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第1話 ちょっとそこまで

作中に登場する人物、地名、団体名は架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。

例の童話とはまったく別のお話です。


※ 2018/11 大幅な加筆修正を行いました。約5万字増えてます。

 わたしがまだ幼い頃――今から数えればもう十年以上も前の話になりますが、わたしは当時から本を読むことが大好きでした。お姫様や王子様、人魚に妖精、言葉を話す動物たち。そんなファンタスティックな世界がたくさん出てくる、わくわくするような物語。いつかわたしもその世界に入ってみたい、と毎日夢を見て過ごしていました。


 ある日、父が仕事の帰りに一冊の本を買ってきてくれました。一人のかわいい少女が表紙に描かれたハードカバーの本でした。ようやく自分の名前をひらがなで書けるようになったばかりのわたしには少し難しい内容ではありましたが、一生懸命何度も何度も読んでいるうちにその本が大のお気に入りとなり、毎晩のように「これを読んで」と父にせがむようになったことを今でもはっきりと憶えています。

 それは、赤いずきんをかぶった一人の少女のお話でした。


 その本は、おばあさんのおうちへおつかいに行く途中、道草をして一匹の狼さんと出会い、最終的にはその狼さんにおいしく食べられてしまう……という、言葉にするとちょっと恐ろしいストーリーでした。もちろん結末は、無事に助かりハッピーエンドを迎えるのですが、小さなわたしには少々衝撃的だったと思います。


 それなのにどうしてわたしはこのお話を好きになったのでしょうか。


 その赤ずきんという少女は、母に「森には危険がたくさん潜んでいるから、絶対に道草をしてはいけませんよ」と繰り返し忠告を受けていたのにもかかわらず、それを守りませんでした。たった一人でも、なににも臆することなくずんずんと前へと進む勇気と好奇心。……それが、昔のわたしには大きな親近感を憶えたのです。お恥ずかしいことに、わたしもまわりの人の言うことなんてなにひとつとして聞かず、我が道をゆくタイプでしたから。……ええ、まあ、そうですね、いまだにそんな性格は直っていないのですけれど。


 つまりは、そんな理由で――赤ずきんの物語を好きになったのでした。



沙雫(さな)、ちょっとこっちへ来て」


 母の声です。ちょっとリビングへ行ってきます。


 わたしの母は、仕事と家事を完璧なまでに両立させるスーパー主婦です。鶏が鳴く前にむくりと起き出し、炊事・洗濯・掃除をてきぱきと終わらせ、わたしと父を見送ってすぐに出勤し、会社ではバリバリ働き、わたしと父が帰る前に自宅へ戻り、おいしい夕食をせっせと作って待っていてくれるのです。なんと素晴らしい母親でしょう。怒ると少し……いえかなり恐ろしいですが、わたしは母のことが大好きです。


「はい、なんでしょう」

「沙雫、悪いんだけれど、これをおばあちゃんのところまで届けてほしいの」


 渡されたのは、ひとつのバスケットでした。中には焼きたてのパンが一斤。これは母の手作りです。

 わたしはそのバスケットをじっと見つめ、ぼそりと呟きました。


「おばあちゃんのところへ、ですか……」


 しぶりました。わたしはバスケットを受け取りません。

 そんな様子を不審に思ったのか、母の目が細められました。


「なにか用事でもあるの?」

「あ、いえ、まだ決まったわけでは……」


 ポケットの中からケータイを取り出します。

 今の時代は、みんなスマートフォンと呼ばれるものを持っているらしいのですが、わたしはまだガラパゴスケータイ、略してガラケーです。いいんです、わたしはこれで充分です。いくらガタクタケータイと呼ばれようが、わたしはガラケー至上主義者なのです。


 ぱかっと開き、メールの画面を見てみます。メッセージは一件も来ていませんでした。一応センターに問い合わせもしてみます……が、やはりメッセージはゼロ件でした。

 大きな溜め息を吐き出します。


「……もしかしてあなた、まだあの男の子と連絡を取り合っているの?」


 さすがです。母の勘は鋭いです。

 わたしはぎくりと肩を揺らしました。


「べ、べつに、悪い人ではないのですよ」

「でも連絡もとれないんでしょう? 付き合ってもいないんだから関係なんて切ってしまえばいいのに」

「……それは、そうなのですが」


 でも、違うのです。連絡が来ないというのは否めませんが、付き合ってもいないというのは違うのです。

 わたしたち、ちゃんと付き合っているのです。三か月前から、ちゃんと。

 連絡が取りにくくなったのは先月からでしたが、だからと言って別れの話なんてものは、まったく、一度も、一言だって、出たことなんてないのです。

 と、言うことはですよ。わたしたちはまだ交際を続けているということなんです。

 なので関係は切れません。わたしはまだ彼のことが好きなのです。


 母はふっと息を吐きました。


「お母さんは心配だわ。沙雫が悪い人に騙されているんじゃないかって」


 騙されるなんて、まさか。


「心配しないでください、お母さん。彼は少し忙しいのです。大丈夫ですよ、彼は勉強にも熱心で、交友関係も広い、とても明るくいい人ですから」


 わたしは笑顔を見せます。そんなわたしを見て、母も曖昧な笑みを浮かべました。


 ……じつのところ、本当は今日、彼と会う約束をしていたのですが。

 まあ、連絡が来ないのでは仕方がありませんよね。約束をやぶられるのは何度目の話でしょう。もう慣れました。


 わたしはケータイをポケットの中へとすべり込ませると、ふうっと息を吐き出しました。

 それから、お気に入りの赤いポンチョと赤いニットのベレー帽を身につけ、母からパンの入ったバスケットを受け取ります。中から香ばしいいい匂いがします。ああ、そうだ、途中で花も摘んで持って行ってあげましょう。きっと祖母も喜ぶはずです。


 それでは、祖母の家へ行ってきます。

 わたしは元気に家を飛び出しました。


 祖母の家は、わたしの家の裏にある森の小道をひたすらまっすぐ突き進んだところにあります。歩いて片道二時間ほどかかりますが、このあたりには森の中を走るトロッコがないのでどうしようもありません。少し時間はとられますが、散歩と思えばどうということはありませんから。わたしは歩くことが好きなので、ちっとも苦にはなりませんしね。


 途中で出逢うシカさんやリスさん、小鳥たちにもあいさつをして、どんどんと森の奥へ足を進めていきます。


 そんなときです。

 ぴゅうっと、大きく強い風がわたしの体に吹きつけました。

 木枯らし一号でしょうか。とても冷たい風でした。

 思わず目を閉じてしまいましたが、再びそっと開きます。


「……ふう、驚きました」


 そんな独り言を呟きながら、ふと顔を上げれば、森の奥にわたしの帽子が飛んでいくのが目に入りました。さっきの風の仕業でしょう。とんでもないいたずらをするものです。あれはわたしのお気に入りの帽子なのに。


 わたしは急いで走って、それを追いかけました。

 木々の根っこをまたいで、枯葉を踏みしめ、どんどんと小道をそれて森の奥へと足を運びます。ずいぶんと遠くまで飛ばすものです。


 やっとの思いで帽子に追いつき、そっと拾い上げました。

 小さく息をつきかぶり直します。


 すると突然、後ろからお腹に響くような低い声が聞こえてきました。


「おまえ、そこでなにをしている」

「え?」


 くるりと振り返ると、そこにいたのは大人の男のかたでした。

 驚くほどに大柄で、筋肉質で、獣のような目つきをしていて……。


 ――それはまるで、あの“狼”を彷彿させるような人でした。

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