20.藤堂VS貴子2
開始の合図と同時にスタートダッシュをかけたのは貴子だった、エプロン代わりに真新しい白衣の裾をはためかせカココココーと軽快な音をたてて作業台の上にビーカーにフラスコ、数々の薬品を並べていく。銀色に輝く調理場には似合わない馬鹿でかい謎の機材までドンと置かれ、まさにこれから実験開始と言った雰囲気だ。
「ふん、毒の調合もスパイスの調合も似た様なものだ、ようはそこにどれだけ愛情をプラスさせることが出来るかがこの勝負の決め手だよ」
そううそぶく貴子は謎の白い粉を秤にかける、おそらくこの白い粉が彼女の言う愛情なのかもしれない。持ち込んだホワイトボードにカツカツと意味不明の計算式を書き込んで行く様は料理という作業のイメージを覆す画期的なものであった。小さな手の中で揺れるフラスコを恍惚の表情で見つめる姿には背筋が寒くなるものを感じた。
「そしてカレーは黄色が重要、グルタミン酸に合わせるのはタートラジン(黄色4号)にサンセットイエローFCF(黄色5号)。ふふ、いいじゃないか、これぞカレー色だよ、完璧だね。あとは粘度の問題だが8Pa·sもあればいいか」
もうすでにお気づきだろう、加藤貴子は料理というものをしたことがない、彼女にとって食事とは体調維持に必要な栄養を摂取する行為であり、そこに調理という無駄な工程を彼女はとらない、思考と実験と睡眠の間にとれるカロリーこそが重要だった。一応今日の勝負の為にネットでカレーの作り方も検索したが、目に停めたのは完成品の画像1枚のみだった、なるほど最終的にこういう形になればいいのだと結論づけた貴子は、口に入れても死なない食品サンプルを作り始める、手先は器用なのだ、頭はいいのだ、食材と呼べるものがない所から作り出す才能はたいしたものだが問題はそこではない。昨今では料理に科学を応用する料理人もいるが、それは調理方法を化学的に解明し効率を高めているのであって決してサプリメントを作っているわけではない。
「1000kcalもあれば合ってたかな、おお、いかん、いかん、鉄郎君に食べてもらうのだから栄養バランスは大事だな、タウリンは少し多めにしておくか。後はこの合成タンパク質に浸透圧を利用して味を付ける為に真空ポンプにかけてっと。タンパク質を凝固させる温度は60度で良かったかな」
貴子が電源スイッチを入れると2mはあるドライ真空ポンプGRシリーズのモーターがヴォンヴォンと怪しい唸りを張りあげる。それは絶対調理器具ではない。
もはや見た目がカレーなだけの何かを作り始めた貴子を横目に見た、藤堂リカの対抗意識が燃え上がる。端から見ればまったく対抗意識を持つ必要のない貴子の料理だったがプライドの高いリカは勝負事で負けるのを嫌う、真紅のコックコートは彼女の決意のあらわれだ。
「あのちびっこは一体なにを作ってますの? けれどそれも全て無駄なこと、ふふ、鉄君の好みはばっちり把握してますわ。この勝負私の勝ちですわ!!」
そう言って足元に置いてあったクーラーボックスの蓋をカパッと開けると目映い光が放たれる。
「ずばり! 鉄君は魚介類がお好き、しかも蟹には目がないことはばっちりリサーチ済みですの!!」
ぎっしりと身の詰まったズワイガニ、今が旬の氷見の寒ブリ、ピチピチと跳ねる車エビ、今朝新潟から取り寄せたばかりの鮮度抜群の魚介類が卓上を埋め尽くす、リカが目指すのは究極のシーフードカレー。宝石のように光輝く食材を前にリカがイメージするのは自分の料理を食べて微笑む鉄郎、優しくカッコイイ夫に尽くす新妻の姿。(あくまでイメージです。)
「今が人生の勝負時ですわ!!!!」
ゴゴゴと擬音が聞こえてきそうな闘気をみなぎらせ、まな板の上のブリに包丁を大きく振りかぶって落とす、輪切りにされた大きなブリをドバっと大鍋に投入、続いて蟹にエビ、サザエにウニもまるごと鍋に放り込む、ミネラルウォーターを注ぎ強火で煮立ててれば調理場に強烈な磯の香りが立ち込める。あるいはこの時点であればまだ立派な漁師鍋として十分な美味さだったかもしれない、作っているのはカレーだが。だがここで終わらないのがリカであった。
「ふ、昨日の夜にお抱えの料理人にカレーのポイントは聞いてますわ、蟹やエビなどの殻からは極上の出汁が出るという話(アメリケーヌソースと言うが本来は砕いた殻を強火で煎って臭みをとったあとにワインや野菜をくわえて煮立てて濾したものです)、そしてカレーにもっとも必要なのは辛さ、隠し味にそれを引き立てる甘さが重要なのですわ。(言ってる事は合っている)」
ここでリカが鍋に追加したのはブート・ジョロキア、激辛ブームの火付け役となったハバネロを超える100万スコビルを誇る唐辛子。それを惜しげも無くポイポイと鍋の中に投げ入れる、そして隠し味の甘み、信州といえばリンゴである、それを皮も剥かず丸ごとポチャンと沈めた。素材自体は最高級の物が揃っていた、だがそれを活かす腕がリカには壊滅的に欠けていた、残念ながら彼女は意外と大雑把な性格なのだ。この素材を使って鉄郎が調理したならかなりレベルの高いシーフードカレーを完成させていただろう。リカは素材を提供してくれた漁師さんにあやまるべきである。
貴子とリカが熱い戦い?を繰り広げる最中、鉄郎は自分の仕事を黙々とこなしていく、なにせ全校生徒分の量を作るのだ周りを気にしてる余裕はない。大量の玉ねぎを慣れた手つきで次々と刻んでレンジに入れる(これで炒める時間がかなり短縮される手抜き法)、次は塩づけした豚バラブロックを一口大に切り炒め始める、この時臭み消しにナツメグを振るのは忘れない、豚バラから滲み出てくる脂がパチパチと弾けその脂で揚げられたニンニクの香りが食欲を刺激する。
「忍さん、じゃがいもと人参の皮むき頼める」
「ふぁ、ふぁい!」
ポケーと鉄郎に見とれていた多摩川が慌てて返事をした。この時代、料理をする女性は驚くほど少ない、母子家庭が当たり前の今、母親に求められるのは外に出て働くことであり家庭で料理をするのはそれを趣味にしている者でなければ外食がメインであった。本来料理というのは愛する者に振る舞うことに喜びを見出す者が多い、だが男性不在の状況ではモチベーションが上がらず次第に台所から遠のく傾向にある、家庭内の人員バランスが悪いのだ。そんな時代に目の前の男の子は華麗にエプロンを着こなし、鮮やかな手際でフライパンをあおっている、これに見惚れない女性など存在しない、皆の視線は鉄郎に釘付けである。
「す、凄いね鉄郎君。包丁捌きなんかプロみたいだった」
「ん、まぁ家では僕が料理すること多いからね。でもこの量は初めてだなぁ。ちょっと楽しくなってきたよ。そうだ、忍さん味見してもらっていい」
お玉ですくったベースとなるコンソメスープを多摩川の口元に運ぶ鉄郎、じゃがいもの皮むきで手が塞がっている彼女は、この状況を神に感謝した。
(なにコレ! 鉄郎くんに私、あ〜んされてるんですけど!! 良かった、料理部入ってて良かったよー!!)
多摩川の不幸はこれが全校生徒が見ている前で行われたことだった、放出された殺気で会場が凍り付く。翌日から彼女の下駄箱は不幸の手紙で一杯になる、怖っ!
楽しげに玉ねぎを炒め始めた鉄郎の笑顔に、学食に集まった生徒達が一転して胸をきゅ〜んとさせる。鉄郎の一挙手一投足に反応するのに忙しい彼女達は、もはや貴子とリカがなにをやっていようが彼女達の視界に入ることはなかった。
プロの料理人ではない鉄郎が作るのはルーは市販品のジャマカレーを使ったご家庭仕様のポークカレー、そこに鉄郎なりのアレンジを加えていく。赤ワインにホールトマト、ターメリックにガラムマサラなど箱裏の説明書にはない材料が足され丁寧にアクとりをして仕上げていく、最後にコーヒーを隠し味に加えるのは昔見た漫画の影響だ。爽やかで刺激的な香りが観客と化した女生徒達の食欲を目覚めさせ唾を飲み込む音が連鎖する。
12時をまわりついに3人のカレー?が完成の時を迎える。
「ふふ、完璧だ、完全食だよこれは」
「出来ましたわ!」
「うん、こんなもんでしょ」
真っ先に動いた住之江が自分の皿にご飯をよそって鉄郎の前に並ぶ、本当にこの教師はこういう所が抜け目ない、一歩遅れて女生徒達がゾロゾロと長蛇の行列を作る。
「えっ、僕が全員によそうの?」
「うん、鉄君によそってもらうことがめっちゃ重要なんや! 美味しさ3割り増しやで、ついでに萌え萌えきゅんってやってもらってええ」
「やらないです!!」
鉄郎自らよそってもらったカレーに生徒達が感動の涙を流す。それほどまでに男性の手作り料理の価値は高かったのだ、一生の思い出とばかりに味わって食べる者、欲求に抗えず一瞬で食べてしまう者、それぞれが大きな幸福感に満たされる。カレー記念日である日本インド化計画が叫ばれる日も近い。
鉄郎は目の前に置かれた二つの皿を交互に見た、テラテラとシリコンのような無機質な光沢を放つカレーに似た物質と、丸ごと蟹が入ったブイヤベースもどき?(真っ赤な汁が目にしみる。)が盛られている。
「……えっと、カレーだよね」
「ああ、そっくりだろう。理論上完璧だ、この手の実験で私はあまり失敗したことはない。それに愛情たっぷりだよ」
「リカ特製の究極シーフードカレーですわ」
「そっくりって言ってる時点でもうカレーじゃないよね」
小ちゃな胸を張り自信満々の貴子とリカにたじろぐが、二人に期待のこもった目でじーっと見られては食べざるをえない、覚悟を決めた鉄郎がまずは貴子の皿に盛られた黄色くドロッとした液体にスプーンを差し入れおもむろに口に運ぶ。
「うぐっ、この味は。栄養ドリンク! リポDかユンケルと同じ味がする」
口に入れた瞬間広がるのは栄養ドリンク独特の酸味と渋み、そしてなぜか肉の味がするグミ状の固形物、それが米の甘みと混じってなんとも言えない物質に変化する。人間は視覚情報に思考を引きずられる生物である、なまじカレーの見た目であった為に裏切り感が半端ない、指定医薬部外品ともいえる料理、せめて米にかけていなければ薬として口にすることも可能だったろう。
「どお、どお、美味しい!」
ニコニコ顔の白髪幼女にプレッシャーをかけられて素直な感想は非常に言いづらかった、結局鉄郎はヘタレた。
「な、なかなか斬新な味だね」
「さあ、次は私の番ですわ、冷めないうちに召し上がってくださいな」
ズイっと差し出された真っ赤な皿に鎮座する蟹と目が合う、気分はすでに罰ゲームだ。強烈な磯の香りが鼻腔に飛び込んでくると同時に目が異様にしみる。当然、リカ本人は味見などしているわけがない。
「では。ツッゥーーーーー!!!!」
スープを口に含んだ途端に、舌が痺れて激痛が走り水に手が伸びる。一気に3杯の水を飲み干した。
「か、か、かいひょう、か、からひ」
「あら、鉄郎君って辛いのは苦手ですの?」
不思議そうにリカが自分の皿に盛られた物体を口に入れた。もともと色白なリカの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ヒツッゥーーーーー!!!!」ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!
口を押さえて声にならない叫びをあげゴロゴロと転がり回る生徒会長がここに誕生した。
床を転げ回るリカを見た貴子が、好奇心に負けてリカの皿に盛られたスープを一口舐めてしまう。
「ツヒッーーーーー!!!!」ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!
口を押さえて声にならない叫びをあげゴロゴロと転がり回る幼女がここに誕生した。馬鹿である。
「結果発表!! 勝者武田鉄郎君!!」
当然の結果だった。
結局鉄郎の女子力?が高いことを証明しただけの勝負であったが、会場に集まった生徒達には非常に有意義な一時となった、こうして藤堂VS貴子の幕は下ろされたが、翌日には料理部に入る女生徒が急増することになる。
まともにカレーを作れなかった金髪少女と白髪幼女が膝をつく。orz
「くう、私の理論のどこが間違っていたと言うのか」
「あ、あれは辛いだけで食べ物ではありませんでしたわ」
お互いに力なく笑いあう二人だったが、闘いあった者だけに通じるものがあったのだろう、がっしりと握手を交わした。
「ふふふ、最下位残念だったな、貴様のカレーはとても食えたものではなかったからな」
「おほほ、見苦しいですわ、貴女のは料理ですらなかったですわ」
二人の不気味な笑い声を聞きながら鉄郎は思う、二度とこの人達の作ったものは口にするまいと。二人を見つめる目は鉄郎にしては珍しくひどく冷たかった。
お読みいただきありがとうございます。感想ぜひください!!




