「最終日」
「そこで何してるの?」
トイレから出てきた水仙さんは僕の隣へとやってくる。
「ここから見える景色が綺麗だと思ってさ」
僕は星が沢山出ている夜空を指差して答えた。
水仙さんも僕が指を指している先の景色を見て綺麗だと呟く。
「周りに明るいものがないから、いつもよりも綺麗に見えるのかなぁ」
水仙さんはそう言ったあと、あっ、と声を上げ空を指差す。
「流れ星!」
「えっ⁈」
僕は急いで水仙さんが指差している方を見たが、もちろん見えるわけがない。
「一瞬だから願い事を三回も唱えられないね」
水仙さんは笑顔で言った。
「もし、願うとしたらどんなことをお願いするんだ?」
「う〜ん……秘密」
水仙さんは人差し指を口の前に出して言う。
「どうして?」
「口に出して言うのは恥ずかしいことだからです。りっくんだったら何をお願いするの?」
「僕? 僕は世界平和かな」
「ふふっ、何それ。しかも三回も絶対唱えられないよ」
「じゃあ、金金金とか?」
「内容が変わってるよ。あと、それだとお星様は『金がどうしたの?』ってなるんじゃないのかなぁ。ちゃんとお金が欲しいですって言わないと」
「それもそうか」
僕らは笑い合う。
星空を眺めながら好きな人と会話をしているなんて、まるで漫画やドラマのワンシーンみたいだ。
…………今が告白するチャンスなんじゃないのか?
そんな考えが僕の頭の中で突如浮かんだ。
今日は林間学校の最終日。
あとはもう帰宅するだけ。
林間学校で二人っきりになる機会なんて、これがもう最後だろう。
今回の林間学校で水仙さんとの距離はまぁまぁ近付いたはず。
今は雰囲気もいいし、窓から見える星空はとても綺麗で、ここはトイレの目の前であって――うん、今ではないな。告白している背景にトイレがあるのはなんか嫌だ。
「りっくんってさ……優しいよね……」
水仙さんは星空を見上げたまま、真面目な顔をして呟いた。
「えっ? いきなりどうしたの?」
いきなりの言葉に戸惑う僕。
「左足を怪我しているのに楓ちゃんのネックレスのために川に飛び込んでさ。もう危ないことはしないって四月に約束したのに」
「あ……ごめん……」
「別に謝らなくてもいいよ。怒ってるわけじゃないから。誰かのためなら体が勝手に動いてしまう。りっくんはそういう人だもんね」
水仙さんは前を向いたまま真面目な表情で言葉を続ける。
「りっくんは当たり前の様にみんなに優しくする。優しくするのが当たり前の事だから、りっくんは自分がした事を忘れてしまう。でも、優しくされたみんなにとってはそれは特別なことだったり大切なことだったりするんだよ」
僕は何も言わず水仙さんの言葉を聞いていた。
日光、楓、薊の事を思い出す。
日光の件は人違いの可能性があるが、他の二人は違う。
きっと、僕が忘れているだけ。
しかし、僕はその事を忘れてしまっていることについて一つだけ思いあたる事があった。
「だからきっと――」
水仙さんが何かを言いかけていたが、突然風が吹き、木々が揺れる音で水仙さんの声がかき消されてしまう。
風が止み木々の揺れが収まった時には水仙さんは口を閉じ、こちらをじっと見据えていた。
僕は何を言っていたのか聞き返そうとするも、僅かながら先に水仙さんが口を開いてしまった。
「ところでさ……」
言いにくい事なのだろうか、水仙さんは両手の人差し指を体の前でもじもじさせている。
「その……なんで楓ちゃんの事は下の名前で呼んでいるの?」
水仙さんは頰を膨らませ気味で言った。
なんだかご立腹のようだ。
「しかも、楓ちゃんもりっくんのこと下の名前で呼んでるし……もしかして…………楓ちゃんと付き合ってるの?」
その言葉で僕は思い出す。
四月に水仙さんへ、下の名前で呼び合うのはカップルがするイメージがあると言ったことを。
「ご、誤解だ! 楓と付き合ってない!」
「楓ちゃんのこと好きでもないの?」
僕は水仙さんの言葉に対し、首を縦へと強く振る。
「そうなんだ……。でも、それは置いといて、私も下の名前で呼んで欲しい」
「え? なんで?」
僕がそう言うと、水仙さんは勢いよく僕との距離を縮めてきた。
「小学生の時は私のこと下の名前で呼んでたじゃん! 小学生の時と比べて壁が出来た気がして嫌なの! 私だけさん付けだし!」
「えぇ……水仙さんで慣れちゃったし……」
「でも……!」
水仙さんは僕の目をじっと見て訴えかける。
なぜか引き下がってくれそうもないし、登山の時は咄嗟に支えたから何ともなかったが、今の状態で水仙さんとの今の距離は僕の心が保たない。
「分かった! 分かったから! 一旦離れて!」
僕がそう言うと、水仙さんは顔を明るくさせ数歩後ろに下がった。
「「……………………」」
お互いがお互いを無言で見つめ合う。
「あー…………今呼ばないと駄目?」
僕の言葉に水仙さんはコクコクと何度も頷く。
「じゃ、じゃあ………………瑞稀……さん……」
やっぱり意識している相手を下の名前で呼ぶのが恥ずかしく、呼び捨ては出来ない。
「あのー、瑞稀さん? 反応がないと困るのですが……」
水仙さんは無言のまま下を向いている。
今彼女がどんな表情をしているか分からない。
楓と同じように呼び捨ての方が良かったのだろうか。
「やっぱり、呼び捨てじゃないと駄目かな?」
僕がそう言うと水仙さんは顔をすぐに上げた。
「ううん。今はそれでいい」
「……なんで口元を隠してるんだ?」
水仙さんは口元を片腕で覆い、僕から目を逸らしている。
「もしかして笑ってる? 僕の呼び方おかしかった?」
「ち、違うの! 思ってたよりも、は、恥ずかしくって……」
水仙さんは僕から目を逸らしたまま答えた。
「なら、今まで通り水仙さんで」
「それは駄目!」
口元から腕を離して水仙さんは僕へと近付く。
さっきまで隠れていたため分からなかったが、その顔は凄く赤かった。
「恥ずかしいけど……それ以上にう、嬉しい……の……だから下の名前で……」
そう言い終わると、水仙さんは再び下を向く。
「分かった。これからは下の名前で呼ぶ」
水仙さんはゆっくりと顔を上げ、僕の顔を見る。
「瑞稀さん」
僕がそう言うと、瑞稀さんは再び口元を手で隠し僕から目を逸らした。
「ご、ごめんなさい……な、なんだか口元が緩んで……りっくんに見せられないような、みっともない顔してると思うから……」
自分で言ってる事が恥ずかしかったのか、今にも湯気が出るのではないかと思うくらい、瑞稀さんの顔は耳まで真っ赤になっていく。
そこまでの反応をされると僕まで恥ずかしくなってくる。
「じ、じゃあ、お休みなさい!」
瑞稀さんは恥ずかしくて居た堪れなくなったのか、僕から逃げるように走って教室へと向かっていく。
僕は挨拶を返す間も無く、その背中に手を振ることしかできなかった。
最終日の朝。
僕は帰りのバスに揺られていた。
隣にいるのは橘だ。
はっちゃんは行きと同じで晴矢に引きずられるように乗車し、残りのペアはじゃんけんで決めた。
「林間学校で何か進展とかありました?」
橘は窓の方を見ながら僕に聞いてくる。
「まぁ、ぼちぼちかな」
「ぼちぼちですか……こんな調子で告白するのはいったいいつの事になるやら……」
橘はこちらを見ずにやれやれといった調子で言った。
橘に対して言いたいことは山ほどあるが、僕はそれを呑み込んだ。
「そういえばさ、橘に聞きたいことがあるんだけど」
今どうしても彼女に聞きたいことがあった。
「なんです? 林間学校は凄く楽しかったですよ。家で沢山思い出話しはするので、今は寝らして下さい」
「そうじゃない。真剣な話しなんだ」
僕は寝そうになってる橘の肩を揺する。
彼女は不機嫌そうな顔で僕の方を向く。
四月に橘は言っていた。
神に関わった記憶は消えてしまうと。
そして、神は僕に恩があると。
それなら瑞稀さんを除く班員の女性達に当てはまる。
僕は日光、楓、薊の三人のことを全く覚えていなかった。
あまりに僕が忘れっぽい人間だったとしても、全く記憶にないというのはおかしすぎる。
そう、つまりは――
「もしかしてさ……今回一緒だった班員の中に神様っているのか?」
僕の言葉に橘は目を丸くした。
そして、静かに微笑む。
「さぁ、どうですかね? それは神のみぞ知る……ってことで」
橘は微笑んだままそう答えた。




