16.八極拳における筋肉と汗の重要性について
遅ればせながらあけおめです。今年もよろしくお願いします。
ダァン!フッ。ダムッ!ハアッ、ハッ。
朝の凛とした空気が立ち込める武田邸の庭で、力強い震脚の音と荒くなった呼吸音が絶え間なく続く。
「鉄君、腰が高くなってるよ、もっと思いっきり!! 全力で打つ事だけ考えて!」
「ハイッ」
鉄郎の素直な返事に麗華の頬が緩む。かれこれ1時間は套路と呼ばれる、空手で言えば型のようなものを繰り返している。身体からは湯気が上がり、汗で道着が貼り付き引き締まった筋肉があらわになる。縁側で真剣な顔で見守る麗華を見て鉄郎がさらに表情を引き締め拳を打ち出す。この家ではよく見られる光景である。
「良いわぁ〜、躍動する男の肉体。たまんないわねぇ、あんなに小ちゃかった鉄君がこんなに食べ頃、いや逞しくなっちゃって、お姉ちゃんこまっちゃうわ」
真剣な顔でなにを考えているのやら、これが100年に一人の天才拳士と謳われた者かと思うと頭が痛くなりそうである。麗華が8年前、中国で春子にスカウトされて武田家に来た時は中学3年で鉄郎はまだ小学3年生だった、あまり年齢の離れていない護衛役を探していた所で軍の知り合いに紹介されたのだ。当時はまだチャイナ服は着ておらずセーラー服にポニーテールといった出で立ちであったが、すでに一端の武道家のオーラをその身に纏っていた。
武術の先生と紹介されていた鉄郎は、春子の横で興味津々で澄んだ眼差しを麗華に向ける。それまで中国のど田舎で来る日も来る日も厳しい修行に明け暮れていた麗華だったが、こんなに素直な眼差しを向けられたのは初めてであった、いつもはその若さ故に侮られ、それ以外では恐怖のこもった視線を浴びて来たことを思えばとても新鮮で心地よかった。この子は自分が守ってやららねばと決意した瞬間である。
春子に何か鉄郎に技を見せてやってくれと促された麗華は、当時覚えたての絶招「猛虎硬爬山」を使い庭に有った石灯籠を粉砕する、男の子の前とあっていい格好したかった事もあったが、この時の技の冴えは凄まじいものがあった、拳一つで石灯籠を粉々に砕く八極拳の奥義、幼い鉄郎もこれには大興奮した、男の子はなんだかんだ言っても強い者に憧れるものである。
「れいかおねーちゃんが僕のぶじゅつの先生になってくれるの!! 僕もおねーちゃんみたいにつよくなれる?」
首をポキュっと傾げながら、鉄郎に尋ねられると胸がきゅ〜んとなった。
うひゃー、なんなのこの可愛い生き物は!これからこの子と一緒に暮らすの?やばい、私の理性が持つかしら?
いや、こう考えるのよ私、今から自分好みの男の子に育て上げれば私の将来バラ色じゃない、焦ることはないわ小さなことからコツコツとよ。麗華の光源氏作戦が開始される、さしずめ鉄郎は紫の上といった所だろうか。
そして現在、鉄郎はまだ幼さは残るものの麗華の理想通りの男になる、逞しい肉体、素直な性格、なにより女性に優しい、まさに男不足の現代に生きる女性達の願望を詰め込んだ夢の形、麗華自身の欲望の為にここまで育て上げたがその功績はとても大きい、最近は鉄郎を狙う者(女)も増える一方だが一緒に暮らし強い姉というポジションはアドバンテージが高い、だから麗華の余裕は滅多なことでは崩れない、その余裕が後々命取りになるとは思いもよらなかっただろうが。
「はぁ、はぁ、李姉ちゃん。さすがにもう限界、お腹へったー」
麗華の横で汗だくになった道着を脱ぎ上半身裸の鉄郎がゴロンと横たわり、はぁ、はぁ、と荒い息で胸を上下させる。その無防備でエロい姿に心拍数が跳ね上がり、鉄郎の胸に目が釘付けになる「これ、もう食っちゃっていいじゃね」と内心思ったが、なけなしの理性をかき集めて悶絶しながらもなんとか踏みとどまった。麗華の誤算は鉄郎があまりにも素直に育った為に、襲おうとした時の罪悪感が半端なかったことである、この心理が無ければ鉄郎の童貞はすでに奪われていたことだろう。天然のバリアーとも言える。
「て、鉄君の好きな中華粥作ってあるよ。それも七草入り」
「やったー! 李姉ちゃんの中華粥美味しいよね。揚げパンはある?」
「油条?有るよ」
「おぉ、やっぱりお粥には揚げパンが無いとね。あっ、今日はカエルの肉は入れてないよね?」
「えっ、入れて欲しかった? 少林寺ファンの私としては入れたかったけど今日は手にはいら無かったんだよね」
「いや、全然入れなくて問題ないです」
麗華の作る料理は中々美味しいのだが、中国出身だけあって材料に問題があることがしばしば見受けられる、まぁイナゴや蜂の子などを喜んで食べる信州人に言われたくはないだろうが。
冬休みが開けての今日は3学期の始業式である、年末に降った雪のせいでグランドは一面の銀世界となっている。この寒さのなか昇降口前にズラッと並んだ生徒達による朝の挨拶に、ああ、また学校が始まったんだと実感するのは、少し毒されてきているのかもしれない。
外の低い気温とは違い暖房が効いた体育館で始業式が始まる、生徒会役員の証である赤いブレザーを着た藤堂会長がツカツカと壇上にあがり新年の挨拶を始める。
「皆さん、あけましておめでとうございます。今日から新学期が始まりますが、ここでわたくし藤堂リカから重大な発表がございます。昨年4月より役員会議で決められていた協定の一部撤廃を宣言しますわ、詳しくは各クラス委員より報告をいたしますが、皆さんの常識ある行動を期待します、ですがくれぐれも迷惑となる行動は慎むようにお願いしますわ!」
「「「「「うぉーーー!!!!!!!!」」」」
「会長がそんなこと言うなんて、休み中に何かあったのかしら」
「しゃーっ! これで1年だけに美味しい思いはさせないわ! 私にもワンチャンありよね!」
「ちょっと委員長どこまでやっていいの! そこんとこ詳しく」
突然のリカの宣言に体育館全体がどよめいている中、鉄郎だけがポカーンと訳が分からなかった、それもそのはず女生徒のみで決められている淑女協定など知るはずも無かったのだから。壇上で謎の声援に応えるリカを見ながら隣にいた副会長の智加に尋ねる。
「な、何、この盛り上がり。ねぇ、平山先輩、協定の一部撤廃ってなに?」
「へっ! あぁ、鉄郎さんは気にしなくても大丈夫だよ、女生徒だけの協定だから。だからお願い、鉄郎さんはこれからもそのままの君でいて。」
「はぁ?」
なにやら異様な盛り上がりをみせた藤堂会長の挨拶が終わると次は僕が壇上にあがることになっている、何かしら行事がある度に僕なんかが挨拶するのはなんとかならないものかなと思いつつ、壇上にあがると全校生徒の大きな歓声と視線が突き刺さってくる、中には息が荒い生徒もいたが皆キラキラした目(鉄郎視点)で見つめてくる、皆学校が楽しくてしょうがないって感じで熱気が凄い、改めてこの学院の生徒達の勤勉さには感心させられる。
しかし、この前まで割とオドオドした遠慮した雰囲気だったのに、今日になって一転して肉食獣みたいな目で見られてる気がする、昨日食べた焼肉がいけなかったかな。クンクン
始業式も無事に終わり生徒会の役員の皆と校舎に戻る、学院内の暖房がしっかりしているせいか冬だと言うのに皆スカートが短い。おかげで階段を上る時に時折目のやり場に困る時が多い、今も僕の前を行く平山先輩のスカートが短すぎて目が泳いでしまう、副会長がそんな短いスカートはいてていいのだろうか、ピンクの布がチラチラ見えてんだけど。階段の上でコッチを見ながら嬉しそうにガッツポーズをしている意味が分からん。
藤堂会長達と別れて教室に戻ってくると最近仲良くしてくれる委員長の多摩川さんがテトテトと嬉しそうに小走りに駆け寄ってきた。それにしても昨年のクリスマスあたりから、色々な生徒が僕に話しかけてくれるようになった、ようやく僕もこの学院になじんできたんだと思うとついつい笑顔になってしまう。
「はうっ、今日も笑顔が眩しい!! だ、駄目よ、これ位乗り越えないと先に進めないわ」
鉄郎の笑顔に一瞬怯むも、気を取り直して話しかける。
「鉄郎君知ってる? 今日から転校生がうちのクラスに来るらしいよ」
「へ〜、こんな時期に転校生?」
僕が入学した今年度、この学院の学力は全国的にも高いレベルにある(皆鉄郎の居るAクラスを目指して必死に勉強している成果だ)。年末の全国学力テストでも上位の成績をだしており教育庁もその原因に注目しているらしい。教育現場で男性投入による影響のテストケースとして学院に通学することを許されている鉄郎としては、僕個人がおよぼす影響力なんて微々たるものだと思っているが、上の人はそうは考えていないようだ。全国でも教育機関に男性を送り込もうと画策しているらしいが、中々希望者が集まらないらしい。
おっ、真澄先生が来た。
ガラッ
「よーし、おのれら席につけー。あっ、鉄君さっきの挨拶めっちゃ良かったわ〜、もう藤堂の小娘なんかより鉄君が生徒会長やったらええんちゃう」
入って来て早々、頭を撫でてくる真澄先生。褒められるのは嬉しいけどちょっと子供扱いしすぎじゃないかな。
「ちょ、真澄先生。頭撫でないで、恥ずかしい」
「住之江先生! それセクハラです!!」
「なんや多摩川、鉄君が生徒会長やったらあかんちゅうんか、あぁ!」
「い、いや、それは凄く良いと思いますけど」
「ならええやん」
「あっ、はい。……アレ?」
「それより新年早々やけど、転校生がおるんよ」
住之江がそう告げると、とたんにクラスが湧いた、好奇心旺盛な女生徒から質問が飛ぶ。
「先生ー、男子なんてことはありませんよね?」
「アホか男子なんか来るわけないやろ、せやけどめっちゃ吃驚すること間違い無しやで。ほな、転校生入って来てや」
静かにドアを開け教室に入って来た少女に教室中が「どえぇ〜〜〜!!」と大きな声をあげる、鉄郎は驚きで声も出ない。
スラリとした手足に雪のように輝く長い白髪、少し眠そうな瞳、特注であろう学院の校章の入った白いブレザー、そしてどう見ても140cm有るか無いかの身長。中央まで来た転校生が黒板にカツカツと自分の名前を書いたかと思うとクルリとこちらに向き直りペコリと頭を下げる。
「ケーティー貴子、10歳です。皆さんよろしくお願いします」
どう見ても加藤貴子その人だった。なにやってんのこの子。