第二話 女神アーテ
青年『一真』が目を覚まし、まず目に入ってきたのは一般的に教室と呼ばれる学校の一室だった。
一般的に、と言ってもこの教室には『窓と扉が一つもなく、完全なる密室と化している』事以外に……と後ろにつく事になるが。
そんな不気味な教室には一真以外にも顔をキョロキョロと動かし慌てふためいている人間が決して少なくはない人数が存在していた。
そんな様子をボンヤリ眺めていると一真の霞んでいた意識がはっきりと目覚め始めた。
そして焦る。
軽く見ただけでも自分の怪我が全て治っており服も新品同様となっていた事に。
そこで次に思い出す。
自分は『アオイ』の事を追ってビルから飛び降り、死んだのだ……と。
―――なにがどうなっているんだ?
そう口に出そうとしたが、上手く言葉にならなかった。
いや、それ以前に満足に口を動かす事すら出来ない。
その上、今自分はこの席から立とうとしたが立つ事すらできないということに気がついた。
一真以外の人々も同じ様に自身の身に起きている不思議な現象に驚く人が多数見受けられる。
『キーンコーンカーンコーン……』
突然聞こえてきた昔懐かしのチャイムに何事か? と皆が暗中模索していると目の前の黒板がまるでテレビの液晶の様に変化した。
そこには一人の銀髪の美しい女性が映り出されていた。
「初めまして皆さん。突然ですがあなた方は今自分の置かれている状況を上手く理解できていないでしょう? なので教えてあげます。皆さんは『死にました』。そして選ばれました。私達『神々』の遊戯対象に」
そんな女性の言葉に、一真と小数名の人々は頭にはてなマークを浮かべた。
そして、その反面。それ以外の教室の大多数は何か心当たりがあるのかニヤニヤとした笑みを浮かべたり、何か思う所があるのか女性の言葉に聞き入っている。
「我々が『神』であるという事の証明は皆さんの記憶と皆さんの体の状態、そして皆さんのいる部屋の状態などから察していただきたい。皆さんを今、拘束し口を封じをしているのは死の記憶を持っている事から暴れられたりする事を防ぐためですので、気を悪くしないでください」
一真は黒板の奥で話す女性に既視感を覚えたが、全く思い出す事ができない。
そんなむず痒い気持ちを抱えるとともに想い人である『アオイ』はどうなったのかと思考する。
彼女もここに居るのではないか? と思い教室中を見渡してみるもそれらしき人物は見つけられない。
「さてと、それでは早速ですが説明に入りましょうか。先程も言った通り皆さんは『我々』の遊戯対象に選ばれました。その遊戯とは皆さんの世界で言うところの賭けのようなものです。死者の魂を使用し、皆さんの生きていた世界では無く……そうですねぇ、言うなれば―――『異世界』で、皆さんを競わせて行います」
―――冒涜だ。
一真はそう感じると共に女性の発した『異世界』という言葉に嫌な汗をかいていた。
「ふふふっ、ですがそれではただの死者への冒涜に過ぎません。ですので我々は皆さん全員にプレゼントを、そして勝者には願いを叶える権利を与えます。この権利を使用すれば何もかも可能となりますよ。例えば……もう一度記憶を保持したままに子供からやり直したい。とか、特殊な力を持ってアニメや漫画といった創作物の世界に行きたい……などと何もかも可能となります。ね? 魅力的でしょう? 」
その言葉に教室中の全てのものが固唾を飲んだ。
勿論、一真もその内の一人だ。
『こんな狂気に塗れた世界では無く、普通の……元の世界へ彼女と共に還りたい』
という、夢が叶うかもしれないのだから。
いや、既に一真の中でこの願いが叶う事は確定していた。
自分が勝者となる事を前提とした一真の純朴な思考の末に導かれたものである事から、この事に対して信じて疑わなかった。
だからこそ一真は気が付かなかった。
今、自分の体が震えている事に。そして、この震えが喜びからくるものでは無いという事に。
そして、今この間にも自分の中から『何か』が失われていっているという事に……。
「魅力的では無い筈が無いですねぇ? なんたってここに集められた皆さんは『異世界』という言葉に特別な感情を抱いている方々なのですから」
女性の言う通り、この教室にいる人々は全て『異世界』に対して特別な感情を寄せている。
現実に生き場を無くしのめり込んだ人々が一番多く、次点で異世界に対して激しい理想と思惑を持っている人々、そして酷いものでは異世界へ行きたいからとトチ狂い自ら走行中のトラックの前へ身を乗り出した者までいるまでだ。
そんな中で一真の感情は異様と言えるだろう。
他の人々は全て『異世界』に対してプラスの感情を持っているにも関わらず唯一、一真だけはマイナスの感情をもっている。
今、一真を除く大多数教室中の人々の感情は『異世界』に対する期待や欲望に充ち満ちているようにみえる。
少しの不安を見せるものもいるがそれでも心を躍らせているのは明確であった。
それらと同じく、期待や欲望に充ち満ちているという面だけならば一真もその中に入るだろう。
だが、一真が感じているのは『異世界』に対しては無く、その先を見越しての期待や欲望であるのだが、これは一真本人すら知り得無い事実であるが故に周りから見れば自らと同じ様にしか見えなかった。
「皆さんに競っていただくのは『ダンジョン経営』です。異世界にて自らの『ダンジョン』を繁栄させ競いあっていただきます」
『ダンジョン経営』という言葉に半数ほどの人物が息を飲む。
自らの手の甲を抓り夢では無いか確かめている者まで現れる次第だ。
その者達が『ダンジョン』という言葉にどれほど妄想し欲望を持っていたかは想像に容易い。
そして、一真にも『ダンジョン』についての知識は一応存在した。
一真もほんの『六年前』までは創作物に夢を広げる『普通』の学生だったのだから……。
「『ダンジョン経営』という言葉から皆さんなら想像出来るとは思いますが一応言っておきます。皆さんは異世界で人類の敵となっていただきます。そして、ダンジョンにてモンスターを配置し人々を待ち受け、ダンジョンを繁栄させるのです。詳しい事は現地にて分かりますのでそれまでお待ちください。さてと……。次は一番大事な勝者の決定方法ですが、これは『最後の一人』とします。つまり、自分以外のダンジョンの崩壊が勝者の条件です。
人類に攻略される、ダンジョンマスター……つまり、皆さんの死亡。そしてゲーム後半ではダンジョンマスター間での戦争で敗北する事などがダンジョン崩壊の基準となります。これも現地にて分かりますのでそれまでお待ちください」
一真の汗は既に消えており、その黒い両眼にはまるでここでは無い場所を移しているのか、光の反射が見当たら無い。
だが、未だにその奇妙な震えは消えおらず一真を含め『教室内』の誰もその事に気が付かなかった。
「それでは早速ですが、現地へ移動しましょう。『ダンジョン』の位置はランダムとなりますが、街に極端に近い事や人間の入れ無い場所に存在するなんて事は無いのでご安心を。では、皆さんまた会いましょう」
女性の言葉お同時に教室中の全ての人が意識を失った。そして次の瞬間。
先程まで数十人はいた人々はただの一人も残さず居なくなっていた。
◇
「ふふふっ、『一真くん』可愛かったですねぇ……。そうは思いませんか? ―――『エリス』さん」
黒板の映像に新たな女性が現れた。
その女性―――『エリス』はどこか哀れむ様な視線を銀髪の女性―――『アーテ』に送っりながらも口を開いた。
「『アーテ』……。貴女から見ればそうかもしれないが、私はそれ以上に彼が可哀想に思えるよ」
「そうですか? あの光なき真っ直ぐな瞳、そして私の声を聞き無意識に震える体……。ふふふっ、ゾクゾクしますね」
顔を紅潮させるアーテの姿は人間に顔向けできる様なものではなく、『神』と言うよりも『淫魔』の様だとエリスは感じた。
「はぁ、そんな貴女は彼しか見えていない様だが……。自分の役目は果たしてくれよ? 」
「ふふっ、分かってますよ……。あぁ、早く彼の絶望する顔がみたいなぁ……」
「彼が可愛いから、などと言って不正はするなよ? それは私が許さないからな。私は純粋に欲に塗れた人間達の争いがみたいのだならな」
エリスは心底呆れた様な表情をしながらも、アーテにはしっかりと釘をさす。
その事に対してアーテは何か思うところがあったのか小さな笑みを浮かべた。
「ふふっ、ふふふ……。分かってますよ……。『不正』だなんて無粋な真似しませんよ」
『不正』という言葉に力を入れた事からアーテが何か企んでいる事は一目瞭然であったが、エリスは敢えて気にせずに話を進めた。
「はぁ……。本当、彼には心底同情を禁じ得ない……が、私には関係の無い事だ。……さてと、恐らくもう全て『向こう』についている事だろうし我々も行くとするか」
「あら? もう行くのですか? 私、もう少し余韻を楽しみた―――」
「ほざけ。時間が狂うとややこしいのだから、もう行くぞ」
「―――ふぅ、仕方が無いですねぇ」
その言葉を最後に黒板に映る二人は一真達と同じ様にその姿を消した。
教室に残るのは静寂。
これから始まる『狂った神』と『狂わされた人間』による名状し難き嵐の前の静けさであった。