107.帰国
ドキョ
僕達を乗せたB-2スピリットが長さ3,500mのA滑走路に静かに降り立つ。黒夢の操縦は実にスムーズで大したショックもなく感心する。
キュイイイとターボファンエンジンの音が小さくなって、格納庫に向けて移動を開始した。漂う海の香りにどこか懐かしさを覚える。
スピーカーから聞こえてくるアラート (警報)がうるさく響く。
タイから約6時間の空の旅を経てようやく地面を踏みしめる、うん、この安定感は安心するよね。お母さんも婆ちゃんも大きく伸びをした。
「で、貴子ちゃん。なんで僕達大阪にいるの?」
潮の香りにソースの香りが混ざって風で運ばれてくる、スリランカの海では決してしない匂いだ。
「よし、鉄郎君、本場のたこ焼きを食べに行こう!!」
貴子ちゃんがそうのたまった時だった、それを遮るように大声が響く。
「待ちなさいよ!! 本当何しに来たのよ貴女は!!」
「わ〜い、尼崎総理、また会ったね」
「わー、鉄郎君、半日ぶり〜。って言ってる場合じゃない!タイで別れたはずの貴女がなんで大阪にいるのよ!」
おお、ノリツッコミ、日本に帰ってきた感があるね。目の前には半日前にバンコクで別れたばかりの尼崎総理が額に青筋を浮かべていた。急いで走ってきたのか少し息が荒い。
「うるさいババアだな、貴様こそ東京に帰ったんじゃないのか」
「私は明日ここ大阪で会議があるのよ、吃驚したわよ、空港のホテル入りしようと思ったらいきなりホットラインで呼び出されるんだもの」
尼崎さんが激昂するも貴子ちゃんは知らんぷりでどこ吹く風だ、お願いだからちゃんと相手してあげて。
「腹が減ったな、鉄郎君は何が食べたい?」
「えっ、せっかく日本に帰って来たんだからお寿司がいいな」
「と言う事だ、尼崎案内しろ」
「貴女って人は……、はぁ、いいわ、だけど私も大阪はそんなに詳しくはないから、この時間で開いてる所でいい、少し走るけど」
どうやら尼崎さん自ら案内してくれるらしい、総理大臣って忙しいんじゃないのかな。
「本当なら夜までは休暇扱いだったんですけどね、貴子が何するのか見張っとかないとおちおち休んでられないでしょ」とは本人の談だ、うん、納得、御愁傷様です。
尼崎さんの秘書が急遽用意した国産1ボックスに皆で乗り込み、早朝の大阪を阪神高速4号湾岸線で大阪城の方に向かって車を移動させる。それにしても街の中を高架が入り組んで走っていてまるで迷路のようだ、田舎育ちの僕だけだと迷子になりそうな街だな、前回来た時は男性特区の外だったから壁の中は初めてなんだよね、車窓から見える街は大都会らしく高層ビルが立ち並ぶ、けどバンコクの街と比べるとなんとなく活気がない雰囲気に感じる、朝だからか?
「あ、大阪に来るんだったら真澄先生も連れて来てあげれば良かったな」
安治川沿いにある大阪中央卸売市場。この場所は活気に満ち溢れていた、駐車場には早朝から大きなトラックが何台も止まっていて、忙しそうにフォークリフトが走り回っている、大阪の食を支える一大市場だ。その一角に5、6軒ばかり小さな飲食店が軒を連ねている。その一つ、お寿司屋あんどうのカウンター席で目の前の保冷ケースに目を輝かせる、おぉ、回らないお寿司屋さんじゃないですか。
「いらっしゃい! 珍しいですね尼崎さんがこんなに大勢のお客さん連れてくるなんて」
「まあね、四代目、上まぜで6人前頼むよ、後、呉春の冷やを3つ」
「はいよっ!」
40手前くらいだろうか、四代目と呼ばれた細身のおばちゃんが慣れた手つきで次々とお寿司を握って行く、その無駄のない動きに期待を膨らませながらしばし見つめる。
目の前のカウンターにコトリと置かれるのは小ぶりな大きさのにぎり、鯛、ブリ、トロ、ウニ、穴子の5貫、1皿1000円で好きな皿数をおかわり出来るらしい。
所謂、板さんおまかせコースだ。
お寿司は出されたらすぐに食べるのがマナーだよね、まずは穴子から口の中に放り込む。
「お、シャリがあったかい、穴子が口のなかで良い感じに崩れるぅ、うまっ!!」
思わず大きな声を出した僕に板前のおばちゃんが満足そうに微笑む、少し照れくさい。
「べっぴんのお兄ちゃん、ええ食べっぷりやね気持ちええわ、次の皿もすぐにぎるさかい待っとてや」
2皿目には鱧が入っている所が関西だね、久しぶりのお寿司を堪能していると尼崎さんが声をかけてきた。
「鉄郎君、この店実はバンコクにも支店があるんだよ」
「なんと!さっきまでいた場所にも」
驚きながら若い板前さんが持って来てくれた“しじみの赤だし”に口をつける、僕は信州人だから渋みの強い赤だしにはあまり馴染みがないのだが、このみそ汁はミョウガもきいていて正直美味い。
モゴモゴとウニを頬張る貴子ちゃんに尼崎さんが呆れたように話しかける。
「ねえ貴子、あんな会議の直後に貴女達が日本に来たら、私が他の国に色々疑われるのよ、痛くもない腹チクチクされるの、わかってる」
「細かい事気にするなよ、こっちにも色々あるんだよ」
「その色々ってのを教えなさいよ、それ位の情報特典がないとやってられないわ」
その時静かに日本酒を飲んでいた婆ちゃんが口を開いた。お母さんはなぜか顔をしかめていた、どうにも機嫌がよろしくない。
「鉄の父親に会いに来たんだよ」
「へっ!」
婆ちゃんの言葉に吃驚してタコのにぎりを喉に詰まらせてしまう。急いでお茶を流し込む。熱ッ!!
「ケホッ、ケホッ、えっ、お父さん? 生きてたの?」
お母さんに、「あの男はもう死んだの、だからお母さんにはもう鉄君だけなの」などと聞かされていたものだから、てっきりもう亡くなってしまったと思っていたお父さん、婆ちゃんも特に何も言ってなかったのでこの突然のカミングアウトには吃驚だ。
「僕のお父さんがここ大阪に……」
「鉄郎君のお父さんって、確か……あの……」
尼崎さんがポツリと呟く、どうやら尼崎さんもお父さんの事を知っているようだ。えっ、知らないのって僕だけ?
「ああ、ここ大阪の病院に入院しているよ」
「入院? どこか悪いの?」
「詳しくは後で説明するよ、とりあえずは腹ごしらえをすましちまいな」
しかし考え事をしながらでは、あんなに美味しかったお寿司も急に味がわからなくなってしまった、僕のお父さん……一体どんな人なんだろう。
「ほら貴子、食べ終わったならとっとと行くよ、2時までには用事片付けちゃわないと間に合わないんだからね」
婆ちゃんが食べ終わってコップのお水を飲んでいる貴子ちゃんを急かす、ん、お水だよね? 僕にはお茶しか出てないんだけど。
後、2時までって、まさか。
「婆ちゃん、今日のレースには誰が出るの?」
「今日は峰と太田、それに6レースの井口が狙い目だね、1-3-5の3連単で勝負だよ!」
「婆ちゃん……」
婆ちゃんにとってはボートレースの方が重要なんだね、そう考えるとお父さんに会うのが、たいした事がないように思えてきたよ。
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