30.闇を斬り裂け
人は死ぬ時に時間がゆっくりと流れると言う、研ぎ澄まされた感覚が神経の伝達速度を速めそう感じさせるのだろう。しかし自分以外の者が危機に直面してもそうなる事を、私は今日初めて知った。頭の処理速度に身体がついていけず、動かなきゃいけないのに一歩も足が前に出ない。駄目、お願い!動け!動け!動いて!!こんなにはっきり見えているじゃないか!!
春子の剣技の凄まじさに見とれていた、あいつ本気出すとシャレにならないな、魔王の親は大魔王か。
「ヤバッ!! 貴子ちゃん!!!!」
隣から聞こえる焦った様な声、目線を横に移すと同時に小さな発砲音が聞こえた。目の前に飛び込んでくる鉄郎君の姿に今の状況を理解する。あぁ、撃たれたのだ。
春子、夏子、麗華の3人も鉄郎の声に一斉に振り返る、そこに映る光景に我が目を疑った。
鉄郎が手にしていた棍が砕け飛び、それでも直進を止めない弾丸、麗華に無理矢理着させられた防弾チョッキすら障害にならなかった。
ナインの傭兵部隊に今回配備された特殊ライフル、貴子の設計したその銃は陸自の89式をベースに、より破壊力を高めた5.56mm弾を使用する、しかも今回は対貴子用の貫通力を極限まで高めた特殊弾頭だった。
鉄郎の左胸を軽々と貫いて背中に抜けた弾頭は、貴子が誇る圧縮空気のバリアーによってようやくその動きを止める、鉄郎という障害が無ければバリアーすら貫通していた可能性が非常に高い。
眼前に静止している銀色の弾丸と真っ赤な血しぶき、スローモーションのように崩れ落ちる愛しき人。
「鉄郎君ーーーーー!!!」
金縛りが解けたように身体が動いた、床に倒れた鉄郎君を抱き起こすと目が合った。
「よかった、貴子ちゃん無事だったね……ごふっ。そんな顔しないで一応防弾チョッキ着てるか……」
言葉途中でガクリと意識を失う鉄郎、発砲音がした方向からはズシンという大きな震脚音と、グシャリと何かかが潰れる音がした。
抱き起こした白衣の腕がみるみる赤く染まって行く、貴子はそれを見つめながら白く長い髪を何度も振り乱し、声を枯らさんばかりに咆哮を上げた。
「うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「まずい、貴子様!!」
一瞬で後ろをとった児島が首筋に手刀を叩き込み、強引に貴子の意識を刈り取る、そのまま落ちていたタブレットを拾い上げ叫んだ。
「YAMATO、中止! 今のは無し! 中止して!!」
『意識レベル100を確認、すでにプログラムが起動を開始しました、衛星の落下中止にはアクセスコードの再度入力をお願いします』
「この、ポンコツ!!」
児島は気絶している貴子の指を使ってアクセスコードを打ち込み、YAMATOに停止命令を下した。貴子の脳と連動しているため、意識レベルに応じて自動的にプログラムを起動する仕組みなのだが、間一髪で停止させることに成功する。
流石に貴子としてもこのタイミングでの起動は本意ではないだろう、死のうが生きようが、狂おうが怒ろうが世界に迷惑をかける御仁である。
「鉄君!!」
横たわる鉄郎に慌てて駆け寄る夏子、防弾チョッキを剥ぎ取り傷の確認をする。貫通力特化の弾丸が幸いした、通常のライフル弾であれば弾が抜ける背面が衝撃波で吹き飛んでいたことだろう、思いのほか傷口は小さい。しかし肺を貫通したせいでチアノーゼが出始めて咳き込んでいる、気道確保のために白衣の内側から喉頭鏡と気管チューブを取り出すが、動揺してるためにその手が小刻みに震える。
「夏子!! しっかりおし!! 今は医者に徹しな。鉄の命はあんたにかかってるんだよ」
「わ、わかってるわよ!! 麗華、急いで毛布持ってきて!!」
麗華が毛布を取りに家の中に駆けて行く、その間に止血帯を使って傷口を圧迫するが血が溢れ滲んでくる。
「くっ、出血がひどい。ここじゃどうしようもないわ。お母さん車の鍵!!」
さすがに武田邸には手術室や輸血の設備は無い、麗華が毛布に包まれた鉄郎を抱きかかえると春子のRX-7の助手席に固定する。ヒューヒューと荒い呼吸を繰り返す鉄郎に必死に呼びかけるも返事は返ってこない。
「鉄君しっかり!! すぐ病院に連れてくからね! 鉄君! 鉄君!」
「麗華どいて!! お母さん、じゃあ先に行くわね! 病院には手術室開けとくように言っといて!!!」
ドライバーズシートに座った夏子がアクセルを踏み込むと13Bロータリーエンジンが鋭く吹け上がる、クラッチを荒々しく繋げばホイールスピンを軽く繰り返し、夜の温泉街に猛烈なスピードで飛び出して行く。
「春さん……」
「大丈夫、あれは医者としての腕は確かだよ。それに息子を助けるのは母親の仕事さね」
速度超過と信号無視のオンパレードで夜の街を爆走する夏子、病院前のクランクを減速するのすらおしいとばかりにドリフトで駆け抜け、緊急外来の入口に横滑りのままタイヤから白煙をあげて停車する。
武田邸を出てわずか5分の出来事である。
待ち構えていた日直の医師数名を引き連れ、深夜の病院に鉄郎を乗せたストレッチャーを運ぶ音がガラガラと響く、そうして手術室の扉は閉じられ、入口のランプが赤く灯された。
長い夜が続く。
手術室前のベンチに陽が差し込んでくる、近くの神社からかポーポーと鳩の鳴き声が聞こえてくる。
鉄郎が手術室に入ってすでに5時間経つが、未だにランプは赤く灯ったままだ。
「「鉄君……」」
住之江は扉の前で手を合わせてずっと祈り続けている、昨晩地下シェルターから出て来た時に見た大量の血痕が頭から離れない、間違いなく重傷だろう。いつまでも消えない手術室のランプに、嫌な想像ばかりしてしまい頭を振って否定する。
麗華は腕を組んで壁にもたれている、組んだ腕に爪が食い込み血が滲んでいるが、気付いた様子もなく扉をじっと見つめる。
「あっ、消えた」
麗華の呟きに住之江も顔を上げる、プシュと空気が抜ける音とともに扉が開き、中からオペ服姿の夏子が出て来た。
「「夏子さん、鉄君は!!」」
少しやつれた感のある夏子だが、二人の目を見て微笑みしっかりと答えた。
「大丈夫、命に別状はないわ。私が鉄君の手術を失敗するわけないでしょ」
緊張の糸が切れたのか住之江はヘナヘナと力なく座り込み、麗華の目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
ようやく長い夜が明けたのだった。
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