アドラ
午後からの研修は、やはり午前中と同じように研修室で行われた。だが午前中と違い、挨拶の実技研修だった。
俺としては記憶するだけの授業より、断然良い。
「……以上が基本的な立礼の行い方です」
お辞儀には、会釈、敬礼、最敬礼があり、腰から頭まで真っすぐ背筋を伸ばし、三十度の角度で上体を倒すのが敬礼らしい。男性の手の位置は横、という基本的な事から、目線は固定し、目で相手を追い掛けない。頭を下げてから一秒以上はその姿勢を保つなど、アニさん流の留意点まで細かく教えてくれた。
だがしかし、アニさんには悪いが、全部は覚えきれなかった。
「では、実際に敬礼をしてみましょう。皆さん、お立ち下さい」
そう言われ、それぞれが起立し、お辞儀の実技が始まった。
アニさんに続き声を出し、相手がいるつもりで何度もお辞儀をする。
「皆さん、流石ですね。それぞれが良い師に巡り合えたようで、とても美しい敬礼をします」
正直、そう褒められると嬉しい。頑張ってヒーから盗んだ甲斐がある。
「ですが……」
ですが?
「リーパーさん」
「は、はい!」
なんで呼ばれたの!? 俺のお辞儀間違ってた!? ……いやそんなはずは無い! だってあのヒーから盗んだお辞儀だよ?
「リーパーさんは、女性の方をお手本として立礼を覚えましたね?」
「えっ? そ、そうですけど……」
分かる人には分かるらしい。流石アニさんだ。
「今のままでも問題はありませんが、リーパーさんは男性なので、やはり少し直した方がよろしいかと思います。リーパーさんは肩幅も広く、背筋を伸ばすととても美しい体系をしていますので、宜しければ直してみませんか?」
「…………」
アニさんは嬉しい事を言ってくれる。けど、どうするべきか……
「どうしますか?」
う~ん……まぁこの際だから、お願いしよう。
「お願いします」
「分かりました。では、他の皆さんも良く見ていて下さい」
「はい!」
なんか丁度良い見本にされている気もするが……
「リーパーさん、一度立礼をして、頭を下げた状態で止まって下さい」
「はい」
言われた通り頭を下げ、お辞儀をした体制で止まった。
「リーパーさん、今の状態で、自分の腕の位置を確認して下さい」
「はい」
頭を下げたまま両腕を見ると、立っているときにはきちんと横に着けていたはずの手が、やや内側に入っている事に気付いた。
「手の位置が内側にあるのが分かりますか?」
「はい」
「リーパーさんは、女性の方を手本としたため、敬礼をする時に、腕を前で組む癖がついていました」
その通りだ。ヒーはお辞儀をする時、必ず手を前で組んでする。俺はそれを真似した。
「男性だからと言って、腕を恥骨の前で組むのはいけないという事はありません。ですが、リーパーさんのようにきれいな肩のラインをしている男性は、そこを綺麗に見せると、とても凛々しく見えます。その為、今のように腕を前に持って来ると、肩甲骨が広がり、肩のラインが丸まってしまいます。そうなると弱弱しく見えてしまいます」
なるほど。言われてみればそうかもしれない。
「リーパーさん。今の状態で肩を広げるよう肩甲骨を意識して、腕を横に戻してみて下さい」
「はい」
肩甲骨を意識して、腕を横に戻した。
「そうです、その感じです。今の姿勢を覚えて下さい」
「はい」
「では、一度上体を戻し、もう一度今の感覚で敬礼してみて下さい」
「はい」
上体を起こし姿勢を戻すと、今度は手の位置に気を付けて敬礼した。
「おお、素晴らしい! 今の感覚を忘れず、手の位置に気を付けてもう一度」
「はい」
「おお! 次はもう少し肩を意識してみて下さい」
「はい」
「良いですね! もう一度!」
この後、しばらくアニさんのもう一度に付き合わされ、何度もお辞儀をさせられた。
そして、俺の上達ぶりに気を良くしたアニさんは熱が入り、休憩そっちのけで終業までお辞儀と挨拶の指導を続けた。
お辞儀と挨拶だけの練習だったが、かなり疲れた。それでもその甲斐もあり、俺はまた一つスタッフとしてレベルアップ出来た。
本日の研修が終わると、昼のようにアリアが、「一緒に夕食でも食べましょう!」と言ってきた。
当然俺は「無理!」と断った。正確には、ロンファンが朝からずっとロビーにいて、それに気付いていたアイが教えてくれたため、「ロンファンと食事するから」と断った。
ロンファンとはそんな約束はしていないが、昼の件もあるため、今後あの二人と一緒に飯を食う気はない!
俺が断り、キリアを睨むと、奴はそれを察したのか、「俺が付き合う」と言ってくれた。
アリアは当然喜び、二人はさっさと行ってしまった。
とても悲しい。でもあの二人とはいたくない……くそったれ! まぁでも、キリアが渋々承諾したときの顔はざまあみろだ!
取り残された俺は、せめてもの慰めに、ロンファンと夕食の約束でもしようとロビーへと向かった。
大都会のギルドだけあって、夕食時のロビーは賑わっていた。
掲示板の前で、これから夜間のクエストへ向かおうとするハンター。夕食を食べに来た家族。買い物をしているカップル。その他にも、冒険者と思われる若者など。シェオールのギルドとは大違いだ。
そんなロビーでロンファンを探すが、なかなか見つからない。
もしかしてもう帰ってしまったのか? と思い、諦めて一人で外食でもしようと戻ろうとすると、端っこの観葉植物に隠れて、こっちを見ているロンファンを発見した。
どうやら人ごみの中までは入れなかったようで、俺が戻ってくるのを待っていたらしい。
それでも朝から俺を待っていたのかと思うと、先ほどの件もあり、涙が出そうなくらい嬉しかった。
ロンファンも俺が近づくと抱きついてきて、泣きそうな声で、「師匠~。遅いです!」と言ってくれた。
俺は本当に素晴らしい弟子を持った。もしロンファンがいなければ、今夜は枕を濡らしていたかもしれない。
ロンファンとの感動の再会を果たすと、夕食の約束をし、着替えを終えると早速出発した。
「師匠師匠~」
手を繋ぎ、嬉しそうにするロンファンは、子供のように俺を呼ぶ。
「どうしたロンファン?」
愛らしいロンファンに、応える声も優しくなる。
「実は~、アドラと~、約束してるんですよ~」
「約束? なんの?」
「昨日~、師匠が帰って来たって~、アドラに言ったら~、マドカで~、待ってるって言ってました~!」
「本当か!」
マドカは、俺達行きつけの食事処だ。
当時俺達が住み、現在はロンファンがそのまま住んでいるスルト地区にある店なのだが、少し小汚い。
ちなみに、スルト地区はそこそこの高級住宅街である。
その代わり、客のほとんどが顔見知りで、ロンファンとアドラがストレスを感じなく食事ができる、良い店でもある。
「はい~。もういるはずです~」
「わざわざアドラに教えてくれたのか? ありがとうな」
「いえ~」
照れくさそうにロンファンは下を向いた。
そんなロンファンと仲良く手を繋ぎ、たわいもない話をしながら歩くと、あっという間にマドカに着いた。
本来ならあまり出会いたくはなかったはずのロンファンだったが、度重なるモラハラに、唯一俺を求めてくれるロンファンが心の支えになっていたのだろう。
今はロンファンの手が、とても心地良い。
昔と変わらず、いや、昔よりまた小汚くなった懐かしいマドカの扉を開けると、熊よけのベルが変わらず俺達を迎えてくれた。
客のほとんどいない店内の照明はまだランプを使用しており、薄暗く、赤いソファーと古びた木材のテーブルが当時の雰囲気を残していた。
そして、カレーの匂いと埃っぽい臭いが、俺の心を癒した。
「お久しぶりです、ママ」
「久しぶりだね。あんたギルドで働いてるんだってね?」
マドカは、皆がママと呼ぶ年配の女性が一人で切り盛りしている。
世話好きで、色々と料理をサービスしてくれて、特にロンファンが懐いている。
「ええ。腰やっちゃって……もうハンター出来ないから、今度はスタッフとして頑張ってます」
「あんた、そんなにハンター好きだったのかぃ?」
「まさか。そんなわけないですよ」
「だろうね。ほら、アドラちゃん待ってるよ。さっさと行っておやり」
「そうでした。じゃあ、いつものお願いします。覚えてます?」
「はいよ。ちゃんと覚えてるよ」
ママへの挨拶もそこそこに、アドラが待ついつもの席へと向かった。
俺達がいつも座っていたのは、店の一番奥にあるテーブル席で、パーテーションのお陰でとても落ち着ける。
人見知りをするロンファンと、あまり人間を好きではないアドラにとっては、願ったり叶ったりの席だ。
アドラを驚かせないよう、覗くように顔を出した。
待ちくたびれたのか、アドラはヤギのような綺麗な白髪に寝ぐせを付けて、ソファーで眠っていた。
出会った頃は、テーブルに足を乗せる行儀の悪い癖があったが、すでに社長にまで登り詰めたアドラは、お行儀よく眠っていた。
社長にまでなったアドラは、黒の革パンツにタンクトップと、かなりお洒落になっており、枕代わりにする赤いジャケットが、成長したアドラを示していた。
生き物は環境で変わるというが、あの素行の目立つアドラが立派になった姿に、感動を覚えた。
「アド……」
「アドラ~! 師匠が来ましたよ~!」
気持ちよさそうに眠っているから、そっと起こそうかと思っていた俺とは違い、気絶した人に呼び掛けるようにロンファンはアドラを揺すっている。
こんな事が出来るのは、世界にロンファンだけだろう。この二人は、それだけ仲が良い。
「う~……うん~……」
仕事で余程疲れているのか、あれだけ激しく揺さぶられてもなかなか起きない。
「ロンファン、もう……」
「アドラ~。アドラ~」
ロンファンはお構いなしにアドラの鼻に指を入れ、起こそうとしている。
よくケンカしないなこの二人……
「ロンファン。アドラだって疲れてるんだから、もう少し寝かせてあげようか」
「え~! 駄目ですよ~師匠~」
「いやほら。アドラ可哀想だから……」
「ほらアドラ~。師匠~帰っちゃいますよ~?」
アドラ! 早く起きろ! 鼻の穴が一つになるぞ!
「う~ん……なんだ? ロンファンか? ……あぁ、師匠。久しぶり」
「久しぶり」
やっと目を覚ましたアドラは、ロンファンの猛烈な攻撃にも何も言わず、俺を見つけニヤリと笑った。
細かい設定。髪の色。
この世界では、基本的に内蔵する魔力の多い者から、白、銀、赤、黄、茶、青、黒、の順で髪の色に特徴がある設定です。魔力には聖と悪がありますが今は割愛します。髪の色は遺伝覚醒や成長の過程で内蔵魔力が増えると徐々に変化します。ちなみにギルドスタッフでは書き忘れていましたが、ミサキの髪の色は茶色です。高魔族の魔導士のミサキは、本来はヒーよりも白に近い銀髪ですが、これは弾を生成するため常に魔力の半分以上を割いている為です。
自分で作った設定ですが、細かすぎて良く分からなくなります。もし矛盾を見つけられた方がいましたら、お知らせ頂ければ幸いです。




