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「君がかつて教えてくれたこと」

 何が起こっているのか分からなかった。

 楓の頭が僕の顔のすぐ下にある。彼女の体と触れ合っている部分からじんわりと熱を感じる。

 困惑と焦り、それらの感情が頭の中で激しく動き回っているのに、僕の体は体思考から切り離されてしまったみたいに全く動こうとしない。

 これがもし[祭りの最中に逸れてしまった彼氏とやっとの思いで再会することができて感極まって身を寄せてしまった]というシュチュエーションだったなら楓がとった行動の意味は分かる。

 しかし、僕と楓はそういった関係ではない。


「あのー、楓……さん? これはいったい全体どういうことなのでしょうか?」


「……」

 

 パニックに陥っている頭からなんとか出した問いかけ。しかし、それに対して楓からの応答はない。

 僕の体から離れようとする気配も見せない。

 えっと、つまりこれは…………どういうことなんだ? 

 あぁ、駄目だ。僕の頭の方も全然働こうとしてくれないし、もう何がなんだかさっぱりだ。


「なぁ、公孫樹ちゃんの様子なんかおかしいことない?」


 薊に声をかけられ、僕はびっくりしながら彼女の方を向く。

 起きている事の衝撃のあまり、隣にいた薊の存在をすっかりと忘れてしまっていた。


「ちちち違うんだ薊! これは何かの間違いなんだ! 不可抗力であって僕は何もしていない! ていうか、楓とはただの友達であって、クラスメイトであって、それでそれで――」


「お、落ち着いて。ユキがなんも悪くないのは分かっとるんやけど、今のユキは浮気現場を抑えられて必死に言い訳しよる人みたいで逆に怪しいで、ってそんなことよりも公孫樹ちゃんの様子がおかしいんやって。ほらっ」


 楓の肩を薊は掴み、僕の体から楓を離す。

 薊の言った通り、楓の様子は確かにおかしかった。

 目はとろんとまどろんでいて息は荒く、顔全体が赤い。

 僕はまさかと思い、楓の額に触れる。


「……酷い熱だ」


「どうしよう……。親に連絡とって迎えにきてもらうんがええと思うけど、公孫樹ちゃんのこの様子じゃ……」


 楓はぼーっとした顔で体を左右にふらふらとふらつかせており、立っているのがやっとの状態だった。

 僕と薊のさっきの会話でさえ楓には届いていないかもしれない。


「楓、親に連絡を取ることはできるか?」


 僕は楓の肩に手を添えて、いつもよりゆっくりめに大きい声で言った。

 楓は顔をこちらに向かせ、彼女の瞳に僕の顔が映る。


「れんらく……を誰にするの? ……あれ? 陸ってスマホ持ってなかったっけ?」


「いや、持ってるけど……僕が連絡をしたいわけじゃなくって、楓に親へ連絡をして欲しいんだ」


「……? どうして?」


「どうしてって……そんなの楓を迎えに来てもらうためだよ」


「……え?」


 今までぼんやりとしていた楓の顔から突然はっきりとした意識が浮かび上がった。

 そして、楓は僕のパーカーを両手で掴み、鬼気迫った表情で僕に顔を近付ける。


「い、やだよ……。また……一緒に見られないの……?」


 そう言った途端に楓の表情から力が抜けた。

 糸が切れてしまったかのように楓の体が崩れ落ちていく――が、僕は彼女の体を咄嗟に支える。

 

「約束……したのに…………」


 僕の腕の中で発した楓のその声はか細く、弱々しく、周りの喧騒で掻き消されてしまいそうなぐらい小さな声だった。

 しかし、『約束』という言葉は強く強く僕の胸の奥まで突き刺さった。

 今日の祭りに関わることで僕と楓は約束なんかしていない。

 楓の言った約束とは、きっと僕たちが中学2年のあの時に交わした約束のこと。

 僕の身勝手な行動で破ってしまったあの約束。

 高熱にうなされてごちゃごちゃになった頭の中で、今日の花火とあの日の花火が混同してしまうくらい、楓はあの約束のことをずっと忘れずに想い続けていたのだろうか?


「ちょ、ちょっと。公孫樹ちゃんをおぶってどうするつもりなん?」


 楓を背中に背負った僕に薊は当然の疑問を投げかける。


「どうするって、それは……」


 考えもなしに楓を背負ったわけではなかった。だけど、頭に浮かんでいる2つの選択肢のどちらを取るかを決めかねている僕がいて、続く言葉を言い淀んだ。

 このまま楓を連れてみんなと合流するか、それとも彼女を家に送るか。

 これは楓の心を優先するか、彼女の体調を優先するかの選択だ。


「り……く…………」

 

 苦しそうな息遣いで楓は僕の名前を呼んだ。

 その声に、まとまりのなかった思考や感情が一気に収束していく。

 いったい何を悩んでいるんだ僕は? そんなことに時間を割いている余裕なんてないだろ? 体調よりも優先しないといけないことなんて……何もないはずだ。たとえそれを楓が望んでなかったとしても――。


「楓を家に送ってくる」


「送ってくるって……場所は分かるん?」


「前に教えてもらったことがあるんだ」


「……そう。じゃあ公孫樹ちゃんのことはユキに任せるけん、こっちのことは任せといて。ウチはみんなと合流して公孫樹ちゃんのこと伝えとくな。それと、急ぐ気持ちは分かるけど気をつけて行かないかんよ」


「あぁ、分かってる。色々とすまないな」


 それじゃあ行ってくる。薊にそう言って僕は楓の家に向けて足を進ませる。

 急ぎつつも背負っている楓を揺らさないよう慎重かつ早歩きで。

 屋台のある通りはどこも人がいっぱいだから、そこを通過するまでは思ったように進めないだろうと思っていたけど、道行く人々は楓を背負った僕を見るや否や緊急事態であることを察して道を譲ってくれた。

 すみません、ありがとうございます。そう何度も何度も謝罪の言葉と礼を口にしながら、僕は足を止めることなく人混みの中を突き進んでいく。


「なぁ、楓。苦しかったり、気持ち悪かったりはしないか?」


 心配の声を楓にかけてみるが、返事は返って来なかった。

 代わりに楓の荒々しい息遣いだけが耳元で聞こえてくる。

 もしかしたら僕が思っている以上に事態は急を要しているのかもしれない。

 不安に心を焦し、僕は少し足を早めた。


 



 目の前にそびえ建つ高い白塗りの塀に囲まれた大きな和風の屋敷。

 寺やお城の門を思わせるかのような巨大な門の横に掛けられている木の表札には、『公孫樹』の文字が所々が劣化で掠れながらも達筆な字で記されていた。

 そんな和風な建築物たちとは不釣り合いな洋式のインターホンを僕は緊張で震える手で鳴らす。


『はい。どちら様でしょうか?』


 インターホンに出た声は大人の女性のものだった。


「楓……さんの同級生の銘雪 陸です。楓さんが熱が出てしまって動けない状態になっ――」


 僕がそこまで言うと『分かりました。今すぐ出ます』と女性は言い、インターホンは一方的に切られてしまった。

 そして程なくして、門の脇にある小さな扉からスーツ姿の女性が飛び出すように出てきた。

 肩で息をしているその女性は目元や口の形など、部分部分で楓と似ているところがある。

 楓のお母さんだろうか? しかし、それにしては余りにも若い。

 僕らぐらいの親だと30代半ばか前半でもかなり若いと言えるが、目の前にいる女性はいくら歳とっていると見積もっても20代にしか見えなかった。

 もしかして楓のお姉さんとか? いや、でも楓は一人っ子だと言ってたっけ。


「どうぞ。中にお入りください」


 女性は息を整えると僕を中に招き入れた。

 門の扉を潜って視界に飛び込んできた光景に思わず僕は「うわぁ……」と感嘆の声をあげてしまう。

 人が2人横に並んで歩けるほどのスペースの石畳が屋敷にへと伸びており、その周りには鯉が泳いでいる大きな池があったり沢山の樹木が生え並んでいたりしていて、それらが薄灯ながらも揚々とライトアップされていた。

 そんな広大かつ燦爛たる庭を抜け、女性の後に続いて僕は屋敷に入る。

 僕の自宅の玄関の3倍の広さはあるであろう、黒塗りの石で造られた玄関。自宅のリビングよりも広い、木で造られた玄関ホール。棚上に並ぶ豪華そうな壺には白、赤、黄の花がそれぞれ生けられており、左手に見える部屋の4枚の襖には竹や松等の水墨画が描かれていて――そんな目の前に広がる次元を超えた凄さに、もはや感嘆の声すらも上がらなかった。

 

「こちらは客室の間です。楓さんは私に任せて、ここでしばらく待っていて下さい」


 玄関を上って少し歩いたところで女性は立ち止まり、ある一室の襖を開けて僕に言った。 


「あの……何か出来ることがあれば手伝いたいです。せめて楓さんを部屋に運ぶくらいでも……」


「ありがたい話ですが、そのお気持ちだけ受け取っておきます。ここから祭り会場の距離は中々のもの。それを人ひとりを担いでお歩きになって、さぞお疲れでしょう。先ほどから脚も震えておりますし、ゆっくりとおくつろぎになって下さい」


 女性の視線が僕の脚に移る。

 僕も自分の脚を見ると、微かにだがぷるぷると震えていた。

 楓を背負って急いでここまで来た疲れは確かにある。しかし、僕の脚が震えているのはそれだけが理由ではない事を他の誰でもない僕自身が理解していた。

 情けない話だが……想像していた以上の豪邸に僕は内心ビビり散らかしていた。

 もっと情けない話、手伝えることがないかを女性に尋ねたのも善意があってのものだったが……何より、少しでも傷つけ汚そうものならウン万円の損害が出そうな場所に、たった1人残されたくないという気持ちが強かったからだ。


「全然大丈夫です。楓さんを部屋に運ぶ体力ぐらいなら余裕で残っていますから」


「しかし、楓さんの部屋はここから離れた場所にあります。もし陸様に楓さんを運んでもらった場合、私はそのまま布団の準備をしたり楓さんを着替えさせたりしないといけませんので、申し訳ありませんが陸様には1人でここまで戻ってもらうことになるのですが……一本道という訳ではありませんし、内観も似ているところが多いので初めていらっしゃった方が迷わずにここに辿り着くのは難しいかと……」


 僕は「うっ」と言葉を詰まらせる。

 自分の許容量を超えた情報量に今でさえ頭がクラクラしていて足元がふわついている状態なのに、1人でここに迷わず戻って来られる自信なんてなかった。

 かといって、女性の用事が終わるまで楓の部屋の前で待機させてもらおうと提案するのも、女性からしてみれば迷惑な話だろうし……。

 どうせ1人になるのだったら、女性が最初に言った通りここで待っているのが一番なのかもしれない。


「分かりました……。大人しくここで待ってます……」


 そう言って、僕はそっと楓を床に下ろす。

 女性は僕に一度深々と頭を下げてから楓を軽々と抱き抱え、奥の方にへと早足で向かっていった。

 僕は女性が客室の間と言っていた部屋にビクビクと入る。

 そこは旅館の座敷のような部屋だった。

 畳が敷かれた和室。真ん中には人が10人くらいなら余裕を持って囲んで座れるほどの長机が置かれており、その周りには見合う形で片方に3枚ずつの計6枚の座布団が敷かれていた。

 とりあえず僕は一番近くに敷かれていた座布団に正座で座る。

 …………落ち着かない。

 友達の家というのもあってただでさえ落ち着かないというのに、人が1人でいるには広すぎる空間と楓の安否を気にしている心が、更にその気持ちを増長させていた。

 普段なら気に留めすらしない時計の針の進む音が、やけに大きく感じられる。

 ……そういえば今は何時なのだろう?

 ふと時間が気になり、僕は携帯電話を取り出す。 

 ロック画面には午後の7時38分が表示されていた。

 楓と会う直前に携帯電話を見た時の時刻は午後の7時過ぎだった。ということは、ここに来るまでに大体30分ぐらいの時間がかかったということになる。

 どれだけ急いで戻ったところで、花火が始まる前にみんなと合流することは出来ないだろう。まぁ、こんな事態になってしまい、もう花火を見られるような気分ではなくなってしまっているのだけれども……。それにしても、楓は大丈夫なのだろうか……。

 そんなことを考えていると真正面の襖が開く音がした。


「あのっ、楓さんは――」


 襖を開いた人物を見て、言いかけていた言葉を僕は飲みこんだ。

 いや“飲みこんでしまった”の方が正しい。

 そこに立っていたのは出迎えてくれたさっきの女性ではなく、昔ながらの和服を着ている大人の男性だった。

 身長は高く、髪は白髪混じりのオールバック。きっと目の前の男性は僕の両親と同じくらいの年齢だとは思うが、凛とした目つきとシワやシミのない艶のある肌が老いを感じさせなかった。

 楓と似ているところは何一つとしてないが……この人が楓のお父さんなのだろうか?


「君が銘雪 陸君……かな?」


 男性が発したその声はゆったりとした落ち着きのあるものだった。

 しかし、男性自身が放つ普通とは一線を画した雰囲気に僕は自然と立ち上がる。


「は、はいっ! そうです!」


「はっはっはっ。君は客人なんだ。そうかしこまらなくていい。座ったままで構わないよ」


 男性は固い表情を崩して朗らかに笑う。

 僕は彼のお言葉に甘え、再び座布団に座り直す。

 もちろん正座で。そして、背筋も伸ばしたままで。


「君の話は娘からよく聞いている」


 男性――もとい、楓のお父さんのその一言で、ドッ、と冷たい汗が一気に噴き出た。

 僕の話をよく聞いてる? 楓から?

 これまでの楓との記憶が走馬灯のように頭の中を高速で駆け巡っていく。

 ……あれ? マズイな。失礼な事を言ったりしたりした記憶がかなりあるけど……おっと、もしかして来年の春を待たずして僕はここで死んでしまうのか?


「話……ですか。それはいったいどういったもので……?」


 僕は恐る恐る尋ねる。

 すぐに謝罪しながら土下座ができるように心を構えて。

 

「困っている人を放っておけなくて、自分よりも他人を優先する、お人好しという概念が形を成したような人だってね」


 それを聞いた途端、僕の体から力が抜けた。

 伸ばしていた背筋も少しだけ曲がる。

 よかった……どうやら楓は良いように僕の事を伝えてくれているみたいだ。

 というよりもそもそもの話、楓は他人の悪いところを誰かに話す人ではなかった。

 それなのに僕は気の動転のあまり、いらない心配をしてしまっていた。


「いえいえ、そんな大したことなんてしてません。みんなが当たり前のようにするような普通のことを僕もしているだけです」


「そう謙遜しなくてもいい。昨日なんて娘に泳ぎを教えてくれたそうじゃないか。海から帰ってくるなり、いきなり僕の部屋まで駆け込んできて、泳げるようになったと嬉しそうに報告してくれたよ。それは誰しもが普通にするようなことではないと思うがね」


 僕の喉の奥から、ヒュッ、と空気の突き抜ける音が鳴った。 

 たぶん楓のお父さんは僕と楓が2人っきりではなく、大人数で海に行ったことを把握しているはず。

 年頃の娘が同性がいる中で異性に泳ぎを教えてもらったというのは、お父さん的には色々と思うところがあるのではないだろうか?

 ドッドッドッ、と恐ろしく早いテンポで心臓がビートを刻む。

 冷や汗が頬を伝って流れ落ちていくのを感じる。

 この無言の間はいったい何の時間なんだろう? 僕はいったい何を言えばいい?

 楓のお父さんは何故か温かい眼差しで僕を見つめ微笑んでいる。

 もしかして僕と楓が付き合っているとお父さんは思っているのでは……いや、そんなまさかな……。


「ところで、娘と陸君は付き合ってい――」


「いやいやいや⁈ ないです! ただの友人です!」


 思っていたことをそのまま言われて、僕は楓のお父さんが言い終わるよりも先に否定の言葉を口にしていた。

 僕のあまりの勢いに楓のお父さんは「そ、そうかい」とたじろぎながら頬を引き攣らせる。

 焦っていたから「ないです!」と勢いよく言ってしまったけど、楓のお父さんは僕が楓のことを拒絶しているみたいに感じられたのではないだろうか?

 それはそれで問題だ。早く訂正しないと。 


「ままま待ってください! 楓のことが嫌いなわけではないんです! さっきのは言葉の綾であって……こんな僕には娘さんは高嶺の花と言いますか……可愛くて素敵な女性で、大切な友達の1人です……はい……」

 

 いったい何を言わせられているんだ僕は?

 いや、楓のお父さんが言わせたわけではなくて僕が勝手に言っただけなんだけども……。

 あー、もう駄目だ。恥ずかしさと恐怖で楓のお父さんの顔が見れない。

 具合が悪くなった友達を家に送り届けただけなのに、どうして僕はこんな目にあっているんだ? 

 誰でもいいから助けてくれ。そう願った時だった。

 今度は僕が入って来た方――今の僕から見て左側の襖が開いた。

 助け舟を求めていた僕はすぐにそちらを振り返る。

 今度こそさっきの出迎えてくれた女性がそこに立っていると思ったが……そこに立っていたのは楓だった。


「楓……大丈夫なのか?」


「大丈夫だよ……」


 そうは言いつつも立っているのが辛いのか楓は開けた襖の端に体を預けている。

 声にもいつもの元気はなかった。


「そうか。大丈夫なら良かった。でも、まだ寝ていた方がいいんじゃないか?」


「大丈夫だって言ってるじゃん……。だからさ……もういいから、行ってよ……」


 それは突き放すような冷たい言い方だった。

 熱のせいで余裕がないのかもしれない。

 でも、僕はちゃんと分かっている。あれは後ろめたい気持ちから出てしまっている言葉だって、ちゃんと。


「こんな豪華な屋敷に入る機会なんてそうそうないだろうし、もう少しゆっくりさせてもらおうかな〜、なんて」


「お願い……行って……」


「でも――」


「早く行ってよ!」


 僕の言葉を遮るように楓は叫んだ。

 その叫び声が余りにも悲痛に満ちていたため、僕は何も言えなくなってしまう。


「楓」


 楓の父さんの発したそのたった一言に僕と楓はビクッと体を震わせる。

 怒鳴った訳でもなければ、僕と話していた時の声量と全く一緒のはずなのに、知り合ったばかりの他人である僕にも分かるほどの怒りが、あの声には込められていた。


「陸君はわざわざ楓を背負ってここまで連れて来てくれたんだよ。それなのにそういう言い方はどうかと思うな」


「うっ……ごめんなさいお父さん……それに陸も……。でも、お願いだから早くみんなのところに戻って……」


「どうしてそんなに僕を戻らせようとするんだよ?」


「そんなの決まっているじゃん……ただでさえこんな時に風邪なんかひいて……それでみんなに迷惑かけて……ボクはボクのことが嫌でたまらなくなっているのに……」


 楓の瞳に溜まっていた涙がとうとうぼろぼろと溢れる。

 口元は歪み、苦しそうな表情を浮かべている。

 熱のせいもあるのだろうけど、でもきっとそれだけが理由じゃない表情だった。


「これ以上陸に迷惑をかけたくないんだ……もし、陸が花火をみんなと見れなかったら……ボクはボクの事を大っ嫌いになってしまう……」


 楓はそう言い終わると顔をクシャクシャにして泣いた。

 嗚咽を漏らしながら、楓は何度も何度も目元を拭う。

 その楓の表情に、楓が言ったある言葉に、僕の心は締め付けられた。


「そんなこと言うなよ……」


 どうしてだろう? 自分の声は震えていた。

 視界も若干ボヤけている。


「体調が悪くなることなんて誰にでもあるだろ? 仕方がないことだって。それで自分を責めるのは話が違うだろ?」


 自分の事をよく責めている僕が言えたもんじゃないかもしれない。

 だけど、僕に「自分のことを好きになってほしい」って言ってくれた楓に自分のことが嫌いだって言ってほしくはなかったんだ。


「誰にも迷惑をかけずに生きていける人なんていない。どんなに気を付けていたって人は誰かに迷惑をかけるし失敗だってする。もし楓が僕に申し訳ないと思っているんだったらそれこそ間違いだ。楓に頼まれたわけでもなく、僕が勝手に楓をここに連れてきた。だから楓が気に病む必要はないんだよ」


 ……いや、楓が気にしているのはきっとそれだけではない。

 きっとあの約束のことも気にしている。

 僕のせいで果たされることのなかった、あの約束を……。


「祭りならまた来年行けばいい。なにも今年一回きりの祭りってわけじゃないんだしさ」


 ああ、酷いな――と言いながらそう思った。

 その『来年の夏』ってやつがないことを僕は知っている。

 来年の春に死ぬ僕にとって、みんなと過ごせる夏祭りは今日が最後だ。

 だけど、この瞬間だけでいい。僕の嘘が楓の心を少しでも癒すことが出来るならそれでいいと、そう思っていたのだが……。

 

「違う……そうじゃないんだよ……」


 そう言って楓は首を横に振った。


「そうじゃないって……いったい何が?」


「陸は今日……行かなきゃ、ダメなんだよ……とにかく、みんなのところに早く……。お願い彩葉さん。陸を車で送ってあげて」


「行かなくちゃいけないって、どうして……って、待ってくれ! 楓!」


 僕の制止の声を聞かず、楓はよろよろとした足取りで部屋から出て行く。

 そして、部屋を出てすぐのところで待機していたのか、楓と入れ替わるようにスーツを着たあの女性が部屋に入ってきた。


「陸様、車の用意は出来ております。さっ、こちらへ」


「でも、楓が」


「楓さんの願いは陸様がいち早く皆様のもとに戻られることです。その楓さんの願いを陸様自身が無碍にしようというのですか? 今、楓さんのことを本当に想うなら、陸様はみんなのもとに戻られるべきです」


「っ……それは……」


 女性の強い言葉に、突き刺すような鋭い視線に、僕はそれ以上何も口答えを出来なかった。


「……分かりました。お願いします」


 僕の了承に女性は表情を緩め、「行きましょう」と僕を誘導する。

 部屋を出ようとした瞬間、楓の父さんに「陸君」と名前を呼ばれ、僕は足を止めた。

 ……あぁ、しまった。楓のことで頭がいっぱいで楓の父さんに挨拶をするのを忘れていた。


「す、すみません! お邪魔しま――」


「ありがとう」


 楓の父さんの突然の礼に僕は下げていた頭を上げる。

 楓の父さんは笑っていた。それはとても優しい笑顔だった。

 ここまで楓を連れてきたことに対しての礼なのか、それとも、さっき僕が楓にかけていた言葉に対する礼なのか? そのどちらかなのか、それとも違う何かに対する礼なのか、僕には分からないけど、でも、僕は……楓を泣かせてしまった挙句、楓は何も悪くないんだと、彼女にそう納得させてあげられなかった……。


「そんな……お礼を言われることなんて何も……」


「陸君。人のお礼は素直に受けとるものだよ。お礼を言ってくれた人のためにも。そして、お礼を言われた自分自身のためにも」


「そう……ですか。……いや、そうですね」

 

 わざわざ礼を言った理由を聞くのは無粋だと思い、僕は楓の父さんに「お邪魔しました」と頭を一度下げ、部屋を出る。

 きっと僕は自分で気付いていないだけで、楓に何かをしてあげることは出来たのかもしれない。

 それを誇りはしないけれど、何も出来なかったと僕は自分を責めてはいけないのだろう。

 僕には僕の限界がある。やりたいことを完璧に成し遂げられる力量もなければ器用さもないことを僕は十分に理解している。どうしようもないことなんていくらだってある。

 ……それでも、やっぱり僕は――。





 部屋に戻ったボクは頭から布団に潜り込む。

 熱で頭が回らないせいか、次から次へと暗い感情が渦を巻くように心をぐちゃぐちゃにしていく。

 なんであんな言い方をしちゃったんだろう?

 なんで「ありがとう」を言えなかったんだろう?

 なんで? なんで? なんで?

 それなのになんで……彼は優しい言葉をかけてくれるんだろう?

 私のこと好きじゃないくせに心配してくれて、他人事なのに彼はまるで自分のことのようにすっごく辛そうな顔をして――ううん、本当は分かってる。

 ただ彼は誰にでも優しいだけ。

 好きだとか、嫌いだとか、そういう感情で彼は優しくするかしないかを決めることをしない。

 彼はただ誰かのために生きたいだけ。

 そんな彼のことが、ボクは本当に――


「あぁ……好きだなぁ……」


 呟いた声に自分の気持ちを再確認して、胸がギュッと締め付けられるように苦しくなった。

 苦しくって苦しくって、どうしようもなくって、また涙が溢れそうになる。

 瑞稀君が今日告白すると紅葉君が言っていたから、陸はその告白をきっと受けるはずだ。

 そうなれば、来年の花火大会は今年みたいにみんなとではなく、2人きりで観に行くことになるだろう。

 陸がボクと一緒に花火を見る日はこれから2度と訪れない。今日が最後のチャンスだった。

 ……分かってる。全部悪いのはボクだって、ちゃんと分かってる。

 ボクは好きな人に告白する勇気も無い。

 ボクは好きな人に好きになってもらえない。

 思えばあの日、ボクが約束を破ったから、あの時の約束を守ることが出来ていたら、何かが変わっていたかもしれないのに……。


「うっ……ああっ…………!」 


 ボクは布団の中で声を漏らしながら泣いた。

 どれだけ悔やんでもどうしようないと分かっているのに、涙は止まらなかった。

 あぁ……やっぱりボクは――自分のことが大っ嫌いだ。

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