「伝えたかった言葉」
「よし! 着いたぞ!」
「…………はっ⁈ ここは⁈」
六道さんの声に我に返り、僕は辺りを見渡した。
ここは公園の入り口にへと繋がっている階段の目の前だった。
川を飛び越えてから今までの記憶がほとんどないが……まぁ、なんとか無事にたどり着く事が出来たみたいだ。
「すみません! ありがとうございました!」
僕はバイクを降りヘルメットを六道さんに返して公園にへと急いだ。
「どうせ君も誰かの為になんだろう! 頑張れよ青年!」
そんな六道さんの声とともに下の方でバイクが走り去る音が聞こえた。
僕は振り向かずに、ただ全力で階段を駆け上がる。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
公園の方から女性の悲鳴が聞こえた。
それがすぐに日光の悲鳴だと僕は分かった。
「くっ……そぉ……!」
はち切れそうになっている太ももの痛みを我慢し、更に階段を上がるスピードを上げる。
そして、全ての階段を上りきり、僕は公園の中に入った。
目の前には倒れている日光とそれに馬乗りになっている男がいた。
僕はその男の顔を見て驚愕する。
日光の上に乗りかかっている男が大地だったからだ。
なんで大地が……。
僕は思いもしてなかった出来事に戸惑い、動きを止めてしまった。
「痛っ⁈ この――」
大地はそう言いながら右の拳を振り上げる。
「助けて……!」
そんな日光の声が聞こえた。
絞り出したかのような、弱々しく乾いた声。
しかし、確かにその言葉は僕にへと届いた。
僕の優しさが苦しい?
だからもう優しくするな?
僕の優しさが誰かを傷付ける?
知るか……知るか知るか知るか知るか知るか!
今、日光は助けを求めた。
それは僕に向けたものではないだろう。
でもここには彼女を助ける事が出来る人間は残念ながら僕だけしかいない。
いや、例え他の人がいたとしても――僕の優しさが日光を傷付けようとも――僕はそれでも彼女の事を救いたい!
僕は走った。
大地の右拳が日光にへと振り下ろされる。
間に合えっ――!
地面を蹴った。
届くかどうかは分からない。
それでも僕は大地に向かって飛び込んだ。
僕の体は大地の体にへと勢いよく当たり、彼はそのまま飛ばされ地面にへと転がり落ちた。
僕もそのままバランスが取れず地面にへと突っ込む。
「いててっ……」
僕は痛む体に鞭を打ち、すぐに立ち上がって日光の方を振り返った。
彼女の服装は乱れている……だが、どこも怪我などはしてなさそうだ。
「良かった……間に合った……」
心の底から安心してしまいついそんな言葉を漏らしてしまう。
「どうして……」
日光は目から涙を零しながら呟くように言った。
その声には怒りなどは感じられず、ただただ疑問に思っているような、そんな声だった。
「どうして、って……そんなの決まっているだろ」
僕はそこで一旦言葉を止め、日光を安心させる為に笑顔を見せ、続けてこう言った。
「助けに来た」
そんな僕の言葉に対して、日光は目を見開いて驚いた様な表情をした。
そしてその表情はすぐに穏やかな表情へと変わる。
「……うん」
日光は力強く頷いた。
彼女は微笑み、その目から再び一粒の涙が溢れる。
その涙は頰を伝い、下にへと落ちていく――。
あ……。
僕はある事に気付いてしまった。
目線は日光の顔の少し下。
日光のはだけたシャツの間から薄ピンクの下着と強調された谷間が露わになっているのだ。
さっきまでは全然気にならなかった(気にする余裕がなかった)が、落ち着きを取り戻しつつある今はそうはいかなかった。
「あのっ、これっ……汚れて汚いけど……」
僕は羽織っているパーカーを脱いで日光にへと突き出した。
しかし、日光は僕のその行為の意味が分かっていないのかキョトンとした顔をして首を傾げる。
「えっと……別に寒くはないのだけど……」
「そうじゃない! 下! そのブラ……ピンクのやつが、とにかく目のやり場に困るんだよ! 早く隠せ!」
日光はすぐに顔を下にへと向ける。
そして顔をボンッと一気に赤くさせ、急いで胸元を両腕で覆い隠した。
「へっ、変態!」
「はぁ⁈ なんでだよ⁈ 僕は何もしてないだろ⁈」
「今ガン見してた! いやらしい目で見てた!」
「うっ……それは……」
僕は言葉に詰まってしまう。
いやらしい目で見ていたかはどうかは知らないが、確かにずっと見てしまっていたという自覚はあった。
目を逸らせば良かったが……そりゃあ、僕だって思春期真っ只中の男子高校生であるわけで……。
「……」
日光に涙目で睨まれ僕は何も言えなくなって目を逸らしてしまう。
気まずい沈黙。
そして、日光のため息が聞こえた。
僕の手からパーカーが離れる。
「でも……ありがとう……」
ぼそっと呟くように日光は言った。
僕は恐る恐る日光の方に向く。
僕のパーカーで前を隠し、まだ羞恥から冷めてないのか、それとも照れているのかは定かではないが、彼女は未だに頰を朱に染めながら俯向きがちに僕から視線を外していた。
「ははっ……なんてタイミングだよ……まるで物語の主人公みたいだな……」
僕は声がした後ろを振り向く。
そこには服に付いた砂を手で払いのけながら僕を睨む大地がいた。
「人の生き方が間違いだのなんだの言ってたくせに……何やってんだよお前……!」
僕はそう言って大地を睨み返す。
そんな僕に対し彼は軽く笑った。
「気付いてしまったんだよ……結局僕の生き方も間違いだったって事にさ」
「何?」
「誰かの事を思って生きれる人間もいれば自分の事しか考えずに生きている人間もいる……僕は誰かの為に生きれる人間が正しいと思っていた」
大地は薄笑いを浮かべる。
「でも1度だけ、その思いに対して疑問に思ったことがあった。誰かの為に生きている人間が少しでも自己的な事をすれば周りはすぐに反発や不満を投げかける。それがどうだ? 普段は自分勝手にわがままに生きてるやつらがちょっと他人の為に動くと周りはそれを大いに褒め称える。僕たちがやればそれがさぞ当然の如く何も触れられないような、そんな些細な事でも、だ」
大地はそう言うと、今までの薄笑いを止めて表情を歪ませ、片足で大きく地面を踏み鳴らした。
「おかしいだろ⁈ なんで我儘に自分勝手に生きてる奴らに甘くて、誰かの為に頑張ってるやつらに厳しいんだよ⁈ 君達とあの子達は違う? あの子達は仕方がない? ふざけるな! 僕たちだって一緒だ! 色々と我慢しているだけで本当はもっと我儘に生きたい!」
大地は叫んだ。
欲しい玩具を買って貰えなくて駄々をこねる子供のような、そんな今にも泣き出してしまいそうな顔を彼はしていた。
怒りや嘆きが込められていることが充分に伝わる。
そんな大地の圧に呑み込まれ、僕は言葉を詰まらせてしまう。
「こんな世界なんて間違ってる……それでも僕だけは正しく生きようと……そう思ってた」
大地は体を震わしながら拳を固める。
「でも気付いたんだ。間違ってるのは僕の方だって事に。世界は変えられない。だから僕自身が正しく変わらないと駄目だったんだ……。たった1度きりの人生。真面目ぶって何ばり我慢するよりも欲望のままに楽しんだ方がいいに決まってる。もう自分に嘘をつくのは止めだ。自分を押し殺してまで他人の為に生きたところで馬鹿を見るだけだ……」
大地はそう言って静かに微笑んだ。
何もかもを諦めたかのような微笑み。
そんな大地を見て、僕の心が激しく揺らいだ。
「ふざけるな……」
僕は小さく呟く。
目の前にいるのは過去の自分と似ている者だ。
僕も誰かの為に生きるのなんて馬鹿らしいことだと思っていた時期があった。
大地の気持ちも痛い程分かる。
だからこそ――僕は彼を止めなければならない。
「自分の為に生きる事が間違いだとは言わない。でも……お前は本当に今の自分がやっている事が正しいと思っているのか? いや、分かっている筈だ。お前は自分が――」
「黙れ!」
大地は叫びながら僕にへと殴りかかった。
不意打ちに近かったものだが、なんとか反応しそれを左腕でガードする。
「ぐっ⁈」
ガードした左腕が痺れる。
体が足元の砂で滑り少し後退した。
「自分自身に嘘をついていたのは昔のお前か⁈ 違うだろ! 自分自身に嘘をついているのは今のお前だ!」
「黙れって言ってるだろ!」
大地は怒声と共に僕の顔面に向けて拳を振るった。
僕はそれを避けれずに再び左腕で受けた。
衝撃で体が仰け反る。
そんな僕に対して大地は更に3発の拳を放って追い討ちを掛けた。
1発は防いだものの、他の2発が僕の顔面と腹を捉えた。
「が……⁈」
体がよろめく。
しかし、すぐに体制を整える。
早い……今までの誰よりも……。
そして、強い……。
はっちゃんの攻撃はどんっと芯に響くような強さがあった。
大地の攻撃はそれと違って鋭い痛み。
なんにせよ、このまま貰い続けるのはまずい。
僕は反撃の拳を何発も繰り出す。
しかし、それらは簡単に避けられたりガードされたりと捌かれてしまう。
「うっ……」
脇腹に痛みが走った。
大地の拳が深々と僕の体に突き刺さっていた。
体がくの字に曲がる。
僕はたまらず後退しようとするも、左足を大地に踏まれてそれを阻まれてしまう。
動けない僕を大地の拳が次々と襲う。
僕は亀のように体を丸め、ガードを固めるも、そのガードの隙間にへと大地は的確に拳を放り込んでくる。
「あっ……ぎっ……!」
攻撃を受けるたびに息が漏れ出る。
くそっ……このままじゃ……。
僕はガードを解いて顔を出した。
待ってましたかと言わんばかりに大地の拳が僕の顔面に向けて飛んでくる。
しかし、僕だって何の策もなしにガードを解いて顔を出した訳じゃない。
僕は攻撃を食らう覚悟を決め、自分の拳を全力で大地に向けて放った。
攻撃を放っている間は互いに動けない。
相打ち狙いの1発。
大地の拳が僕の額に、僕の拳は大地の左肩にへと当たった。
互いに呻き声のようなものを上げて数歩後退する。
「僕は頑張った! みんなのために……だけど、どれだけ頑張っても、結局みんなにとって僕はただの都合のいい人間でしかなかった! それなのに君は……! くそぉ!」
大地はすぐに体制を整えると、僕との距離を一瞬で詰めた。
強烈な一撃が僕の顎にへと入る。
脳が揺さぶられ足がガタつく。
そして、とてつもない衝撃が顔を襲った。
「がはっ……⁈」
体が宙にへと浮く。
後頭部が地面に叩きつけられる。
どこもかしこも痛すぎて、体に力が入らずのたうち回る事さえ出来ない。
「もし仮に今の僕よりも君が正しいとして、優勢なのは僕の方だ。結局、現実なんてそんなもんなんだ。正しい事をしている人間が必ずしも報われるわけではない」
倒れている僕に向かって大地は吐き捨てるように言った。
「ふ……ざけ……るな……」
力の入らない体を必死に動かして僕は立ち上がろうともがく。
そんな僕にへと大地は冷ややかな眼差しを向ける。
「ろくに守る力もないくせにどうして立ち上がる? 立ち上がったって何も出来ないだろ?」
「あぁ……僕には大した力なんてないかもしれない……。でもな……それを理由に誰かを守ることを諦めるわけにはいかないんだよ!」
僕は体を起こし立ち上がった。
しかし、すぐに体がよろけ片方の膝をついてしまう。
急いで立ち上がろうとするも、膝が笑ってそれを許さない。
「はぁ……目も当てられないな……」
大地がゆっくりと僕にへと近づいてくる。
まずい……早く……。
焦りながら膝に手を突き立ち上がろうとする。
しかし、何度力を込めようとも僕の足は言う事を聞かなかった。
「待って!」
突然の大声。
僕は顔を上げる。
僕と大地の間。
そこには両手を広げ僕を庇うように立つ、日光がいた。
私は咄嗟に銘雪の目の前にへと飛び出してしまった。
怖い……。
目の前にいる大地を見て、私の心はさっきの事を思い出して恐怖に駆られる。
しかし、それでも私は逃げない。
引き退らない。
「これ以上、銘雪を傷付けないで……」
大地は私のことを睨んだ。
その視線は冷たくて、私は恐怖のあまり体が震えた。
「私の事……大地の好きなようにしていいから……」
「な、何言ってんだよ⁈ そんなこと……!」
私が背後を振り返ると、銘雪は焦った様子で立ち上がろうとしていた。
しかし、足元がおぼつかないのか何度も立ち上がるのに失敗している。
私は身を屈め、銘雪と目線を合わせた。
「もう充分……。ごめんなさい……。そんなになるまで私を守ろうとしてくれて……」
私の言葉に銘雪は表情を歪めた。
「まだだ! 僕はまだ……!」
銘雪は歯をくいしばらせながらなんとか立ち上がった。
しかし、体のダメージのせいかまともに立ってはいられないようで、肩と腕がだらりと脱力していて体は少し前屈みに、息は上がり、辛そうな顔をしていた。
あぁ、貴方はいつだってそうだ。
ぼろぼろになっても誰かの為に立ち上がる。
止めようとしても絶対に止まらない。
私ばっかりが苦しい。
でも、そんな貴方だからこそ私は好きになってしまったんだ。
「私ね……貴方に伝えたかった事があるの……」
私は立ち上がり言った。
銘雪と目が合う。
彼は何も言わず、次に私から出てくる言葉を待っている。
私は覚悟を決める。
6年間ずっと言えなかった言葉。
その言葉を伝える覚悟を――
「銘雪……貴方はもう覚えていないけど、小学生の頃に貴方は私を救ってくれた。私……本当に心の底から救われた……」
言葉を話している最中に昔の事を思い出して、感情が昂り、泣き出しそうになってしまう。
彼にとっては忘れてしまうぐらいにどうでもいい思い出。
でも、私にとっては忘れる事のできない大切な思い出だ。
「あの時、私を助けてくれてありがとう。とても嬉しかった。そして……誰かの為に傷付く事が出来る、そんな貴方が好きになった」
私は笑う。
今出来る精一杯の笑顔で。
銘雪はそんな私をしかめっ面とも泣きっ面ともとれないような顔で見ていた。
「貴方の優しさが苦しいって前に言ったけど……本当は貴方の優しさは、温かくて、眩しくて、心地良くって、いつも私を救ってくれていた」
私は銘雪から一歩離れる。
「でも……やっぱり貴方には傷ついて欲しくない……好きな人が傷つく姿を見るのは悲しいから……」
「日光……」
「私はあの時、貴方のことを守る事は出来なかった。でも、今度は私が貴方を守る。私は大丈――」
私は最後まで言葉を言えなかった。
銘雪が私の体を抱き寄せたからだ。
「大丈夫なわけないだろ……。体がこんなにも震えてる……」
私の耳元で銘雪は囁くように言った。
私を抱きしめる腕には力がそこまで感じられない。
私の事を思って優しく抱きしめているのか、それともこれが今の彼の精一杯の力なのか……私にはそれがどっちか分からなかった。
「誰かの為に生きる事が出来る人がいた。その人は自分が傷付いても平気なふりをして、周りに心配させまいと笑っていた。僕はその人に何もしてあげる事が出来なかった……。僕はその事をずっと後悔していた」
銘雪は私から体を離した。
彼は悲しげな表情を浮かべながら唇を噛み締めていた。
悔しさが、怒りが、そんな彼からひしひしと伝わる。
「誰かの為に生きる事が出来る人、そういう人が一番救われなきゃいけない。幸せにならないとおかしいはずなのに……そういう人に限って苦しい思いをしたり、辛い思いをしたりする。僕はそんな人達に後悔して欲しくなかった。前を向いて、胸を張って生きて欲しいと思った」
銘雪はそう言うと私に微笑んだ。
その目は優しく、力強い意志が込められている。
「だから僕はあの時、いじめを庇っていじめを受けていたお前を――誰かの為に傷付いていた日光の事を救いたいと思ったんだ。そしてその想いは今も変わらない」
私の心臓が大きく音を鳴らした。
銘雪の言葉が思ってもなかった言葉だったからだ。
銘雪は私の横を通り過ぎ、ふらつきながらも再び大地の目の前にへと立つ。
「銘雪……」
私は銘雪を止めようと彼に向けて手を伸ばす。
「大丈夫。必ずお前の事を救ってみせるから」
銘雪は振り向かず、大地の方をずっと向いたままそう言った。
私は彼に向けて伸ばしていた手を下ろした。
何故だかは分からない。
根拠なんて勿論ない。
それでも私は彼のボロボロの背中に確かな心強さを感じたのだった。




