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紅く染まる



その色を嫌いになっても。

あたしの手は紅いまま。





 だからあたしは笹野椿だ。

山本椿は有名なのか?有名なのか?

もうほとぼりが覚めて、世間では死亡されたこのあたしの名前を何故教えてもいない表現実の人間が知っているのだ。

これでも雰囲気が変わったからちょっとやそっとでは、あたしが"山本椿"だということはバレないはずだった。

実際クラスメートやすれ違う生徒は気付いた素振りは見られなかったんだ。

なのに何故、早坂狐月と舞中よぞらはあたしの名を知っている?


「帰ってきたんですね、よかった」


舞中よぞらは無邪気な笑みを溢した。

帰ってきた…?

帰ってきたって…。

心当たりは一つしかない。

あたしがあの家を出ていて、戻ったことを彼女は知っているようだ。


「幸樹が?」

「いいえ。白瑠ですか?」

「うん、俺が話した」


お前かっ!!

情報源はまさかの白瑠さんだった。


「仕方ありませんね、こうなったら彼女を家に招きましょう」

「えっ…」


いいのか、それ。

戸惑っていれば、ラトアさんが歩み寄ってきた。


「クライアントのことさえ伏せればいいのだろ。知り合いなら全員いるあの家に連れていけばより守りやすい」


ラトアさんはそっとあたしに耳打ちするとハウンくんを掴みズルズルと行ってしまう。

クライアントの早坂狐月は何故か自分のことは伏せてほしいとのことだ。

確かに白瑠さんが不調だってことを覗けば、あそこなら守りやすい。

だが本当にいいのだろうかと躊躇して、首を傾げたままこちらを見つめてくる少女に目を戻す。

どことなく目が輝いて見えた。その要素は恐らく好奇心だろう。


「…どうしてあたしを知っているか…知らないけど……一緒に来てもらえないかしら?」


あたしがそう言うと、彼女はまた一層輝きを増した目で「はいっ!」と可愛らしい声で頷いた。

…彼女、これから授業があるのでは?と疑問が過るがどうやらサボっても本人は気にしていないらしく階段から降りてあたしの前に立った。

どうやら彼女の方があたしより身長が低いようだ。人懐っこそうな笑顔でニコッと笑いかけてくる。それを見つつ、あたしはラトアさんが待つであろう車に向かった。


「……舞中さんは」


 ラトアさんが運転する車の中、なにも知らないはずの少女は無警戒で車に乗り込んだ。この誘拐されてしまうタイプだと思う。

まるで遊園地に行く子供のようにワクワクした笑みを浮かべていた彼女にどれから訊こうか、迷った。

通信機は藍さんの手で切られたらしく、音がしないから外した。


「藍さんとはどうゆう、知り合い?」


口にしてから選択を誤ったかもしれないと過る。

白瑠さんはあたしとの関係を話したようだが、藍さんと幸樹さんはあたしと関係していることは話していないはずだ。

予想通りで、舞中さんは驚いたように目を丸めた。


「I・CHIPさん、のこと…ですか?」


自信なさげに確認する。

コードネームの方で知り合いなのか。あたしが頷けば花が咲いたように彼女は笑った。


「はい、何度かお会いしてバイトをしました」


………バイト?


「Iくんに頼まれてコスプレしました」


まさかの被害者だった。

がしかし、被害者本人は被害者に遭ったことに気付いていないのか笑っている。


「……コスプレするだけのバイト?」

「はい。一着三万で引き受けました」


何やってんだよあの変態は。

絶対ボコす。絶対ボコす。とあたしは心に決めた。


「あの人、器用ですよね。あんなドレスを作っちゃうなんて」

「…指先が器用だから」


彼の変質的面を知らないのか、舞中さんはのほほんと誉める。

確かに手先が器用で職人顔負けねゴスロリドレスを仕上げる人だ。その指でハッキングするし、盗撮するしストーカーするし誘拐する。

彼女は知らないのだろうか。

 藍さんとはバイトを通して知り合ったというわけなのだろう。

不思議だ。あたしの周りの人間と知り合いの表現実者。


「じゃあ…白瑠さんとは?」

「………」


舞中さんは少し困ったように考えた。

彼の名前には特段驚いた様子を見せなかったところを見ると、やはり白瑠さんがあたしのことを話していたようだ。


「…あなたが覚えていないのもむりありませんが、一度お会いしたことあるんですよ」


苦笑しつつ舞中さんはそう言い出した。

は?あたしが…会ったことある?

あたしはポカンとしてしまった。

覚えがない。


「駅で不良を殺害した後にすれ違ってぶつかったんです。あなたと」


彼女はさらりと言った。

あまりにも自然すぎたが、明らかに口にしたのは異形な言葉。

表現実者なのに、それを平然と口にした少女は可笑しかった。

それはきっとあたしが白瑠さんから裏現実の存在を教えてもらい、慣れない武器で殺した時のこと。

白瑠さんも一緒にいたから、きっとその時に"会ったんだ"。

でもあたしに誰かとぶつかった記憶はない。道をすれ違ってぶつかったことは覚えていなくても無理はないだろう。

どうやら白瑠さんは彼女に喋りすぎているようだ。


「それから少しして、バイト先でばったりお会いしてからお話しする仲になりました」


そう微笑む彼女。

危うさを感じた。

表現実者なのに、仲良くなる相手を間違っている。

藍さんや幸樹さんは表の面も持ち合わせているが、白瑠さんは裏オンリーの人だ。友達になるにはあまりにも危険な人。

早坂狐月はそれを知っていたのだろうか?

表現実者でありながら、彼女は裏現実で恐れられている殺し屋と友達になって、今現在一応名前を馳せている殺戮中毒者のあたしと吸血鬼二人と同じ車に乗っている。

なんなんだ、この少女は。

危なすぎる。

裏現実と表現実の境目に立っているようだ。

この少女、下手したら裏を見ることになる。

そもそも彼女は、あたしが人殺しと知っていてもついてきた。恐らく白瑠さんがどんな人かも想像がついているはずだ。

臆しない彼女は、とても不気味に見えた。

ラトアさんもそうなのか、バックミラーで後部座席のあたし達を見張る。


「ところで…」


あたしが黙り込んでしまったため、気まずくなったのか舞中さんは沈黙を破った。


「何故、椿さんは制服を着ているんですか?」


痛恨の質問。

脳裏に浮かぶイケメンの爽やかな笑顔をボコボコにする。


「ちょっとした……罰ゲームよ」

「はぁ…」


怒りが隠せていなかったのか、舞中さんは縮こまった。


「白瑠さんのお宅ですか?」


家についたところで舞中さんが訊く。見上げるのは幸樹さんの家だ。

あたしは少しだけ考えたがどうせわかってしまうことだから、あたしは名乗ることにした。


「あたし、今は笹野椿なの」

「…笹野?」


聞き覚えある名前に彼女は口をポカーンと開けたが、ラトアさんに背中を押されて中に入るように急かされる。


「おかえりなさい」


幸樹さんは出迎えて微笑をあたし達に送った。あたしは幸樹さんに「ただいま」と返してから舞中さんの顔を見てみる。

驚愕した顔をしていた。


「さ、笹野…せんせ?」

「いらっしゃい、よぞらさん」


信じられないと目を見開く舞中さんにただ微笑を向ける幸樹さん。

舞中さんはあたしに戸惑った視線を向けた。


「ああ、紹介が遅れましたね。私の妹です」

「私の兄です」


幸樹さんがあたしの肩を掴み抱き寄せてきてそう暴露するので、あたしも調子をあわせて紹介する。


「えぇっ!?」

「クスクス」


声を上げて驚く舞中さんの反応が気に入ったのか、幸樹さんは笑った。


「えっ、じゃあっ…家出した妹さんって…!」

「はい、彼女のことです」


!?

名前は言わなかったが、どうやら幸樹さんまであたしが家出したことを彼女に話したようだ。

今度はあたしが驚愕した顔を幸樹さんに向ける。

なんで白瑠さんと幸樹さんは彼女に話したんだっ!

問い詰める前に足元に見慣れない靴があることに気付く。

高級感漂うワインレッドのヒールと革靴。

勿論そのヒールはあたしの物ではないし、革靴だって幸樹さん達のものではない。

この家に出入りするような女性はあたし以外いないというのに、この女物のヒールは誰のだ?

あたしは幸樹さんにまた顔を向けた。


「お客さんが来ていますよ」


幸樹さんは微笑を浮かべたままあたしに言う。あたしに会いに来た客人。

嫌な予感しかしない。

あたしは先に廊下を歩いてリビングに向かう。

悪魔が憑いている身であたしは神様に願った。どうかリビングにいるのは、あのニヒルを浮かべた美女ではなく女優吸血鬼でありますように。

あのワインレッドのヒールを履くあたしの客人は予測するとその二人しかいない。

可能性が高いのはあのニヒルを浮かべた美女。

いや、そんなはずはない。

彼女がいるはずはない。

だが女優吸血鬼がくるのもまたあり得ない。

兎夏さんがお洒落して遊びに来たならとても喜ばしかったが、予想的中。

やはり悪魔が憑いているあたしの願いは聞き入れてもらえない。


「おかえり、キャット」


すらりとした長い美脚を組んで、彼女はニヒルな笑みを向けた。

ソファに座っているが、視認してもまだ信じられない。

彼女があたしの住み慣れたリビングに居座っていることに違和感を覚えた。

きらびやがなブロンドの前髪だけを垂らして後ろに纏めて束ねていて、相変わらずオーダーメイドのスーツをきっちり着てそのモデルのような素敵な身体の持ち主。

その若さでありながら、次期女大統領と囁かれている政治家、ミリーシャ・ビアンカ。

ニヒルな笑みを浮かべながらブルーアイを細めてあたしを見上げた。


「何故、あなたが…」


必死に動揺を表に出さないように訊こうとするも、あまりのサプライズに言葉が詰まる。

ミリーシャから目を移せば、彼女の専属SPであるエリックが立っていて哀れみの苦笑を向けられた。


「実はとある噂を耳にしたの。キャット、お前が殺し屋を辞めたという噂。事実を確認しなくてはいけないと思って飛んできた」


彼女は確信突く言い方で、その眼差しで射抜くようにあたしを見る。

あたしは秀介の名前を叫びたかった。

絶対に秀介が情報源だ。


「……ポセイドンとゼウスは?」


見たところ二人はいないらしい。


「すれ違いだ、今頃アメリカについた頃だろう」

「………」


出発前に情報を手に入れて、そのまま飛んできたのだろうか。

二人がとんぼ返りしていないのならそれでいいが…。

問題は彼女が今ここにいることだ。


「殺し屋をやめて学生をやり直したのかしら?」


彼女は興味津々にあたしの格好を見る。エリックもあたしのスカートを凝視をするものだから、幸樹さんが咳払いした。


「事情はお兄様から聞いたわ」


にこり、とミリーシャは笑う。

あたしはバッと幸樹さんを見る。

なんで話しちゃうだよっ!!

ミリーシャはあたしを専属SPに欲しがっている。あたしは少しの間だけ彼女の刺客を殺す殺し屋として護衛についていたが、殺しをし続けなきゃいけない殺し屋を理由に断って逃げ出した。

彼女は欲しいものは手にいれなきゃ気が済まないタイプだ。横暴さはともにして思い知ってる。

あたしが頑なに首を振る理由が消えてチャンスだと多忙な身でありながらすっ飛んできたのだ。


「ふむ、そのお嬢さんが」


どうやら幸樹さんは今の仕事まで話してしまったようだ。

幸樹さんの後ろに立つ舞中さんに意味ありげな目を向ける。

標的を彼女に変えた。

つまり彼女が今あたしが守るべき対象だから、彼女を説得してあたしを買うつもりなのだ。

あたしはそれを阻止するために彼女の気を引く。


「ポセイドンとゼウスが待ちぼうけを食らっているのではないんですか?連絡します」

「それなら問題ない、ちゃんと手配してある」

「彼に来ると伝えてましたか?」

「いいや。お前を口説きたくてね」


真っ向からミリーシャは目的を明かしてニヤリとあたしを見上げた。

その瞳は闘争心が込められている。

ヤバイ目だ。

このチャンスを見逃さないつもりなのだ。

絶対にあたしを負かすつもりで来たらしい。そしてあたしを連れ帰る気だ。

負けん気が強いミリーシャに火がついている。彼女に負けん気がなければきっと数々の権力者に刺客を送られるような立場にはならなかっただろう。

そのため守り甲斐があるとかでエリックを含む専属SPは彼女の危険な護衛任務を好んで楽しんでいるとか。

確かに軍仕込みの暗殺者など手練れと数多対決できたその経験はかなり大きなものとなったと思う。


「お言葉ですが、ミスミリーシャ。あたしはずっと断り続けたでしょう、今後も」


秀介に連絡しようとしてやめた紅い携帯電話をしまおうとしたが、それができなかった。

あたしの掌から紅い携帯電話は落ちる。

あたしはそれをスローモーションのようにただ、見ていた。


 いきなり視界は変わる。

真っ白だ。

息が吹きかかっていることに気付いて顔を上げると、白瑠さんの顔があった。

リビングにいなかったからきっと部屋で休んでいると思っていた彼が、あたしを抱き締めそうなほど近い。何してるのかな、とあたしはぼんやり彼を見上げた。

白瑠さんはなんだか眠そうに目を細めて薄い笑みを浮かべていて、汗を流している。

熱による汗なのだろう。

そう思ったが、自分が何かを握っていることに気付いた。

視線を下げる。

白瑠さんの真っ白いYシャツ。

あたしの手が彼の腹部に向けられている。

強張った自分の手を動かして、開くと白いYシャツにプッシュダガーが突き刺さっていた。

じんわりとそこから紅色が滲んでいく。掌がその紅に染まっていた。


「…つーちゃん……」


吐息がまた吹きかかる。


「ごめぇん……」


そう白瑠さんは微笑んであたしの頭を撫でた。

あたしの目の前で、白瑠さんは崩れ落ちる。


「おいっ!白野郎!」


ヴァッサーゴが叫んだ。


「…ひゃひゃ…」


足元に倒れた白瑠さんは、力なく笑う。

 ドックン。

高鳴る度に痛みがする心臓。

 ドックン。

喉に何か詰まったみたいに息が吸えなくなった。

 パッリーン!!

窓ガラスを突き破り、何者かが侵入した。





「やめろっ!!もう終わった!!」


 ヴァッサーゴがあたしの右手を握り締め、腹に腕を回して押さえ込んで叫ぶ。

 もう終わった。

その言葉の意味を自分の目で理解する。

あたしは変わり果てたリビングに立ち尽くしていた。

見覚えのないナイフがあたしの手に握られていて、その刃から血が滴り落ちる。

ガラスが散らばる上に、武装した覆面の不法侵入者達は血を流して倒れていた。

テレビの前にはミリーシャ。ミリーシャを庇うようにエリックが立っている。その横にぐったりしている舞中さんをラトアさんが抱えていた。

カラン、とあたしの手からナイフは落ちる。


「…はくる、さ…」


幻だと願ってあたしは彼を探す。彼は部屋の前で倒れていた。

ヴァッサーゴを押し退けて白瑠さんに駆け寄る。ガラスを踏んづけたのか痛みがしたがそれより彼だ。

白瑠さんは相変わらず笑みを浮かべていたが、その腹にはあたしが所持していたはずのプッシュダガーが柄まで深々に突き刺さっていて白いYシャツをその血で染めていた。


「油断しちゃった、ごめん…つーちゃん」

「白瑠、さん…」


手を伸ばすが触れられなくて、真っ赤に染まった右手をあたしは握り締める。ガクガクと震えた。


「椿……大丈夫だよぉ…椿のせいじゃないから」


そっと白瑠さんはあたしの頬を撫でて笑いかける。ヌルッとした。あたしの頬に返り血があったのか、彼の色白の指先は血に濡れる。

体調不良で油断していたから。

あたしに突き刺された。

あたしが白瑠さんを刺した。

それも急所を一突き。

そのナイフを抜けば出血死する。死ぬ。あの白瑠さんでも死ぬ。

死んでしまう。

あたしのせいだ。


「ちげぇ!お前のせいじゃねぇ!」


あたしを押さえ込むヴァッサーゴが言う。

呼吸をすると肺が心臓を押し潰すような痛みに襲われる。違う。脈を心臓が痛いんだ。


「やめろ!椿!」


ヴァッサーゴが声を上げるが、何をやめればいいのかわからない。

視界が霞んだ。

白瑠さんを診ていた幸樹さんがあたしに気付いて呼び掛けるが返事ができない。

ズキッと脈を打つ心臓に針が刺さったみたいに、痛みがする。ズキズキと鼓動に合わせて痛みが突き刺さった。

その痛みを押さえて俯くあたしをヴァッサーゴが揺する。


「んな女ほっとけ!!チビ!白野郎を治せよ!!シスコン!椿の心肺蘇生やれ!!」


大きな舌打ちのあとヴァッサーゴが八つ当たりのように怒鳴り散らす声が響いた。そのあとあたしの中に戻ったのか、ヴァッサーゴが消えて支えを失ったあたしは床に倒れる。

視線の先に同じく横たわる白瑠さん。

彼の前にハウンくんが立っていて、無情にナイフを引き抜いた。白瑠さんが苦痛に歪めた顔は、初めて見る。

 ズキンズキン。

痛みが増す。

白瑠さんがあたしに目を向けた。

 ズキンズキン。

突き刺す胸の痛みは次第に当たり前に感じてきて、もうどうしようもできないと諦めて痛みを受け入れた。

 ズキンズキン。

白瑠さんがあたしの手を伸ばす。

 ズキンズキンズキン。

その紅に染められた手が届く前に、あたしは意識を手放した。






 昔ある占いの結果で、あたしは幸せを望む一方で幸せを求めていないと出たことがあった。その意味は幸せになりたいと思う反面刺激を求めて危険な世界に飛び込んでしまうとのこと。

確かにあたしは危険に飛び込んでしまう性質なのだろう。

危険を嗅ぎ付けて飛び込んで、数々の痛い目を見てきた。

幸せは平凡を意味するのだろう。

危険に飛び込まなければ幸せになれた。

殺しを肯定する裏現実に飛び込んだことは間違っていただろうか?

そんなことはない。

だってあのままだったらあたしは。

そう舞中さんに似たあの頃のあたしは幸せじゃなかった。

彼が、連れてきてくれなきゃ。

あたしは愛される幸せに気付けずにいただろう。

幸樹さんに会って、家族のようなものになって、藍さんや由亜さんにも会って、愛を教えてもらった。

たった一時だったが、凄く幸せだった。

 そう、たった一時。

あたしのせいで、由亜さんは死んだ。

あたしが危険に誘われて首を突っ込んだせいで。

あたしのせいで、幸せな時間を過ごしたリビングをぶち壊した。

あたしのせいで、白瑠さんが。

白瑠さんが。白瑠さんが。

大嫌いになりそうな紅色が広がる。

 目を開くと暗い天井。

大きく息を吸うと胸の痛みは取れていた。

またあたしは生かされたのだと知る。

 もう…あたしの心臓をとめてくれない?

ヴァッサーゴにそう問い掛けたが、彼は返事をしてくれなかった。あたしの心臓を動かすのに忙しいのかそれとも単に喋りたくないのか。

誰かが拭いてくれたのだろう。

掌は肌色。紅色はなかった。

だけれど、間違いなくあたしの手は紅にまみれた。

 それはやめた方がいい。君の場合、大切な人まで殺めてしまうよ。殺し続けなきゃ、そばにいる人を殺す

コクウの言葉が痛い。

彼の言う通りなのか。

本当にあたしは、手遅れなのだろうか。

それは変えられない事実なのか。

あたしは。

あたしは。

殺してしまう?

白瑠さんも、藍さんも、幸樹さんも。

殺してしまう?

殺してしなくては、いけないのか?

彼らを傷付けるくらいなら、他人の命を奪わなくてはいけないのか?

白瑠さんが目の前で崩れ落ちたあの瞬間を思い出すだけで、ゾッとした。

体内の血が凍り付くような冷たさに襲われる。

きっとハウンくんが白瑠さんを治してくれたはずだ。きっと。

でも。下手をしたらあたしは。

あたしは白瑠さんを───殺していたかもしれない。

怖くて震えた。

殺してしまう。

このままでは。

殺してしまう。

 ここには居られない。

あたしは窓を開けて、そこから出ようとした。

足をかけて、何処に行けばいいのか考える。何処?

コクウを思い浮かべたが、彼の元に行けば何があったか言わなくともバレてしまう。優しげな笑みできっと抱き締めてくれるだろうが、再び白瑠さんに怒りを向ける。

殺し合わせないためにも言い出したことなのに、結局二人の殺しあいの引き金になってしまう。

 椿ぃ

 もぅ…どこにもぉ

 いかないで

寝惚けた白瑠さんの寝言。

泣きそうな顔をして抱き締めた彼。

 椿、おかえりぃ

 おかえりなさい、椿さん

痛いくらい抱き締めてきた白瑠さんと幸樹さん。

 僕はっ、戻りたいんだっ!!!

痛々しく叫んだ藍さん。

それらが脳裏に浮かんで、その場から動けなくなった。

逃げ出しても、傷付けてしまう。

一体あたしはどうすればいいんだ?

問い掛けたって悪魔はまた沈黙を保つ。

 ガチャ。ドアが開く音に振り返ると、そこに白瑠さんが立っていた。

ちゃんと立ってる。いつもの真っ白いシャツだ。ちゃんと治してもらえたよう。

目を丸めて立ち尽くす彼に駆け寄って触れて確かめたかったが、触れることも近付くことも怖かった。


「…つーちゃん、朝まで休みなよ」


白瑠さんは静かに微笑んだ。

決して責めようとしない。その優しさが痛かった。

動けずにいれば白瑠さんが歩み寄って、あたしの腕を掴みそのままベッドに座らせる。


「……ごめんなさい…」

「傷痕一つないよ、へーき」


白瑠さんも隣に座る。

あたしが見つめる腹部を、白瑠さんは笑いながらシャツを捲って見せた。暗かったが本当に傷がない。

手を伸ばして確認しようとしたが、情けないほど震えてしまう。

その手を掴んで白瑠さんは触れさせる。

その手も腹部もまだ熱っぽかった。


「……ごめんなさい…白瑠さん」

「大丈夫だよぉ?椿のせいじゃないから」


頭を撫でながら白瑠さんが言う。

嘘つき。あたしは顔を上げて白瑠さんを睨み付けた。涙で視界が歪んでいてよく見えなかったが、やっぱり白瑠さんは笑っている。


「あたしのせいですっ!あたしのせいっ…あたしが……殺しかけてっ……!!」

「違うよ違う。俺が悪いんだよ?俺が熱なんかでぼんやりしてたせいだ。ごめんね」


両手であたしの顔を押さえ付けて白瑠さんは静かに言い聞かせる。

涙を白瑠さんは親指で拭き取った。


「違うっ!あたしがっ…あたしのせいですっ!」

「いいや。…君は悪くないよ…悪いのは俺だ」

「そんなっ」

「椿が悪いなら、全部俺が悪いんだ」


らしくない薄い笑みを白瑠さんは浮かべる。

あたしは必死に違うと言い続けた。


「白瑠さんは悪くないんですっ!!ちゃんとっ…ちゃんとやめますからっ!やめられますから!」

「…椿……」


やめられる。

あたしは白瑠さんのシャツを強く握り締めた。

殺しはやめられる。

白瑠さんのせいで、手遅れな中毒患者になったのではないと証明したい。証明しなくてはいけないんだ。

白瑠さんの手を取って、この世界に来たことが間違いだなんて否定されたくない。

ここがあたしの居場所だ。

それをコクウにも誰にも否定されたくない。

ここを否定されたら、あたしは一体何処に行けばいいんだ?

あたしのためにも、証明しないとあたしは。あたしは。


「………じゃあ、二人とも悪くないってことで。い?」


白瑠さんはにぱっと笑ってあたしの頬を摘まんだ。


「………」

「ねー?」

「………」

「ねー?」

「……痛いです」

「うひゃ」


むにむにとあたしの頬を摘まんで遊び始める白瑠さん。地味に痛い。


「ふぁあ……ここに寝てもい?」

「え?」


振り払えば白瑠さんは欠伸を漏らしてベッドに横たわる。

添い寝は日常茶飯事やっていたが、最近はあたしがいつ殺戮するかわからないから添い寝はお預けしていた。


「もう暫くはしても大丈夫だよぉ」


あぁ…。摂取したから寝込みを殺す可能性は低いのか。

本当にあたしはまた殺してしまったようだ。もぞもぞと白瑠さんは毛布を被り、眠る準備する。

あたしはその様子を眺めながら、足を抱えた。


「眠った方がいいよぉ?」


白瑠さんは手招きする。ただ黙って見つめていれば、きょとんとした。


「……あの、白瑠さん」

「んぅ?」

「つかぬことを訊きますが…」

「うん?」

「……いつから、あたしを好きだったんですか?」


問えば白瑠さんは思いもしなかった質問に目を見開く。

彼に想いを告げられた後すぐにあたしは家出をした。訊く機会はなかったのだ。

ずっと白瑠さんにとってあたしは大切に扱う人形やペットのような存在だと思っていたし、スキンシップは全て彼の癖だと勘違いしていた。

恋愛感情を抱いているなんて一度たりとも思ったことがない。

だからいつから彼はあたしを好きだったのか、知りたいと思っていた。


「ひゃひゃひゃ…きっと一目惚れだよ」


白瑠さんは楽しげに笑い転げながら答える。


「一目惚れ……ですか?」


一目惚れとなると、あたしが最初に人を大量殺戮してしまった俗に言うレッドトレインでの出会いからか?


「殺してるところを見て、一目惚れしたんですか?」

「ううん。俺あの電車にはさ、椿の目の前の席に座ってたんだぁ。だから殺戮する前の椿をずっと見てた」


あたしは驚愕した。

正直言って最初の殺しは朧気でよく覚えていない。あたしは白瑠さんが突然沸いてきたのかと思うくらい彼に気付いていなかった。

彼が笑って初めて存在に気付いたのだ。

なのに、彼はあたしの向かい側の席に座っていたと言う。


「つばちゃん、突然カッター出して俺に飛び掛かったんだよぉ?」


しかも一番最初に飛びかかっていたのか。

可笑しそうに笑う白瑠さんはご機嫌だ。


「そしたら俺のこと完全無視しちゃって、サクッと車内の人間を殺っちゃったんだよねぇ」


サクッと軽く語る白瑠さん。


「……その姿が、俺に似てると思っちゃったんだよねぇ…」


不意に遠くを見るような目付きのまま白瑠さんは微笑んだ。


「脱線しちゃった。ただ適当にプラーとしてたらたまたま目についた目の前に座る女の子に一目惚れをしたんだ。でも好きだって気付いたのはうんと後だよぉ」


すぐに白瑠さんは猫のように笑って見せた。


「椿が死にかけた時」

「………あぁ、あの初めての大仕事ですか」


黒の集団の一員である弥太部火都(やたべかと)の弟・弥太部矢都(やたべやと)。百発百中に獲物を仕留める飛び道具使いの狩人。

運悪く鉢合わせして、あたしは弥太部矢都に深傷を負わせられた。


「すんごく…頭に来たんだよね…椿が傷つけられて」


いつもの笑みをなくして弥太部矢都を睨み付けた白瑠さんを思い出す。怒ってたんだ。

あたしを傷つけられて、激怒して惨殺したのか。


「すんごい血を流してたから……怖かったんだぁ。死んじゃうかもしれないって。でも椿が笑いかけてくれて、ホッとした」


嘘偽りなく、安堵したように白瑠さんはにっこりと笑みを浮かべた。

あの時を鮮明に覚えている。

あたしも白瑠さんも血塗れだった。いつも血に汚れない白瑠さんが真っ赤になっているのが可笑しくて、あたしは吹き出したんだ。


「その時、気付いたと…」

「ううん」


え?違うの?


「そのあとあと。言われて気付いたんだよ。ほら、そらちゃん。そらちゃんに愚痴ったら言われた」


そらちゃん。舞中よぞらさんのことだろう。


「…そんなに、仲いいんですか?」

「うん」

「…表現実者なのに、仕事の話したんですか?」

「うん」


どこまでこの人は自由なんだろう。


「え?なになに?妬いてるのぉ?」


白瑠さんはるんるんに目を輝かせて見上げてきた。それを遮るように手で白瑠さんの額を押さえる。まだ熱い。


「違いますよ。…友達だからといって、あたしのことや仕事のことを話すのはよくないです」

「表現実者に優しく色々ぼかして話したよーお?」

「それでも彼女に殺し屋って教えたんでしょ?」

「教えてないよ」


きっぱりと白瑠さんは否定した。


「殺し屋だって、言ってないよ。気付いてると思うけど」

「?、貴方があたしがレッドトレインの犯人だって話したらバレるでしょ」

「言ってないよ、そんなこと」


きょとんとした態度の白瑠さん。


「え?でも彼女…」

「あの子が最初から気付いてたんだよ」

「……そんな…まさか…」


誰かに教えられたわけではなく、彼女自身が気付いて知っていた。

そんなあり得ない。

警察も世間もあたしは被害者だと決め付けたのに、彼女が気付けるわけがない。


「駅で二回目の殺戮の後につーちゃん、ぶつかったんだよ。ラチられたはずのつーちゃんが平然と歩いてたなら簡単に推測できちゃうだろう?あの子、面白いよねぇ」


ああ、納得。

いや、でも。なら何故、通報しなかったんだ?

ぶつかった相手がラチられたと騒がれている人物だったと何故警察に通報しなかった。通報していたら事態は大きく変わっていたはずだ。

不可解な少女だ。

白瑠さんは面白いから友達になったみたい。


「ほら、白いナイフの絵。あれ、そらちゃんがぁデザインしてくれたんだよぉ」

「彼女がですか?」

「うん。作ってもらおうとしたらたまたまそこに来てね、デザインやってくれるって言ってくれたんだぁ」


白瑠さんがクリスマスプレゼントにくれた白い刃の刃物。その白い刃にはそれぞれ絵が描かれ、一つは椿花、もう一つは猫。

彼女がデザインしたのか。


「椿ちゃんが安静にしてる時に、てっちゃんのところ行ったらまたたまたま居たから愚痴ったらさぁ、そらちゃん言ったんだよ」


 白瑠さん、椿さんが好きなんですね。

そう無邪気に笑って言ったそうだ。


「んで、椿が好きだって気付いた」


にぱっ、と笑いかける白瑠さんの笑みを見ながら舞中よぞらさんについて考えた。

幸樹さんや藍さんや白瑠さんと面識があり、白瑠さんの気持ちを気付かせた人物。

間接的にあたしと関わっていた。

本当に彼女は、可笑しな存在だ。


「…彼女、本当に表現実者なんですか?」

「………俺の気持ちスルーして、そらちゃんのこと訊くの?」


しまった。

完全に興味が舞中さんに逸れてしまい、白瑠さんの気持ちについてはスルーしてしまった。

それが気に食わなかったらしく、唇を突き出す白瑠さん。


「…その件で気付いたにしては、告白が遅かったですね?」

「あの関係のままでいいと思ってたんだぁ。だってぇさぁ、椿ちゃんと一緒にいるしぃ?一緒に住んでるしぃチューもしてくれたしぃ、てかぁチューをねだった時点で俺の気持ちに気付いてると思ってた」


訊けば機嫌よく白瑠さんは笑って答え始めた。

気付いてなかったよ。微塵も気付いてなかった。


「チューねだったら、好きなのかな?って思わない?フツー」


だって白瑠さんが、奇人だから。

ただじゃれてると思ってたんだもんっ…!

鈍感すぎる自分に嫌気が差す。


「まぁ、つーちゃんにとってキスなんて挨拶程度なんだろぉね。しゅーくんにも、しーのちゃんにも、俺にもチュッてやったし」

「あれは約束だし、篠塚さんと白瑠さんのはVのせいです!」


ヴァッサーゴが遊んであたしの身体を動かして、やっていたのだ。


「えぇーっ!!じゃあ椿との初キスはブーちゃんのせいなの!?」


声を上げるから驚いてあたしは震えた。深夜なんだからそんな声を上げないでほしい。


「……あの、白瑠さん。初キスどうのは言いたくないんですが……訂正させていただくと、白瑠さんがねだった時が初キスじゃないです」

「え?」


言わなくてもいいと思うが、一応言っておこう。

白瑠さんはポカーンとした。


「白瑠さん、酔ってあたしを襲ったんですよ」

「え」


本当に覚えていなかったらしく、呆然としている。

いきなりの不意討ち、あれはまじで戸惑った。


「ええっ!?嘘っ!覚えてない!」


大声を上げて白瑠さんは飛び起きる。


「初ちゅーなのに!初ちゅーなのに!おぼえ」

「静かにしてくださいっ!!」


慌てて口を押さえて押し倒す。

幸樹さんが起きちゃうだろ!


「えっと…ほら、あたしが仕事で白瑠さんを助けたじゃないですか。それが嬉しかったのかすごくお酒が進んでしまってて……いきなり、ちゅって」


大人しくさせるために教えようとしたが、なんだか恥ずかしくなってあたしは口を閉じる。

顔が熱くなってきた。


「じゃあお互い酔って襲ったってことで、おあいこだ」


にやにやと押さえ付けた手を退かして白瑠さんは唇をつり上げてにやついている。

…いや、あたしは襲ってないんだけど?

能天気な白瑠さんはただただ笑いかける。


「俺にキスされて、何か感じなかったの?」


妙な質問をされた。


「…違和感」


うん。違和感。

答えると白瑠さんはあたしの腕を掴んで引き寄せた。横たわる白瑠さんの顔が、鼻の先に現れる。

じっと、白瑠さんはあたしを見つめた。

そんな真面目な顔で見つめられると…。

整った綺麗な顔立ちで薄いブラウンの瞳で見つめてきた白瑠さんが、漸くにこりと微笑んだ。


「椿、真っ赤」


そりゃ真っ赤だ。

顔が熱い。恥ずかしくて逸らすと、白瑠さんに抱き締められた。


「そんな椿を独占したかったのになぁ」


むぎゅう、と胸の中に抱き締めてくる白瑠さん。

白瑠さんはまだ熱っぽいみたいで、その腕の中は熱かった。

あたしの髪を嗅ぐように大きく吸い込んだ。

少しして白瑠さんは寝息を立て始めた。


「……白瑠さん、あたしが眠れないんですけど」


膝を立てたまま抱き締められたあたしにはつらい体勢だが、ちょっとやそっとじゃあ彼は目を覚ましてくれない。

よってあたしはこの体勢のまま朝を迎えるはめとなった。


 目が覚めてからあたしは未だに抱き締めいる白瑠さんの腕を退けて部屋を出た。

歯を磨こうと洗面所に行こうとしたが、リビングを見て止まる。

血溜まりなんて何一つ、綺麗なフローリングのリビング。

だけれど、カーテンやソファ、テーブルが変わっていた。


「おはよう。気分はいかがですか?」


朝食の用意をしていた幸樹さんが歩み寄ってあたしの顔を覗き込む。


「おはようございます…大丈夫です。……あの」

「ミスミリーシャが弁償してくれました。日を改めて謝罪しに来るそうですよ」


あたしが問うより前に幸樹さんが教えてくれた。

あの武装した奴らはミリーシャの刺客。ミリーシャが責任持って掃除させて家具を変えてくれたらしい。

…汚したのはあたしだけれど。

ブランドなのか高級感あるソファに触れていれば「歯、磨いて食べてください」と幸樹さんは急かした。


「お腹空いたでしょう?丸一日寝込んでいたのだから」

「…丸一日!?」


ほんのちょっと寝た気分だったからまさか丸一日寝ていたなんて気付かなかった。つまり…あの日から二日経ったのか。


「……舞中さんは?」

「ラトアに送ってもらいました。血に気付いて気絶させましたので彼女は一部始終をしりません」

「……」


あぁ、だからあの時ぐったりしていたのか。

一応裏現実者だし、あんなの見せられない。


「…幸樹さんは彼女とはどんな関係なんです?」

「クス、嫉妬ですか?」


教えられたら空腹を感じてしまったので顔を洗い歯を磨いてからテーブルについた。それから訊いてみれば、向かいに座る幸樹さんは大人の色気ある笑みを漏らす。


「気になるんですよ……表現実者でありながら、あなた達に関わっていてあたしを知ってるんですよ?」

「ほら、嫉妬してる」

「違いますって!」


膨れっ面をすれば幸樹さんはオレンジジュースを差し出してくれた。


「…そうですね。丁度あなた達がアメリカで仕事に行った日に、入っていた手術。それが彼女の手術でした」

「………」


思わず顔が歪んでしまい、あたしはそれを隠すために顔を伏せる。

その手術を理由に幸樹さんと由亜さんは、留まり───…。

耳障りな電話を思い出してしまう。あたしは顔を伏せたままオレンジジュースを飲んだ。


「彼女も貴女を気にしていましたよ?貴女が入院した病院だから会ったことがあるかと問われたことがあるんです」


幸樹さんは優しげに微笑んで言った。


「彼女はいい娘です。白瑠とも友人になれるくらいなのですから、きっといい友達になりますよ」


どうやら幸樹さんは彼女と友人になることを薦めたいらしい。

その為にも、家に連れてくるように言ったようだ。

あたしに女友達がいないことを心配しているんだろう。白瑠さんも幸樹さんも、彼女を気に入っているようだし少し話してみようか。

早坂狐月に愛されている彼女を知ってみよう。


「今はラトアさんがついているんですか?」

「はい。家の近くで藍乃介と張り付いています」

「……藍さんは……怪我、してませんよね…?」


一昨日のあの事件。

藍さんは見当たらなかったが、あたしが覚えていないだけで傷付けたかもしれないと不安が過る。


「貴女を騙したことを怒られるからと先に帰りましたよ。大丈夫、藍乃介はいませんでしたから」


手を伸ばしてそっと頭を撫でながら幸樹さんは優しく教えてくれた。ホッとして、視線を落とす。

「それで」とその手で髪を耳にかけて頬を撫でて幸樹さんは顔を覗き込んだ。


「心臓のこと、話してください」


ゴクリ、と朝食を飲み込む。

口元は微笑んでいるのに目は笑っていない。怒っている。

誰だ、話したのは。

彼の手が触れる頬から凍り付く。

ヴァッサーゴか?いや、ヴァッサーゴはあたしの心臓を動かすためにあたしの中に籠りっきりのはず。じゃあラトアさん?


「何かあるんですね?」

「!」


あたしの反応に目付きを鋭くした。

しまった。誰も話してない。

幸樹さんは勘づいてカマをかけたんだ。

ヴァッサーゴが慌てて心肺蘇生しろって言うから!


「椿さん…?」

「……」


不気味なほど静かに威圧感をかけて幸樹さんは問い掛ける。


「その……話そうと…思っていたのですが…」


怖い。絶対怒られる。

幸樹さんを直視できず、キョロキョロと他所に目を向けながら言葉を選ぶ。なるべく怒りを煽らないように慎重に…。


「…蓮真君とか、番犬とか…立て込んじゃって…更にこの仕事まで」

「簡潔に話しなさい、椿」

「はい」


駄目だ。お兄ちゃんは言い訳も聞いてくれないようだ。あたしは背筋を伸ばした。


「…っ簡潔に言いますと…わ…私は、私の心臓はボロボロで…治しようがないくらい…」


幸樹さんの目が見開く。

辛くなりあたしはキュッと自分のシャツを握り締めた。


「……寿命が秒読みで…ヴァッサーゴがずっと……あたしを生かしてくれてたんです」

「………」


幸樹さんは言葉を失う。

あたしを大事に思ってくれている幸樹さん達に話すのは、酷だ。


「初めからあたしを生かすために憑いてたんです…。篠塚さんを迎えにアメリカ行った際に…知らずにジェスタ達が切り離した時に、死にかけて…手術して一時的に命を取りとめましたが…いつ死んでも可笑しくない状態でした。だからジェスタ達はヴァッサーゴを見逃してくれたんです」


あたしは幸樹さんの様子を伺いつつ、慎重に伝えたが幸樹さんの顔は歪む。


「何故それを早く言わないんですかっ!!」


声をあげた幸樹さんに驚いてあたしは身体を震わせる。


「それはっ」

「私は貴女の兄です」

「っ…」


言い訳なんて出来なかった。

立ち上がって苦しそうに真っ直ぐ見てくる幸樹さんに、喉に何かが詰まるのを感じる。


「真っ先に話すべきでしょう…。いつ話すつもりだったんですか?全てが解決した時ですか?それとも心臓が停まった時ですか?」

「……ごめんなさい…」


あたしを心配してくれる幸樹さんの優しさが、紛れもない家族に向ける愛。

それが涙を込み上げる。それを溢してしまいそうであたしは俯いた。


「貴女という娘は…本当に心配ばかり……」

「ごめんなさい…」

「…手のかかる妹ですね、まったく」


幸樹さんはあたしの頭を撫でる。顔を上げてみれば、仕方なさそうに微笑んだ。


「ごめんなさい…お兄ちゃん」

「これからは全部、報告してくださいね」

「……はい」


あたしはお兄ちゃんに力なく微笑み返した。

本当にヴァッサーゴには感謝しなくては。彼が生かしてくれなければ、こうして愛を感じられなかった。

まぁ、彼は素直に受け取ってはくれないだろうけど。

 間違ってなんかいない。

白瑠さんに手を取ったのは、間違いじゃないと痛感した。


「それで……つまり。悪魔がいるまで、椿さんは生きられると言うことですか?」

「はい。悪魔は飽きるまであたしを生かし続けてくれるそうです」

「…そうですか。なら吸血鬼達の件を早く済ませるべきですね。命の危機にあるなら話すべきですよ、椿さん」

「どちらにせよ、ヴァッサーゴが憑いている時点で命を狙われてるから……ごめんなさい」


どちらにせよ吸血鬼達に命を狙われている事実は変わらない。

だが幸樹さんはどうしようもない事態になったらヴァッサーゴを引き剥がしてしまうつもりだったようだ。それをしたらあたしは死ぬ。

ジェスタが吸血鬼達の動向を探りに行っているからその後考えなくてはならない。

コクウと別れたと知られれば、あたしごとヴァッサーゴを殺しに来る。あたしを守ろうと立ち塞がる幸樹さんと白瑠さんでも、吸血鬼に束になって襲われたら勝ち目がない。


「いえ、心配せずとも黒の殺戮者は貴女を守ってくれるでしょう。悪魔が大人しくしてくれれば…きっと害がないと理解してもらえるはずです」


幸樹さんは前向きな推測を述べた。

どうかな…。一部の吸血鬼は躍起になって殺しに来そうだけど。


「それはまた皆で考えましょう。舞中さんの住所教えてください」

「おや、行くんですか?」

「あたしの仕事ですから。彼女と友達になってきます」

「…椿さん」


朝食を食べてからシャワーを浴びよう。

すると幸樹さんが真面目な顔をする。


「今夜、黒とデートに行ったらどうですか?」


爆弾発言に危うく吹き出しそうになった。


「…え゛?」

「番犬も遠ざけたことですし、彼を盾に利用しましょう。そうしてくれないとオペを失敗しそうなので行ってください」


つまりあたしに吸血鬼から守る(コクウ)がいなくては心配で手術も出来ない。と言うことか?


「それは……」


あたしは廊下の先の自分の部屋を振り返る。白瑠さんが黙っていない。


「心臓について話せば白瑠も引き下がりますよ。貴女を生かすためにも悪魔を守らなくてはいけない。その為にも、黒は必要なんですから」

「………」


コクウを利用する。

裏切り行為をしている上に利用するなんて、簡単には頷けない。

愛せず別れたとしても、彼は好きな人だ。あたしを救い出してくれた人。


「とりあえず一度はデートしてください。今夜だけでも」

「………」

「今夜は夜勤なんです。明日の昼、私と一緒に出掛けましょう」

「え?」


俯いていたが幸樹さんにお出掛けに誘われて顔を上げる。


「兄妹で出掛けましょう」

「…そういえば二人で出掛けたことないですね……っはい!」


白瑠さんや藍さんとは二人きりでお買い物に行ったことはあるが、幸樹さんとだけはなかった。

だから嬉しくって元気よく頷く。そうすればお兄ちゃんは微笑みを溢した。





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