46.白と黒の少女
研究所の中に足を踏み入れると、まるで病院のような白一色の廊下が続いている、海上にある建築物だというのに廊下までカラッとした温かい空気が流れていて驚かされる、よほど空調がしっかりしているのだろう。ゴミ一つ落ちてないし、本当にここに住んでるの二人だけなのか? キョロキョロと視線を遊ばせていると大きく手を振りながら意気揚々と先頭を歩く貴子ちゃんが、はにかみながらクルリとこちらに振り向く。
「ねぇ、ねぇ、鉄郎君。ご飯にする、お風呂にする、そ・れ・と・も、私、きゃーっ!」
自分のホームだからか、やたらとハイテンションな貴子ちゃん、それ言ってみたかっただけでしょ、正直ちょっとうざいぞ。
「ああーっ! でも私まだ生理来てない、もう何年も無かったから忘れてた。やばい、鉄君お願い後3年、いや5年待って!」
後ろからついて来ていた麗華がキャッキャとはしゃぐ幼女をジト目で見ながら、隣を歩く児島に話しかける。
「私、アレが男にモテない理由分かった気がするわ」
「あれでも頭はいいんですよ」
児島もフォローする気が無いのか返事が結構おざなりだ。まずはお茶でもと、以前に夏子達が通された応接室に到着する。児島の煎れた冷たいアイスコーヒーで喉を潤して一息つくと鉄郎が口を開く。
「それにしても、凄い大きな研究所だね。空から見た時は島かと思ったよ」
「ハッハッハ、凄いでしょ、世界でも是程の施設はまず無いと断言できるね」
「でも、これだけ大きいと掃除とか大変そうだね」
「まぁ、使ってる場所は限られてるし、掃除は児島とルンバ(掃除ロボ)がやってくれるよ」
「ルンバ?」
「うん、垂直な壁も登れるルンバ改が4000匹は放し飼いになってるから、いつも綺麗なのだよハッハッハ」
「ほへ〜、壁も登れるんじゃ猫は乗っけられないね」
「猫? あっ、ツナ缶有るよ、食べる?」
「えっ、猫はいるの?」
頭の中で大量のルンバ猫が行き交うのを想像して顔がゆるむ。ふむ、しかしこの大きな研究所に貴子ちゃんと児島さんだけしかいないんだ。
部屋の中をぐるりと見渡していると、貴子ちゃんがニコニコしながらすり寄ってきた。
「それよりも、鉄郎くんに見せたいものがあるんだ!」
カンカンカンと長い階段を降りる、もう随分と下の方まで下って来た、それだけでこの建物の大きさがおおよそ想像出来る。地上から見ても大きかったが、海面の下にもかなり施設があるんじゃなかろうか。階下からは動力室でも有るのかゴオゴオと唸り声のような音まで聞こえてきた。流石に飛んだりしないよな?
たどり着いた場所は随分と広い空間だった、少し暗めの間接照明、吹き抜けの高い天井、左右に大きな作業用ロボットアームが彫像のように立ち並ぶ空間は、まるでここが神殿のようにも思える。その中央には高さ5Mはある大きな十字架が高台に突き刺さっていた。
「教会?」
首を傾げた時だった。カンッと左右からのスポットライトが十字架を照らし出す。一瞬眩しくて目を細めると、そこには黒衣の少女が磔にされているのが見えた。目を閉じて俯いた小さな顔、腰まで伸びたストーレートの黒髪、艶のある丈の短い黒のワンピース、細い脚はこれまた黒のニーソックスを履いている。黒ずくめで白を基調とした貴子ちゃんとは対称的だ。
意識が無いのかピクリとも動かない少女を見た鉄郎は、助けを求めるように貴子に向かって声を荒げた。
「ちょっとぉ!! 貴子ちゃん、あの子に何してるの!!」
「まぁまぁ、慌てない、慌てない、ポチッとな」
貴子ちゃんが端末を操作すると、パイプオルガンのゆっくりと荘厳な調べが聞こえて来る、この曲はバッハの小フーガト単調だったかな。足元にはドライアイスでも炊いたのか白い煙が一面に漂いだした。何、儀式? 演出なの?
「さぁ!! 今こそ目覚めよ、えっと……まぁいいや、えいっ!!」
カシャ、カシャン、カシャ
十字架に少女を拘束していた金具が軽い音をたてて解除されてゆく、足、腕、腰と順に外されると……
ベチャリ
「「「「なっ!!!!」」」」
そりゃ当然、落ちるわな。
「う、うわぁ〜っ落ちた〜!! 大丈夫かぁー!」
十字架の下で倒れてる少女に慌てて駆け寄る鉄郎。貴子は端末を押した姿勢のまま大口を開けてわなわなと身体を震わせる、麗華はいぶかしむように片方の眉を少し上げた。
「あ、あのアホタレ、寝てやがったなぁ〜」
「見事にスリープに入ってましたね、パイプオルガンの選曲が悪かったんでしょうか?」
「君、大丈夫!! 怪我は!」
頭を打ってるかもしれないと思い、首の後ろに手を回してなるべく優しく抱き上げる。あれ、なんか違和感?
黒衣の少女が辛そうに目をうっすら開くと目が合う。少し眠そうな瞳、長い睫毛、サラサラの黒い髪、病的に白い肌、藤堂さんがフランス人形だとしたら、この少女は日本人形に例えることが出来る、僕の腕のなかで、まるで最後の力を振り絞るように震えながら小さな手を伸ばしてくる、空いていた右手で少女の伸ばされた手をそっと握る。それで安心したのか少女は儚く微笑んだ。
「……パパ、会えて良か……た」
少女は一言呟くと意識を失ったのかガクリと崩れ落ちる。
「うぁ〜、しっかりしてー! そうだ貴子ちゃん、お医者さんを!」
貴子ちゃんが俯きながらツカツカとこちらに歩み寄ると、僕の腕に抱かれた少女の肩をむんずと掴む。そしてそのまま「うおりゃー!」と強引に空高く放り投げた。
「えっ、ちょ、ちょっと貴子ちゃーん!!」
放り投げられた少女を目で追えば、空中でクルクルと回転して綺麗に着地した。10点満点の着地だった。あれ?
「えっ、え、えぇ〜〜っ?!」
黒衣の少女が、不満そうな顔で貴子ちゃんを睨んでいる。この事態に付いて行けない僕は驚きの声を上げる事しか出来なかった。
「……いきなり何をスル、ママ」
「それはこっちのセリフだ! 打ち合わせ通りにやらんかケーティー28号!! 私に恥をかかすな!」
「そんなダサイ名前は、シラナイ」
「しょうがないだろうが! まだ名前決めてないんだから!」
「親の責任放棄。ソレニ予定より12分45秒遅れたママがワルイ、節電のためにスリープした」
貴子ちゃんと少女が意味のわからない言い合いを始めた、うん、とりあえず怪我は無さそうだね。
後ろで見ていた麗華が児島の横にそっと近づくと耳元で囁く。
「何、この茶番劇は?」
「すみません、こう言うシナリオでは無かったはずなんですが……」
5分後、改めて黒衣の少女が十字架を背に僕達の前に立つと、黒のワンピースの裾を軽く摘んで、ニッコリ笑うと見惚れるほど綺麗なお辞儀をした。あら、可愛い。
「ハジメまして、パパ。 ずっと会いタカッタ」
「さっきから気になってたんだけど、パパって僕のこと?」
「違うノ?」
少女はカクッと首を傾げた。僕と黒衣の少女は貴子ちゃんに疑問の目を向ける。じと〜っ
二人の視線を浴びて、うんうんとうなずく貴子ちゃん、そして開き直ったように腰に手を当てて無い胸を張った。
「ハッハッハ、鉄郎君。 紹介しよう! そいつは二人の愛の結晶、ケーティー28号だ!! プレゼントフォーユーだよ!!」
貴子ちゃんがバサッと手を振るとファンファーレが鳴り響き、天井から降りてきたくす玉が割れ、紙吹雪が舞う。ああ、元々これがやりたかったのか、くす玉から垂れた文字は『鉄郎君、お誕生日おめでとう! ついでに28号』と書かれている、ちなみに僕の誕生日は明後日の3月13日なのだが。
「ダカラ、そんなダサイ名前は、シラナイ」
うん、だからこの子誰?
床に落ちた紙吹雪はどこからともなく現れた、タライに足を付けたようなロボットが片付け始めた。ああ、これがルンバ改か、デカい、ニャンコが4匹は乗れるな。
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