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「思い出の花火」

 白いうさぎのぬいぐるみが取れた後も、僕と楓はコインゲームをしたりエアホッケーをしたりなどしてゲームセンターで遊び通した。

 時間が経つのはあっという間で、ゲームセンターを出る頃には午後の4時を過ぎていた。

 今の時刻は午後の4時53分。僕たちは目的もなく、ただただ商店街の中をぶらついている。

 僕の親は早ければ夜の8時には家に帰ってくる。今いる商店街から1番近い駅までここから歩いて1時間。更にそこから電車に乗り、僕の住んでいる街まで1時間。また更にそこから歩いて家に帰るとなれば……今からこの商店街を抜けて駅を目指してもいい時間だった。

 楓がこれからどうするのかを僕は知らない。ただ、彼女がここに残ろうが残らまいが、僕はもう帰らないといけなかった。


「あのさ――」


 そう声をかけながら、僕は隣を向く。しかし、そこに楓の姿はなかった。

 僕は今まで歩いてきた方向を振り返る。

 楓は少し後方で何かに足を止めていて、夢中でそれを眺めていた。ゲームセンターで白いうさぎのぬいぐるみを眺めていた時と同じ横顔。心奪われた――そんな言葉がしっくりくる様な表情。

 僕は楓の側に近寄る。

 彼女が夢中で眺めているものは……この商店街の掲示板だった。

 そこには今月に行われるイベントのポスターが4枚ほど貼られていて、その中の1枚に楓は釘付けになっていた。

 僕もそのポスターの内容に目を通す。

 どうやら今日の夜8時にこの商店街の南口にある総合公園で花火が打ち上がるらしい。

 時間が15分程度と書いてあるところを見るに、花火大会のような盛大な祭りではなく、ちょっとしたショーの様なものなのだろう。

 それにしても花火か……。

 僕は遠い記憶を思い返す。花火にはちょっとした特別な思い出があった。

 花火を最後に見たのは確か……5年も前のことだ――。



 お盆には必ず祖父の家に帰り、その街で開催される夏祭りに僕と姉は参加していた。

 2人で屋台を巡り、花火が打ちあがる時間の少し前になると、僕たちは花火が上がる港から少し離れた高台にある神社に行き、いつもそこから花火を眺めていた。

 僕が最後に花火を見たのは姉が亡くなった次の年。小学3年生の時に見たものが最後だった。

 その時も僕は今までと同じように、高台の神社から花火を眺めていた。

 いつもと違うのは僕の隣に姉がいない、というたった一つのことで……でも、それだけで、色鮮やかで大好きだった景色は色褪せた景色にへと変わってしまった。

 この時になってやっと気付いたが、僕にとって花火というものは家にあまりいなかった歳の離れた姉との、数少ない大切な思い出の一つだったらしい。

 ……いや、少し違うか。数少ない、ではない。

 確かに姉は家にはあまりいなかったが、家の中にも姉との思い出は沢山あった。だけど、僕は無意識の内にそれらを見ないようにしていたのだろう。

 ……まぁ、なんにせよ。花火が姉との大切な思い出であることに変わりはなく……姉との思い出から逃げ続けていた僕は何の心の準備もしてないままで花火を見てしまい、姉がもうこの世にはいない、という目を逸らしていた現実に無理矢理向き合わされた。

 姉が亡くなった当時よりも、途方もない喪失感が僕の胸にドッと急に押し寄せて涙がとめどめもなく溢れ――僕は気が付いた時には声を上げて泣いていた。

 憧れだった人であり大切だった人はもうこの世にはいない。そんな覆しようのない現実が今になって僕の心を締めつけた。ずっと我慢して押し殺してきた感情が抑えきれなかった。

 花火が終わったあとも僕はその場に留まったまま、しばらくの間泣いていた。

 そして僕は毎年のお盆に祖父の家に帰りはすれど、花火を見に行くことをしなくなった。



 見ていた花火のポスターが微かにぼやけ、目を擦った。

 僕は視線を花火のポスターから楓の方にへと変える。

 今は昔の事を思い出して感傷に浸っている場合ではない。僕は早く家に帰らないといけない。


「あのさ」 


 僕は未だに花火のポスターに釘付けになっている楓に声をかけた。


「僕はもう帰ろうと思う……というより、帰らないといけないんだけど……」


「そうなんだ。ボクは……」


 楓は言葉を一旦止め、顔を僕の方から再び花火のポスターの方に向きを変えて「まだ帰りたくはないかな……」と呟いた。


「そっか。それじゃ、ここでお別れだな」


「うん。そうだね」


「電車の乗り方はもう大丈夫か?」


「うん。大丈夫。ヤンキー君が教えてくれたからばっちしだよ」


「ここから駅までの道のりは?」


「それも大丈夫だよ。ふふっ。なんだか今のヤンキー君、どこか遠くに行ってしまう娘を見送る口うるさいお父さんみたいだね」


「なっ⁈ お前な……お父さんってのには一応目を瞑るけどもさ。口うるさいは余計だろ。こっちは心配して言ってやってるんだぞ」


「ごめんごめん。心配して言ってくれてるってボクもちゃんと分かってるよ。ありがとう。……ふふっ」


「なんだよ……笑うようなことは何も言ってないだろ。それともなんだ? さっきのことでまだ笑っているのか?」


「違う違う。そのあとだよ」


「そのあと?」


「そう、そのあと。『心配して言ってやってる』っていう台詞だって、いかにも口うるさいお父さんが言いそうなことじゃん。それを狙って言ったわけじゃなく、真面目な顔をして言うんだもん。君は将来、本当に口うるさいお父さんになりそうだね」


 楓はケラケラと笑った。あまりにも楽しそうに、無邪気な顔で。


「……そうかもな」


 楓がそんな調子で笑うものだから、そこまで笑うことか? なんて思っていた僕もついついつられて笑ってしまう。

 楽しい。そんな思いとともに湧き上がる寂しさ。

 今日の色々な場面で、僕と楓は今みたいに笑い合った。特別でもない、これといった意味なんてない、何気ない会話を交わして。同年代の誰かとこうやって笑い合うのは久々だった。それは数ヶ月前まではありふれた生活の一部分であり、今の僕の生活には無いもの……。月曜日からは、またいつもの『誰とも極力関わらない』今の僕にとっての日常が戻ってくる。だから僕は、楽しさの中に寂しさを感じていた。

 どこかで聞いたことのある、曲名の分からないメロディーが商店街に響き渡る。

 先ほど携帯電話で確認した時間から察するに、5時を知らせるものだろう。

 名残惜しいが、この楽しい時間ももう終わりにしないといけない。


「そろそろ行くよ。今日は楽しかった。ありがとうな」


「うん。ボクも楽しかった。住んでいるところは隣街だから、意外とまたどこかで出会えるかもしれないね」


「あぁ、そうだな。その時は声をかけるよ」


「うん、ボクも……でも、ヤンキー君と過ごしたのはたったの1日だけだったし、半年も経てば忘れちゃうかもね」


 なんだか寂しいな……。楓は小声でそう付け足して、消え入りそうな笑みを浮かべた。

 『忘れちゃうかも』――彼女はそれをどちらの視点で言ったのだろう? 楓自身が今日の事をいつか忘れてしまってしまうのを寂しいと思ったのか。それとも、僕が今日の事をいつか忘れてしまうのを寂しいと思ったのか。

 まぁ、いくら考えたところで、どちらが正解なのか僕に分かる筈もない。結局その答えは楓にしか分からないことだ。

 でも、それでも言えることが一つだけある。

 楓がどういった想いで『寂しい』なんて言葉を口にしたかは分からないが、僕が楓のことを忘れてしまうのも、楓が僕のことを忘れてしまうのも、僕自身はどちらとも寂しいと思った。


「僕は絶対に忘れない。半年が経っても、高校生になっても、大学生になっても、大人になっても、僕は今日のことをずっと忘れない」


 僕は楓の目を見て強く言い切った。

 根拠なんてものは何一つとしてない言葉。僕が忘れなかったとしても、あっちが忘れてしまえば意味なんて無くなってしまう言葉。でもそれは、この場限りの建前では決してなく、本心からの言葉だった。


「……うん。ボクも絶対に忘れない」


 楓は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で僕のことをしばらく眺めていたが、さっきの僕と同じように僕の目を見据え、力強くそう言った。

 彼女の言葉もまた、この場限りの建前ではなく、本心からの言葉だと僕は感じた。


「それじゃあ、またどこかで。ばいばい」


 僕は楓に手を振る。

 楓も手を振りながら「ばいばい」と返した。

 その彼女の表情は笑顔ではあったが、やはりどこか寂しさが入り混じっていた。

 きっと僕も、同じような表情をしているのかもしれない。

 僕は楓に背を向け、駅を目指して歩いた。

 歩き始めてすぐ、小さな寂しさが萎んだ風船が膨らむように大きく膨れ上がり、胸の内を埋め尽くしたが、それでも僕は振り返ることなく歩き続けた。

 今までの1ヶ月間のだいたいを1人で過ごしてきたので1人には慣れていると思っていたが、そんなことは全然なかったらしい。……いや、1ヶ月のだいたいを1人で過ごしていたからこそ、僕は寂しいなんて思ってるんだろう。

 思えば今日のほとんどを僕は楓と2人で過ごした。しかもそれは、別れることが辛いと思ってしまうほど充実したものだった。

 結局、目的であった自分が本当に望んでいる生き方なんてものは全然分からなかったが、もう一つの目的であった気持ちをリセットする一日という点では、これ以上にないくらい素晴らしいものだった。

 ぼんやりと今日の思い出に浸って歩いていると、僕の元にへと走り寄ってくる足音に気付いた。


「待ってっ!」


 そんな大きな声とほぼ同時に学ランの裾を引っ張られ、僕は足を止めた。

 声の主の方を僕は振り返る。

 そこには、朝一に僕を止めた時と同じ顔をした楓がいた。


「えっと……やっぱり一緒に帰る?」


「違う……」


 僕の学ランの裾を掴んだまま、楓は首を横に振る。


「花火が見たい……」


 商店街の喧騒に呑まれてしまいそうな声で楓はそう言った。

 花火のポスターをえらく気にした様子で眺めていたから、そう思っていることは僕も予想はついていたけど……だけど、僕を止める理由が全然分からなかった。


「君と一緒に見たい」


 今度はハッキリとした声だった。

 楓はその勢いのまま言葉を続ける。


「本当はまだ一人で電車に乗るのも不安で、駅までの道もうろ覚えで、だから……だから…………」


 最初こそハキハキとした調子で楓は喋っていたが、それは次第に弱々しくなっていき、とうとう言葉はそこで止まってしまった。

 楓は僕から視線を逸らし、下を向く。

 僕は何も言わずに、楓が次に出す言葉を待った。

 彼女が何を言おうと、僕の返答は決まっている。もちろん拒否の言葉だ。なんならもうこのタイミングで言ってしまってもいい……というより早く駅に向かうためには、今すぐにでも言わなければならない。それなのに、僕はその言葉を口に出すのを躊躇っている。 


「一緒にいて欲しい……ダメ……かな?」


 しおらしい声で辿々しく言ってから、楓は顔を上げた。

 僕を見つめる彼女の顔は感情が整理しきれていない。

 戸惑い、願望、罪悪感、恥ずかしさ。それらが複雑に混ざり合ったような表情。

 その表情に僕は用意していた言葉を詰まらせる。

 僕に家に帰る以外の選択肢はない。そんな事は考えるなでもなく分かりきったことだ。もしここで楓の我儘を聞いて、ここに留まったところで僕になんのメリットがある? 何一つとしてない。楓と一緒に花火を見るだけ見て、帰った後に親に仮病で学校をサボったことがバレて怒られるだけ。だから悩む必要もなければ躊躇う必要もない。たとえそれが、今までずっと僕についてくるだけだった楓の初めての我儘だったとしても……。

 僕はちゃんと頭ではそれを理解していた。しているはずだった。それなのに――。

 

「いいよ。それじゃあ、一緒に花火を見よっか」


 気が付けばそう返事を返している、僕がいた。

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