「2人の影は正直で」
僕は日光と一緒に的屋を離れてからもしばらく歩き、人が2人座れるスペースのあるベンチを見つけ、なんの躊躇いもなくすぐにそこへ座った。
「はぁ……」
座った直後に吐いた息は溜め息混じりだった。
射的をしていたあの時間、僕は平静を装いながらも本当は射的を楽しむ余裕や景品が取れたことに喜びを感じる暇もないくらいの張り詰めた緊張感にずっと晒されていた。
それから解放された今、あんな息が出るのも無理もない話だった。
「ねぇ」
隣に座っている日光に呼びかけられ、僕は彼女の方を向く。
日光は何やらソワソワとした様子で僕の顔を見たり逸らしたりを繰り返していた。
どうしたんだろう? ……あっ、そうか。
僕は日光の様子がおかしい理由にすぐに気が付き、視線を自分の左手に持っている物に向けた。
蛙なのか緑の豚なのかよく分からないぬいぐるみ。確かケロピッグ……だったっけ? それを的屋のおっちゃんに渡されてから、ずっと僕が持っていたままだった。
「ごめんごめん。すっかり忘れてた」
僕は左手に持っていたぬいぐるみを日光に差し出す。
しかし、日光はどうしてかそれを受け取ろうとはせず、他の何かに気付いて欲しそうに僕の目をじっと見つめる。
「いや……これもそうなんだけど、でも、私が言いたかったことはそうじゃなくて……その…………」
日光の声は萎む風船の様に段々と小さくなっていき、最後の方に至っては何を言っているか全く聞き取れなかった。
「なんだよ。はっきり言えよ」
僕がそう言った途端、日光の表情は一気に無表情へ変わった。
それはスンという効果音がつきそうな程の変わりようだった。
いや驚いた。人っていきなり有から無に表情を切り替えることが出来るんだな。
「なんだか無性に腹が立ってきたわ」
「お、おいっ、なんだよいきなり……。さっきから挙動不審だったり、無表情になったり、かと思えば怒っていたり……情緒不安定でなんだか怖いぞ」
「はぁ……貴方ね、鈍いにも程があるでしょ。手よ。手」
「手?」
「そう。手」
そう言って日光は視線を下に向けた。
僕も視線をぬいぐるみの持っていない右手に移す。
僕の右手は日光の左手をしっかりと繋いでいて……。
「うわっ⁈」
僕は余りにもびっくりしてしまって、まるで気持ちの悪い虫にでも触れていたかのよな手つきで日光から手を離してしまった。
「自分から繋いでおきながらその反応……とても失礼じゃないかしら?」
「本当にごめん! 今のもだけど、いきなり手繋いだりとか色々と……マジでごめん!」
僕はぬいぐるみを日光の目の前に置き、両手を合わしてこれでもかというぐらいに頭を下げて謝り込む。
的屋であんな生温かい空気になった日光の一言を出させたのは、元はと言えば僕が彼女に近付き過ぎたのが原因だった。
それなのに僕はまた日光を怒らせるような事をしてしまった。
「……」
どんな罵声を浴びせられても仕方ない。そんな覚悟を心に決め、日光の言葉を待っていたが、一向に日光から何かを言ってくる気配は感じられない。
僕は日光の様子をうかがう為に恐る恐る顔を上げる。
日光は怒っているとも取れるような、悩んでいるとも取れるような複雑な顔をしていた。
しばらくの間そのまま僕たちは見つめ合っていたが、日光は突然目を瞑り、そして軽く息を吐いた。
「別にいいわ」
そう言って日光は目の前に置かれていたぬいぐるみを手に取る。
これは許してくれたということでいいのだろうか? それともまだ怒っているのだろうか? …………駄目だ。僕には日光の気持ちが全然読めない。
「それにしても、まさか1発で取っちゃうなんて……貴方ああいうの得意なのね」
日光はぬいぐるみを両手の平で回して観察するように眺めながら言った。
「偶然だよ。僕もまさか1発で取れるなんて思ってなかった」
「そうなの? かなり自信あり気な様子で僕が取るよとか言ってたのに?」
「あ、あれは……昔はじいちゃんが住んでいる所の祭りに行って射的をよくやっていたんだ。だから、久々に射的が出来るかもってテンションが上がっててだな……。その勢いで出た言葉というかなんというか……」
「射的でテンションが上がるって、なんだか凄く男の子って感じがするわね」
「そりゃあだって、純度百パーセントの男の子ですから」
「何それ」
日光はそう言って「ふふっ」と小さく笑った。
良かった。どうやら日光の機嫌は直っているらしい。
あんなつまらないことで笑ってくれたということはつまりはそういうことだ。
もし機嫌が悪かったら「何それ」の後はきっと睨まれていたことだろう。
そう思ったのも束の間。
「あー、それとね……」
日光はぬいぐるみをスッーと持ち上げ、顔下半分くらいの位置に持ってくるとそれを止めた。
隠れていない日光の目が僕の顔とぬいぐるみを行ったり来たりしている。
なんだなんだなんだ? 僕はまた気づかない内に何かをやらかしてしまっているのか?
「いや、別に言う必要はないんだろうけど……」
日光は辿々しく言葉を紡いでいく。
この日光の様子を見るに間違いない
僕は現在進行形で何かをやらかしている。
しかし、いったい何をやらかしているのか?
考えてはみるものの思い当たる節はこれといってない。
そういえば日光はどうしてわざわざぬいぐるみを持ち上げ、顔を隠す様な真似をしたんだ?
僕は日光の顔を注意深く見る。
顔の下半分はぬいぐるみで隠れているのでどんな表情をしているのか分からないが、目の周りがやや赤い。
もしかして照れている……のか? でも、どうし――はっ⁉︎
雷が落ちるかの如く突然訪れた気付き。そして焦り。
嫌な汗が背中に伝わるのを感じる。
女が照れる男のやらかし。そんなのあれしかないだろ。
僕はすぐに自分の社会の窓に目を向ける。
しかし、そこに僕が想像していた光景はなく、隙間風さえ漏らすことを許さないぐらい堅く完全に閉ざされた社会の窓がそこにはあった。
「……貴方さっきから何をしているの?」
「いや、だって日光が凄く言いづらそうにしているから、また僕が何かをやらかしているんじゃないかなぁと思って」
「ああ、そういうこと。誤解させてごめんなさい。何もやらかしてはいないから大丈夫よ。……うん。やらかしてはいないけど、貴方がやったということに違いはないわね……」
僕はそれを聞いて、ようやくやっと日光が言おうとしていることが何なのか分かった。
日光はきっとぬいぐるみを取ってくれた礼を言おうとしているのだ。
わざわざ顔の位置までぬいぐるみを持ち上げたのは礼を言う照れがあったのかもしれないが、取ってくれた物を目の入りやすい位置にまで持ってきてくれたとも考えることが出来る。
なあんだ、そういう事だったのか。別に礼の1つや2つを言うことくらい今更恥ずかしがることなんてないだろうに。
「あの……銃を構える姿とか、一発で落としたところとか、その……かっこいいな……なんて思ったり」
「……へっ?」
思ってもいなかった言葉に変な声が出た。
「えーっと……もしかして、言おうとしてたことって……それ?」
日光はこくりと頷く。
そしてそのまま日光は顔を上げず、今度はぬいぐるみで顔を完全に隠してしまった。
僕たちのすぐ側を女の子たちの明るい声が通り抜ける。
綿菓子でも持っていたのか、懐かしい甘い匂いが辺りを漂った。
まるでここだけ時間が止まってしまったみたいに僕たちはピクリとも動かない。
…………いや、本当にどうするんだよこの空気。
言った本人は恥ずかしさで固まっているし、言われたこっちもそんな言葉なんて言われ慣れていないから恥ずかしさやら反応に困るやらでどうすればいいか分からないし。
とりあえず、ありがとうと返したらいいのか? いや、でも気取ってるみたいでなんだか嫌だな。そんなことないよ、と返すのも違う気がするし……。
ああっ、もうめんどくさい! このまま考え続けたってどうせ堂々巡りだ。ならいっそのことさっきのは無かった事にして話を変えてしまおう。
ずっとこのままでいるよりは絶対にいいし、日光も早くこの空気から解放されたいと思っているはずだ。
となれば……僕から何か話題を振らないとだな。
そう思った矢先、目についたものは日光の浴衣だった。
そうだ。日光の浴衣についてまだ彼女に何も言ってなかったし、話も広げやすそうで丁度いいからこれでいこう。
「日光の浴衣って名前と同じ紅葉柄なんだな」
そういえば橘の浴衣も名前と同じ花の柄だったっけ。そんなことを思いながら言葉を続ける。
「黒地に黄と赤の色の鮮やかな紅葉が舞っていて、とても綺麗で似合ってる」
日光の肩がぴくっと跳ねるよに動いた。
ぬいぐるみでずっと顔を隠しているままなので、僕の話を聞いてくれているかどうか不安だったが、どうやらちゃんと耳には届いているようだ。
喋っている内に僕も恥ずかしさが紛れてきたし、日光の方も多分もうそろそろで落ち着く頃だろう。
よし。あともう一声いっとくか。
「それに今日は髪を結んでいるんだな。いつもの髪型もいいけど、そういうのも可愛くて悪くないな」
「あのっ」
日光はつっかえていたものを出すように声を発すと、ぬいぐるみを少しだけ下げて目を見せた。
その目の周りは先程よりも赤く、それどころか今度は耳までもが赤く染まっている。
「ど、どうしてこのタイミングでそんなことを言うのよ……」
弱々しい声で日光はそう言うと、またぬいぐるみを上げて顔を隠してしまった。
浴衣の話しは気持ちを落ち着かせるどころか逆効果だったらしい。
……いや、浴衣の話しが悪かった訳ではない。途中まではよかった。最後の僕の一言が余計だったのだ。
何を血迷って可愛いと口走ってしまったんだ僕は……。うっ……。最後に自分が言ったことを思い出してたら、なんだか恥ずかしさがぶり返してきた。
このままだとマズイ。他の話題を見つけ、とにかく会話をして気を紛らわせないと。
「屋台がたくさん出ているけど……ん?」
何か話のネタはないかと思って屋台の方を向くと、僕たちの前に小学校低学年くらいの小さな男の子が立っていることに気付いた。
男の子は目をキラキラと輝かせながら僕と日光のことを見ている。
もしかしてこのベンチに座りたいのだろうか? でも、そういう顔をしているようには見えないし……。
「らぶらぶだぁ……」
男の子の突拍子な言葉に僕の喉の奥から濁りのある変な音が出た。
隣にいる日光もびっくりしたのだろうか、派手に咳き込んでいる。
「こら、だい君! 何やってるの!」
少し離れた場所からそんな大きな声が聞こえ、若い女性が男の子の元に駆け寄ってきた。
男の子の母親であろうその女性は僕たちに苦笑しながら頭を下げ、男の子の腕を引く。
「ほら、行くよ」
「ねぇねぇお母さん。お兄ちゃんたちすごくらぶらぶなんだよ」
「ちょっとだい君⁈ う、うちの息子がどうもすみませんね」
「おうちでのお父さんとお母さんみたい」
「だだだだだい君⁈ 本当に何言ってるの⁈ あっ、あっちにだい君の好きな綿菓子があるよ。好きなだけ買ってあげるからあっちにいこっか」
「えっ、好きなだけ⁉︎ いくー!」
お母さんに好きなだけ綿菓子を買ってくれると言われた男の子は嬉しそうにはしゃいで綿菓子の屋台があるところに向かって走っていく。
残されたお母さんは僕たちに何度も何度も頭を下げてから男の子のあとを追い、いそいそと去っていった。
僕は人混みの中に消えてゆく母子を見送り、横目でちらっと日光の様子を確認する。
日光はもうぬいぐるみで顔を隠していなかったが、僕とは逆方向の方に顔を向けていた。
……まぁ、うん。そうなる日光の気持ちは僕にも分かる。さっきのあれは恥ずかしさに追い討ちをくらったみたいなものだったからな。
状況は男の子が僕たちに話を掛ける前と何も変わっていない。気不味いまま。いや、むしろ悪化したともいえる。
こうなってしまえば話を掛けることさえ一苦労だ。
さて、これからどうするか……。
そんなことを僕が思った瞬間だった。僕の携帯電話から通話の着信音が鳴り響いた。
僕はポケットから携帯電話を取り出し、発信者の確認をする。
相手は晴矢からだった。
「はい、もしもし?」
『おっ、繋がった。全くどこで何をしてるんだお前は? 連絡しても全然反応がないから、みんなお前に何かあったんじゃないかって心配してんだぞ』
「あー、ごめんごめん。ちょうどさっき日光と合流して、それから色々とあったから連絡には全然気付かなくって」
『何? 日光さんも一緒なのか? それに色々って……まさかまた厄介ごとか?』
「大丈夫。そういうのじゃないから安心して」
『そっか。まぁ、それなら良かった。日光さんを探す手間もなくなったしな。ところで、2人は今どこにいるんだ?』
「どこって言われても……どう説明したらいいのやら……」
僕は周りを見渡す。
近くに特徴的な建物なんかないし、目の前にはただ屋台が並んでいるだけ。
「たこ焼きと肉巻きおにぎり……その他諸々の屋台が見える場所のベンチに2人で座ってる」
それを聞くと晴矢は深い溜め息を漏らした。
電話の向こうでは呆れ顔で頭を押さえている晴矢の姿が長年の付き合いから易々と想像出来る。
『お前な、もっとこう……マップアプリを使って現在地を送るとか方法があるだろ?』
「ハッ⁈ 確かに! ちょっと待っててくれ。今すぐこっちの現在地を送るから」
『あー、いや、やっぱ待て。そもそもの話し、お前が逸れたからこんなことになっているんだ。こっちの現在地の情報を送るからお前が来い』
程なくして、晴矢達の現在地が送られてきた。
マップアプリを使って場所を確認すると、僕たちがいる場所とそう遠くはない場所にみんなはいるようだった。
「なんだ、意外と近くにいたんだな。すぐにそっちへ向かうよ」
『念の為に言っとくが、迷うなよ?』
「迷うかよ。こっちも言わしてもらうけど、逸れはしたけど迷ってはいないからな。それに、歩いて2分と掛からない場所へマップを見ながら行くのに迷えって言われる方が無理な話だろ」
僕はそう言って笑い飛ばすも、向こうから笑い声は返ってこない。
あれ? さっきのってもしかして冗談で言った訳ではなくてマジなやつだったのか?
『……やっぱり俺らがそっちに行こうか?』
どうやらマジなやつだったらしい。晴矢の声はいつになく真剣だった。
「いや、いい」
僕はそう返すと一方的に通話を切った。
付き合いの長い親友を信じられないとは全く失礼な奴だ。
確かに今日はもう既に2回みんなと逸れてしまってはいるけど、この近い距離を僕が迷うと思っているのは流石に馬鹿にしすぎだろ。
それに今の僕は1人じゃない。日光がいる。迷うことなんて絶対にないはずだ。……多分。
「みんなが心配してるって」
僕はベンチから立ち上がって日光を見る。
「なら、急がないとね」
そう言ってベンチから立ち上がった日光は僕と目が合うと、一瞬だけ僕から目を逸らし、そして再び僕と目を合わせた。
その僅かな余所余所しさのある日光の態度を僕は不思議に思ったが、すぐにそれがどうしてなのかに気付き、僕も彼女と同じ動作を繰り返してしまう。
晴矢からの電話は結果的に見れば、僕たちの助け舟になっていた。
電話をする前に僕たちがどういう状況だったのかを思い出してはしまったが、あの時の熱はまだ戻り切ってはいない。
勢いに任せればこのまま誤魔化せられる。
「みんながいる場所は教えてもらってるから、ついて来てくれ」
僕はそう言って歩き始めたが、3歩も行かないうちに日光にパーカーの袖を引っ張られ、僕は足を止めた。
何事かと思って後ろを振り返ろうとするも、それよりも先に「そのままで聞いて」と日光に言われて、僕は前を向いたまま彼女の言葉を待つ。
「色々とありがとう。その、ぬいぐるみのこととか、浴衣のこととか……」
一呼吸の間を置いて日光はそう言った。
「どうしたんだよ、急に……」
「お礼を言ってなかったなぁと思って」
「別にいいのに。大したことなんてやってないし、言ってもいないしさ」
「そんなことないわ。それに、もし仮にそうだったとしても礼を言わないのは私自身が嫌なのよ」
……あぁ、そうだ。日光はそういう人だった。そんなことを思いながら僕は後ろを振り返る。
「あっ」
僕と目が合った瞬間に日光は声を上げた。
日光の顔は薄く赤に染まっていた。
そのままで聞いてと言われた時は一体何を言われるのかと心配になったが、どうやら顔を見て礼を言うのがただ単に恥ずかしかったらしい。
「礼を言うだけで何を照れてるんだか」
「う、うるさいわね。もう言いたいことは言い終わったから、ほら前を向いて。みんなが待ってるんだから急ぐわよ」
笑う僕の肩を日光は強く押し、僕は無理矢理前を向かされた。
そんなことをしなくても、どうせすぐに前を向いたのに。
僕はそれを口には出さずに足を進ませる。
「ふふっ」
それは歩き始めてすぐのことだった。日光が小さく笑った。
僕は歩きながら日光の方を振り向くと、彼女は視線を左の方に向けて微笑んでいた。
僕たちの左にあるのはただの塀。
だけどそこには向かい側の屋台の灯りで出来た僕たちの影があって、その2つの影が歩く姿はどこかぎこちなく、僕もつい小さく笑ってしまった。




