「結託」
視線の数メートル先、目隠しをして木刀を構える晴矢が一歩、また一歩と着実に僕達の元(正しくはスイカの元)に迫って来ていた。
「もっと右だ晴矢っ! もっとみぎいぃっ!」
「嘘をつくんじゃねぇよゆっちゃん! スイカはもっと左だぜ!」
「左によれば僕に当たるだろうが⁈ そっちこそ嘘をつくな!」
「はぁ⁈ 嘘なんかついてないんですけどぉ⁈ それになんなの? ゆっちゃんはもっと右って言ってるけど、ゆっちゃんは俺の頭がカチ割れるところでも見たいの?」
「うっ……それは……」
「嫌だよな? ゆっちゃんは優しいもんな? だったら俺の為に犠牲になりやがれ! もっと左だっ! はるちゃああああんっ!」
「こ、こいつ……一切の躊躇を見せることなく友を差し出しやがった……」
「そこそこの仲ならそりゃあ俺だって躊躇うよ? なんか申し訳ない気持ちになっちまうからさ。でも、ゆっちゃんと俺は気の置けない仲だろ?」
「何? はっちゃんは僕のことを親友だと思っているからこそ、ぞんざいに扱う事が出来ると? 僕の頭がカチ割れようと、申し訳ないなんてこれっぽっちも思わない。そう言いたい訳なんだな?」
「そのとお〜り! ったく、付き合いが深すぎるってのも、また考えもんだな」
「晴矢、もっと右によってこの薄情者の頭を叩け!」
「はあー⁈ 酷え⁈ あんまりだよゆっちゃん! このっ、害獣が!」
「酷いのはどっちだよ⁉︎ この犯罪者予備軍が!」
ほぼスイカの真正面の位置に晴矢はいるのに、僕とはっちゃんは互いに自分のいる場所から少しでも遠ざけようと、醜い言い争いを繰り広げていた。
晴矢がスイカを叩き割ればこの危険地帯から僕達は解放される。
しかし、彼がここで外してしまえば次の橘に回ってしまう。
見た目1番力がなさそうなくせに、きっとこの中で1番であろう馬鹿力を彼女はそなえていた。
そして、事故って僕達の頭を叩き割る可能性が最も高いのも彼女だ。
だから、次にだけは絶対に回してはいけない。
僕の脳はそれをちゃんと理解していたし、スイカを跨いだ隣にいるはっちゃんもそれを理解しているはずだった。
「晴矢! 右だ! みぎいぃ!」
「はるちゃん! 左だ! ひだりぃ!」
しかし、僕達は一向に協力しようとはしない。
後に来るであろう大きな危険よりも、目前まで迫って来ている危険をどうするかで、今の僕達はいっぱいいっぱいだった。
「あのな……お前らの声で大体の位置は見当がつくんだよ。そのアホみたいな事しか言えない口を今すぐ閉じろ。聞いてるこっちが恥ずかしくなる……」
晴矢は止まってから言った。
タオルで隠されてはいるが、冷えた蔑むような目で僕達を見下ろしているのがなんとなく伝わってくる。
「アホみたいってなんだよ? 何が起こるかは分からないだろうが」
「そうだそうだ。ゆっちゃんの言う通りだぜ! なんだか自信ありげだけどよぉ、なんやかんやありながらも、スイカを叩くことが出来てんのは唯一みずっちゃんだけなんだからな! はるちゃんもミスる可能性は充分ある!」
「それはないな。俺は今、スイカの真ん前にいるはずだ。さっきも言ったがお前らの声で大体の位置は見当がつく。ここでこうしてじっくりとお前らと会話した感じだと、少し退がればベストな所になると思うが……」
晴矢はそう言ってから一歩ほど後ろに退がった。
晴矢のその完璧と言っても差し支えのない位置どりに、僕とはっちゃんは驚嘆の声をつい漏らしてしまう。
「すごいな……まるで見えているみたいだ……」
「言っちゃなんだが、俺には他のみんなにはないアドバンテージがあるしな」
「アドバンテージ?」
「おおっと、英語が赤点ぎりぎりな陸にとっては難しい言葉だったか」
「アドバンテージぐらい分かるわ⁉︎」
「そ、そうか……すまん。今のは冗談ではなく本気で分からないものかと……」
「え? ちょ……それって普通に傷付くやつじゃ……」
「今のはなかったことにしよう……。あれだ。俺のアドバンテージってのはお前らを埋めるために2回もここに来ているってのだな。他のみんなは遠目からしか見てないからお前らの間にスイカがあるって分かっていても多少のズレが生じるかもしれないが、俺は実際に近くで見ている分、位置関係をしっかりと把握している。そうだな……」
晴矢は一旦言葉を止めて、体の向きを変えた。
「だいたいこの位置か……」
「ヒィッ⁈」
はっちゃんは青ざめた顔をして悲鳴をあげる。
晴矢が向きを変えた先は、丁度はっちゃんの顔面に木刀が当たるであろう位置だったからだ。
「陸は……ここら辺かな……」
晴矢は今度は僕の方にへと向きを変えた。
「わ、分かったからスイカの方を向けって。せっかく完璧な位置どりが出来ていたのに、余計な事するなよ。これで事故ったらマジで笑えないぞ」
「そうだそうだ! 心臓に悪いからやめろよな⁈ クソッ……さっきのいっちゃんの一撃がフラッシュバックして体の震えが止まらねぇ……」
「おいおい、そうビビるなって。ちゃんと2人に当たらないかのただの最終確認をしただけだ」
本当に正確な位置を把握しているのだろう、晴矢は体の向きを戻して再びスイカの方を向いた。
「真っ直ぐに振れよ。斜めには振るな」
「はるちゃんの力なら絶対に割れる。俺らを早くここから解放してくれい」
「はいはい。分かってるよ」
晴矢は木刀を振り上げる。
集中しているのか、彼は静かに息を深く吸い込んだ。
僕とはっちゃんに緊張が走る。
「プリン」
「…………なんて?」
木刀を高々と上げたまま、訳の分からない事を晴矢は急にボソッと呟いた。
もしかしたら何かの聞き間違いや、言葉の一部分しか聞こえなくてプリンなんていう今この場とは全く関係のない言葉に聞こえたのかもしれない。
いや、言葉の一部分しか聞こえなくてプリンって聞こえるってなんだよ。
「プリン」
「……ごめん。もう一回言ってくれ」
「プリン」
うん。こいつは間違いなくプリンと言っている。
「晴矢、その……頭大丈夫か? 暑さでやられたか?」
「あぁ、大丈夫だ。俺は正常だよ。つい1週間前の事だ。俺の家にお前らが来て一緒に遊んだだろ。その時に俺が後で食べようと思っていた駅前のプリンを、なんの断りもなく勝手に食べた奴がこの中にいるんだよ」
晴矢は重苦しい声で言った。
その声色からは激しい怒りが感じられる。
晴矢の部屋には彼自身の個別の小さな冷蔵庫があり、自由に飲みものやらお菓子やらを取っていいが最上段にあるものには手をつけてはいけないという決まりがあった。
きっとプリンはその最上段にあったのだろう。
「お前らが帰って、いざ食べようとした時にプリンがなくなってる事に気付いてな。その時は時間も時間だったし、また次に会った時に話そうと思ったんだが、時間が経つに連れてなんだかどうでもよくなってきてな。だけど、今になって急にあの時の怒りがふっと湧いてきて……なんでだろうな」
「なんでだろうな、ってそんなの――」
「こいつっす。俺、こいつが食ってるの見たっす。全力でとぼけたフリしてるっす。気にくわないっす」
何を言っているのかやっと理解が追いつつある僕の言葉を遮り、はっちゃんが言った。
僕は晴矢のプリンなんて食べていないし、犯人は絶対にこいつだ。
晴矢がプリンと言ってからというもの、しばらくの間沈黙していたし、口調もおかしいし、っていうか現に凄い冷や汗かいてるし。
しかし、はっちゃんの言葉を信じたのか、晴矢が僕の方に向きを変える。
「待てよ晴矢⁈ 僕はプリンなんて食べてない⁈ 犯人はそこの馬鹿だ!」
「はるちゃん、こいつ焦ってやがんぜ? それに比べて俺は冷静だ。なんたって俺はやってないんだから」
「大抵はっちゃんが嘘ついている時、自分の冷静さをアピールしてるけど大丈夫? それ逆に俺がやりましたよ、って言ってるようなものじゃない?」
「晴矢さぁんっ! 信じて下さい! 俺はそんな事やりませんよぉ!」
「うわっ、急に態度変えやがった……じゃなくて! 僕は本当にやってない! 信じてくれ!」
「一旦落ち着けよお前ら……それに信じてくれって言われても、2人とも前科持ちだからな……」
「「ぐっ……」」
僕達は同時に言葉を詰まらせ、何も言えなくなってしまう。
今、晴矢の言った通り、僕達は中学生の頃に冷蔵庫の最上段のものを勝手に取って食ったり飲んだりした事があった。
はっちゃんは4回、僕は1回ほど。
その都度、晴矢は「次やったら怒るからな」と優しく諌めるだけだったが……どうやらとうとう我慢の限界が来たらしい。
「あの……ちなみにお聞きしたいのですが、犯人が見つかった場合は、その高々と上げている木刀でお叩きになられるのですよね?」
はっちゃんは恐る恐るといった様子で晴矢に質問する。
「あ? 叩く訳ないだろ。ただ俺は誰が食ったのか知りたいだけだ」
「嘘つけよ⁈ 叩く準備万端じゃん⁈ いちいち丁寧に方向転換しているくせに何が叩かないだ!」
「ちゃんと話し合うためには向き合わないといけないだろうが」
「その本心は?」
「事故に見せかけて処分することが出来る」
「ほらぁ⁉︎」
犯人だと特定されれば叩かれると確定し、楓にすっかり恐怖を植え付けられているはっちゃんは青ざめた表情をして顔を震わす。
今思えば、晴矢がアドバンテージの説明をしている時にわざわざ僕達の方に一回ずつ向きを変えたのは、本題を切り出す前にちゃんと僕達の位置を知る為だったのだろう。
きっと彼は狙った所にしっかりと当てて来るはずだ。
打ちどころが悪くない限り流石に死にはしないだろうが、あんな物を男の力で顔面に振り下ろされれば、ちょっとした怪我では済まないことは分かりきっている。
はっちゃんに罪をなすりつけられないよう、どうにかしないと……。
「食ったやつはまた買えばいいとか思うだろ? だがな、そうもいかないんだよ。あれは期間限定品だったんだ。もう売っていない。なぁ、せめて感想を聞かせてくれ。俺の夏みかん味はどうだったよ?」
「んっ? 夏みかん? 俺が食ったのはたしかレモ……あっ――」
僕が何かをするまでもなく、古典的な罠に間抜けが勝手にボロを出した。
「薄々感づいてはいたが、やっぱりお前じゃねぇか!」
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁈」
怒号とともにはっちゃんに向けて一直線に振り下ろされる木刀。
しかしそれは、はっちゃんには当たらなかった。
「外したか……」
目隠しを外して晴矢は舌打ちをする。
「外したじゃねぇよ⁈ 首を傾けてギリギリ避けたんだ! ガチじゃん⁈ 殺す気しかなかったじゃん⁈ はるちゃん、これはスイカ割りだぜ⁈ 人の頭を叩き割る遊びじゃねぇって⁈」
「俺のスイカ割りはな、急遽制裁にへと変更になったんだよ」
どこかで聞いた事のある言葉だな。
「たかがプリンだろ⁈ 期間限定と言ってもまた1年後に買えるじゃねぇか⁈ そりゃ、勝手に食って悪かったとは思ってる! 来年好きなだけ買ってやるからさ、そうムキになるなよ⁈」
「たかがプリン……だと……?」
「ひっ……」
晴矢の怒りがこもりにこもった眼力に、はっちゃんは軽い悲鳴を上げて押し黙った。
「それに1年後にまた買えると言ったな。それは言い換えればな、1年待たないと買えないになるんだ……。そこで大人しくしてろよ、次は絶対に当てる……」
晴矢はそう言ってから再びはっちゃんを強く睨みつけ、スタート地点に戻って行く。
「あいつはヤベェ! マジで殺されかねない! ここから出よう!」
はっちゃんは必死な形相をこちらに向けて言った。
一度ならず二度までも叩かれそうになった為か、その顔は今まで見た中で最も青い。
僕は首を動かして、スタート地点の方を見る。
そこには晴矢から木刀を受け取っている橘の姿が。
「あぁ、そうだな。晴矢まで周るとかどうこう以前の問題だ。次が危ない。ここから出るぞ!」
「それにしても、何を馬鹿真面目に埋まってるんだって話だよな! 2回も死線を潜り抜けたんだ。はるちゃん以外は許して……あ、あれ……出れない?」
はっちゃんは驚きのあまり、その声は裏返っていた。
体を懸命に動かし、出ようとしているのは彼の焦り顔を見るにひしひしと伝わる。
しかし、体を包み込むように積もった砂はピクリともしない。
ざっと見るにその被された砂の量は僕の2.3倍はある。
体の汗を吸って、砂の重みも更に増しているのかもしれない。
「ゆ、ゆっちゃん……」
弱々しい声を出して捨て猫みたいなうるうるとした瞳をはっちゃんは僕にへと向ける。
可愛さのかけらもないが、同情を誘うには充分だった。
それに僕は大切な友人を見捨てるほど落ちぶれてはいない。
橘の場合は本気で命に関わる。
「待ってろよ、はっちゃん。すぐに助けてやるから!」
「ゆっぢゃ〜ん! 今まで酷いこと言ったり、さっきは罪をなすりつけようどしたりじでごべんねぇ……!」
はっちゃんは涙と鼻水を垂れ流しながら情けない顔をする。
僕はそんな彼を助け出すため、体を動かし砂から出て……出ようと………出っ…………。
「あれ? おーい、ゆっちゃん? 何してんの?」
「あー、あの……僕も動けない……」
「はぁ⁈」
被された砂の量は明らかに僕の方が少ない。
それなのに、砂に埋もれている体は全然微動だにしなかった。
いや、砂とか関係ない。
まるで自分の物ではなくなってしまったかのように、体自体を動かすことが出来なかったのだ。
僕はこの感覚を知っている。
四月に橘と出会い、彼女を叩こうとして叩く事が出来なかった、あの時の感覚だ。
「おいおい、ゆっちゃん。ふざけてる場合じゃないって」
「こんな状況でふざけるわけないだろ⁈」
「じゃあ、なんで」
「分からない! 多分あいつのせいだ!」
僕とはっちゃんは2人でスタート地点に目を向ける。
「さぁ〜って。やりますよ〜っ!」
随分と離れているこっちまで届くらいの大きな声を出し、目隠しをしている橘は木刀を素振りしている。
そのスイングスピードは今までで一番早かった楓と同等かそれ以上……いや、遠目で見てそう感じるということは確実に楓よりも早い。
当たれば間違いなく不味い事になる。
「なぁ、ゆっちゃん。あの木刀と俺の頭。どっちが固えと思う?」
今まで2連続で叩かれそうになったはっちゃんは悟りの極致に達したような顔をして言った。
「多分だけど……はっちゃんは大丈夫」
「大丈夫な訳ないだろ⁈ 冗談で聞いたんだ⁈ あんなのもらったら絶対に死ぬ!」
「あ、ごめん。そういう意味で大丈夫って言ったんじゃないんだ」
「む……それじゃあ、どういう意味で?」
「橘は以前、僕以外の人間に物理的な危害を加えてはいけないって言ってたから、多分何があってもはっちゃん寄りには行かないと思う。来るとしたら僕寄りにだ」
「ほ、本当か?」
「あぁ。あいつがその考えに至っていればの話だから、絶対に大丈夫とは言えないけど……」
僕は苦笑しながらはっちゃんから顔を背けた。
正直なところ橘がその考えに至っている可能性は凄く低い。
高く見積もっても五分五分くらいだ。
「そうか……。まぁ、なんにせよ。俺が大丈夫かもしれなくても、ゆっちゃんが危ねぇ事には変わりはねぇんだな?」
強い意志が感じられるような、透き通った声だった。
僕はその声に驚きはっちゃんの方を向く。
そこには泣きべそや悟ったようなふざけた表情をしていたはっちゃんの姿はなく、覚悟を決め引き締めた表情をしたはっちゃんがいた。
「ここは本気で協力しあってスイカに誘導しようぜ! それでたっちゃんがスイカを割れば、はるちゃんに順番は周ってこないし、俺らは無事解放される! 万々歳だ!」
「っ……あぁ、2人で絶対に生き延びよう!」
僕達は互いに頷き合い、互いの生存を強く誓い合った。
橘のスイカ割りが始まってから数分が経過した。
橘は今、僕の真正面2.3メートル離れた位置にいる。
「いや、おかしいだろ⁈」
この数分間の間に何度言ったであろうその言葉を僕は叫ぶ。
ただただ全力で叫ぶ。
僕とはっちゃんは、ちゃんと協力し合ってスイカの方に誘導した。
それなのに橘は僕寄りにどころの話ではなく、僕に向かって一直線に突き進んで来ていた。
「たっちゃん、ストップ! そこだ! 木刀を振れ!」
はっちゃんは声を張り上げて言った。
まだ木刀が僕に当たる範囲に橘は入っていない。
今の内に1回振らしておいて交代させようという魂胆なのだろう。
しかし……。
「声的にまだ少し遠い気がします」
「タオルが耳にかかってるから音が聞こえにくいだけだって。ちゃんと目の前にスイカはあるから」
「う〜ん……やはり最後に信じるのは自分の勘です」
最終的に橘はこの言葉を使い、僕とはっちゃんのこれまでの指示を全て跳ね除けていたのだった。
「少しは僕たちの言うことを聞けよ⁈ お前、全然見当違いのところに来てるからな⁈」
「ふっふっふ。なんでそんなに陸さんが焦っているのか分かりますよ。私なんかに割られたくないんですよね?」
「いいや、お前は何も分かってないね! いや、確かに僕の頭を割るという意味ではそうだけど、別にお前がスイカを割ろうが割らまいがどうでもいい――って歩くのをやめろぉ!」
橘は僕の言葉を無視し、ズカズカと僕の元にへと突き進んできた。
そして、止まったその場所は僕のまん前。
向いてる方向に真っ直ぐ振り下ろされれば間違いなく僕の顔面を直撃する。
「くそっ……! は、はっちゃんも何か……」
橘は僕の言うことを全く聞かない。無駄だと分かっていながらもはっちゃんに助けを求める。
「いやぁ……ここまで来たらもう何を言っても駄目だろこれ……」
数分前のきりっとしていたあの真剣な表情はどこに行ったのやら、はっちゃんは考えるのを放棄しているのが丸わかりな間抜け顔を晒して静かに言った。
そして、
「グッバイゆっちゃん。今までありがとう」
はっちゃんは目から一筋の涙を流し、穏やかな顔をしながら柔らかい声を僕に送る。
それは、どう木刀を振っても当たらないであろう安全圏にいるからこそ出来る表情だった。
「すっごいグロテスクな光景が目の前で広がるんだろうな。でも、俺……頑張って目を背けずに見続けるよ。なんたって親友の最期の姿なんだから」
「おい! 何勝手に諦めて縁起でもないことを言って――」
僕が喋っている途中で橘が木刀を振り上げた。
喉の奥からヒュッと訳の分からない音が鳴る。
「ぐっ……せ、せめて真っ直ぐ振り降ろしてくれ! 頼む!」
砂に埋もれている体は動かせない。
だが、幸いにも首を動かす事は出来る。
はっちゃんが晴矢の時にやったように首だけを動かし避ける事は可能だ。
いくら早くても来るところが分かっていれば避けられる。
そこに顔面をもっていかなければいいだけの話。
僕は首を逸らせるだけ逸らした。
「分かってますよ」
そう応えた橘の木刀の先は左右に大きく揺れていた。
どうやら真っ直ぐに振り下ろされることは期待出来そうにない。
僕は首を元の位置に戻し、一か八かだが、見てから避ける事を選択する。
「いきますっ!」
橘がそう言った直後、木刀の剣先がいきなり消えた。
あ、これ死ん――いや、まだだ!
勢いよく顔面にへと何かが迫って来ている感覚を頼りに、僕は目をギュッと瞑り、スイカがある方とは逆の方向に首を傾けた。
顔面には……何も当たらない。
いや、顔面に何も当たらないどころか、近くを叩かれた衝撃すらも感じない。
不思議に思って、そうっと目を開ける。
そして、目の前に広がる光景を目にした直後、僕の体は冷水の風呂にいきなり突っ込まれたかのように、一気に寒気が全身にへ走った。
僕の額の中心に当たるか当たらないかのギリギリの距離で木刀はピタッと静止していたのだ。
は? これ? 時間が止まって? でも周りの波の音や蝉の鳴き声、人の声は聞こえるし……え? てことは橘が当たる直前で止めた? なんで?
訳の分からないことだらけで頭はパニック状態に陥る。
しかし、そんな僕を置いて、目の前で止まっていた木刀は急に真横にへと振られた。
「ぶへぇっ⁈」
すぐ隣から、泥だらけの水溜りを踏み抜いたようなグシャリという音とともに、はっちゃんの不細工な声が聞こえた。
橘は目隠し用のタオルを取る。
「やりましたぁ! 方向転換はしましたが、今のは一振りのうちに入りますよね? ね?」
スイカを割った事を確認した橘は嬉しそうに何度も跳ねながら言った。
未だに状況が整理しきれていない僕は「そうですね……」と適当に返事を返す。
「いやぁ〜、良かったです。あとほんの少しでも未来予知が遅れていたら、陸さんの頭を弾け飛ばしてしまうところでした」
彼女は笑顔のまま恐ろしい事を言った。
しかし、なるほど……今の言葉で何があったか大体分かった。つまりは、僕の頭をカチ割る未来を見た橘が僕の額に当たる寸前のところで木刀を止めたという、ただそれだけの事。
「ね? 役に立ったでしょう?」
そう言って橘は僕の顔を上から覗くように見て、ドヤ顔を決め込んだ。
3日前に馬鹿にされた未来予知を未だに恨みに思っていたのだろう。
そもそもの話、大人しく僕とはっちゃんの言うことを聞いていれば、僕が危ない目に遭うことはなかったのだが……。
「そうですね……」
生きている安堵と、とてつもない疲れで、僕は何も突っ込む気力もなく、ただただ無機質な返事を繰り返す事しか出来なかった。




