36.使徒襲来
九星学院は今、学校崩壊の危機を迎えている。1週間、たった1週間鉄郎がいないだけで校内に倦怠感がはびこり皆の笑顔が消え去り、口数が極端に減っていた。卒業式を今週末に控えた3年生などは元々自由登校だったが絶望から学院を休む者も多かった、昨年の冬から妙に鉄郎と親しくなっていたため1ヶ月のお休みは喪失感がとても大きかった。
3月5日月曜日早朝。
藤堂リカが生徒会室に続く廊下をツカツカと歩いていると、窓の外に見える校門が目に付く。送迎用のロータリーにポツンと一人の女生徒が佇んでいるのに気が付いた。
「あれは、三国先輩?」
先週、全校集会で鉄郎の1ヶ月のお休みを告げられてから、恒例の朝の出迎えも皆控えるようにしていた、最初の2・3日は校門の前でボロボロと涙を流す生徒すらいたほどだ。
卒業間近で学院に自由登校となっていた元茶道部部長三国 綾は、いつもの癖でロータリーに足を運んでしまっているようだ。来るはずのない鉄郎を待つその姿に自分の無力さを感じ、リカは胸がきゅっと締め付けられる思いだった。
「三国先輩、おいたわしいですわ。鉄君は卒業式には間に合わないのに……」
まだ鉄郎の退院を知らされていないリカは、見てられませんとばかりに生徒会室に逃げ込むように入って行く。
3月の長野はまだ寒さが厳しい、特に晴れた日は放射冷却で逆に気温が下がるのだ。
「あぁ、また来ちゃったよ。高校最後の1年楽しかったなぁ。鉄君可愛かったなぁ、せめて最後に一目だけでも会いたかったよ」
ストレートの長い黒髪を後ろで揺らしながら、三国は3月の乾いた空を見上げる、こらえていた涙が頬に一筋流れた。
「はぁ〜、ここに居ても、余計に心が寒くなるだけか」
自分に言い聞かせるように呟き校舎に戻ろうとすれば、聞きなれない車の音が三国の耳に届いた。なんの気なしに校門を見やれば1台の黒い車が近づいて来る。いつも鉄郎が乗って来るごつい装甲車ではない、しかも運転席にしか人が乗っているのが見えない。
「ん、黒いスポーツカー? 誰?」
三国がいぶかしげに眺めていると、そのスポーツカーが送迎用ローターリーに停車した。カチャリと運転席から現れたのは、その車に不釣り合いの着物を着た白髪の老女だった。肩口で切り添えた白髪が朝日を浴びてキラキラと輝く、顔に皺は有れどその立ち姿は凛としたもので、三国は思わず見蕩れてしまっていた。
「ふぇ〜、あの着物江戸小紋だ、凄い似合ってる。かっこいいお婆ちゃんだなぁ〜」
元茶道部だけあって三国はその老女の着物にも感心する、しかしその格好でそのスポーツカーはどうなんだろう、高級セダンの方がしっくりくる気がする、しかも自分で運転してきたようだし。
じっと見つめているとその老女と目が合う、慌てて頭を下げるとニコリと品のいい笑顔で返された。
老女が助手席の方に廻り込みドアを開ける、てっきり誰も乗っていないと思っていたが中から降りて来る人影が見える。
「婆ちゃん、ありがと〜」
「ハンカチは持ったかい、ちり紙は、ああ、ほら寝癖が残ってるじゃないか」
「もう〜、子供じゃないんだから、大丈夫だよ〜」
助手席から降りて来た人物に三国は呆然となる、自分は幻覚でも見ているのかと思わず自分の頬を抓ってみた。
「痛い。幻覚じゃない。天使降臨……」
「あっ、三国お姉ちゃん!! おはようございま〜す!」
「えっ、やっぱりこれは幻覚なの? 天使が今、お姉ちゃんって言った? しかも手振ってるし」
「ん、鉄、あの娘さんは知り合いかい?」
「うん、3年生の三国おねえちゃ、じゃないや三国先輩」
「鉄、この2日間ですっかり子供が板についてきたねぇ」
「うぅ〜、だって皆して子供あつかいするから〜」
実は退院したのは金曜日だったので土曜、日曜と学院に行くには2日間の猶予があった、その2日間で鉄郎は徹底的に甘やかされた。特に春子などは1度目の幼少時に厳しくしていたので、そのリベンジとばかりに孫馬鹿になってしまったのだ。鉄郎も今まで見たことがなかった祖母の姿に戸惑いながらも、これも婆孝行かと童心に戻っていた。非常に流されやすい男である。
「じゃあ、僕もう教室に行くね、送ってくれてありがとう!」
「はいよ、放課後には迎えにくるからね。知らない人にお菓子あげるよって言われても付いてっちゃ駄目だよ」
「もう、僕高校生だよ。そんな心配いらないよ〜」
テトテトと校舎に向かって歩いて行く孫を眺めながら、春子は呆れたように肩を竦める。
「いや、今の鉄だったら脇に抱えて持ってかれそうだしね。まぁ、後は麗華にまかせるか」
多少、後ろ髪を引かれつつも春子はシェルビーコブラGT350のアクセルを踏み込んだ。ちなみに着物を着て来たのは麗華から、全校生徒のお出迎えがあるかもしれないと言われていたので、祖母らしい格好を選んだだけのことである、そう言う意味では出迎えが1人だけだったのは、いささか拍子抜けではあった。
ここに邪魔者は誰もいない、自分に向かって駆け寄ってくる愛くるしい少年。鉄って言ってたし、私の名を知っていると言う事はあれは鉄君?何故子供になっているのか?疑問が頭をよぎるが、ちょっと逝っちゃてる三国の中では鉄郎が小さくなっていようがなんの問題もなかった、むしろバッチコイだった。
「三国おねえ……先輩?」
近くに来ても反応の無い三国に、鉄郎がぽきゅっと首を傾げて見上げる。
「ふぉーーーーーっ!!! 神はいらっしゃった!! これは神から私への卒業プレゼントなのねーーっ!!」
「わぷぅ!」
三国は上目つかいで自分を見つめる鉄郎をなんの躊躇もなく抱き上げた。三国にとって今の鉄郎(子供版)はどストライク過ぎた。問題あるじゃねえか。
「三国おねえちゃん、苦しいよ」
「んん〜っ駄目よ鉄くん、今日からは綾おねえちゃんって呼んで」
自分の胸に強く押し付けながらよくわからない要求をしてくる三国に、鉄郎は顔を赤くしてされるがままだ。最上級生だけに発育がよろしい。
「ところで鉄くんはなんで小ちゃくなってるの?」
「えっ、今更、反応遅くない。あぅ〜頬ずりしないでぇ〜」
「ん〜っ、肌すべすべ〜。モチモチ」
「綾おねえちゃん、話し聞いて〜」
しっかりとおねえちゃん呼びする所に鉄郎の流されやすさが伺える、本当に大丈夫かこの子。
「まぁ、私は小さい事には拘らないわ。むしろ鉄くんはこれ位小さいほうが弟っぽくて好きよ。さぁ、ここは寒いわ校舎に戻りましょ」
ホクホクの笑顔で鉄郎を抱きかかえたまま歩き出す三国、抜け出そうともがくが、執念すら感じさせる力で抱きしめられそのまま校舎に運ばれて行く。
登校初日、今の鉄郎(子供版)が一番会ってはいけない人物に会ってしまった。
ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ。
「えっ、三国先輩?」
「抱きかかえてるのって男の子じゃない?」
「ふぁ〜、半ズボンだよ。可愛いーっ」
「隠し子? なんか鉄君に似てない?」
「誘拐? ちょっとー誰か警察に通報」
校舎に入った途端に廊下にいた生徒達がざわつく、幼い少年を抱える姿に女生徒達の三国を見る目はとても冷ややかだ、まるで犯罪者扱いである。
周囲の視線に抱きかかえられているのが恥ずかしくなったのか、鉄郎は視線から逃れるように三国の胸に強く顔を押しつける。耳まで真っ赤になっている。そんな鉄郎の姿にさらに保護欲をかき立てられ、満面の笑みを浮かべる三国。まさに我が世の春である。
その時生徒会室から出て階段を降りて来たリカが校内での異変に気が付く。
「一体これは何の騒ぎですの?」
「あっ、会長。三国先輩が男の子を誘拐してきたかも」
「ぶ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!! な、なんですって!! 誘拐!!」
人だかりをかきわけて前に出てみれば、確かにそこには変質者めいた笑顔の三国が半ズボンの少年を抱きしめていた。ギルティ確定。
「ちょっと、三国先輩。ん、あれは……」
呼び止めようとしたリカだったが、廊下の向こうからえらい勢いで走って来る人影を捉え踏みとどまる。
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ!
鉄郎の耳に最近聞き慣れた足音が後ろから聞こえて来た、三国の胸に埋まっていた顔を起こして後ろを振り向けば、白い弾丸が迫って来るのが見える。特注の白いブレザー、腰まで伸びる長い白髪、ケーティー貴子こと加藤貴子その人であった。
「とうっ!! 貴子キーーーーーーック!!!」
目の前で貴子ちゃんが助走をつけてジャンプすれば、まるで重力を忘れたように浮き上がり、白く細い脚を揃えたまま飛んでくる、僕の頭上を通過する一対の靴底が三国先輩の顔面を綺麗に捉えた。
それはもう見事なドロップキックだった、パンツ丸見えだけど。貴子ちゃん幼女のくせに結構えぐいの履いてるんだな。
「ヘブンッ!」
スローモーションのように吹き飛ぶ三国先輩。衝撃で手が離れ床に落ちるかと思ったが、そのまま空中でキャッチされる。僕を脇に抱えたままザシャーと着地すると貴子ちゃんが不機嫌そうに言い放つ。
「この変質者が! 油断も隙も無いな、鉄郎君は私のものだ誰にも渡さん!! あ、ちょっと鉄郎君暴れないで」
「わー、綾おねえちゃーーーーん大丈夫!!!」
じたばたと貴子ちゃんの腕をすり抜け、吹き飛んだ三国先輩のもとに駆け寄る。顔面についた靴跡が痛々しいがどうやら気絶しているだけのようだ、しかしその表情は何故かとても満足気で幸せそうだった。
ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ、ザワ。
色々と衝撃的な光景に廊下に集まった生徒達がまたしてもざわめき出す。
「へっ、綾おねえちゃん?」
「えっ、どうなってんの、誘拐じゃないの? それに今、鉄郎君って言ったわよね」
「あの男の子が鉄郎君ってこと???」
「天才ちびっこ、久しぶりに見た」
「ちびっこのくせにエロいパンツだったな」
「そう言えばケーティーちゃんも居なかったような、鉄君のお休みに気をとられて忘れてた」
「ひどいな、あんたクラスメイトでしょ」
「そんなことより鉄君よ!」
目の前の混沌とした光景に生徒会長であるリカが、校内に響き渡るような大声で叫んだ。
「な、なにがどうなってますのーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」
お読みいただきありがとうございます。感想絶賛受付中!!