「大丈夫」
日光と別れ、僕は自分の家の前まで戻っていた。
しかし、僕は今から自分の家に入ることに対し躊躇いをもっている。
原因は手にある携帯電話。
その携帯電話の画面いっぱいには橘からの不在着信がびっしりと表示されてある。
携帯電話をマナーモードにしていたのと日光との事もあって、帰り道では橘からの連絡には一切気が付かなかった。
家の前に着き、今は何時だろう? と時間を確認しようとふと携帯電話を開いた時になってやっと不在着信の山に気付いたのだ。
現在の時刻は午後9時20分。
僕が家を出て約3時間が経っていた。
きっと橘は僕に何かあったのかと不安になって連絡したのかもしれない。
それか、夜ご飯もまだなのでお腹が空いてるから早く帰ってこいという催促の可能性も……。
どちらにせよ、怒られるのは目に見えている。
とりあえず家に入らないと何も出来ないので、僕は覚悟を決めて鍵を開けた。
……橘は日光が僕に告白したことを知っているのだろうか?
そんな疑問が頭に過りながらも、目の前のドアを僕は開く。
「「あ……」」
僕を丁度探しに行こうとしていたのか、靴を履いている橘が目の前にいた。
「た、ただいま」
「お帰りなさいです。その……大丈夫でしたか?」
橘が心配そうな顔をして聞いてくる。
大丈夫……それはどの事に対してなのだろう……。
「あぁ。日光の鞄も無事だったし特に問題はなかったよ」
「そうですか……なら良かったです。お腹も空きましたし、ご飯にしましょう」
橘は笑顔でそう言うと、靴を脱ぎリビングの方へと戻っていった。
……あぁ、良かった。
僕はそんな橘の様子を見て胸を撫で下ろした。
それは怒られなかったことに対してもあったが、何より日光と何があったかを聞かれなかったからだ。
あの様子を見るに、きっと橘は日光が僕に告白した事を知らないのだろう。
「陸さーん?」
中々家に上がらない僕へと、橘がリビングから声をかける。
「はいはい。今、行くから」
そう言いながら、僕は家へと上がった。
午後11時。
夜飯を食べ終わり、布団の中に入って携帯電話を触っていた。
あれ以降、日光から連絡は来ていない。
このまま何も連絡をしなかったら次会った時に気まずくなるのは目に見えているので、何かメールを送ろうとしているのだが……僕は文字を打っては消してを何度も繰り返している。
誰かから告白されたのはあれが生まれて初めてだった。
そして振ったのも勿論初めてで……気の利いた言葉など何も出てこない。
「はぁ……」
僕は1度携帯電話から目を逸らし、大きな溜息を吐いた。
あと、10カ月で僕は死ぬ。
今から頑張って日光との仲を修復するよりも、10カ月の間日光とあまり関わらずに生きる方がきっと楽だろう。
でも……それはなんだか嫌だった……。
僕は再び携帯電話の画面に目を向け、文字を打ち始める。
今の関係が崩れてしまうかもしれない。告白なんてしなければ今までの心地いい関係が保たれる。
それでも日光は告白してくれた。
今までの関係が壊れるかもしれないのに日光は僕との仲が進展することを選んでくれたのだ。
あの告白をなかった事になんて出来る訳がない。
なら、僕が出来る事は……
[今日は本当にごめん。日光からの気持ちは凄く嬉しかった。だけど僕には好きな人がいるんだ。でも、この告白で日光との関係がギクシャクするのは辛い。自分勝手なのは分かってる。でも、これからも仲良くして欲しい]
僕は今一度、自分が打った文面を確認する。
うん……多分これで問題はないはず。
僕に出来ること、それは今までと変わらない関係を保ち続けることだけだった。
あんな事があったから全部が全部今まで通りとはいかないだろう。
しかし、今までのような関係が続くことを日光も望んでいるはずだ。
後は送信を押すだけ……。
『貴方の優しさが……とても苦しいの……』
不意にあの言葉が僕の頭を遮り、送信を押そうとしていた手が止まった。
そして、数秒悩み……僕はまた入力していた文字を全て消し、携帯電話を枕元へと置く。
あの言葉を言った時、日光は俯いていたので表情はよく見えなかったが、きっと彼女は泣いていた。
でも僕は日光を追いかけなかった。
それは彼女を傷付けるのが怖かったからだ。
僕の優しさが日光を傷付ける。
きっと、メールを送ればまた日光を傷付けてしまうかもしれない。
僕はそれが怖かった。
くそっ……一体どうすればいいんだよ……。
そんなモヤモヤを抱えたまま、だんだんと僕の意識はまどろみの中へと落ちていった。
いつもの街並みを僕は1人歩いている。
足が凄く重たい。
一歩、歩くたびに地面に足が沈んでいるような感覚。そして、水の中にいるわけでもないのにとても息苦しい。
いつも無自覚でしていた呼吸がうまく出来ない。
止まりたいと思っているのに、この足は勝手に前へと進んで行く。
「大丈夫か?」
僕の目の前に急に晴矢が現れ、そう言った。
しかし、目の前にいるは高校生の晴矢ではなく小学生の頃の晴矢だ。
「大丈夫」
僕の口から勝手に言葉が溢れた。
本当は助けを求めたかったのに、その言葉を口にすることができなかった。
晴矢は僕の言葉を聞き、そうか、と言いうと煙のように消えていった。
晴矢が消え、僕は再び歩き始める。
歩き始めて少し経つと、今度は目の前に小学生の頃のはっちゃんが現れた。
「ゆっちゃん……大丈夫か?」
はっちゃんも僕にへと心配そうな表情を向けながら言った。
「大丈夫」
本当は助けて欲しいのに、またしても僕の口からは本心とは真逆の言葉が溢れた。
それを聞くとはっちゃんも晴矢同様、煙のように消えていく。
その後も歩き続けると、目の前に小学生の頃の友達や担任の先生が次々と現れ、僕に晴矢やはっちゃんと同じような事を問いかけた。
僕もまたそれに対し、大丈夫、とだけ応える。
もう何度同じ事を繰り返しただろう……。
気が付けば、何もない真っ暗な空間にいた。
呼吸する事はままならず、足はまるで石になってしまったかのように動かない。
苦しい……誰か……助けて……。
そう思った時、目の前にある人物が現れた。
その人物の顔は黒い靄に包まれているため誰なのか分からない。
「大丈夫?」
目の前の人物はそう言いながら、僕の前に手を差し出す。
あぁ、これで助かる……。
僕は助けを求めて目の前の手へと手を伸ばそうとした。
しかし、そんな僕の意思とは裏腹に一向に手は動かない。体さえも微動だにしない。
そして、僕の口から出たのはまたしてもあの言葉だった。
「大丈夫」
「うわああっ!!」
僕は勢いよく飛び起きた。
呼吸は乱れ、体は大量の汗で湿っている。
周りを見渡すとそこはいつも通りの自分の部屋だった。
「はぁ、はぁ…………夢……か…………」
壁にある時計を見るとまだ夜中の1時だった。
変な時間に起きたな……それにしても暑苦しい……。
僕は額の汗を拭うために右手を動かそうとしたが、右手に何かが絡み付いていたため動かせなかった。
僕は右手に絡み付いているものの正体を確認し、思考が停止した。
隣で橘が寝息をたてながら、僕の右手を両手でしっかりと握りしめていたからだ。
「うおぉっ⁈」
橘の手を勢いよく振り解き、僕はそのまま跳ね退いた。
僕は今の自分の状況をパニックになりながらも考える。
普段なら橘は僕が以前から使っていたベッドで寝ていて、僕が敷布団で寝ている。
しかし、目の前の橘が寝ているのは間違いなく普段僕が寝ている敷布団だ。
つまり、僕が間違えて橘のベッドに入ったわけではなく、橘が僕の布団に入ってきた事になる。
「ふぁ〜……どうしたんですかぁ……?」
橘は目が覚めてしまったようで、目をこすりながら僕にへと尋ねた。
「どうしたこうもねぇ! 何考えてんだよお前っ⁈」
「何って……陸さんが苦しそうに唸っていたので安心させようと手を握っただけですが?」
「そりゃあ、一つの布団に2人も入ったら、暑過ぎて唸るだろ!」
今は6月の中旬。
夏真っ只中であり、日中の気温は30度を超えている。
それなのに2人で布団に入るなんて、地獄を見るのは明らかだ。
「はぁ……」
溜息を吐きながら頭を抱えている僕を見て、橘はムッとした表情で口を開く。
「言っておきますけど、私が陸さんの部屋に入った時から苦しそうに唸っていましたからね。それに、手を握ったら少し表情が安らぎましたし、その後自分の布団に戻ろうとしたらガッチリと掴んで離さなかったのは陸さんの方ですから」
うっ……僕は寝ていたため橘の言っていることが本当かどうかは分からないが、もし本当なら僕に非がある事になってしまう。
「私だってこんな暑苦しい中2人で寝ようとなんか思いませんよ。陸さんが離さなかったから仕方なくです。はぁ〜……私も汗で全身びしょ濡れですよ……」
橘はそう言いながら、濡れたパジャマの襟元を下にへと引っ張る。
「おいいいぃっ⁈ 見える! 見えるからやめろっ!」
下着を着けていないのか、襟元から見えた胸元に僕は急いで声を上げた。
橘は僕の言葉で自分の現状を理解し、顔を赤くしながら殆どない胸を急いで両手で覆う。
「へ……へっ、変態っ!」
「今のは僕のせいじゃないだろ! もう、早く自分のベッドに戻れ!」
冷静になって考えて見ると、今の状態での汗の滴る橘の姿はよくよく考えると……なんか、その……僕にとっては色々と不味かった。
僕はこれ以上橘の姿が目に映らないようにするためベッドに入ることを急かす。
橘も恥ずかしいのか、そそくさとベッドにへと入った。
「じゃあ、おやすみ!」
僕もタオルケットをかけ直し、橘へと挨拶を送る。
橘も僕に挨拶を返すと、静寂が僕の部屋に訪れた。
………………寝れない。
さっきので目が覚めてしまったのか、全然寝付ける気がしない。
時計の針、布が擦れ合う音など、些細な音が耳に障る。
「陸さん……」
橘も寝付けないのか僕に声を掛ける。
「どうした……」
「……紅葉さんと何かありました?」
僕はいきなりの質問に胸がどきりとした。
「な、なんで?」
ついつい声が上ずってしまう。
動揺が全然隠しきれない。
「家に帰ってからずっと思い詰めた表情をしていましたし、さっきのこともあったので」
……橘は何かあった事に勘付いているようだ。
しかし、告白されて付き合ったならまだしも、告白されて振ったという話は他人にするべきではないだろう。
「別に……特に何もなかったよ……」
「そう……ですか……」
橘がそう言った後、再び静寂が訪れた。
そして、数秘経ち再び橘から口を開く。
「陸さん」
「ん?」
「辛くて……苦しくて……1人だけじゃどうしようもなくなった時はちゃんと頼って下さいね」
橘は僕に諭すように優しくそう言った。
やはり橘は僕の嘘に気付いているのだ。
「あぁ、分かった……」
僕は橘の言葉に対し一応はそう応えた。
しかし、僕のことは自分が一番よく知っている。
きっと、辛くて苦しくて1人じゃどうしようもなくなっても、あの夢のように僕はこう言い続けるのだろう……。
大丈夫、と――




