68.記念日
地元の運送屋で働く工藤静香 (38歳、娘が1人)は、本日の配送を終え会社に戻るべく鼻歌まじりにに高速を流していた、その時バックミラーに小さなライトの光が映った、キセノン系の青白いヘッドライト、追い上げて来てるなと思いながらスピードメーターに目を向ければ、針は105kmを指していた、メーターから視線を前方に戻した瞬間、ビリビリと振動で荷台が揺れる、自分のトラックの右車線を白いスポーツカーが、まるでこちらが止まってると錯覚させるようにぶち抜いてゆく、ミラーから目を離したほんの一瞬で追いつかれたのだ。
「おわぁ!! 何今の!……車?ロケット?」
ヴボボボボボ、ヴゥアアアーーーーッバシューーーッ
チタンマフラーからバックファイヤーの炎をたなびかせ、白のGT-Rが長野自動車道を猛烈なスピードで走っている。夕闇のアスファルトを滑るように駆け抜けるのはご存知、スピードの女王 (作中最速を誇る)武田夏子だ。
「やっぱり車は楽ねぇ〜、白衣が汚れないのも良いわ、私も車買っちゃおうかしら」
岡谷ジャンクションの左コーナーにノーブレーキで突っ込みカウンターを当てながら滑り抜ける、285の極太タイヤは悲鳴を上げ白煙を撒き散らすが、おかまい無しにアクセルを踏み込む。700馬力のエンジンは大気の壁をものともせず大柄のGT-Rの車体を加速させ続けた。
「鉄君の好きな笹かまぼこも買ったし、もう機嫌直ってるといいな〜」
トンネルに入るとGT3タービン特有の野太いエンジン音が反響して木霊する、1秒でも早く長野に戻るため夏子はアクセルを再度踏み込んだ。(法定速度を守りましょう)
「ふふ、何人たりとも私の前は走らせない」
少しくたびれた感じの赤い提灯に灯がともされる時間になると、今日も焼き鳥屋さっちゃんの営業が始まる。
もうじき春が来るとは言っても3月の夜はまだ寒さが残る、こんな日は身体を暖めるためにも1杯引っ掛けて行きたいものである。
そんな季節、早速本日一人目のお客さんが店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃ〜い!!」
「おかみ、とりあえず生、あとおまかせで〜」
「はは、鉄君それ言ってみたかっただけでしょ」
初めての居酒屋で雰囲気を出してみたのだが、後ろにいた李姉ちゃんに突っ込まれる、へへ、と笑って誤摩化す、流石李姉ちゃん全てお見通しだな。
16歳の誕生日と言うことで、ちょっと早いが大人の気分を味わいたくて、婆ちゃんに頼んで「焼き鳥屋さっちゃん」の夜営業に連れてきてもらった(ちなみに貸し切りだったらしい)、何も誕生日に焼き鳥屋なんて行かなくてもと呆れながらも、安上がりでいいかと快諾してもらった。
決して広いとは言えない店内にパチパチと炭が爆ぜる音と、香ばしい煙が立ち込めている、ちょっと古い歌謡曲が有線で流れまさにザ・居酒屋という雰囲気が漂っている、うんうん、いいね、大人の世界だね。カウンターに座るとさっちゃんが人なつこい笑顔を向けて来る。
「はいよ、生一丁!! それと今日のお通しは鶏もつ煮ね」
トンとカウンターに出されたのは霜のついたジョッキに注がれたリンゴジュースと小鉢に盛られた鶏もつ煮だった、おっキンカン入ってる、くにくにしてて美味しいよね。
「さっちゃんもノリノリだね、わざわざジョッキに注いでくれるとは」
「いや〜、せっかく鉄君が店に来てくれたんだから、雰囲気出さないとね、焼き物は本当におまかせでいいの?」
「鉄君、おまかせはやめときな、調子に乗って変なもん出して来るよこいつ」
「麗華は失礼だな、家の店で不味いもんなんか出さないよ」
「はは、鉄は食い意地張ってるから何でも旨そうに食べるから問題ないよ」
「春さんまで、何でもはないでしょ〜、全部美味しいですよ〜」
隣の李姉ちゃんと婆ちゃんがさっちゃんをからかう、僕は壁に貼られたお品書きから、ももと皮をとりあえずタレで頼んだ。ちなみに黒夢はお留守番となっている、焼き鳥屋に行くと言ったら服に臭いがつくと嫌がられたのだ、まぁ、黒夢は食べる事が出来ないしな、でも臭いはわかるのか?そんな事を考えていると婆ちゃん達が注文を始めた。
「さっちゃん、私はいつもので頼むよ」
「あっ、私生とせせりを塩で」
「はいよ!!」
うん、流石に慣れた感じが大人だね、婆ちゃんには冷や酒が、李姉ちゃんにはビールジョッキがそれぞれ出され、とりあえず乾杯となった。
「「「鉄 (鉄君)お誕生日おめでとう」」」
「ありがと〜」
ガラリ
「あぁ〜〜〜っ!! なにうちが来る前に乾杯しとるんや!!」
「あっ、真澄先生、遅いよ〜」
「鉄君、か、かんにんや〜、タクシーなかなかつかまらんかってん。さっちゃん、うちにも生一つ」
担任教師である住之江は、当然だが鉄郎の誕生日を把握していた、ましてや今は鉄郎の婚約者筆頭の身、お誕生日会など絶対に外せない行事であった。
「すまないね真澄さん、こんな内輪の事で呼んじまって」
「は、春子おばあさまが真澄さんて名前で呼んでくれはるとは……、うぅ〜、なにをおっしゃいますか!! この住之江真澄もはや身内同然、遠慮など水臭い!」
「うわっ! うざっ」
「なんか言うたか麗華。ふふん、そないひがみ根性出しとると行き遅れるで」
「はっ、正式に婚約出来るのは鉄君が18になってからの約束でしょ、勝ち誇るのはまだ早いんじゃない」
「うわ〜ん、鉄君。お義姉さんがいじめるぅ〜」
「だれがお義姉さんよ、あんたの方が年上でしょうが!!」
住之江が鉄郎に甘えるように縋り付いた、はっきり言って調子に乗っている、鉄郎は鉄郎で今日は気分も良いのでよしよしと住之江の頭を撫でてやった。
「ね、ねえ、春さん。今、なんか信じられない事を耳にした気がするんですけど」
店の主人である徳山幸子が手にニラ玉の小鉢を持って愕然としている。この店のニラ玉は、白だしのニラのお浸しに玉子の黄身を上に乗せたもので、玉子の黄身を潰しながらニラにからめて食べると、黄身の濃厚なまろやかさとニラのシャキシャキした食感があじわえて中々に旨い、春子の好きな定番である。
「ああ、真澄さんは鉄の婚約者になったんだよ、今日は嬉しいね、あんな別嬪さんが鉄の婚約者になってくれたんだ、これで私も思い残す事はないよ」
「嘘ぉ〜〜〜〜んアッチョンプリケ!! あんなエロ教師が……、世の中間違ってる!!」
なにか一部 (麗華と幸子)で微妙な空気が流れる中で住之江が小さな紙袋を鉄郎に手渡す。
「はい、鉄君。これうちから誕生日プレゼントや」
「わぁ、ありがとう、開けていい」
「もちろんや」
ガサゴソと紙袋を開けると中には小さな青い箱が入っていた。
「……真澄先生、これって」
鉄郎が小さな箱をパコリッと開けるとそこにはキラリと輝く指輪が一つ、住之江と指輪を交互に見てその意味を理解したのかカァーっと顔が赤く染まる。
「エンゲージリング(婚約指輪)、鉄君に貰って欲しくてさっき買うてきたんや、どやろ? 貰ってくれる?」
頬を赤く染めながら、もじもじと上目遣いではにかむ住之江。その姿はお世辞抜きで可愛く、彼女いない暦16年の少年はコロッとやられてしまうのだった。まぁ、場所が焼き鳥屋というのは焦りからくるフライングではあったが。住之江とて今回の婚約はまだ楽観視するのはまだ早いと思っている、まずは一つでも既成事実を重ねておきたかったのだ。
「うん、喜んで!!……でもこう言うのって男の僕から上げなきゃいけないんじゃ」
「えっ、でもゼ◯シィには女の方からするのが礼儀って書いてあったんやけど」
「そうなの?」
隣で見ていた春子が鉄郎に語る。
「鉄、今の時代それもありさ。女が一世一代の勇気を出したんだ、鉄が嫌じゃなきゃ素直に貰ってやりな」
加藤事変後は男性から女性に告白する事はまず無くなっている、春子は自分の若い頃を思い出して時代も変わったなと、照れる孫を見てひとりごちた。
「真澄先生……」
「鉄君……」
見つめ合う2人に麗華と幸子がポカ〜ンと口を開いて間抜け顔をする、何、この雰囲気、目の前の現実に思考が停止状態だ。
ここでちょっといらん情報を開示しようと思う。はっきり言って鉄郎は超モテる男である、周りは女性しかおらず容姿も整っており性格も温和だ、これでモテない方がおかしい、しかしこれまでの16年で彼女と呼べる存在はいなかった、女性達にしてもアイドル扱いで遠巻きに見てる者も多く、告白にしても駄目もとで記念に告っとこうと、どこか真剣さに欠けた者も多数いた、それに麗華という初恋の人がつねに近くにいたのも影響していたのだろう、意外と彼女というものを欲しい気持ちが湧くことがなかった。
だが高校生になり鉄郎もお年頃である、人並みに異性を意識し始める、そんな時に(鉄郎の前では)つねに優しく真剣(?)に自分の事を考えてくれる、綺麗なお姉さんという住之江の存在は鉄郎にとってドストライクで、まさに奇跡のタイミングだった。なので昨日の告白で人生初の彼女が出来た事に結構浮ついていたのだ。
まぁ、男だししょうがないよね。
「真澄先生、僕絶対に先生の事幸せにするね」
「て、てちゅくん、う、うわぁ〜〜ん、うち、うち、もう幸せや〜〜〜!!!」
「わっ、真澄先生!!」
鉄郎の言葉でわんわんと泣き出す住之江、この瞬間住之江は鉄郎の婚約者第一号の座を確固たるものにしたのだった。
住之江をなだめる鉄郎、それを暖かく見守る春子、そして麗華は目の前の生大ジョッキを悔し涙を流しながら一気に空にした。
幸子は目の前の光景を見て思う、これが人生の成功者の姿かと、そしてやけ酒をあおる麗華を見て、これが人生の敗者の姿かと。
やはり人生と言うものは前に進む力が必要なのだ、1歩前に出た者から幸せを掴んでいくのだろう。
「オカエリ」
焼き鳥屋さっちゃんから上機嫌で家に帰ると、僕の布団の中で黒夢が自分の身体にリボンを巻いて裸で寝転んでた。
まさかこれがしたくて留守番してたのではあるまいな。これは一度しっかりと躾ける必要があるな。
「パパに黒夢をプレゼント、美味しく召し上がレ」
…………本当にどこでそう言う知識仕入れてくるんだろう、僕は黙って黒夢を抱き上げると廊下に放り投げてドアを閉じた。
「放置プレイ?」
その頃、夏子はと言うと。
「だからぁ、この車は借りてるんだって言ってるでしょ、総理に電話しなさいよ総理にぃ!!」
「はいはい、いいから免許出して」
たまたまやっていた検問に引っかかって事情聴取を受けていた。夏子が不在というのは、住之江にしてみればありえないぐらい幸運であった。
さらに首相官邸。
トゥルルルル、カチャ
「もしもし、尼崎です」
『私、貴子さん。今弾道ミサイルのスイッチの前にいるの』
「今度は何が望みよ!!」
お読みいただきありがとうございます。これで年内の投稿は最後となります、次話は年明け1月8日予定です。




