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「誰かの為に生きれる人が不幸になってほしくなかったから」

 小学4年生の秋の事だった。

 その日の学校が終わり、帰っている途中の校内で、ある茶髪の女の子に目が止まった。

 今日は快晴で雨は一切降っていないのに、目の前から歩いて来る彼女は何故か全身ずぶ濡れだった。


「あの……大丈夫?」


 何があったのだろう?

 そんなことを思いながら僕は女の子に声をかけた。

 彼女は立ち止まり、僕の方をチラッと一瞬だけ見てから再び歩き出し、僕の横を素通りした。


 女の子が僕の方を一瞬だけ見た時、彼女と目があった。

 その目はとても冷たかった。

 彼女の目から光は感じられず、まるで全てにおいて絶望しているかのような……そんな目。

 

「ちょっと!」


 僕は彼女の事がなんだか放って置けなくて、再び声をかけた。

 しかし、彼女は2度と僕の事を振り返る事をせず、裏庭の方に向かって歩き続けた。


 なんだよあいつ……。


 今まで面倒事には散々首を突っ込んできたが、大体の人は何か多少の反応はしてくれた。

 無視されたのは今回が初めてで少し堪えた。

 彼女の事が未だに気になってはいたが……しかし、すでに彼女の姿は見えなくなっており、僕は家に帰るため再び校門の方を向いた。

 

「あの子、いじめられてるよ?」


 家に帰ろうとして歩き始めようとした瞬間にどこからか声が聞こえた。

 左右を見ても誰もおらず、最後に後ろを振り返るとそこには見ず知らずの長い黒髪の小さな女の子がいた。


「君は誰?」


 僕は彼女に問いただすが、それに対しては一向に応えようとはしない。


「あの子を……あの子を助けてあげて」


「助けるってどうやって……」


「貴方なら出来るよ。だからお願い。あの子を……あの子を助けて」


 今にも泣き出してしまいそうな、震えた声で彼女はそう言った。


「っ――わ、分かった。僕がどうにかするから」


 泣かれるのはとても困るので、僕はつい反射的にそう言ってしまった。

 その言葉を聞いて目の前の女の子の表情が少しだけ明るくなった……気がした。


「でもいじめって言っても何が原因か分からないと……」


 いじめられている人には何か必ず理由がある。

 容姿が気に入らないなどという他者が悪いものもあれば、性格面や態度が悪いためなどといういじめられている本人が悪いものなど様々だ。

 まぁ、たとえ本人に何か非があったとしてもいじめはダメだとは思うけど……。

 

「いじめられていた子を庇ってあの子はいじめられてる……」


 ……は?


「いじめられていた子を庇ってあの子はいじめられている……?」


 僕は驚きのあまり、目の前にいる女の子に彼女が言った言葉をそのまま使って聞き返した。

 彼女は黙ったまま首を縦に振った。

 それを見て僕の脳裏に突如、数年前に亡くなった姉の姿が浮かんだ。

 誰かの為に一生懸命に生きた姉。

 そんな姉とさっきの茶髪の女の子がどこか重なって見えたのだ――



 ずっと昔の事だ。

 姉が怪我をして帰ってきた。

 唇が切れていて少し腫れ、頰には青い痣が出来ていた。

 何があったのかと問いつめる両親に対し、転けたとでも言って適当に誤魔化しておけばいいのに嘘が苦手な姉は「何でもない」と言い残し、部屋にへと走っていった。

 心配になり、姉の部屋をこっそりと覗くと姉はベッドの上で毛布にくるまっており、啜り泣きのようなものが聞こえた。


「姉ちゃん……大丈夫……?」

 

 僕は見たことのない姉の姿につい不安になってしまい、声をかけてしまった。

 僕がいる事に気付いた姉は急いで腕を使って何度か顔を拭うと笑顔を見せ、大丈夫、と言った。

 幼い僕でも分かってしまうくらいの作り笑いだった。

 本当は苦しいはずなのに……誰かに助けを求めていたはずなのに……姉は心配させまいと……僕に笑ったのだった――

 

 

 なんで今になってあの時の事を思い出したのだろう……。

 …………いや、本当は考えるまでもない……そんなこと自分自身がよく分かっていた。

 あの時の僕は姉に対して何も出来なかった。

 それをずっと後悔していたんだ。

 本当は姉の為に何かをしてあげたかった。

 しかし僕にはその力がなかった。

 そして、姉の痛みを受け入れる勇気さえもなかった。

 でも、今は違う。

 今の僕ならあの子を助けることが出来るかもしれない。

 いや、助けないといけないんだ。

 

 僕は……誰かのために行動できる人に不幸になって欲しくない――




 

 僕が裏庭に着くとさっきの女の子が2人の女の子と3人の男の子に囲まれていた。

 茶髪の女の子を囲む彼らの手には何かが握り込まれている。


「いつも澄ました顔しやがって……気にくわねぇなぁ!」


 怒声とともに、1人の男が手に持っていた何かを茶髪の女の子にへと投げた。

 それは泥団子だった。

 泥団子は茶髪の女の子の体に当たって砕けた。


「正義のヒーロー気取りで気持ち悪いんだよっ!」


「どうせ、除け者にされてる子を助けている私っていい子とか思ってんだろ! 調子乗るなよブスッ!」


「何か言い返してみろよっ!」


 さっきの男の子の1投を合図に、周りの子たちも次々と手に持っている泥団子を罵倒とともに女の子にへと目掛けて投げた。

 茶髪の女の子の濡れている服には砂がびっしりとこびりつき彼女の服はみるみるうちに泥だらけになっていく。


 その時僕は茶髪の女の子と目があった。


「助けて……」


 声が聞こえた。

 泣いているためかその声は微かに震えていた。

 とても弱々しく、周りには聞こえまいと押し殺したような声だ。

 …………いや、もしかしたら本当はそんな声など彼女は発してなかったのかもしれない。

 数々の罵倒が裏庭に響く中、そんな声など掻き消されて聞こえるはずがないのだ。

 あり得ないと分かっている…………それでも……聞こえたんだ……。

 助けを求める声が――


「やめろおっ!!」

 

 叫びながら割って入ってきて茶髪の女の子を庇った僕を見て、彼らは唖然とした顔をして固まった。


「なんで……」


 僕の後ろから茶髪の女の子が呟くように言ったのが聞こえた。

 僕は振り返って彼女の方を見る。

 髪はボサボサで服は泥だらけになっていた。

 そんな彼女はあり得ないものでも見るかのような目で僕の事を見つめていた。


「助けに来た」


 僕は茶髪の女の子に心配させまいと笑顔を取り繕って言った。

 彼女はその言葉を聞くと、1度大きく目を見開き、そして――泣いた。

 周りの目なんかお構いもせずに大きな声を出して彼女は泣いた。

 きっと、今までずっと我慢してきたのだろう。

 自分の本当の気持ちを押し殺しながら。

 本当は誰かに助けを求めたかったはずなのに――


「な、なんだよお前!」


 今まで固まって見ていただけのいじめグループの1人が僕に対して言った。


「お前も正義のヒーロー気取りかよ! 気持ち悪りぃ!」


 そう言いながらまた1人の男の子が僕に向けて泥団子を投げようと腕を振りかぶった。


「待て!」


 しかし、いじめグループの1人の女の子がそれを制止した。

 その女の子がリーダー格なのだろうか、男の子は素直に彼女の言う事を聞き、泥団子をその場に落とした。


「あーあっ、全く……シラけちゃったわ……帰るわよ」


 女の子はそう言ったあと1度僕の事をキツく睨むと、僕たちから背を向け校門がある方にへと歩いて行った。

 他のいじめグループのやつらもそれに続いて帰って行く。


「……はぁ、良かった……」


 張りつめていた緊張感が解け、僕は大きなため息を吐きながらその場にへとしゃがみこんだ。


 僕は誰かを傷つけるのが怖い。

 それなら自分が気付く方が幾分かマシだ。

 だから、彼らが飽きるまで泥団子だろうと暴力だろうとなんでも受ける覚悟はしていたんだが……まぁ、何はともあれ、何もせずに帰ってくれたのはこちらとしては好都合だ。


「っと……あの〜……大丈夫……じゃあないよね」


 僕は振り返り、泣いている茶髪の女の子にハンカチを差し出した。

 彼女はそのハンカチを受け取り、目元を擦って涙を拭き取った。

 一通り目元の周りを拭き終えると、彼女は顔を上げた。

 彼女と目が合う。

 先程とは違って陽が当たっているせいか、彼女の瞳は少し紅みを帯びていて濁りのない透き通った茶色の目をしていた。

 とても綺麗な瞳だった。

 

「ごめんなさいっ……」


「えっ……?」

 

 茶髪の女の子は急に僕に謝ると、僕の横を駆け抜けて校門の方にへと去って行った。


「ちょっと、待っ……あぁ、行っちゃった……」


 きっと、今から走って追いかけても茶髪の女の子を捕まえることは出来ない。

 まぁ、学校は同じだし、会おうと思えばいつでも会えるだろう。


 もう姿が見えなくなった彼女を追うことを諦め、僕も自分の家に帰る事を決めた。


 それにしても……さっきのごめんなさいはいったい何に対しての謝罪だったのだろう?

 別にこれといって酷い目にあったわけでもなかったし……。


 そんな疑問を抱えながら僕は家に帰るために歩き始めた。

 その疑問の答えをすぐに知る事になろうとは思いもせずに――






「は……は……ハクションッ!」


 大きなくしゃみが出た。

 まぁ、それは当たり前と言われれば当たり前なのかもしれない。

 今の季節は秋であり、最近は薄着だと少し肌寒いと感じるくらいなのに、僕はいつかのあの茶髪の女の子の様に全身がずぶ濡れだからだ。

 学校が終わり、家に帰ろうとしている途中で上の階からあのいじめグループに水をぶち撒けられた。

 きっと、あの日の茶髪の女の子も同じ仕打ちを受けたのだろう……。


 茶髪の女の子を助けたあの日から彼らの標的が茶髪の女の子から僕にへと変わった。

 あれからかれこれ3週間も経ったが、未だにいじめは続いている。


 時には体操着をゴミ箱に捨てられたり、時には外履きの靴に砂や草を詰められたり、時には教科書を隠されたりと、僕は1日に1回だけ散々な目に遭っている。

 なぜ1日に1回かというと、あいつらは学校が終わった放課後に事を起こすからだ。

 きっと、学校のある時間内に何かあって問題になってしまえば先生の目に留まり、いじめがバレてしまうからだろう。

 そんな事をしなくても僕が頑張って誤魔化すのに――。


 正直に言って、いじめられて苦しいと思うし、悲しいとも思っている。

 今すぐにでも誰かに助けを求めたかった。

 でも、それは出来ない……。

 誰かに助けを求めてしまえば、その誰かが次の犠牲者になってしまう。

 先生に頼っても、怒られただけではきっとあいつらは懲りもせずに次の標的を見つけ、同じことを繰り返すはずだ。

 それなら、僕がずっと犠牲になればいい。

 僕が我慢するだけで、他の人が傷つかないで済む。

 それが1番の方法だと僕は思った。


 さあって、今日はどういう言い訳をしようか……。


 僕は一旦歩くのを止め、考え始める。

 最近、両親も薄々何かを感じており、いつかの姉の時と同じ様に僕の事を心配してくれていたが、僕は上手いこと誤魔化し続けている。

 毎回のように言い訳を考えるのも大変であり、親に嘘を吐き続けるのも心苦しかったが、それよりも僕がいじめられている事を父さんや母さんに知られたくなかった。

 きっと、僕がいじめられている事を知ってしまえば……2人は悲しい想いをするはずだから……。


「あれ……?」


 目の前の景色が急に滲んだ。

 両の頰を何かが伝う。

 それが何かを理解するのに時間はかからなかった。


「っ⁈ なんで……」


 僕は泣いていた。

 まだ、大丈夫なはずだろ、と自分に言い聞かせたが涙が溢れて止まらなかった。

 涙と一緒に押し殺して来た感情もつい出て来そうになるのを一生懸命堪える。

 

「ねぇ……」


 不意に後ろから声をかけられた。

 僕はすぐに涙を拭い、どうにかして涙を止めようと一生懸命に堪えた。

 涙はなんとか止まり、後ろを振り返る。

 そこには、あの時に助けた茶髪の女の子が険しい表情をして立っていた。


「なんで私なんかのために……」


 申し訳なさそうに、茶髪の女の子は俯きがちにそう言った。


「君のためというか……僕のため?」


 そんな茶髪の女の子を見て、僕は咄嗟にその言葉を口に出していた。

 ほとんど無意識に、反射的に……きっとそれが本心に近かったからだ。


「何それ……」


 茶髪の女の子は僕の言葉を聞いて唖然とした表情をしていた。


「心配してくれてありがとう。でも、僕は大丈夫だよ。何をされても、何を言われても平気だから」


 僕は笑いながら言った。

 本当は辛かった……。

 本当は苦しかった……。

 それでも僕は無理をして笑った。

 彼女を傷つけないために。


 あっ……やばい……また涙が……。


 再び目の前の景色が滲んだ為、僕はすぐに茶髪の女の子から背を向けた。


「じ、じゃあね、バイバイ!」


 震えた声でそう言ったあと、これ以上ボロを出さないように僕は走ってこの場から立ち去った。


「あ、ちょっと……!」


 茶髪の女の子の呼び止める声が聞こえたが、僕はそれでも走り続けた。

 結局、どれだけ抑えようとしても、自分の家に着くまで涙が止まることはなかった。





 家に帰り、濡れた服を着替えて風呂に入ったあと、僕はベッドに入って布団にくるまった。

 幸い両親はまだ家に帰っておらず、今日はなんの言い訳もしなくていいと思うと少し安心した。


「ケホッ、ケホッ!」


 布団の中で咳が出た。

 水をかけられ、体が冷えてしまったせいで風邪でも引いてしまったのだろうか?

 なんだか、体も怠い。


 明日も学校があるのに……今日はもう寝ようか……。


 僕は目を瞑る。

 今は体調が悪く体が重たいと感じているが、最近は体調が悪いわけでもないのに体が重く感じることがあった。

 学校に行きたくない……なんて思った日もあった。

 でも、それでも僕は学校に行った。

 僕が休むことで両親や友達に心配を掛けたくなかったから……。

 いじめられて最初の頃から晴矢もはっちゃんも僕に何かあったと勘付き、心配して声をかけてくれた。

 だけど僕は他の人を巻き込みたくはなかったから、大丈夫と何事もないように装った。

 放課後にいじめを受けているため、最近は晴矢とはっちゃんとも帰らないようにしている。

 きっと、2人とも本当の事を知ってしまえば、僕を助けてくれるに違いない。

 だからこそ、僕は自分がいじめられていることを隠さないといけなかった。

 本当は今すぐにでも助けを求めたいのに――


 閉じている目の隙間から涙が滲み出ていくのを感じた。


 あぁ、このままじゃダメだ……僕はまだ頑張れる……。


「大丈夫……」


 僕はその偽りの言葉を自分に言い聞かせるように呟いた。

 滲み出ていた涙が流れていくのを感じながら。

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