「きっかけの少女」
目を覚ますとそこは自室のベッドの上だった。
僕は飛び起きる。
今まで見ていたあれは……消えてしまっていた楓との思い出。
僕は気持ちを落ち着かせるために、両手で頭を抱えながら大きく深呼吸をする。
色々と考えなきゃいけないことが山ほどあるが、いったん状況を整理しよう。
確か僕はみんなと海で遊び終わったあと、家に帰った瞬間に深い睡魔に襲われてそれから――。
僕は大慌てで枕元にあった携帯電話を開いて時間の確認をする。
日光との記憶を見た時は丸2日も眠っていた。もし今回も丸2日寝ていたのだとすれば、今日は花火大会の次の日ということになる。今年の花火大会は来年の春に死ぬ僕にとって、みんなと一緒に見ることの出来る最後の花火大会。それを寝過ごして終えてしまうなんて、冗談であっても笑えない。
携帯電話のロック画面に表示されている時刻は14時34分。日付は……海に行った次の日。
花火大会がまだ終わっていないことに安堵しながら、僕は倒れるようにベッドの上で仰向けになる。
今回は前回とは違って1日弱の睡眠で済んだらしい。
みんなとの待ち合わせの時間は17時30分。とりあえず時間の余裕はまだあることが分かったので、僕は楓との記憶を思い返す。
中学校をサボったあの日。僕は駅で困っている女の子を助け、次に降りた駅でもまた楓を助け、そこからの1日の殆どを楓とともに過ごした。
そして僕は最後の最後に楓との約束を破ってしまい一人ぼっちになって、それから……どうなったんだっけ?
思い出そうと頑張ってはみるものの、あのあとどうやって家に帰ったか思い出せない。
日光の時と同じで、まだ戻っていない部分があるのだろう。
記憶が戻るトリガーが何かは分かっていないので、こればかりは思い出すまで時間が経つのを待つしかないか……。
「くそっ……」
ある程度の状況が整理でき、独りでにそんな言葉が口に出た。
眺めていた天井がボヤけ、僕は目の上を腕で覆い隠す。
思い出せないことに苛立ちを覚えて泣きそうになったわけではない。
記憶の中での楓の言葉を思い出し、僕は泣きそうになってしまっていた。
和也の件があった中学2年の半ばから今年の4月までの1年と半年の間。ずっと僕は誰かのために生きたいと思いながらも自分自身に嘘を付き、困っている人を見かけては何かしらの理由を引っ張り出して見て見ぬフリをしていた。
しかし、今年の4月にあった出来事でやっと僕は救われ、もう一度誰かのために生きようと決意したと、そう思っていたが……。
僕はその前に1度、楓によって救われていたのだ。
だけど、あの日は僕の記憶からすっかりと抜け落ちてしまった。
もし、あの日の出来事が記憶から消えることがなければ、僕は人と積極的に関わろうとして独りになることはなかっただろうし、中学3年の時に晴矢と大喧嘩をすることもせず、もっとマシな中学校生活を送れていたかもしれない。
……まぁ、それをいくら悔やんだところで、過去を変えることなんて出来ないってことくらい分かっている。
そんなどうしようもないことに悲嘆に暮れている時間なんて、命のタイムリミットが刻一刻と迫っている僕にはない。
僕はベッドから勢い良く体を起こし、頬を両手で強く叩いて気持ちを切り替える。
今僕が考えないといけないのは『どうして僕の記憶が消えていたか?』だ。
楓との記憶は中学2年と比較的最近の話で、しかもあの日は初めて学校をサボったという、自分にとっては紛れもない特別な日だった。
単に忘れていたわけでは絶対にない。
あの時の記憶には神様が関わっていたと言い切れる。
神様と関わっていた部分が消えるというのなら楓が神様ということになるが……でもそれはおかしい。日光との思い出の中に楓はいなかった。
それじゃあ、なぜ楓と日光の記憶は消えていた?
僕は考える。2つの記憶の共通点を……。
数秒と経たずして、それは案外あっさりと出た。――いや、というよりもそれ以外の共通点が他に思い浮かばなかったの方が正しい。
日光との記憶と楓との記憶。そのどちらともにある、たった1つの共通点。
それは『ある1人の女の子との出会いから記憶がなくなっている』ということだ。
ここで導き出される1つの仮定。
もし『きっかけ』が消えてしまえば、その後にその『きっかけ』で起こった出来事の記憶も無くなってしまうのではないか?
あの時、長い黒髪の小さな女の子が僕の事を呼び止めなければ、僕はあのまま家に帰って日光を助ける事もなく、僕が身代わりになる事もなかった。
あの時、白いワンピースを着た女の子に声を掛けていなければ、僕はわざわざ隣町で電車を降りる事もなく、楓と出会うことはなかった。
考えれば考えるほど、日光との記憶と楓との記憶がなかったことに辻褄が合う。
離れ離れだった線と線が結びついていく。
ドクン、と心臓の鼓動が大きく鳴った。
真相はすぐ目の前だと、理性では無く本能が悟っている。
林間学校からの帰りのバスでの橘の反応からして、あの時の班のメンバーの中に僕の寿命を延ばした神様がいるはずだ。
それは絶対に薊ではない。
僕が泳げる様になり薊に泳ぎ方を教えたのも、きっとある女の子が『きっかけ』だ。
じゃあ他に考えられる人物は?
……そんなの決まっている。1人しかいない。
どうして考えなかった?
橘は自称神の使いだ。それは嘘であり、彼女自身が神様である可能性を――
「おや? 起きてたんですね。おはようございます。と言っても、もうそんな時間ではないですけど」
いつの間に部屋に入ってきたのか、ドアの前に橘が立っていた。
今年の4月に初めて出会った時と同じ、白のワンピースを橘は着ている。
その姿は楓との記憶の中で見た、あの『きっかけ』の少女と似ていた。
「なぁ、橘」
「はい。なんでしょう?」
「あれだ……その…………」
お前が僕の寿命を延ばした神様なのか? その言葉は喉元まで出ている。
しかし、躊躇いがつっかえになって口に出ない。
「もう。何をそんなに言い淀んでるんですか? あっ、分かりました。どうせまた失礼なことを言おうとしているんでしょ。言わないが吉なので、そのまま黙っていた方がいいと思います」
「違う。そうじゃなくてだな」
「じゃあ、なんなんですか?」
呼びかけておいて中々話題を出そうとしない僕に、橘は不機嫌そうなしかめっ面で首を傾げる。
きっと橘は僕が彼女の正体に気付いていることに気付いていない。
それを僕が言ってしまえば、橘は目を丸くして驚いた表情をすることだろう。
だけど、僕は全く別の言葉を口にしていた。
「橘は……浴衣じゃないんだな」
「ヘアッ!? びっくりしすぎて変な声が出ちゃいました! 私が浴衣なんてものを持っていないということを知っているはずなのに、どうしてそんなことを言うんですか? もしかして喧嘩売ってます? えぇ、売っていますよね! だいいち、私はレンタルの浴衣が着たいって言っていたのに、陸さんがそんなお金はどこにも――」
「あー! 悪かった! 今のは確かに失言だった! 本当に申し訳ない! 寝起きで頭が回ってなかったってのもあってだな……僕も外に出る準備をしたいし、とりあえず今は1人にさせてくれ!」
憤慨し喚き散らしている橘を僕は適当な理由を繕って部屋の外にへと追いやる。
結局、僕は橘に聞きたかったことを聞く事が出来なかった。
「はぁ……」
大きなため息を吐いて、僕はそのままドアの前でしゃがみ込む。
もし本当に橘が神様だったとして、どうして初めに神の使いという嘘を僕についた?
それはきっと何か嘘をつかなければならない理由が橘にはあったからだ。
だったら、橘から本当のことを言うまで僕は待っていた方がいいだろう。
だから僕は聞かなかった。
……いや、そうじゃないだろ。それは本音を隠したいがための、ただの建前だ。
橘に嘘をつかなければならない理由があったとすれば、僕が彼女の正体を問いただそうとしても、どうせ誤魔化そうとするだろうから聞くだけ聞いてしまえば良かったのだ。
それを分かっていながらも、僕は聞けなかった。
どうしてか?
もし橘が「はい。そうです」と言ってしまったら、自分の感情を抑えきれずに彼女のことを責めたててしまいそうだったからだ。
恩があると言いながら、どうして僕の寿命を延ばすようなことをしたのか――と。




