31.怒りの矛先
朝の静けさを破るように、長い廊下に春子のブーツの音がカツカツと鳴り響く。
「ちょ、困ります! 武田様! ちよっと待って下さい! それに後ろの方は」
制止するスーツ姿の女性を振り切って、黒塗りの重そうな扉の前にたどり着く。ドアノブを掴むとノックもせずに扉を開け放つ。
バンッ!!
「よう、尼崎。邪魔するよ」
「なっ! 春子先輩、ど、ど、どうしたんですか、こんな朝早くから」
朝一で呼び出され報告書に目を通し始めていた尼崎総理は、突然の訪問者に目を丸くする。軍に在籍していた時の先輩である春子はまだいい、知った顔だ、問題はその後ろで俯いている血まみれの幼女だ、白髪白衣の幼女、間違いなく加藤貴子。嫌な予感が頭を駆け巡った。
「いや、昨晩家の屋敷が武装集団に襲撃を受けてな、そこで孫が撃たれたんでお話に来たんだよ」
「ま、孫って、てっ、鉄郎君が!」
冷や汗が止まらない、どこの馬鹿がそんなことをしやがったんだ、よりによって春子が溺愛する鉄郎君を撃つなんて。事の重大さがわかっていない奴を思いっ切り殴りたくなった。
春子の顔は笑ってるのにその目には怒りの炎が渦まいていた、部屋に立ち込める濃密な殺気に尼崎の膝がカタカタと笑いだす、一番後ろで金髪インド人が手を合わせて「ごめんなさい」のポーズをとっているがなんの気休めにもならなかった。
「とりあえずナイン・エンタープライズに情報を流してる職員を洗い出せ、昨日の貴子との条約を知ってる奴なら人数は限られているはずだ、すぐに特定出来るだろ」
「う、うちの職員が情報をリークしたと言うんですか。しょ、証拠は!」
「犯人はみんなそう言うのよね」
ラクシュミーが余計な一言をボソリとはさむ、尼崎は自分は悪くないと思ってるが、今すぐにも高飛びしたい気分だった。
なんで自分の任期中にこんな世界規模の事件が立て続けに起こるのか、ちょっとお腹痛くなってきた。
ドンッ!!!
後ろで俯いていた貴子が急に飛び上がって尼崎の机の上に着地した。机の上でヤンキーのようなウンコ座りを決めた貴子が、ユラユラと左右に身体を揺すりながら、顔を近づけてくる。焦点の定まらない闇のような瞳がとても怖かった。あとパンツ丸見えだぞ、はしたない。
「あ〜ま〜が〜さ〜き〜。貴女に選択肢はないの、協力しないなら10秒で東京を焼け野原にするぞ」
「ヒイッ」
鉄郎の血で汚れたままの白衣で迫られた尼崎は、恐怖のあまり吐き気すら覚えた。これでも軍人上がりで、それなりの修羅場を経験していた彼女だが、今の貴子にはガクガクと首を縦に振ることしか出来なかった。
官邸を後にした春子と愉快な仲間達はそのまま千歳基地に乗り込み、政府専用機ボーイング747-400で貴子の研究所に向かって飛び立った。
「そう、手術は成功したんだね。ああ、わかったこっちは任せときな」ピッ
「春子!! 鉄郎君は!!! 鉄郎君は無事!!」
夏子との電話を切ると凄まじい勢いで貴子が迫ってきた。まあ無理もない、あの場で気絶していた貴子を引っ掴んでそのまま官邸に乗り込んだので、鉄郎のことが気になってしょうがないのだ。春子としては負傷した鉄郎を見て、また暴走しないように距離を置かせたかったのである。
「ああ、手術は成功したよ、命に別状はない。夏子は衛生兵の経験もある、この手の怪我の対処にあれほど最適な医者はいないからね」
「そっか、良かった、良かったよ〜。えっ! 夏子って医者だったっけ」
「あんた物覚えが悪くなってないかい?」
「馬鹿にすんな、頭脳だってピッチピチに若返ってるわ! それより春子、鉄郎君が無事だったんだし、もうめんどくさいから日本以外全部殺っちゃおう。その方が早く鉄郎君の所に帰れるし」
「あんたそんな事したら、鉄に本当に嫌われるよ。」
「えっ、ヤダ、鉄郎くん、駄目、きらわないで、逝かないで、うああああああああああああ!!」
まだ鉄郎が撃たれたショックから立ち直っていない貴子は感情の起伏が激しかった、後ろで座っていた児島が、ビニールに入った布を貴子の口元に押し付けた。
「貴子様、鉄郎様の下着です、吸ってください」
「スゥーーーッ、はあ、はあ、はあ、もう大丈夫だ、すまん私らしくもない所を見せてしまったな」
なんだその対処法は、春子は孫の下着の臭いを嗅ぐ貴子を見て、頭のいい馬鹿は扱いに困ると本気で思った。こんな奴が世界を滅ぼすだけの力を持ってるのだから、この世界の神様は何をやってるんだと真剣に問いたい。無性に腹が立ったのでとりあえずデコピンをすることにした。
「あうちっ! ひどい! なんでこんなことするの」
「うるさい、ポンコツ科学者!」
鉄郎の下着の臭いで精神的に安定を取り戻した貴子は、携帯を取り出して電話を掛け始める。
「極東マーネージャーか、私だ」
『あ、貴子。そろそろ掛けてくる頃だと思ったわ、言っとくけど今回の件、極東支部は一切関与してないわよ』
「わかってるよ、だけど中東支部とアフリカ支部は潰す。あとはお前の所で好きなだけ食い荒らせ」
『あら、いいの。そりゃこっちは嬉しいけど、なんか美味しい話すぎて怖いわね』
「お前のとこには、長年匿ってもらった恩があるからな。そのかわり……」
『いいわ、中東の石油にアフリカの資源が手に入るなら他の支部は全部まとめてあげる、二度と貴女に手はださせないわ。あっ、ついでと言っちゃなんだけど、施設はあんまり壊さないでくれると、初期投資が少なくてすむんだけど』
「この前実験済のガスがある、まかせとけ。ふふふふふふ、アーーハッハ!!」
貴子のハイテンションな高笑いがボーイング747-400の機内に木霊する、青く澄んだ空に飛行機雲が長く尾をひいて行く。
九星学院は今、負のオーラが立ち込め完璧にお通夜の様な状態になっている。凄く健康体であった鉄郎は入学以来欠席をしたことが無かった、しかし今朝の緊急全校集会で告げられた鉄郎の1ケ月の休学は、学院全体に大きな衝撃を与えた。
具合の悪くなる生徒も続出したので、保健室も満員御礼だ。保険医いわく「不治の病ね」ということだった。
恋する女生徒がよくかかる病気なのだが、完治が難しいのでいいお医者さんを紹介してあげたい。今なら名医である夏子も近くにいるが、彼女にカウンセリングは向いていない、夏子に出来るのは切った貼っただけである。
当然のように「鉄郎君を愛でる会」のメンバーは会議室に集められた、ちなみに授業そっちのけである。
生徒会長の藤堂リカが会議開始の挨拶も抜きで声を荒げた。
「緊急事態ですわ!! どうしましょう、どうしたらいいんですの!!」
「会長落ち着いて」
「大村さん、これが落ち着いてられますか! 平山さんからの連絡はまだですの!!」
書記の大村花江がなだめようとするも、テンパっちゃてるリカには効果がない。逆にフランス人形のような青い瞳に睨まれてビクッとなった。なにせ鉄郎が入院して1月も休むと言う非常事態だからリカが慌てるのも無理もない、副会長の平山智加が自転車で鉄郎の家に向かっているが、まだ連絡は入ってこない。教師に詰め寄り問い詰めてもこれといって情報は手に入らなかった、どうやら本当に知らないらしい。
あまりに情報が足りないのだ。
「病院の方も駄目ですね、市内の病院に問い合わせても、男性患者の情報なんて絶対教えてくれません。会長の家の病院はどうですか」
クラス委員長の多摩川も朝から情報収集に奔走したが有力な情報は得られていない。
「お母様も知らないの一言でしたわ。娘と言えどそんな重要な情報を流す方ではないですわ」
チャラリ〜ッ!ピッ
「智加さん!!」
『あっ、会長。今鉄君家に着きました。何か黒服の人が大勢立ってて家には入れてもらえません。それに庭の方で重機入れてドッカンドッカン工事してますね』
「どういうことですの?」
『わかりません、でもやっぱり家には居ないみたいです』
「わかりました、引き続き近所の聞き込みにまわってくださいまし」
『ラジャー!』
「黒服、重機? 一体、鉄君に何がありましたの?」
平山の電話でますます状況がわからなくなってしまった、女の勘が疼いて心がざわつく。それに教師である住之江までも学院を休んでるのが、気になってしょうがないリカだった。
「看病なら、お姉ちゃんの出番よね!!」
「あんた、その妄想まだ引きずってたの」
自称ブラコンの茶道部部長の三国が拳を握りながら立ち上がるも、バレー部の丸亀に呆れられる。皆冷静ではいられなかった。
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