「私のヒーロー」
とても懐かしい夢を見ていた。
ある男の子が私を助け、いじめられる夢。
忘れることなんか出来るはずもない小学4年生の頃の記憶だ。
目が覚めた私はベッドの上に仰向けに寝そべり、部屋の天井に向かって手を伸ばしていた。
少しの間、ぼーっとその手を眺める。
そして、時間が経つにつれだんだんと機能を停止していた頭が活動し始め、私はその無意味に上げている手を下ろした。
眠たい目を擦ると、涙が出ていたのか目元が濡れていた。
私は体を起こして部屋の壁時計を確認する。
時間は17時30分を指していた。
今日は日曜日。
大地にデートに誘われていたが私はそれを断り、家でだらだらと過ごしていた。
昼ごはんを食べて、少し休もうとベッドに横になったまでの記憶はあるのだが……どうやらそのまま私は眠ってしまったらしい。
それにしても、よりによってどうしてあの時の夢を……。
そんな事を考えながら私は再びベッドに体を預けながら、ため息を吐いた。
本当は分かっていたからだ。
なぜ今更あの夢を見たのか。
私はまだ銘雪の事が――
高校に入って同じクラスで銘雪を見た時、小学生の時とは見違える程身長が高くなっていて、中学生の時に瑞稀に見せてもらった卒アルの中の彼とはかなり変わっていたが、すぐにあの時に助けてくれた彼だと気付いた。
好きな人と再び出会え、同じクラスになれた事で心が舞い上がっていた自分が恥ずかしながらもそこにいた。
公園で不良達に絡まれていた時。
銘雪は私と目が合って物陰に身を隠した。
そんな彼を見て、私は大切な物を失くしてしまった時と同じような喪失感を感じた。
私は彼の傷みを知っている。
きっと彼はあの時の事を後悔しているのかもしれない。
そして、それが原因で彼が誰かを救わなくなったとしてもおかしくはない。
だから私は彼に助けを求めなかった。
しかし――それなのに彼はあの時と同じように私を助けに来てくれた。
見た目は変わった。だけど中身はあの頃と変わっていない。
そんな彼に私の胸はあの頃と同じ様に、火が灯ったように熱くなった。
でも……彼と冬木に助けたれたあとに私の口から出たのはキツイ言葉だった。
伝えたかった言葉は他にもあったのに……。
私は私なんかのために好きな人が傷付く姿を見たくなかった。
だからキツイ言葉を言ったのだ。
それなのに彼は廃工場の時にも私達を助けに来てくれた。
その後だって彼は肝試しの時も、登山の時も――いつもいつもいつも自分が傷付いても誰かを守ろうした。
きゅっ、と胸が締め付けられる様な感覚に私は自分の胸に手を押し当てた。
彼の事を考えるといつもこうだ。
胸の上の手に伝わる心臓の鼓動はいつもよりも早い。
私は目を閉じて、大きく息を吐いた。
2週間前のあの日から私は銘雪を以前よりも更に避けるようになってしまった。
彼の顔を見る度に、あの時の彼の言葉や顔が甦ってしまうからだ。
『代わりが見つかって良かったな』
そう言った彼の声は震えていた。
とても弱々しく、怒りなんて微塵も感じない、そこにあったのはただの儚さだけ。
今にも泣き出してしまいそうな、それまで見たことのなかった銘雪の情けない顔が、私の胸を強く、強く、これでもかというくらいに締め付けた。
頭の中が一旦リセットされ空白になって、ある言葉だけが浮かんだ。
貴方は私の中で唯一の存在なのだから代わりなんている筈がない。
その言葉は口には出せなかった。
自分の気持ちを再確認してしまって、感極まって目頭が熱くなった。
好きな人は私の友人と両想い。
私なんかが入る余地などない。
諦めようとした。
可能性なんて0。
それでも私は告白をした。
そして振られた。
しかし、私はまだ――銘雪の事が好きなんだ。
私はベッドから体を起こして枕元にある携帯電話を手に取った。
あの時の私はどうしようもない自分の想いを持て余して、ただ逃げることしか出来なかった。
銘雪の事に関して今の私には悔いしか残っていない。
そんなのは嫌だ。
このままで終わりたくはない。
そんな私の想いが指を走らせた。
僕は走りながらとてつもなく焦っていた。
瑞稀さんと別れ、丘の上の公園に向かって全力で走り続けて5分ぐらいは経っている。
しかし、まだ公園までの距離は2キロ以上はあるのだ。
橘の未来予知は10分以内に起こる事が見えるというもの。
もし仮に日光が男に襲われているのが今から5分後の未来だったとしてもこのペースだと絶対に間に合わない。
もしかしたらもう手遅れの可能性も……。
いや、駄目だ! 今はそんな事を考えるな!
ある不安が頭によぎったが、首を横に振ってそれを振り払った。
今は日光が無事であるという事を信じて走り続けるしかない。
…………あっ!
走っている最中に、ふと今更になってある事に気付き、僕はポケットから携帯電話を取り出した。
もし、まだ日光が襲われていないなら電話に出れる筈だ。
そして、日光が電話に出たら丘の上の公園に行くなとすぐに伝えればいい。
それでこの件は解決する。
走る足はそのままで僕は急いで日光へ電話をかけた。
頼む、出てくれ、無事でいてくれ、と呼び出しのコールの間に何度も繰り返し強く念じる。
そして、永遠のように長く感じた数回のコールは途切れ、電話を取る音が聞こえた。
「日光⁈ すぐに――」
「おかけになった電話番号をお呼びしましたが、お出になりません――」
耳元で無慈悲な機械音のアナウスが鳴り響く。
もしかしてもう…………。
一気に体にへと脱力感が襲いかかり、迫りくる動揺で軽い目眩を起こす。
走り続けてはいるものの、絶望感がじわじわと心を侵食していく。
未だに何かを言い続けているアナウンスを無視して電話を切り、僕はあるところに電話をかけるためにキーパッドを開いた。
こんな事になるなら最初からこうするべきだったんだ……。
携帯電話の画面に表示される110という数字。
言わずとも知れた警察の番号だ。
瑞稀さんと別れてからすぐに警察に電話をするかどうかは迷った。
パニックになっていたためと僕がどうしようもない馬鹿だったために日光に電話するという考えには至らなかったが、警察に電話するという考えに至る余裕は微かにだがあったのだ。
しかし、日光が襲われる前に警察が到着してしまった場合、電話をかけた僕では無く何も知らない日光が責めらる可能性があるかもしれない、そんな小さな心配が歯止めをかけてしまった。
たとえ日光や警察に迷惑が被っても、彼女が無事である事に越したことはなかったのに、だ。
本当に今更ながらの後悔を抱え、僕は発信のボタンを押した。
先程の日光との電話とは違い、一回のコール音でその音は途切れた。
「もしもし…………あれ? もしもし!」
いくら話しかけても向こうから声が返ってこない。
番号を間違えた? いや、それは無い筈だ。確認はしたし一回だけだがコール音が鳴っていた。
戸惑いながら携帯電話を見ると画面には充電切れの表示が力なく写し出されていた。
それを見て血の気がサーッと引いていく。
残りの充電量なんか全然気にしてなかった。
覚えのある充電した最後の記憶は金曜日の学校に行く前の朝。
その日は家に帰ってから倒れてしまい丸2日は眠っていたから、その間は充電など勿論していない。
今思えば、橘からのメールが見えただけでも奇跡的な状態だったのだ。
「くそっ……!」
僕は独り悪態を吐きながら役に立たなくなった携帯電話をポケットにしまい込む。
これで僕に出来る事は一つしかなくなった。
それはただ全力で走ることだけ。
走っている振動で額から汗が流れ落ちる。
息が乱れて呼吸がままならない。
足が重たい。
走っている時のあの特有の痛みが脇腹を襲う。
全力で走ってはいるが、スピードはだんだんと落ちていく。
経過する時間とともに焦りと苛立ちがじわじわと心を追い詰める。
なんでこんなにも僕は無力なんだよ……。
何か他に手はないのか――
そう思った時、僕の横を凄い勢いでバイクが通り過ぎた。
大きなバイクではなく、郵便局や新聞配達の人が乗っているあのよく見るバイクだった。
そのバイクは急ブレーキをかけ、横滑りしながらも僕の目の前数メートル離れた場所で止まった。
「よう、青年。そんなに急いでどこに行くんだ?」
バイクに乗っている運転手が僕に話しかけた。
その人物は半キャップのヘルメットにゴーグル、口と鼻をネックウォーマーの様なもので覆っている為、顔は分からない。
しかし、その声には聞き覚えがあった。
「その声……六道さん……?」
「ああっ、そっかそっか。今はほぼ顔が隠れてる状態だっけ」
そう言いながら六道さんはゴーグルとネックウォーマーの様なものをずらして、顔を見せながら笑った。
「で? 何をそんなに急いでるんだ?」
「えっ、と……そっ……あのっ……」
こんなとこで時間を潰している場合じゃないという焦り、今までかれこれ約5分間も走り続けてきた疲れ、そして乱れた呼吸により上手く言葉が発せられない。
そんな中、僕の目にあるものが写った。
六道さんが乗っているバイクの右手ハンドル部分に何かが引っ掛かっている。
目を凝らしてよく見ると、それは半キャップのヘルメットだった。
「もしかしてそのバイクって2人乗りが……」
「ん、こいつか? このカブなら小型二種だし、なんなら今から友人を乗せて――」
「お願いしますっ! 丘の上の公園まで乗せて行って下さいっ!」
バイクが2人乗り出来ると分かった瞬間、僕は六道さんの言葉を途中で遮って懇願しながら彼にすがり寄っていた。
関係のない他人を巻き込んで迷惑をかけたくはない。
その想いは今も変わらない。
だけど、大切な人が誰かに頼る事の大切さを教えてくれた。
もうなりふり構ってはいられない。
日光を助ける為にはもうこれしか他に方法はないのだ。
六道さんはいきなりの僕の行動に対し一瞬困惑したような表情を見せながら固まったが、すぐにその表情は柔らかな笑顔へと変わる。
「いいよ。荷台の上だから乗り心地は悪いとは思うけど、それは我慢してくれ」
六道さんはそう言いながらバイクのハンドルに掛けていたヘルメットを僕にへと投げた。
僕は急に投げられたそれを落としそうになりながらもなんとかキャッチする。
「あ、ありがとうございます! でも……頼んでおいてなんですが……本当にいいんですか……?」
ヘルメットを被りバイクの荷台に座りながらそう言った僕に対し、六道さんは不思議そうな顔で振り返る。
「何で?」
「その……さっき友人となんたらかんたらと言っていたので……」
僕が申し訳なさそうにそう言うと、六道さんは軽く笑った。
「あぁ、それか。かなりマズイよ」
「えっ? なっ――⁈」
僕が六道さんの言葉を理解するよりも前に、彼はバイクを急発進させた。
「ど、どどどどういうことですか⁈」
「どういうことも何も、急がないと駄目なんだろ?」
「いや、そうですけど、そうじゃなくて! さっきかなりマズイって言いませんでした⁈」
「言ったな。いや〜、本当に参った。友人の彼女が今日引っ越すんだけど、その友人が彼女が電車に乗る時間を勘違いしてたみたいでさ。タクシーを呼ぶにしても、走っても絶対に間に合わないからって自分に助けを求めてきたんだ。それが間に合うかどうかの瀬戸際ってところ」
六道さんはそう言ってから笑った。
彼の口調的に僕を責めてる気など微塵も感じない。
しかし、それでも先約があるのに僕を優先させてしまった事に対し罪悪感を感じてしまう。
「あ、勘違いはするなよ? 別にその友人を裏切って君を助ける訳じゃない。絶対にどっちとも間に合わせてみせるから安心しろ」
黙っていた僕の事を気遣ってか六道さんは頼もしさのある声でそう言った。
「六道さん……ん?」
六道さんの言葉に安堵したのも束の間、僕はある事に気付く。
「六道さん⁈ ブレーキ⁈ ブレーキ⁈ このスピードじゃ絶対に曲がれません!」
僕は大声で叫んだ。
あと少し走ると突き当たりに川がある。
なので左右のどちらかに曲がらないといけないのだが、明らかにバイクのスピードが出過ぎていた。
「曲がらないけど?」
「は……?」
意味不明な言葉。そんな六道さんの言葉に対して僕は素っ頓狂な声をつい上げてしまう。
「おっ。 ちゃんと準備はしてくれてるな」
「準備って……まさかあのフェンスに立て掛けてるただの鉄板みたいなやつではないですよね? 嘘ですよね? まさか川を飛び越える気じゃないですよね?」
目の前の川幅はそこまで広くはない。
しかし、それでも車が縦に2台は入るであろう広さ。
それに高さもそこそこある。
落ちたらひとたまりもないのは火を見るよりも明らかだ。
「あそこさえ飛び越えれば、信号全回避の大幅ショートカットだからな」
「絶対に無理ですよ⁈ そんな漫画や映画じゃないんですから危険ですって⁈」
「漫画や映画とかのフィクションで出来る事がリアルで出来ないわけ無いだろ?」
「あんた頭大丈夫か⁈ なんで注意書きに『これはフィクションです』と出るか分かってます⁈ えぇ、勿論分かってないですよね⁈ それにあぁやって川を飛び越えるのは決まって中型とか大型のバイクじゃないですか! こんな小さな原付じゃ絶対に無理ですって!」
「大丈夫だって。こいつは中々に頑丈だし燃費が凄くいいから」
「今はその情報全然関係ないですよね⁈ ほ、ほら⁈ もし渡れたとしても向こう岸に人がいたら危ないですし!」
「それも大丈夫だ。向こう岸に赤いライトが点滅してるのが見えるだろ? あそこに自分の友達がいる。周りには人がいないから来て良しという合図を送ってくれているんだ。だからあとは、全速力で川を飛び越える事に集中するのみ!」
六道さんはそう言うとアクセルを更に回した。
バイクが獣のような唸り声のようなものをあげる。
彼方此方でカタカタとどこかの部品が外れそうな音が聞こえた。
バイクを乗らない素人でもこれは異常だと分かった。
それくらいに、今乗っているこのバイクの走りは限界値を超えていたのだ。
「しっかり掴まってろよ! 中々の衝撃が来ると思うから歯を食い縛っとけ! 振り落とされるなよ!」
「ちょっ、まっ――」
「いっっっけええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁈」
私は1人でベンチに座り、呼び出した大地を待っていた。
ここは私が住む隣町の丘の上にある小さな公園。
前の小学校の時に1度だけ遠足で来たことがありその時から人は少なかったが、今は時間も時間だからかこの公園内には私1人しかいなかった。
そんな今の状況に私は、ここを選んで良かった、と少し安心していた。
今から大地としようと思っている話はメールや電話などではなく、直接会って話し合わなきゃいけない事であり、周りに人がいるようなところでするものでは無いと思っていたから……。
「お待たせ。急に連絡が来たからびっくりしたよ」
私は声がした方を向いた。
そこには大地が微笑みながら右手を挙げて立っていた。
その顔を見て、私は少し心が痛んだ。
私が今から話そうと思っている事が彼にとって全く予期していないものだと分かっているからだ。
「ごめんなさいね。今日のデートを断っておいて、急に連絡なんかして」
「いや、いいんだ。紅葉さんとこうして会えるのは僕にとって凄く嬉しい事だから。それで……わざわざ隣町の公園まで来て話したい事って何かな?」
そう言って大地は軽く首を傾げる。
私は少し間を置き、覚悟を決めて口を開いた。
「私たち別れましょ……」
声が少しだけ小さくなってしまったが、私は大地にそう言った。
これが大地に話したかった事。
全然関係のない話を挟んでからだと言いにくくなってしまうのなんて目に見えていた。
だから、私は何の前置きもなしに本題から言った。
「え? な、なんで? 何か紅葉さんに対して気に障る事でもした? だったら言って欲しい。ちゃんと直すから」
大地は戸惑いを隠せない様子で、あたふたとしながら言った。
それに対して私は首を横にへと振る。
「違うわ。私は貴方の事が嫌いになったわけじゃないの……。ただ……私はまだ、銘雪の事が好き……」
それを聞いて、大地はあたふたとしていた動きを止め、顔が引きつった状態で固まる。
そしてすぐにその顔は怒りや悲しみが混じったような複雑な表情へと変わった。
私はそんな彼の顔に耐え切れず、彼から顔を逸らしてしまう。
「……あぁ、なんとなく分かってた。僕が告白した時も紅葉さんはまだどこかで好きな人を諦め切れていない自分がいると言っていたしね。でも――」
大地は私の目の前まで迫り来て、私の両肩を両手で掴んだ。
「あの時僕は言ったはずだ! 終わった恋に縋り続けるのは虚しいことだって。今は僕の事を好きでなくても付き合っていくうちに好きになってくれたらそれでいいって。だってもう好きな人に振られたのなら僕の事を振る理由なんてないだろ? それに対して紅葉さんも好きな人と付き合える可能性なんてほぼ0だから諦められるように頑張ろう、とそう言って僕の告白を承諾してくれた! それなのになんで……!」
「本当にごめんない……でもやっぱり、こんな中途半端な気持ちで付き合うなんて、貴方にとても失礼だと思うの。だからちゃんとあの人の事を諦め切れてから付き合いたい。そうじゃないと私たちはお互いに幸せにはなれない!」
そう言って私は顔を上げた。
そこには今にも泣き出してしまいそうな顔をした大地がいた。
あぁ、まただ……また胸が痛い……。
しかし、それでも私は目を逸らさなかった。
数秒間、互いにそのままお互いの顔を見つめ合う。
そして今度は大地が私から目を逸らした。
「なんで……なんであいつなんだよ……」
大地は下を向いて呟くように静かに言う。
「だい――」
「僕だって一生懸命に誰かの為に頑張っていたのに!」
嘆きの感情が込もった大きな声で大地はそう言うと、私の肩を掴む力を強くした。
「だ、大地……? きゃあっ!」
私は急に大地に押し倒され短い悲鳴を上げた。
そして倒れた私に大地は馬乗りになる。
「どうして……?」
私は怯えながら大地にへと言った。
彼の目には光がなく、その黒い瞳は私だけを写している。
「もう……どうでもいいや……」
大地はそう言うと、私のシャツの襟元を両手で握った。
そして、彼はそれを勢いよく左右同時に開くように引っ張った。
シャツのボタンが外れ、淡いピンクの下着が露わになる。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
私はさっきとは比べ物にならないぐらいに大きな悲鳴をあげた。
「嫌っ! やめて⁈ こんなこと――んんっ⁈」
暴れる私の口を大地は右手で塞いだ。
そして、空いてる方の片手で私の右手を、右足で左手を彼は抑える。
私は身をよじりながらも足をバタバタとさせるも全然効果がなく、完全に身動きの取れない状態になってしまった。
怖い……どうすることも出来ない……。
「もういい……紅葉さんの中のあいつがずっと僕の邪魔をするなら、僕だって紅葉さんに忘れる事の出来ない記憶を植え付けてやる……」
大地はそう言って私の目を見る。
彼は光のない目で笑った。
「僕も君の中でずっと生き続ける……」
私の背筋に冷たいものが走る。
抑えている顔をなんとか動かし、私は大地の指を強く噛んだ。
「痛っ⁈ この――」
大地は私の口から右手を離し、その拳を握って振り上げた。
あぁ、なんで……。
絶対に居るはずもなければ来るはずもない。
それなのにどうしてかあの人の顔が頭に浮かんだんだ。
私が苦しい時、助けて欲しいと思った時に必ず来てくれたあの人。
優しく、力強い意思のこもった目をした彼が……私の好きな人が――。
「助けて……!」
頑張って振り絞ったその声は恐怖のせいでかなり小さかった。
大地の拳が私の顔に向かって振り下ろされる。
私は恐怖で目をぎゅっと瞑った。
鈍い音が鳴った。
それは私が殴られた音……ではない。
大地に乗り掛かられていた体が急に軽くなる。
そして、砂を擦る音と共に呻き声が2つ上がった。
私は目を開け、音がした方を向く。
砂埃が舞う中、2人の人影が動いている。
「いててっ……」
よく知っている声が聞こえた。
その人物はよろめきながらも体を起こして立ち上がる。
私の心臓の鼓動が大きく鳴った。
さっきまで冷え切っていた心が温かくなっていくのを感じる。
だんだんと砂埃が晴れて、その人物の姿が露わになった。
そこにいたのはやはり銘雪 陸だった。
彼は私の方を振り返る。
「良かった……間に合った……」
銘雪は安堵の表情でそう言った。
そんな彼の姿を見て私の目から涙が溢れた。
「どうして……」
色々と言いたい事はあった。
しかし、この言葉が無意識のうちに先に口から出てしまっていた。
「どうして、って……そんなの決まっているだろ」
そう言って銘雪は、私を初めて救ってくれたあの時と全く同じ表情を私にへと向ける。
そして彼は続けてこう言った。
「助けに来た」




