「自分らしさ」
「重い……」
晴矢は立ち止まり呟く。
僕に肩を貸した状態で5分しか歩いていないにもかかわらず、山道のせいもあってか尋常ではないくらい彼は汗をかいていた。
「大丈夫か? 晴矢が無理そうなら一人で歩くけど……」
その発言に対し晴矢は僕を睨んだ。
「お前はまたそうやって無理をしようと……俺は大丈夫だからさっさと行くぞ」
晴矢はそう言うと再び歩き始める。
息遣いは未だ荒い。
「何か僕に出来ることはないか?」
僕が止めたところで晴矢は聞かないだろう。なら、出来るだけ負担を減らしてあげたい。
「そうだな……今のお前に出来ることなんて少しでも軽くする為に服を脱いで全裸になるか、余分な肉を切り落とすしかないが……」
「そんなこと出来るか!」
何を恐ろしいことを言ってるんだこいつは⁈
「ほら、もっとこうあるだろ? あまり体重をかけないようにして欲しいとかさ?」
「怪我人がつべこべ言うなってんだ。お前はただ黙って俺に体預けてい……」
晴矢はそこで言葉を止め、むせ返った。
前を歩いていたはっちゃんが立ち止まり、こちらを振り向く。
「はるちゃん、俺とかわ――」
「あ、あのさ!」
はっちゃんの言葉を遮るように、後ろにいた楓が声を上げた。
「ボクが肩を貸すの交代しようか?」
突然の楓の提案に僕と晴矢、はっちゃんは顔を見合わせる。
「公孫樹さんよりも翔の方が力はあるだろうし、翔でいいんじゃないか?」
「おう。俺も丁度変わろうと思ってたしな」
「僕もはっちゃんでいいと思う。流石に女性に体を預けて歩くってのは気が引けるし……」
男三人が出した答えは一緒だった。
それに楓とは今朝の食堂から一切話しをしていない。
気まずくなるのは目に見えている。
しかし、楓は食い下がった。
「で、でも同じくらいの身長の二人でも歩きにくそうだったのに、二人よりも高い翔君だと更に歩きづらいと思うんだ。余計に足を痛めたらダメだし、だったら陸よりも身長が低いボクの方が……」
「確かに一理はあるが……こいつ結構重いぞ」
「重い言うな」
「空手をしてるからこう見えても力はある方だと思うから、きっと大丈夫さ」
楓は自分の右腕を軽く叩きながら自信のある表情で言った。
ここまで食い下がられると断りづらく、僕達男三人は顔を見合わせ、頷き合う。
「分かった。一応、公孫樹さんの荷物は俺が持とう」
晴矢に言われ、楓は荷物を彼に預ける。
「きつくなったらすぐに言ってくれい。いつでも代わる準備は出来てるぜ」
はっちゃんの言葉に楓はありがとうと礼を言うと、僕に手を指し出す。
僕が楓の手を取ると、ゆっくりと体を引き寄せられた。
「じゃあ、しっかりと捕まって」
僕は楓に言われるがままに楓の肩にへと手を回す。
「重くないか?」
さっき晴矢に言われたことが気にかかり、一応聞いてみる。
「うん、大丈夫。思ってたよりも全然軽いよ。それよりもそっちはどう? 歩きにくくはないかい?」
「ああ。さっきよりも歩きやすいよ」
僕がそう答えると楓は「そう? なら良かった」と嬉しそうに言った。
あれから数分が経った。
歩き始めはちらほらと何気ない会話があり、今朝とは違った楓の雰囲気に僕の先の心配は杞憂に終わったかのように思っていた。
しかし、そんな安堵の時間もすぐに終わってしまい、会話が途切れてしまったのだ。
楓に夜の事と朝の事を引きずっている様子はなかった。
うん。それはなかったのだが……。
僕は無言のちらっと隣を見る。
距離が近すぎるため顔を見る事は出来ないが、耳が真っ赤になっている楓がいた。
きっと顔も真っ赤であろう。
互いが互いに夜と朝の事で頭がいっぱいで密着することの問題を二の次にしてしまっていたのだ。
しかし、不安がだんだんと取り除かれていき、二の次にしていたことが浮き彫りになってきて現在に至る。
今はただ凄く気まずい……。
この状況をどうにかしなければ。
頭の中でそんな事を考えていると風が吹き、優しい香りが鼻腔をくすぐった。
僕と楓との身長差は十センチくらいだ。
多分、これは楓の髪の匂いだろうか?
僕は再び楓の方を向く。
彼女は小柄ながらにしっかりとした身体付きをしている。
しかし、かといって男のような硬い体ではなく、女性独特の柔らかさが……って駄目だっ!
ずっと黙っているせいで変な考えが頭に浮かんでしまう。
何か違う事を考えて誤魔化さなければ。
「おい、女子と密着してるからって変なこと考えるなよ」
目の前を歩いている晴矢が前を向いたまま言った。
「は、はぁ⁈ そんなこと、か、考える訳無いだろっ⁈」
言われたタイミングがタイミングだけに動揺が隠し切れない。
「冗談で言ったんだが……お前まさか……」
「いやいやいやいや! そんなこと微塵たりとも考えてなんかないって!」
「そ、そうだよ。陸がそんなこと考える訳ないだろ。信頼しているからこうやって肩を貸しているわけだし……」
ねっ? と言いながら楓は僕の顔を下から覗き込む。
……今はその楓の信頼が痛い。
とても胸に刺さる。
今でさえその上目遣いにドキッとさせられている僕がいるから。
「うわっ⁈」
「おおっ⁈」
楓が急に後ろに仰け反り、僕の体も引っ張られた。
転びそうになりながらも、咄嗟に踏ん張り楓を支える。
「いつっ⁈」
怪我をしている左脚に力を入れてしまったため激痛が走ったが、2人ともなんとか転ばずに済んだ。
「大丈夫か⁈」
「だ、大丈夫……いきなり何かに後ろを引っ張られて――」
「きゃあっ⁉︎」
楓の後ろで女子達の悲鳴が上がった。
楓の後ろを確認するとそこには体長五十センチくらいの猿がいた。
その手には楓が大切な物と言っていた、あの黒いネックレスが握られている。
「なっ――返せっ!」
楓の声にびっくりしたのか猿はネックレスを投げ、木々が生い茂る方へと逃げて行った。
ネックレスはかなり飛び、下に流れている川の中へ。
それを追い楓は川の中へ飛び込もうと――
「ちょと待て!」
僕は咄嗟に楓の腕を引く。
「離せよ!」
「離せよじゃねぇ! お前泳げないだろうが!」
下を流れている川と僕らの距離は高さ三、四メートルはある。
川の流れ自体はゆっくりで流されて溺れるといったことはなさそうだが、それ以前の問題で楓は泳げない。
「大切な物なんだよ!」
「それは知ってる! でも落ち着けよ!」
暴れる楓の腕を僕は離さない。
「川に飛び込んだところでお前は何も出来ないだろうが! ただ溺れるだけだ! たかが――」
僕は言いかけた言葉を咄嗟に止めた。
僕は今何を言おうとした?
たかが三百円の物だろうって?
そんなものに命をかけるのは馬鹿げてるって?
それは今までの楓の行動を考えれば絶対に言ってはいけない言葉だろ。
自分が泳げない事なんか分かっているくせに、そんなことも御構い無しに咄嗟に川に飛び込もうとした。
楓にとってはそれぐらい大切な物なんだ。
それぐらい大切な物を、僕の価値観で否定しようとした。
「このっ!」
楓が左の拳を振り上げた。
「がっ⁈」
その拳は硬直していた僕の顔面を綺麗に捉えた。
しかし、僕は堪える。
僕は彼女の腕を離さない。
「あ……」
楓は自分が何をしたか理解し一気に青ざめる。
「ごめん、ボクは……」
うろったえる楓の肩に晴矢が手を置く。
「公孫樹さん。残念だけど……あれは諦めた方がいい。見たところ川幅は三十メートルはありそうだし、流れはゆっくりと言へどあの大きさの物を見つけるのは無理だ」
晴矢の言葉に対し、落ち着きを取り戻しつつある楓は静かに頷いた。
それを見た晴矢は苦渋の表情をしながら前を向き歩き出す。
晴矢も本当はあんなこと言いたくなかったのだろう。
「行こう……」
そう言いながら僕は楓の手を引く。
楓は頷き、再び僕に肩を貸す。
体が密着しているせいで楓が震えているのが分かる。
「ごめん……」
楓が小さく呟いた。
俯いている彼女の表情を覗くと、唇を噛み締めながらぽろぽろと涙が溢れていた。
楓は僕に見られている事に気がついて急いで手で顔を拭う。
しかし、何度拭ってもその涙は止まることはなかった。
「…………そんなにも大切なものだったのか?」
僕の問いに対し、彼女は顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら答える。
「うん……とても……とても大切なものだったから……」
僕は下を流れている川を見る。
……そんなことを聞いてどうする気だよ。
どうせ飛び込んだ所でこの広大な川の中からネックレスを見つけることなんて出来ないだろう。
それに僕は今、足を負傷している。
上手く泳げないだろうし、もしかしたら溺れてしまう可能性だってある。
今までは守れる可能性があった。
でも今回は絶望的。
…………………………いや、そうじゃないだろ。
守れないて分かってたら守ろうとする事さえ放棄するのか。
『らしくないですね』
不意に頭の中で声がした。
耳から伝わったものではなく、頭の中に直接届くような感覚。
僕はその声の主がいる方へと振り向いた。
僕が振り向くとそこには、静かに微笑みながら何かに期待している、そんな目で橘が僕を見ていた。
あぁ。そうだよな。
やってもないのに先に結果を考えるのは僕らしくない。
今までだって守りたいという思いだけで行動していた。
今、僕は楓の大切な物を守りたいと思っている。
動く理由なんて、それだけで十分だ。
僕は楓から体を離し上の体操着を脱ぐ。
「ちょ、何して……」
「待ってろ。すぐに取ってくるから」
楓が何かを言いかけたが、僕は構わず川へと飛び込んだ。
水飛沫が上がる。
左足に激痛が走る。
五月の下旬。気温は高くなってきてはいるが川の水はまだ冷たい。
川に飛び込んだのはいいが、やはり足が痛く、上手く進めない。
それでも水を掻き分けなんとか進む。
水の流れはゆっくりだ。
まだ遠くには行ってはいないはず。
もしかしたら底の方に引っかかっている可能性もある。
そんなことを考えていると、ふとあるものが目に止まった。
底石の間に木が挟まっており、その先端に黒い何かが揺らめいていた。
もしかして、と思い近く。
目を凝らして見ると、それはあの黒いネックレスだった。
あぁ、良かった。
見つかったことに安堵し手を伸ばした時だった。
ネックレスが木の枝から外れ流されて行く。
ネックレスととの距離がだんだん開いていく。
足掻くも距離は縮まらない。
ふざけるな。
この広大な川の中、今見つかったのだって奇跡に近いのに、見失えばもう見つけることは出来ないだろう。
もう少ししっかりと泳ぐことができれば、届くはずなのに。
守れなかったけど守ろうとした、その行為自体が救いになる? そんなもの何も守れない自分を慰めるだけの綺麗事なんだよ。
守ろうと決意したところでどうにもならない事は山程ある。
守ろうとしたところで、それなりの力がなければ守る事なんて出来ない。
僕にそれなりの力なんてないのかもしれない。
だけど……それを守れない言い訳にしたくはないんだ!
僕は離れていく黒のネックレスへと再び手を伸ばす。
神様、弱い僕に力を貸してください。
『誰かの大切な物を守れる力を――」




