白色涙
「なんでそれを早く言わなかったんですか!?」
舞中よぞらの家の前で、あたしは携帯電話に向かって怒鳴っていた。
〔あれ? 言わなかったっけ?〕
「とぼけんなこのロリコン!」
電話越しにとぼける藍さん。怒りを直接ぶつけられなくてあたしは、その場で暴れた。
絶対にぶん殴る。ぶん殴る!
藍さんは絶対にこれが原因で命を狙われることを知っていた。初めからだ。
ネットは藍さんの庭だから。
多分、幸樹さん達も知っている。
またあたしだけサプライズだ! 毎度毎度!
携帯電話を握り潰しかけたが、ぐっと堪えた。サプライズ好きの兄達の代わりにあたしが大人になってやる!
「藍さん……教えてください。裏の秘密を暴くと、誰に命を狙われるんです?」
「狩人」
それに答えたのは、電話越しの藍さんではなかった。
振り向くとそこにはコクウで――――はなく九城黒葉。
「普通なら一人や二人だが……"狐月組"は十五万人が所属してる。多くの人間の目に触れたから――――よぞらは裏現実の狩人全員に命を狙われる」
皮肉に笑ってみせる顔は、コクウにそっくりなのに違う笑み。
「十五万人……?」
〔ああ、うん。十五万人。掲示板に書き込むならまだしも、よぞらちゃんは"臨時ボス"の権限で、十五万人全員にメッセージを送っちゃったんだ。吸血鬼探しに協力を、ってね。十五万人の関心を集めちゃったわけだ。やること大胆だよね、ぐふふー〕
十五万人? 十五万人だと?
その膨大な数の人間の関心を集めたら、秘密が暴かれる。
「笑い事じゃないでしょ、貴方ならクラッキングして止められたでしょ!?」
〔いや、僕は椿お嬢に夢中になってて……知らなかったんだよ。手遅れ。狐月くんの電話で初めて知ったんだ〕
「よぞらは誰かに説得されてやめるような奴じゃねーよ。決めたら譲らない、頑固だ」
藍さんに続いて黒葉が話す。
誰もやめさせられないってわけか。
「狩人がそろそろよぞらを消そうとくる。吸血鬼だって自分の存在を表沙汰にされる前に消しに来るぜ。殺し屋を辞めたアンタが、守るのか? あ?」
黒葉は突っ掛かるように問う。
あたしは顔をしかめる。
「早坂狐月に雇われたんだろ? 大方。狩人が雇えねぇからって殺し屋でもねぇ奴を雇うなんてなに考えてんだ? あの野郎」
早坂狐月に雇われたと推測した。殺し屋を辞めたことはコクウから聞いたのだろう。
早坂狐月があたしを選んだのは、誰かに勧められたからだ。あたしの腕も見込んでいる。
狩人は彼女を守ってくれない
早坂狐月はそれを知っていてあたしを雇った。狩人全員が敵。
そして吸血鬼までもが彼女を狙う。
裏現実の秘密。
それを十五万の人が知ってしまう前に元凶の舞中よぞらは抹殺される。
狩人は裏現実を守るために、舞中よぞらを狩る。
吸血鬼は自分達の存在を守るために、舞中よぞらを狩る。
「何故止めないのよ……貴方なら知ってたでしょ?」
「だから言ってんだろ。止めたって無駄だ。早坂狐月がなにか手を打つと思ったが、アンタ一人かよ」
吐き捨てる黒葉。
コクウと同じ顔でそう吐き捨てられると、苛立ちが増す。
「随分と甘やかすのね……」
「アンタこそ、白と黒に甘やかされてるだろ」
……コクウの玄孫とは仲良くなれそうにない。
少しの間、黒葉と睨み合った。
あたしが顔めがけて蹴りを繰り出すと、黒葉は顔の前で受け止めて捻りあげる。
それに合わせてあたしは身体を捻らせて、その勢いでもう片方の足で蹴りを決めた。
黒葉がよろめく。トドメにもう一発胸に蹴りを入れようとしたが、他の者に受け止められた。
「そう痛め付けないでくれよ、椿」
「……ふぅん。黒葉の手が、貴方ってわけ。コクウ」
瓜二つの顔が並ぶ。
コクウが黒葉を立たせれば、黒葉はニッと勝ち誇った笑みを浮かべた。
番犬探しはどうしたんだ、コイツ。玄孫の頼み事の方が重要?
「殺す側じゃなく、守る側?」
「可愛い子孫が愛する人を守ってほしいって言うから、椿も守る側なんだろう? ラトアも昨日いたから、ラトアも守る側。手伝うよ、黒の集団総出で」
あたしは呆れて溜め息をつく。
黒葉が雇ったのは、コクウじゃない。黒の集団だ。
あたしが関わっていると知って、ますますやる気になったというわけだ。
吸血鬼のくせに吸血鬼の存亡の危機より、こちらを取るのか。
少し考えたが、アメリカに行かれるよりはましだ。吸血鬼達と対決するならコクウにいてもらわなくてはあたしが死ぬ。
狩人全員が来るなら、人手がいる。
「……なら、手伝ってもらおうかしら」
あたしは舞中よぞらの部屋のチャイムを鳴らして、コクウにとびっきりの上っ面で笑いかけた。
ガチャリと舞中よぞらが出たと同時に、護身用に持っていたナイフを取り出す。
「吸血鬼を見付けたわよ」
よぞらにニコリと微笑んでから、あたしはコクウの腕にナイフを突き刺した。
すぐに引き抜き、黒いワイシャツを捲り、血塗れの腕を晒す。
傷口が見えるよう血を拭うが、傷口なんてものはとっくに塞がっている。よぞらには無傷の白い肌しか見えない。
出血したのに傷口がない不自然を見せ付けた。
「これで満足でしょ? 今すぐ狐月組とやらに吸血鬼探しをやめるようにメッセージを送って」
驚愕したまま言葉を失うよぞらにニコリと笑いかけてから、ポカーンとするコクウと黒葉に目を向けた。鋭く睨み付ける。
「甘やかしてんじゃないわよ。あたし、一先ず帰るわ」
黒葉とコクウを突き飛ばすように押し退けて、あたしはさっさとその場から離れた。
「藍さん。全員集合させてください」
家のリビングに白瑠さん以外が集合した。
座り慣れていないソファーであたしは、不機嫌丸出しで足を組み腕を組んだ。
「そんなお嬢もつぼぐべしっ!!」
「落ち着いてください、椿さん。友達になれば彼女から話してくれることだったんですから」
「これあらかじめ知るべき内容ですよね!?」
頭にくる藍さんを殴れば珍しく幸樹さんが庇い、あたしを取り押さえるから怒鳴る。全くムカつく。
「大体なんで引き受けたんです!? 吸血鬼は元々敵ですが、今度は狩人まで敵に回すなんて!」
「でも少女を守りたい」
「てめぇの私情に巻き込むんじゃのぇよ!!」
「ひぃっ!! 最近お嬢の怒りを露骨にぶつけられるよ!」
いい顔をして言い退ける藍さんにまた殴りかかろうとしたが、幸樹さんががっちり押さえているのでいけない。
「引き受けたのは、椿ですよ? お忘れですか?」
「ぐぅっ…」
最終的に引き受けると言ったのは他でもないあたしだった。
しかも幸樹さんにはついさっき、遂行させると宣言してしまった。
クライアントに隠されたならこの仕事を降りられるが、クライアントは藍さんに話していてあたしだけ隠されていたわけでクライアントに非はない。だから仕事を蹴る口実にはならないのだ。
「黒の集団まで味方につくのは嬉しい誤算です。これならよぞらさんを守りきれるでしょう」
黒の集団の実力をよく知ってるから、どれだけ強い味方がついたか理解してる。
だが、本当に守りきれるのか?
吸血鬼はますます怒り、コクウが壁になってもコクウごとあたしを殺しにくる。
吸血鬼だけでも手一杯なのに、狩人全員が敵に回るなんて。まぁ二人例外がいるが。
「秀介……いえ、ポセイドンのことは配慮しましたか?」
「え? 何故です?」
「狩人の情報網でよぞらをあたしが守ってることを知り、飛んできてしまいますよ」
狩人のポセイドンこと秀介。血相変えて飛んでくる。その場合、篠塚さんがどう出るかわからない。
秀介のことだから「椿を守るぞ!!」と嫌がる篠塚さんを引っ張って来そうだ。
そんなことをしたら、間違いなく黒の集団と番犬こと篠塚さんと鉢合わせする。本末転倒だ。
「……そうならないことを祈りましょう」
全然配慮してなかったみたいだ。
それ、絶対にどうにかしなきゃいけないと思う。最悪な事態を避けるために。
「あ、よぞらちゃんからメッセージ来た。本当に吸血鬼探しをやめろってメッセ送らせたんだね! お嬢すご!」
「どうしてそれがすごいのか理解できません」
よぞらがやっとやめろとメッセージを送ったらしい。
彼女に説得することがそんなに難しいことなのだろうか。
「狐月組のボスって、元々信頼があっつぅいからね。よぞらちゃんが臨時でボスやってることを知る人間はたった数人。大抵のことならよぞらちゃんのメッセージで動いちゃう。狐月くんは、彼女にそれをあげちゃったわけだ」
十五万人の下僕をか?
「よぞらちゃんの性格は、狐月くんが教えてくれたよ。決めちゃうとやり遂げちゃう、狐月くんがギターを買うと言ったのに反対を押しきって自分で稼いで買ったし。敵のギャングとの抗争の時も止められたのに喧嘩メンバーを仕切って倒したんだ」
あのギターを思い浮かべた。ギャングを潰した親玉なんて、よぞらとは思えないし似合わないが、だけど事実らしい。
相当頑固者のようだ。
「椿さんと同じですね」と幸樹さんが余計なことをいう。
「狐月くんも説得できないんだから誰も説得できないと思ってたのに、椿お嬢がやめさせた。すごいよ」
「…………その早坂狐月は、何故よぞらのそばにいないんです? 何故臨時ボスなんかやらせてるんです?」
「いや……そこまでは知らないよ。個人的なことまでは」
幸樹さんから解放されてあたしはソファーの上で胡座をかいた。
藍さんも知らない事情らしい。
それはよぞらは早坂狐月本人に訊くべき。
あたしは携帯電話を開いてあたしは蓮真君に電話を掛けた。
〔なんだよ?〕と不機嫌な第一声。昨日勝手に切ったことを怒っているみたいだ。
「緊急事態なの、早坂狐月について知ってることを話してくれない?」
〔……なんで先輩のことを訊くんだよ。何があったんだ?〕
話そうかと思ったが、蓮真君の兄達は狩人。話せばお人好しの蓮真君は首を突っ込む。
前回の件もあるから巻き込めない。
「別に彼にはなにもないわ。彼の情報がほしいだけ、最後にあったのはいつ?」
〔……去年の秋が最後。確か今は埼玉住みのはすだ……よぞらの方が知ってるはずだけど? 友達なんだろ〕
「そう。訊いてみるわ。ありがと、蓮真君」
呼び止められたがあたしはサッと電話を切った。
早坂狐月がよぞらと会ってる気配はない。あたしと面会したあのマンションにいる可能性はない。
アイツは何処にいるんだ?
愛する人が危険なときに、一体何処で何をしている?
「早坂狐月とよぞらは付き合ってますか?」
ズバリと直球で藍さんに訊いた。
「知らない」
藍さんはフルフリと首を振る。
「よぞらちゃんに好きな人がいるってのは聞いたけど、それが狐月くんかは知らないよ」
とぼけているようにしか見えない。
本当は気付いているのでは?とあたしはじっと睨み付けた。きょとんとした藍さんは、照れたようなにやけ顔をする。
あたしはイラッときてまた殴りかかろうとしたが、今度はラトアさんに片腕で押さえ付けられた。
「コクウと結託するのでいいんだな? お前は休め。夜になったら行け」
「むぅ……いいえ、今から行きます。よぞらがどうしてるか気になるので」
吸血鬼の存在をいきなり明かされたよぞらの様子が激しく気になる。あたしのせいだけど。
コクウと黒葉がどう宥めているかも不安だ。
「オレも行こう」
「いえ、私が行きます。明日は仕事があるので今日は私が」
狩人がそろそろ来る。黒葉の情報を伝えたので警戒体制だ。
黒葉のことは話してないけど……。コクウの弱点を言い触らさない方がいいと判断したからだ。
あたしと幸樹さんが行くことにして、ラトアさん達は家で待機してもらうことにした。ハウン君は既におやすみだ。
「椿さん、これ」
「あーはいはい」
幸樹さんに今日買った物の紙袋を渡してくるから、あたしは早々と自分の部屋に行きそれを放り投げた。
「いてっ」
放り投げてから白瑠さんがあたしのベッドで寝ていることを思い出したが、時既に遅しで紙袋の山は彼の上に落下する。
ひぃっ……!!
最悪なことにドア側に頭を置いていたので顔面直撃。怒っていた白瑠さんに火に油。
ぬくっと起き上がる白瑠さん。
あたしからでは背中しか見えないが、物凄く怒っている雰囲気。
「ご、ごめんなさい……白瑠さん……。大丈夫ですか?」
捕まらないように、距離をとりながら恐る恐る白瑠さんの顔を確認した。おう確認するんじゃなかった、と後悔する。
じとり、と今朝と同じく笑みなんてない。怒った表情の白瑠さん。
ビクッと震え上がるが、よく見ると何だか辛そうに汗を垂らして息を荒げていた。
熱がまた上がったの?
あたしは慌てて手を伸ばして熱を測ろうとしたが、白瑠さんがその手首を掴まえて止めた。
痛いほど握り絞められる。
「痛いっ、痛いですよっ……! 白瑠さん!」
引っこ抜こうとしたが、白瑠さんの力に勝てるわけなく、痛みを和らげようとベッドに乗って腕を捻った。
「白瑠さんっ!」
「……なんで?」
「え……?」
「……なんでだよ」
呟く白瑠さんな声は辛そうだ。
「俺のせい……?」
左手であたしの頬に触れた。その手は熱い。
じんわりと熱が広がる。
「俺のせい……?」
荒い息を溢しながら問う白瑠さん。あたしを見てくる虚ろな目が、次第に潤んでいく。
「なんでそんな目に遭うんだ?悪くないのに……何一つ悪くなんてないのに……どうしてどうしてどうして?」
「白瑠さん?」
「なんでっ」
今度は両腕であたしを抱き締めた。力が強すぎて、痛い。
「白瑠さんっ? どうしたんです?」
白瑠さんの肌がすごく熱かった。熱で魘されているようだが、腕に込められる力が強くて振りほどけない。
「笑って……笑って……幸せに生きてほしいのに……笑って……生きて……生きてほしい……」
辛い吐息が零れる唇が首筋に当たる。
「生きて……ほしいだけなのに……どうして?」
白瑠さんは繰り返す。
「どうして? なんで?」と何度も問う。自問自答だった。
「なんでとまるの?」
泣きそうな声で言われて、初めて白瑠さんが何を口にしているのか理解する。
白瑠さんはあたしの胸に耳を当ててる。
怒っているのはこの心臓のことだ。
この鼓動
俺
止めるつもりなんて、ない
止めたくないあたしの心臓。
動き続けてほしいあたしの鼓動。
悪魔が動かさなければ止まってしまう。
俺のせい……?
なんでそんな目に遭うんだ? 悪くないのに……何一つ悪くなんてないのに……どうしてどうしてどうして?
笑って……笑って……幸せに生きてほしいのに……笑って…生きて……生きてほしい……
白瑠さんは、一体、何を言ってるの?
俺のせいって、何を言ってるの?
「白瑠さんっ! 何を言ってるんです!? あたしは生きてます! この鼓動が聴こえてるでしょ!? 生きてます!!」
突き飛ばすように押し退けてあたしは怒鳴った。
あたしは生きてる。今も生かされている。ちゃんと心臓は動いて、鼓動を奏でてる。
なのに、白瑠さんは。
白瑠さんの表情は、悲しみが滲み苦しそうにしかめていた。
何故そんな顔をするの?
まるであたしが死んだみたいに……もう死んだみたいに……あたしの心臓はまだ動いているのに、どうして白瑠さんはそんな顔をするの?
椿の正常を異常にしたのは白瑠、お前なんだ。椿を殺戮者に仕立てあげたのは裏に引き込んだお前なんだよ、師匠さん。お前が椿をぶっ壊したんだ!
白瑠さんにぶつけたコクウの言葉が過る。あの時白瑠さんは震え上がったが、コクウに言い返した。
椿はっ! 間違ってなんかない!! 血塗れになってもっ椿は笑った! 笑って笑ってっ幸せも手に入れたんだ! それを否定っっっすんなぁあっ!!!
白瑠さんは声を上げて、そう言ってくれたのに――――何故?
「白瑠さんっ……?」
「…………椿っ……!」
あたしの服を握り締めて、白瑠さんは悲鳴のようにあたしの名を呼ぶ。
こんなにも弱りきった白瑠さんは初めてみた。こんなに弱りきっているのは、あたしのせい?
「白瑠さん、やめてください。あたしは生きてます。白瑠さんのせいなんかじゃないですよ。白瑠さん」
顔を伏せてしまった白瑠さんに言い聞かせた。
違う。そんなんじゃない。
「心臓は動き続きます、これからも! 白瑠さん!」
あたしは生きてる。心臓も動いている。そう言い続けた。
「椿……」
それなのに、白瑠さんは首を振る。
悲しげな声で、あたしの名を口にして。
「……椿っ……」
顔を上げた白瑠さんは、涙を溢してた。
ボロボロと雫が次から次へと、落ちていく。また一つ。また一つ。
あたしを苦しそうに見つめる白瑠さんは、唇を震わせてなにかを言いかけた。だけど吐息だけを溢して、ぎゅっと唇を噛み締める。
白瑠さんはただ、黙ってあたしの目の前で泣いた。
大粒の涙を一つまた一つと落としていく。
白瑠さんが何を言おうとしたか、わかってしまった。
あたしを傷付けまいと飲み込んだ言葉を、あたしは気付いてしまった。
白瑠さんは、あたしに謝ろうとしたんだ。
ごめん。
その一言をあたしに向けようとした。
謝らないでください、そう言おうとしたが喉の中がチクチク痛くて言葉が出ない。そもそも白瑠さんも口にしていないのだから、言うのは変だとあたしは口を閉じた。
でもその謝罪の意味を考えると、"どうしてそんなことを言うの?"とその言葉が喉を引き裂いてまで出てきそうになる。
あたしは飲み込んだ。
なにがごめんなの?
あたしの心臓を守れなくてごめん?
あたしを裏現実に連れてきてごめん?
あたしを中毒にしてごめん?
あたしをぶっ壊してごめん?
全部を含めて、ごめん?
白瑠さんは泣いている。歯を食い縛りながら声を殺して泣いていた。
淀みなく涙が落ちていく。
こんな風に泣くなんて思ってもみなかった。こんな風に涙を落とすなんて、思いもしなかった。
あたしは白瑠さんの涙を止められないまま、じっと動かず目の前で座っているだけ。
あたしも泣いてしまいたかった。
だけど堪える。
堪えてずっと、白瑠さんの涙を見ていた。
真っ白のシーツに溶けて消えるその雫を、ただひたすら見つめる。
いっそのこと、叫んでしまいたかった。
白瑠さんに全てをぶちまけてしまいたかった。
怒鳴って怒りたかった。
だけど、苦しすぎて何もできない。
声が枯れるほど、違うと悲鳴を上げたかった。あの日の夜と同じく、コクウに言った時みたいに、あたしは殺戮した。人を殺した。だから監獄に入れられ死刑を待つしかなかった。それを救ってくれたのは白瑠さん。白瑠さんが裏現実に連れてきてくれなければ、あたしは死刑を待つ間に心臓が止まってしまっていた。愛を教えてくれた人達に出会えなかった。ずっと一人ぼっちで死んでしまうところだった。
だけど白瑠さんのおかげで、篠塚さんに会って秀介に会って幸樹さんに会って藍さんに会って由亜さんに会って、あたたかい場所で幸せな時間を手に入れることができた。
何度も死にかけたしすごく痛い思いもしたけれど至極苦しかったけれど、包んでくれる温もりがあるだけでそばにいてくれる人がいるだけで、幸せだった。
それを全部伝えられたらどんなによかったか。全ての言葉はあたしの中で留まり、滅茶苦茶に引き裂いていく。
だってそれを否定されているから。
白瑠さんは否定してあたしに謝ろうとした。
自分の過ちだと、認めてあたしに謝ろうとした。
与えてくれた白瑠さんが――――――――あたしの幸せを否定した。
白瑠さんはまだ泣いている。ボロボロと一生分のような涙を流していく。
あたしも白瑠さんみたいに泣いてしまいたい。だけど堪えた。
真っ白になった雫を、見つめながらあたしはその強烈な痛みを堪える。
――――白瑠さんはあたしを傷付けた。