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「不器用な言い訳」

 中学2年のとある金曜日の朝‬。

 その日は季節の変わり目もあってか、学ランを着ていても肌寒いと感じるくらいに冷え込んでいた。

 ここ最近から少しずつ気温は下がっていたけど……今日は一段と寒いなぁ……。

 吐いた息が白い靄となって出ているのを見て、そんな事を考えながら僕は駅の中を歩く。

 今日は平日なので、もちろん学校はある。

 僕が駅にいるのは電車を使って学校のある街に行くため――ではない。

 なんなら学校は僕が住んでいる街にあり、家から徒歩10分もあればいける距離にあった。

 じゃあ、なぜ僕は駅の中にいるのかって?

 それは学校をサボり、どこか遠くの街にへと行くためだった。





 和也のいじめの件から僕に対するクラスメイト達の態度は変わった。

 普段は優しくて真面目だが、怒ると何をしでかすか分からない奴。そんなレッテルをクラスメイト達は僕に貼り付けた。 

 それは、あれから1ヶ月が経った今でも続いている。

 誰も僕には関わろうとはせず、学校の中ではいつも孤立状態。

 本を読むか、突っ伏して寝たフリをするかのどちらかで休み時間をやり過ごす日々が続いていた。

 しかし、いくらみんなが僕を避けようとしていても、体育の授業や調理実習、理科の実験での班活動など、どうしても僕と関わらないといけない時間がやってきてしまう。

 そんな時は、まるで爆発寸前の爆弾でも扱うように、刺激しないよう慎重に僕と接しているのが目に見えて分かった。

 そのみんなの姿は、恐怖政策を敷く独裁者に脅える民衆さながらのようであり……僕はただ心の中で溜め息を吐くばかりだった。

 しかも、その僕を避ける風潮は僕がいるクラス内に留まらず、他クラスまで広がっていた。

 だが、そんな中でも今までと変わらずに接してくれようとしてくれる人達が、わずかながらにいた。

 違うクラスにいる親友である晴矢とはっちゃんの他、昔から仲の良かった数人だけが僕の味方でいてくれたのだ。

 しかし、僕と一緒にいることにより無関係な彼らまで悪い噂を流されかねない。

 それを危惧した僕は彼らの厚意を振り払い、学校内で彼らとは極力関わらないようにしてきた。

 そして、僕は本当の意味で1人になってしまった。


 もし、僕が『悪を絶対に許さない』そういった強い意志を持った熱血漢だったなら、みんなからこうして避けられることはなかったのかもしれない。

 だけど、僕はこれといった特徴のない、普通の大人しい生徒だった。

 誰かの為に行動するといっても、掃除を一緒にしたり、重たい荷物を一緒に運んであげたりなど、謂わば手伝いぐらいで留まっていた一般生徒。

 そんな人間がいきなり不良生徒に殴りかかったとなれば、周りが驚くのも無理はない話だった。

 そして、避けられる一番の原因となったのは、やはり手を出したタイミングだろう。

 みんなから裏切られて、罪をなすり付けられてから僕は手を出してしまった。

 まぁ、つまりのところ、そのことに対してキレたのだと、みんなは勘違いをしているのだ。

 僕は決して罪をなすり付けたことに対してキレた訳ではない。

 ただ困っている人を、傷付いている人を助けたかっただけ。

 だけど、その事を誰も分かってくれようとはしなかった。


 ここまでの間にみんなから避けられてきたことについて長々と話してきたが、僕が学校をサボろうなんて思い立ったのは、実はそれが原因ではない。

 みんなから避けられることは、もちろん辛かった。

 だけど、そんなことよりも僕が今まで通りに誰かを助けようと手を差し伸べても、遠慮をされて断られてしまう方が、自分にとっては辛かったのだ。 

 あの件の後、僕を避け始めたみんなとは違って、僕はこれまでと同じ様にみんなと接しようと頑張った。

 しかし、掃除の手伝いや提出物の返却の手伝いなど、今までならなんの気兼ねもなく任せてくれた些細な事でさえ全力で断られた。

 相手が困っていることが分かっているのに、僕は何もできない。

 きっと、僕以外の誰かが救いの手を差し出していれば、相手はその手を遠慮せずに受け取っていただろう。

 結果、その誰かなんて現れることはなかったが……。

 次第に僕も自分の方からみんなと関わろうとする回数が減っていき、いつからか僕は、困っている人がいても気付かないフリをする様になっていた。

 それでもやはり、今までの生活のせいもあってか、気付かないフリをしていても気になるものは気になってしまう。

 そんな時、決まって僕はその困っている人を助けることにより、自分に起こる不利益を考えるようになった。

 本来なら自分がしなくてもいい事。自分の自由な時間が奪われる。体力も使う事になる。手伝ったところで何かを得られるわけではない。

 考えてみれば意外にも自分に対しての不利益というものは沢山出てきて、逆に自分に対しての利益はあまり出てこなかった。

 これまでの人生を振り返ってみても、明かに損をすることの方が確かに多かった。

 今回だってイジメに関わらなければ、僕は裏切られることもなかったし、みんなから避けられる事もなかったのだ。


『自分が損をしても、誰かの肩代わりになるならそれでいい。誰かが幸せなら、自分も幸せになれる』 


 ずっと昔に姉が言ってくれた言葉が、突然頭の中に降って湧いてきた。

 小学生の頃、誰かの為に行動する度に思い出していた言葉。

 中学生になってからは、思い出さなくなってしまった言葉。

 きっと、無意識の内に理解していたのだ。

 その言葉は、僕にとって他人の幸せが自分の幸せだと言い聞かせるためだけの誤魔化しに過ぎなかったという事に。 

 結局のところ、僕もみんなと同じで、他人よりも自分のことの方が大切だったのだ。

 今まで目を逸らしてきたその現実をハッキリと目の当たりした瞬間、僕の中で何かが折れる音がした。 

 それは、部分部分を支えている小さな柱ではなく、核となる部分を支えているたった一本しかない大きな柱だったのかもしれない。

 今までに感じたことのない、心に穴が開いてしまったかのような途方も無い喪失感だけが、僕を埋め尽くしていた。

 幼い頃から今までの間、ずっと夢見てきた生き方。

 それを失い、僕は自分自身のことが分からなくなった。

 そして、何もかもがどうでも良くなった。

 その時が来てしまったのが、たまたま今日の朝だったという話。

 このまま学校に行けば、『誰かの為に生きたい』なんて本当は望んでもいない生き方をしているこれまでの僕がまだそこにいて、せっかく自分の本心に気付くことができたのに心が揺らいでしまいそうで怖かった。

 僕が本当に望んでいる生き方。

 その生き方をする為、今までの自分を一旦リセットしようと学校をサボることにした。

 家に帰って1日をのんびりと過ごすのもいいと思ったが、僕はそれを選ばなかった。

 学校をサボった時点で超えてはいけないラインを超えてしまっている。だったらこれ以上進んだところで大差はないだろう、という開き直り。

 それに、先ほど僕は自分が本当に望んでいる生き方をすると決めたものの、これまでの間ずっと誰かの為にと、そう思いながら生きてきたせいで、自分自身が本当に望んでいる生き方がなんなのかが分かっていなかった。

 自分の為に生きればいいということは分かる。

 しかし、何をすれば自分の為になるのかが分からなかったのだ。

 これまで育ってきた環境下では絶対に見つけられない。

 きっと、またあの望んでいない生き方が脳裏にチラつく事になる。

 ここよりも遠くの街。誰も僕のことを知らない、僕の知らない街でなら、僕が本当に望んでいる生き方を見つけることが出来るかもしれない。

 そう考えた時には既に、僕の足は駅を目指して歩いていた。




 

 

 切符売り場の前、運賃表を見ながらどこに行こうかと僕は頭を悩ませていた。

 これと言って行きたいと思う場所はない。

 不思議と学校をサボる事に対しての罪悪感はそこまで感じなかったが、親に学校をサボって外で遊んでいた事がバレるのは流石にまずいので、親に連絡がつくような知り合いと出会わないようにしなければならない。

 学校には登校途中で体調が悪くなったからと休むことを連絡し、親にも一応は連絡した。

 両親は今の時間帯は仕事に出ており、ここ最近は仕事が忙しのか2人とも帰ってくるのが遅いので、それまでに家に着いていれば何も問題は無いはず。

 知り合いとは合わないぐらいの遠さで夜までには帰れる距離だと……ここから大体1時間くらいのところだろうか。

 財布の中には全財産である9千円ちょっとが入っている。

 遊ぶお金のことも考慮しながら行き先を決め、僕は切符を買った。

 そして、改札に行こうと振り返り――ある1人の女の子に目が止まった。

 身長の半分くらいの長さはある、真っ黒な長髪の女の子。

 長袖長ズボンでも寒いと感じるこの日に、その女の子は白いワンピース以外の物を身につけてはいなかった。

 見ているこっちが寒くなるほどの薄着。

 周りが冬用の服装であるのに対し、そんな真夏のような格好をしているせいもあってか、可笑しな話だが、そこに確かに存在しているはずなのに、触れてしまえばホログラムのように透けてしまいそうな、今にも消えてしまうのではないかと、そう思わせられる不思議な女の子だった。

 身長は低くて小柄。小学生ぐらいだろうか? ……いや、この時間帯で私服を着ていてランドセルを持っていないということは見た目はあれでもいい歳をした大人なのかもしれない。

 彼女は何やら困った様子でキョロキョロと周りを見渡していた。

 声を掛けようと近づこうとするも、僕の足は止まった。

 いや、止めた。 

 もう他人を助けない。本当は望んでなどいない生き方をしないと決めたはずなのに、僕はまた困っている人を助けようとしてしまっていた。

 ここで声をかけてしまえば、これまでの繰り返し。

 誰かの為にとかそんな甘い考えを殺して、僕は誰かを助けないための口実をすぐに自分自身に言い聞かせる。

 どうせ誰かを助けても結局は自分が損をするだけ。

 得をすることは何一つとしてないのだ。

 もしかしたら、あの女の子は切符を買うお金を忘れてしまって困っているのかもしれない。

 見たところバッグは持っておらず、身につけているワンピースにはポケットも見当たらないし、その可能性は大いにあり得る。

 声を掛けてお金をせびられなどしたら、とてもではないがたまったもんじゃない。

 それに周りには沢山の人がいるし、改札に駅員さんだっているんだ。

 僕が声を掛けなくっても、きっと心優しい誰かが声を掛けるはず。

 僕は少し離れた位置から、しばらくの間だけ女の子の様子を窺うことにした。

 もし、誰かが女の子に声を掛けたらすぐに改札に行こう。そう思ったが、今は通勤や通学の時間帯。

 他人に構っている余裕なんてないのか、誰も声を掛ける素振りを見せない。

 もしかして本当に僕以外にはその女の子が見えてはいないのか? そんなことを錯覚してしまうくらい、誰も彼もが彼女の事を素通りしていく。


「あ、あの……すみま――きゃっ⁈」


 女の子は自分から助けを求めようと、とあるスーツ姿の男性に近づくも、ぶつかってしまい尻餅を着いた。

 スーツ姿の男は謝りもせずに、邪魔だ、とでも言いたげな目で女の子を一瞥すると、すぐさま駅の出口に向けてスタスタと歩いて行く。

 立ち上がる女の子に誰も心配の声などもかけやしない。


「ごめんなさい……」


 女の子は丁寧なお辞儀までして届くはずのない謝罪をする。

 そして、彼女はゆっくりと顔をあげた。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいて――


「大丈夫か?」


 気が付いた時には、僕は女の子に声を掛けてしまっていた。





「いやぁ、助かりました。今まで1度も電車なんて乗った事なかったので」


 僕の横にいる女の子はそう言って苦笑した。

 電車の乗り方が分からない。何を困っているのかを聞いた僕に女の子はそう答え、僕は電車の乗り方を彼女に教えてあげた。

 そして、女の子の目的地である駅まで一緒に電車に乗り、こうして改札を出るところまで付き添ってあげた始末だ。

 といっても、移動したのはたったの一駅区間で、ここはよく知っている隣町。

 校区外ではあるが、知り合いと出くわす可能性があるので、あまり長居はしたくない。


「じゃあな」


 僕は女の子に別れを告げ、再び改札の方に向かって歩く。

 しかし、すぐに学ランの裾が何かに引っかったり、僕は足を止めた。

 後ろを振り返ると、さっき別れたばかりの女の子がある方向を指しながら僕の学ランの裾を引っ張っていた。

 彼女が指を指している先には、この町の女子中の制服を着た女の子が、ガラの悪い中学生男子達に絡まれている。

 周りの人は誰も助けようとはしない。

 見て見ぬフリをして素通りしていくばかり。

 それはそうだ。

 ただでさえ通勤、通学ラッシュという忙しい時間帯であり、みんながみんな自分のことで精一杯。

 そんな中、あからさまなアクシデントにわざわざ自分から首を突っ込む馬鹿なんていない。

 関われば確実に面倒なことになるなど目に見えていた。

 もしかしたら、殴られたり蹴られたりして怪我をするかもしれないし、そのままお金を巻き上げられるかもしれない。

 僕も見て見ぬ振りをしようとするが、女の子は僕の学ランの裾を掴んだまま離さない。


「……なんだよ?」


「あの人、困ってます」


「そりゃあ見たら分かるよ」


「助けないのですか?」


「助けない」


「らしくないですね」


 その言葉に僕は少しイラつく。


「さっき会ったばかりのお前に僕の何が分かるんだよ」


 つい荒々しい声が出た。

 女の子は一瞬だけ怯む様子を見せたものの、臆することなく真直ぐに僕の目を見て口を開く。


「分かりますよ。貴方は優しい人。さっきみんなが見て見ぬ振りをして困っていた私を貴方は助けてくれた」

 

 そう言い切った後も力強い眼差しで女の子は僕の目を見続ける。

 そんな小さな女の子に情けなくも気圧されてしまい、僕は彼女から目を逸らした。


「それはそれ。あれはあれだ。状況が全く違う」


 これ以上、厄介事になんて関わりたくない。

 この場をすぐにでも離れようとする僕を女の子はまだ離さない。

 再び女の子の方に顔を向けると、彼女は涙目で唇を噛み締めながら僕を睨みつけていた。


「…………分かったよ」


 女の子にそんな顔をさせて動かないわけにはいかない。

 僕は溜息をつき、渋々と歩いた。

 そう、これは僕の意思ではない。

 無理矢理行かされているだけ。

 仕方なく、だ。

 だから、これが最後。僕はもう困っている人には関わらない。

 そう自分に言い聞かせて、ガラの悪い中学生男子達の後ろに立つ。


「おい、嫌がってるだろ。やめてやれよ」


 そう言った僕に一気に視線が集中する。

 まさか声を掛けられるなんてこれっぽっちも思ってなかったのか、3人の男達はみな口をポカンと半開きにし、呆気にとられたような表情をしていた。

 しかし、その内の1人はこれがどういった状況かをすぐに理解したらしく、不機嫌そうに舌打ちをすると僕の胸ぐらを掴んで上に引っ張った。


「何お前? 不良っぽい男達に囲まれてる女を助ける俺かっこいいとか思ってんの? 言わしてもらうけど、俺らはただ一緒に遊ぼうぜって誘っているだけだからな? お前みたいな妄想大好き勘違い陰キャは場違いだからとっとと失せろ」


 男はそう言って僕を軽く突き飛ばした。

 体がよろけ、僕は2歩3歩と後退する。

 きっと、このまま黙ってこの場を去り、駅員さんに助けを求めるのが正解だったのだろう。

 だけど僕は引き下がらなかった。

 一応言っておくが、別に妄想なんちゃら陰キャと言われた事が癪に触ったからではない。

 決して違う。

 断じて違う。


「その女の子が嫌がってるのは勘違いじゃないだろ。それともなんだ? まさか、あのあからさまに嫌がってる態度を好意的なものだと勘違いしてんのか? 恥ずかしいったらありゃしないな」


 僕は嘲笑する。

 その嘲笑は目の前にいる男達に向けてであるのはもちろんの事、引き返せないところに自ら足を踏み入れてしまった自分自身に向けてでもあった。

 目の前の男は腹を抱えて笑い出す。

 そして一頻り笑い終えると、スイッチがオンからオフに切り替わるように男の表情は笑顔から真顔にへと一気に切り替わった。


「なんだ。クソキモい陰キャかと思ったら、ただのバカだったか」


 男は静かにそう言うと、握り締めた右の拳を僕の顔面に向けて放つ。

 しかし、それが僕の顔面に当たることはなかった。

 男のパンチを避けたわけでもなく、ガードしたわけでもない。

 僕に殴りかかった男の隣にいたロン毛の男が、焦った様子で彼の腕を掴んで止めたのだ。


「ま、待て!」


「あぁ? どうした?」


 止められた男は不機嫌そうにロン毛の男を睨む。


「こいつ額に傷痕があった。それに学ランのボタン。隣町の南中の校章だ……」


「それがなんだよ?」


「知らないのか⁈ 先月に南中の氷室ら4人が1人の男にやられたって話! やった男の名前は分かっていないけど額には傷痕があるってことだけ分かってて……つまりはこいつがそうなんじゃ……」


「こ、コイツが……?」


 男は訝しげな顔をして大きく一歩後退した。


「お、俺も知ってるぞ。あの4人を病院送りにした挙句、不登校にまで追いやったって話だろ……」


 今まで一言も発さなかった眉の無い男が青ざめた顔をして言った。

 今度は3人揃って、僕から一歩遠ざかる。


「よくよく考えてみたら色々とおかしいって……さっき不適な笑みを浮かべて挑発するようなことを言ったのも自信があったからじゃ……」


「あぁ……それに普通なやつがこの時間に校区外であるここにいるはずがねぇ……」


「俺らと同類ってことか……」


 3人からは余裕のある表情は消えており、緊張感の張り詰めた顔を僕に向けていた。

 彼らが話していた額に傷のある男は間違いなく僕のことだろう。

 だが、僕はあいつらに入院するような怪我なんてさせてないし、不登校に追いやってなんかいない。

 住んでいる所の隣町ということもあってか、噂に大きな尾ひれがついている。

 訂正したいことは沢山あるが、今だけはその誇張された噂に便乗する。


「なあんだ。やらないのか。あらかた片付けてしまってやることが無くなったから、せっかく隣町まで来たってのに……」


 がっかり、とでも言いたげな雰囲気を醸し出しながら僕は挑発をした。

 あそこで「お互い痛い目には逢いたくないだろう? だからもうやめよう」なんて弱腰なことを自ら提案してしまっていれば、あれ? コイツ本当は大したことないのでは? とバレてしまうかもしれない。

 喧嘩をしないための、威嚇の意を込めた敢えての挑発。

 あれは謂わゆる一種の賭けだった。

 僕が言葉を発してから、しばらく硬直状態が続く。

 目の前の3人の表情は硬い。

 僕は少しでもいいから余裕がある所を見せようと無理に笑顔を作る。

 そして、硬直状態が壊れる瞬間がとうとうやってきた。ある1人が舌打ちをした。僕を殴ろうとしたあの男だ。

 僕はすぐに拳を胸の前で構え、形だけの戦える姿勢をとる。

 しかし――


「行くぞっ……」


 男はそう言うと僕の横を取り過ぎていった。

 他の2人もそれに続いて僕の横をいそいそと通り過ぎていく。

 ありがたいことに、彼らは戦わない事を選択してくれた。

 3人が人混みに紛れ姿が見えなくなったのを確認し、僕はホッと一息をついて後ろを振り返る。


「大丈夫か?」


「ひっ……」  


 ただ心配して声を掛けただけなのに女子中学生は軽い悲鳴を上げて、小さな肩をビクッと震わした。

 あぁ、またこの目だ。

 僕は心の中で大きなため息を吐く。

 女子中学生が僕に向けていた目。それはあのクラスメイト達と同じ、怯えた色をしていた。

 まぁ……さっきのやり取りを見ておいて、僕のことを助けに来てくれた王子様、なんて脳内がお花畑な解釈をしないことは分かっていた。

 目の前の彼女からしてみれば、僕はあのガラの悪い男達と同類。

 しかも、そのガラの悪い男3人が何もせずに逃げるほどの相手。

 状況が悪化したに過ぎない。

 こうなるように振る舞ったのは他の誰でもない自分自身だ。

 女子中学生のあの反応は当然と言われればそうであり、彼女は何も悪くはない。


「じゃあな」


 僕は逃げるように改札に向かって歩みを進める。

 ふと、白いワンピースを着た女の子の存在を思い出し、歩く足はそのままに軽く辺りを見渡してみたが彼女の姿はどこにもなかった。

 他にも助けを求めるためにどこかに行ったのか、それとも、ことの顛末を見て安心して何も言わずにどこかに行ったのか。

 どちらかは分からないけど、どちらであっても僕にはもう関係ないことなので考えるのをすぐにやめた。

 改札はもう目前。

 その時になって、後ろから走り寄ってくる足音に僕は気付いた。

 なんだか嫌な予感がする……。

 そう思ったのも束の間。

 その予感とやらは1秒と掛からずに的中した。


「待ってっ!」


 大きな声と共に学ランの袖に何かが引っ掛かり、僕は足を止める。

 振り替えると、さっき助けた女子中学生が息を切らして立っていた。

 彼女は僕と目が合うや否や、学ランの袖から手を放した。


「あー……えっと……」


 女子中学生の潤んだ瞳に僕の顔が映っている。

 瞳の中の僕の顔は戸惑った表情をしていた。

 しかし、そんな僕以上に目の前の女子中学生は戸惑った表情をしている。

 止めたのは彼女の方なのに。

 彼女はその戸惑った表情のまま、僕に向けてこう言った。


「電車の乗り方を教えてくれない……かな?」





 どこのテレビの星座占いでも山羊座はドベだったに違いない。

 そう思う程に今日の僕の運は悪かった。

 電車に揺られながら、隣に座っている女子中学生を横目で見る。

 こざっぱりとした黒のショートカット。白を基調とした綺麗な制服。座っている姿勢も背筋が伸びていて品があり……なんというか、育ちの違いがありありと出ていた。

 彼女の名前は楓。

 僕は基本、女の子は苗字で呼び捨てなのだが、彼女は名前を聞くと「楓」とだけ名乗り、苗字は教えてくれなかった。

 苗字を教えてくれない理由を聞いても、それも言いたくないと拒否されてしまったため、無理に聞くことはせず、多少の抵抗はあったが彼女の事を下の名前で呼ぶことにした。

 楓が握り締めている切符の行き先は僕と同じ駅。

 これは奇跡的な偶然……ではない。

 電車の乗り方を教えて欲しいと頼んできた楓に目的地を聞くと、行きたい場所はこれと言って無く、知らない街で1日を過ごしたいと彼女は僕に言った。そして間髪入れずに「君はどこに行くの?」と。

 嘘をついて後で文句を言われるのも面倒なので、僕は嫌々ながらに楓に切符を見せた。

 すると案の定「私もそこにする」と楓は言い出し、こうなった始末だ。

 ついでに楓は「どうしてそこに行きたいの?」と僕に尋ねてきたが、僕は「なんとなく」とだけ答えた。

 楓はそれに対し「ふぅ〜ん」とだけ言って、僕に詳しい理由を聞くことはなかった。

 きっと僕が、楓が苗字を教えてくれない理由をしつこく聞こうとはしなかったからだろう。

 僕は楓がどうして知らない街で1日を過ごしたい、なんて僕と同じようなことを思い立ったのか知りたくはあったが、僕がその理由を言いたくないように彼女にも言いたくない理由があるかもしれないと思い、聞かないことにした。


「ねえねえ、ヤンキー君。あれ見てよ、あれ」


 楓は目の前の窓の外を指差す。

 指差した先は、とあるビルの屋上だった。


「あそこに真っ赤な鳥居があるけど……あれって何のためにあるんだろうね? 神社とかお寺があるわけではなさそうだし……かといって鳥居を作る会社でもなさそうだし……ヤンキー君分かる?」


「知らないよ……あと、いい加減そのヤンキー君ってのをやめてくれ……」


 僕は目を手で覆い隠し、前屈みになりながら項垂れる。

 楓に名前を聞かれた時、本名を教えて変な噂が流れるのは嫌だったのと、楓が苗字を教えてくれなかったのに対抗しようと、ちょっとした出来心で「不良少年」と名乗ったらヤンキー君と呼ばれるようになってしまったのだ。

 ヤンキー君と呼ばれる度に、頭が痛いし周りの目も痛い。

 なにより、あの時にあんな受け答えをしてしまった自分自身がとてつもなく痛い。


「呼び方を変えて欲しい?」


 そう言われて隣を見ると、楓は意地の悪い顔をして僕を見下ろしていた。

 出会ってすぐの頃は涙目で怯えた顔をしていたくせに……。

 電車に乗ってから10分ほど僕と会話をして、大して怯えるような相手ではないと分かったのだろう。

 楓は僕と普通に会話をするようになるどころか、僕のことを小馬鹿に出来るくらいまで打ち解けてしまっていた。

 

「あぁ、是非とも変えて欲しい。今すぐに変えて欲しい。本当に後悔してる」


「じゃあ、ちゃんとした名前を教えてよ」


「……それは嫌だ」


 ヤンキー君と呼ぶのをやめて欲しい。

 そうは思いながらも、痛々しいことを言ってしまった手前、本名を名乗るのが恥ずかしくなってしまっている僕がいた。

 

「じゃあ変えてあーげない」


 楓は大袈裟な動きでそっぽを向いた。

 目を閉じて軽く鼻歌を歌っているところを見るに、僕は完全に遊ばれている。


「分かったよ……名前を教えるよ……」


 観念したかのようにそう言った僕に対し、楓は明るい顔をしてこちらを向く。


「佐藤 太郎。それが僕の名前だ」


 何かの例えに出てきそうな名前だなぁ、と名乗った自分自身が心の中で苦笑する。

 偽名を言うにしても、もっとマシなものは沢山あったのに、パッとすぐに思い浮かんだのは日本1多い苗字と色々な場面でよく見かける名前だった。

 なんとも安直な考え。

 言った本人がこんな調子なので、楓が疑うような目で僕を見つめているのも当然のこと。

 一番初めに名前を聞かれた時にああ名乗っていれば、信じてくれる可能性はまだあったかもしれないが、今はタイミングがタイミングだけに楓は絶対に信じてくれていないだろう。

 だが、僕は中学生だから免許証や保険証みたいな身分を証明するような物を持っていない。

 本当の名前かどうかを知る方法なんてあるわけ――


「生徒手帳か生徒証を見せてよ」


 おおっと。案外あっさりと出てきてしまった。

 ジト目でじっと見つめてくる楓に耐えきれなくなり、僕は目を逸らす。


「……生徒証とか生徒手帳とか、そんなもんないっす」


「絶対に嘘じゃん。語尾もおかしくなってるし、目線泳ぎまくっているし」


「あー、ごめん。たしかに嘘はついた。あるにはあるけどいつも家に置いてるから、今は手元にはないっす」


「とか言って鞄の中にあったりして」


 楓はいきなり僕の膝の上にある学生鞄のファスナーを開いた。

 

「だぁーっ⁈ やめろおっ⁈ おまっ、勝手に人の鞄を探るとか失礼だぞ⁈」


 僕は楓の手を払い除け、膝上の鞄を庇うように体を丸める。

 楓が先に言った通り、生徒手帳が鞄の中に入っていたからだ。

 しかも、よりによって鞄を開けてすぐ目の付くところに。

 僕の動揺した様子に、楓はしばらくの間ポカンとした呆けた顔をしていたが、急に声を上げて笑い出した。


「君って分かりやすいね」


 そう言って楓は「あぁ、おかしい」と指で目元を擦る。

 それは初めて見る楓の笑顔だった。

 その笑顔は輝いていて眩しくあり、そして――とても可愛らしいものだった。

 一度だけ大きく鳴った胸の高鳴り。

 先程まであった鞄を勝手に開けられた焦りや、ヤンキー君と呼ばれることの羞恥心はどこかに消えてしまい、僕は照れ隠しで楓から顔を逸らした。

 そして、移した視線の先。

 ある人物が僕の目に止まった。

 バッグにマタニティーマークを付けているお腹の大きな妊婦さんが具合の悪そうな顔で、僕のやや左斜め前に立っていた。

 電車に乗ってから右隣にいる楓の方や正面しか見ていなかったので、いつからその妊婦さんがそこにいたのかは分からない。

 優先席は僕らが座っている席の向かい側の左端にあるが、すでに年寄りやら彼女と同じマタニティーマークを付けている妊婦さんなどで埋まっている。

 その中にはそこまで歳を食ってはおらず、高く見積もってもせいぜい30歳後半ぐらいのどこも悪そうなところのない男性もいたが……外見では判断ができないような障害があるのかもしれない。

 まあ、なんにせよ……。

 僕は視線を真っ正面にへと移す。

 何もかもを見なかったことにして。

 僕はもう困っている人を助けるのは楓のあれが最後だと決めたのだ。

 また、これが最後、と妊婦さんに席を譲ってしまえば、今後また困っている誰かを見た時に、これが最後、これが最後、とそれを延々と繰り返すことになるのは目に見えていた。

 だから、僕はもう困っている人に関わらないために、他の人と同じように見て見ぬフリをすることにした。

 それに、今の僕の座っているところから妊婦さんに声を掛けるには、少しばかり距離が離れている。

 しかも、僕はまだ30分以上も電車に乗らなくてはいけないのだ。

 ここで席を譲ってしまえば、その間ずっと立ちっぱなしの可能性だってあり得る。

 妊婦さんも自分から「席を譲って下さい」と言わないということは、彼女は次の駅、もしくは次の次の駅で降りるのかもしれない。

 うん。きっとそうだ。すぐに降りるから立ったままなのだ。そうに決まっている。

 ある程度の言い訳を自分に言い聞かせ、僕は横目で妊婦さんがいる方を確認する。

 そこには視線を移す前となんら代わり映えのない光景が広がっていた。

 妊婦さんの顔色は先ほどよりも悪く、とても辛そうで――。

 ………………何がすぐに降りるからだ。

 あんなに辛そうな顔をしているのに近いも遠いも関係ないだろ。

 それに、席を譲って下さいとか、普通は自分からは言えないよな。

 本当にこれが最後。

 自分自身にそう強く言い聞かせ、僕は息を吸い込む。


「あの……」


 僕は妊婦さんに声を掛けた。

 しかし、自分が声を掛けられていると思っていないのか、それとも僕の声が小さくて届いていないのか、妊婦さんは僕の方を向かない。


「あの!」


 さっきよりも大きい声で妊婦さんに呼びかける。

 流石に気付いたようで、妊婦さんは、私? という風に自分の顔を指差した。

 僕は首を縦に振る。


「席代わりますよ」


「え、でも……」


 妊婦さんは躊躇うような顔をして僕の隣にいる楓に目を向ける。

 同じくらいの歳の男女が並んで座っているから、そういう関係に思われたのかもしれない。


「たまたま隣に座っただけの赤の他人ですので」


 その言葉に楓は不機嫌そうな顔をしたが、僕はそんな彼女に構わず席を立つ。


「それじゃあ……お言葉に甘えさせてもらおうかしら……」


 妊婦さんは頭を軽く下げて、1人分空いたスペースに腰を下ろした。

 そして彼女は僕に微笑みかけ


「ありがとう」


 と言った。

 たったの5文字。

 特別な意のない、ありふれたお礼の言葉。

 だけどその言葉は僕の心にストンと落ちてきた。

 面と面を向かってお礼を言われたのは久々。

 言い表せないような温かな何かが胸にじんわりと広がり、それとともに涙が込み上げてくるのが分かった。


「い、いえ……」


 席を譲って急に泣き出したおかしな人だと思われたくなかったので、僕はすぐに少し離れた場所に移動する。

 楓を置いてきてしまったが、いくら電車に乗るのが初めてでも彼女は中学生なのだから降りるタイミングくらい分かるだろう。

 それに離れたといっても目が届く範囲だ。

 たぶん大丈夫なはず。

 そんな事を思っていると隣から「ねぇ」と声を掛けられた。


「なっ……⁈」


 僕は隣を見て唖然とする。

 楓が席を立って僕の隣まで移動していたのだ。

 恐る恐る僕が先程まで座っていた席の方を振りかえると、妊婦さんは苦笑に近い笑みを浮かべて僕たちの事を見ていた。

 たぶん、気を遣わせてしまったなぁ、とかそんな感じのことを思っているのかもしれない。

 僕は席を代わるためにその場しのぎの嘘をついてくれたのだと妊婦さんに思われたくはなかったし、その僕の意図を楓は汲み取ってくれて座ったままでいてくれるものだと思っていたが……残念ながら彼女には分かってもらえなかったみたいだ。

 僕は妊婦さんの隣、もともと楓が座っていた席に目を向ける。

 そして――納得した。

 楓がもともと座っていた席。そこにはかなり高齢な杖を持ったおじいちゃんが座っていた。

 楓は僕についてこようと席を立った訳ではなく、彼女もまた誰かのために席を譲ったのだ。

 まぁ、その後に僕のところに来たのはどうかと思うが……。

 

「やっぱり君って、優しいね」


 僕にだけ届くぐらいの声の大きさで楓は言った。

 楓の方を振り向くと、彼女はやんわりとした笑みを浮かべ、僕のことを見ていた。


「じっと座っているのが苦手なんだよ。それになんだか急に立っていたい気分になったからさ」


 気恥ずかしさで自分でもよく分からない言い訳をつい言ってしまう。

 楓はそれを聞き「ふぅ〜ん」とだけ返した。


「そっちこそ。優しいんだな」


 ボソッと僕は呟く。

 それに対し、楓はくすりと笑った。


「私もね。どこかの誰かさんと同じで急に立っていたい気分になったんだよ」


 楓はそう言うと、僕の方を見るのをやめて正面に向きを変えた。

 その横顔はどこか満足気であり、照れもあったのか、頬は少しだけ赤に染まっていた。

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