めた。だが、もう目の前に来ていると思っていたキリアは、何故か右手首を掴み蹲っていた。恐らく鍛え抜かれた俺の頬の硬さに、拳でも壊したのだろう。
今なら勝てる! 蹲るキリアを見てそう思ったが、ちょっと上半身を屈めただけで、背筋が伸びるほどの電撃が腰に走った。
キリアも相当の重傷を負ったらしく、振るえる右腕を押さえ未だに蹲っている。
――しばらく二人して転がっていると、流石にアリアが声を掛けて来た。
「あ、あの~。大丈夫ですか?」
キリアでなく最初に俺に声を掛けて来てくれたアリアに、なんだか勝った気がした。
「だっ、大丈夫。も、もうちょっと待ってて」
「あ、はい……」
完全に喧嘩は終了しているが、今アリアに起こされるとヤバイ! 自分のタイミングで起き上がらなければ病院行きだ。
「い、一応キリアにも声掛けてみて」
「分かりました……」
そう言うと、アリアはキリアの元へ行き、「大丈夫ですか?」と優しく声を掛けていた。それに対してキリアは、「だ、大丈夫だ……少し待っててくれ」と、俺と同じような事を言った。
初夏の陽気。穏やかな昼下がり。いつもとなんら変わらない街の雑踏。樹木の上で歌う小鳥。晴天に流れる雲は綺麗な白をしている。
そんな長閑なギルドの中庭で、おっさん二人が蹲っていても誰も気にしない。ミズガルドのギルドは今日も平和であった。
結局しばらく痛みが引くまで蹲っていた俺達は、アリアに頼みシップを買いに行ってもらい応急処置を施した。
それでもキリアはずっと右腕を大切そうに抱えたままで、俺はお爺ちゃんよりも遅い速度で歩くのがやっとだった。
教訓。自分はいくら若いと思っていても、体は正直。若いつもりで喧嘩しても、決着は己の老化で終わる。
俺はまた一つギルドスタッフとして成長した。




