甘過ぎる優しさ
柔らかい唇の感触。
目の前にある顔は変わらない健やかな寝顔。
もう一度触れようとしたら、人の気配がした。ドアノブが動いた瞬間に寝たフリをする。
ガチャ、とドアが開いた。
「白瑠。起きなさい」
幸樹さんの声だ。
ベッドの左側に行き、幸樹さんは白瑠さんの背後に回る。声をかけただけでは白瑠さんは起きない。
だから幸樹さんは白瑠さんをベッドから容赦なく落とした。
「ぅんにゃあ……?」
「起きなさい、白瑠」
「んもー、せっかくぅいい夢みてたのにぃ」
「椿の隣に寝ればいい夢見ますよ」
「椿に抱き締められる夢だったんだよぉ」
寝惚けた声を伸ばす白瑠さんが言った夢の内容を聞いて、眉間にシワを寄せる。
ギシ、とベッドが軋む。
起きてるとバレた。
「椿さん」
優しげな声で、幸樹さんがあたしの頬を撫でた。目を開けば柔らかな微笑み。
「食欲がないのはわかりますが、少し食べましょう。今から作ります」
「……いえ、あたしが作ります」
気を遣う幸樹さんの代わりに、あたしが食事を作ることを引き受ける。
元カレと仲間を亡くしたあたしを気遣うのはわかるけれど、由亜さんのフリをされたならダメージが大きいのは幸樹さんの方だ。
起き上がると幸樹さんはあたしの頭を撫でた。
「何作るの? つーちゃん」
「……」
ノーダメージのような能天気に床に座ったまま白瑠さんは笑いかける。沈黙を返したら、落ち込んだ。
「おはよう、バッドガール」
「おはようございます、ラトアさん」
あたしが寝てる間に呼び出されたのか、リビングにぐったりしたラトアさんがいた。まるで墓から出てきたみたいに顔色が悪い。眠れていないのか。
蓮真くんもその場にいる。
あたしを見上げる蓮真くんはまるで助けを求めているようだった。遊太を亡くしたショックかと思ったが、違う。
蓮真くんが目配せするのは、隣に膝を抱えているよぞらだ。
早坂狐月に餌にされたと思い込んでいるよぞらは、絶望してしまっている。音信不通なのが余計その信憑性を増しているせいだ。
「よぞら」と呼べば、よぞらは反応して顔を上げた。
「夕飯作るから手伝って」
「……はい」
キッチンに立ってよぞらにはとりあえずテーブルについてもらう。
人参と玉葱とニンニクをみじん切りにして合挽と一緒にボールに入れた。塩コショウもいれたら、それをよぞらに掻き混ぜてもらうことにする。
「あ、お嬢の春巻きだね!」
「わぁい、春巻きー!」
「なに? ハンバーグじゃないん?」
テーブルでパソコンを維持っていた藍さんと白瑠さんが喜び、蓮呀が首を傾げる。
「ハンバーグにも出来るけど、細い春巻きにして揚げるの。ケチャップにつけて食べるのよ。手伝ってくれる? 大人数だから」
「ふーん、美味いの?」
「つぅーちゃんの作るもの全部美味しいけどぉ、順位をつけたらこれが一位!」
いつでも揚げられるようにフライパンを用意しながら答えると、白瑠さんが大袈裟に蓮呀に答えた。
白瑠さんはなんであろうと美味しいと言う人だから、信用しない方がいいけど。
材料もあるので大量に作ろうと思い、ボールにまたみじん切りにした人参などを入れたあとまたよぞらに捏ねさせた。
捏ねる作業をすれば気が紛れるでしょう。
蓮真くんも含めた他の四人は、誰が一番綺麗に多く巻けるかを競い始める。
「よぞら。賭けをしない?」
「賭け? 誰が多く作れるか?」
「違うわ」
周りは放っておけ。
キッチンのカウンター越しにあたしはよぞらに考えていたことを話すことにした。
「貴女は早坂狐月が自分を餌にしたと思ってるわね。でもあたしは早坂狐月は貴女を愛してると思ってる。だからどっちが正しいか、はっきりさせましょう。グダグダ考えていないで彼自身に答えてもらいましょう」
「え? …………どう、やって?」
カウンターに手を置いて、よぞらに言う。
早坂狐月自身に問う。
それによぞらは困惑を顔に浮かべる。全員の視線はあたしに集まった。
「手を動かして」と春巻き組に指示をする。
「よぞら、貴女を殺してみようと思うの」
爆弾発言をすれば、全員が目を見開いた。
殺しを断っているあたしが、保護しているよぞらを殺害すると言ったからだ。
ポカンとしたり、怪訝にしかめたりしている。
「勿論心臓にナイフを刺す気はないわ」
包丁の先を向けてあたしは殺害することを否定した。
「ここまでされたなら、些細でも仕返しがしたいのよね。早坂狐月が悪魔の協調性を高めているなら、彼を引っ張り出すべき。ナルシストの悪魔達がバラバラになってくれればこっちは始末しやすい」
「成る程、先ずは早坂狐月を潰して……いや奪って、ポーンを片付けるのか」
元々早坂狐月を救い出すつもりだった。
早坂狐月は協調性のない悪魔達をまとめる役も担っている。だから早坂狐月を引き抜けば、こちらの勝算は高まる。
「つまり……よぞらを囮に使うつもりか?」
「厳密に言えば役をやってもらうだけよ。こっちもよぞらの公開処刑動画を載せてましょうか?」
フッ、と皮肉たっぷりに蓮真くんに笑って見せた。
よぞらは笑みをひきつらせて瞬きをする。なんとも言えない表情で藍さんと白瑠さんを見たあと、幸樹さんを見上げたがあたしに視線を戻した。
「貴女方があたしの保護を放棄し、あたしが死にかける或いは死ぬと狐月さんに示すことで、彼のリアクションを見ると?」
「そう。彼が悪魔達のテリトリーから飛び出して助けに来たら縄で縛り上げましょう」
「おいっ!」
「来なかったら……?」
つまりは早坂狐月捕獲作戦だ。
縄で縛り上げる、は気に入らなかったのか蓮真くんが怒る。自信なさげなよぞらは首を傾けた。
「殴るわ」
包丁をちらつかせて答える。
「傷付けた男には平手打ちか、拳を入れてしえばいい」
「かっわいー。なぁ、白いにいちゃん?」
「…………」
平手打ちと拳なら可愛いものだ。皮肉たっぷりに蓮呀が言うと、にぃいっと半月並みに口角を上げていた白瑠さんが目をぱちくりと瞬いた。あたしに平手打ちを食らったことを思い出したらしい。俯いた。
「だが、椿。悪魔まで来たらどうする? 逆上したら?」
「テリトリーから出るなら、襲撃されたも同じ。こっちは襲撃に備える。襲撃を先伸ばしにされるよりいいとあたしは思います」
早坂狐月が悪魔まで使ってあたし達に攻撃を仕掛けてくる可能性を指摘する蓮真くんに返す。
あたしは背凭れに腰をかけている幸樹さんに意見を伺う。
どちらにせよ、あたし達は襲撃待ちだ。奴等のタイミングを待つよりも、こっちが準備万端な時がいい。
幸樹さんは静かに頷いた。
「奴等の計画を狂わせるのは賛成だが……こちらもそれ相応の計画と戦力が必要になる。悪魔どもとの闘いになることを想定するべきだ」
「コクウ達は殺られて、味方の狩人もジェスタもいません。ジェスタ達を呼び戻すとこちらの意図がバレてしまいます」
「……」
ラトアさんは反対のようだ。でもどちらにせよ、あたし達しかいない。
コクウの名前を聞いて、ラトアさんは顔をしかめた。
「つまりはこっちは悪魔との戦争に備えて構えて、よぞらの身が危険だと言う動画を狐月に突き付けて、賭けるんだな。狐月が一人で駆け付けるか、或いは悪魔と襲撃するか」
また或いは反応なしか。
蓮呀は乗り気な笑みを浮かべているが、蓮真くんは気乗りしていない。
「ヴァッサーゴの意見は?」
幸樹さんはヴァッサーゴの意見を求めた。
未来を視ることが出来るヴァッサーゴの意見。
一応指輪を外してヴァッサーゴが口を開くことを待ったが、返ってくるのは沈黙。
「反対はしないようです」
反対をしないなら、悪い未来は視えていないだろう。
これが最善の選択かもしれない。
早坂狐月を悪魔から引き離せば、良い方へ転がるはずだ。
「僕に案があるよ。狐月組の依頼掲示板に、またよぞらちゃんの暗殺依頼を書き込むんだ。大金を賞金にかけてね。依頼を引き受けるのは、紅色の黒猫。"恨みがあるから引き受ける"とね。早坂氏の携帯電話に僕からメールを送るよ、"仲間を殺したことでお嬢がぶちギレてよぞらちゃんを殺す気だって"。焦りに火をつけるために蓮たんも"お前のせいで殺される!"とかなんとか電話で言えば、効果抜群じゃないかな。で、悪魔の足止めに狩人達にはテリトリーに乗り込んでもらおう」
藍さんがスプーンをくるくる回しながら笑顔で提案した。
流石、頭の回転が速いだけある。
幸樹さんは悪魔達の居場所を知っているから狩人達に教えることも出来るが、テリトリーに乗り込むのは危険すぎることだ。
だが、成功率は高くなるし、早坂狐月が離脱すれば狩人達の勝算も高くなる。
「電話に出なくても留守電を聞いているかもしれませんからね。更によぞらが助けを求めたらどうですか?」
蓮真くんも案を出す。
怯えた声で愛する人から"助けて"と言われれば、飛び出してくるはずだ。
愛しているならば。
私が見た眼差しが間違いなければ、早坂狐月は来る。
──愛しているならば。
しかし愛されている自覚のないよぞらを見ていると自信をなくしてしまう。
悲しげに俯くよぞらは、早坂狐月が来ないことを杞憂している。
ブワ。
黒い煙が私を囲うように現れた。人間の姿にならないまま、ヴァッサーゴは中を漂う。
「その作戦の決行のゴーサインはオレが出す」
「……それって、いつ? 明日? 明後日?」
「一週間以内だ」
「……」
「ぶーちゃんが最良のタイミングでゴーサインくれるなら、それでいいんじゃなぁい?」
煙で牙を剥き出しにした顔を作り、ヴァッサーゴは勝手に決める。
本当にゴーサインを出す気があるのか、疑う。ウルフと関わることを極度に嫌がっているからだ。
嘘かと思ったが、一週間以内と言う。
すんなり信じた白瑠さんは、ヴァッサーゴに委ねることに賛成する。
「ならゴーサインが出るまでに悪魔との戦いに備えるか」
「そうなりましたね」
ラトアさんも私を生かしたいヴァッサーゴを信用するようだ。幸樹さんも同様。
あたしは一人ソファで眠るハウンくんに目を向けた。彼も一応悪魔退治屋だ。
闘い方を教えてもらえるだろう。
悪魔に効く武器もあるし、悪魔憑きのあたしもいる。
一週間以内に蓮真君達に叩き込もう。
蓮真君を見て、彼は戦えるのか心配する。兄を亡くしたばかりだ。
生まれつき裏現実者だとしても、蓮真君は遊太を一番慕っていた。火都やあたしのように、家族の死に涙一滴溢さない薄情な人間ではない。
どちらかと言えば、泣き崩れるイメージがある。蓮呀のように。
「蓮真君。戦える?」
あたしは直球で問い詰めた。
「遊太のこと……」
それ以上は何を言えばいいかわからず、口ごもる。
あたしのせいとも言えるのだから。
蓮真君は目を丸めたあと、そっと仕方なさそうに笑った。
「実感がないから……」
実感がない。
大好きな兄が死んだ実感がないから、涙は出てこない。悲しみも何も沸いてこない。
墜落してから未だに誰の遺体も見付かっていないという。
何処かで奇跡が起こると思っているせいかもしれない。
「無理はしないで」
「戦える」
蓮真君は断言した。
遊太の生死がわからない今でも、戦う意思は強いと伝える。
無駄な心配みたいだ。
「じゃーん! 俺がいっちばぁん!」
いつの間にか、白瑠さんのお皿の上には山積みされた春巻きがあった。
圧倒的な数で、白瑠さんが一位だ。景品は勿論ないけど。
そもそも遊んでいる場合じゃない。
グルグルグルグルとしつこく煙がまとわりつくから振り払って春巻きを焼いた。
一週間の猶予。
それまでよぞら達はこの家で軟禁状態になる。
あたしが最後に殺人をしたのは、三日前だ。あと一週間しっかり意識を保てるかわからない。
悪魔と鼠への憎しみで衝動的に周りにいる誰かを殺りそうだ。気を張らなければならない。
蓮真君と違ってあたしは、喪失感も悲しみも憎悪も抱いている。
あたしは負の感情に突き動かされやすいから、気をしっかり持たないと自滅するはめになるから。
焼き上げた春巻きを絶賛して食べている皆を眺めながら、あの男にまた奪われてたまるかと守り抜く決意をする。
そばにいて守る。
もう誰も奪わせない。
奪わせない、絶対に。
暗い部屋で蝋燭の火が揺れる。ラベンダーのアロマを焚いて部屋に満たしていた。少しでも落ち着けるように。
ついぼんやりしてしまう。
思いにふけてしまう。
コクウのことを、遊太達のことを。
救うすべはなかったのか、防ぐ方法はなかったのか。
あたしもついていけばよかったとか。
色々考えて、思い出を掘り返した。
それは危険な行為だ。記憶ばかりに意識を傾けて身体の力を抜いている時に、無意識に凶器を持ち殺してしまう。
わかっていても、やめられなかった。
ドンッ!
いきなりドアが蹴り破られてあたしは震え上がった。
「ベッド貸してー、あのソファ寝心地悪いのなんのって」
「お、お邪魔しまぁす」
寝巻き姿の蓮呀とよぞらが入ってくる。遠慮なしにベッドに飛び込む蓮呀と苦笑を浮かべるよぞらがベッドの横に立つ。そして蓮呀と違ってあたしの許可を待つ。
どうせ幸樹さんの差し金だ。あたしの監視、それと一人にしないため。
あたしは頷いて許可を出す。よぞらは蓮呀とは逆のあたしの左側のベッドに入った。
私は両腕をしっかり組んで、警戒する。自分の殺人衝動に。
負の感情に支配されないように、奴のことは思考から追いやる。
「…………上手くいくでしょうか」
よぞらがポツリと呟いた。
「他に手はないのですか? 椿さん達が命懸けで闘わずとも、彼らに任せればいいじゃないのですか?」
「早坂狐月を救える手でもある。……コクウ達がいなくなったのだから、狩人達は彼を救ってくれないわ」
狐月を救いたいよぞらには、この作戦が必要だ。
早坂狐月を生きて救うならば、あたし達がなんとかしなければならない。
よぞらが反対する理由はない。
「……逃げて生き延びることは考えないのですか? 白瑠さん達と何処か悪魔の手が届かない場所へ」
よぞらは疑問をぶつける。
悪魔と命懸けで戦うことはせず、逃げて生き延びるという選択。
それがベストな選択ならば、ヴァッサーゴが促していただろう。
「家出をして学んだのは…………逃げられないってこと。逃げ切れないってこと。世界中を逃げ回っても……逃げられやしないの。逃げるのは、時間の無駄よ」
「逃亡生活に平穏なんてないしな。怯えて永遠に暮らすか、永久の平穏を勝ち取るために命を懸けて闘うかだ」
逃げても無意味だ。
その手段は無駄な結果を生むだけ。
逃げても逃げても、あたしは逃げられなかった。
しがらみからは逃げられない。過去からも、問題からも、逃げられしない。
今回も、逃げ切れないだろう。
逃げて生き延びることは不可能だ。
「向き合うしかない」
それしか方法がない。
「よぞらは、逃げたいの? 早坂狐月を置いて」
「逃げません。彼を……彼を見捨てることはできません」
しがらみは放してはくれないし、放せない。
よぞらは、見捨てることなど出来ない。
彼を愛している。
例え利用されたと思い込んでいても、愛しているから。
「貴女の大事な人は、救えるといいわね」
「…………」
それからは会話がなかった。私にかける言葉が浮かばないらしい。
もう少しコクウ達のことを思い浮かべたかったが、静かになった部屋で眠る。
「………………」
目を覚ますと女子三人が眠るベッドの隅に、白瑠さんが丸まって眠っていた。
まるで猫が主人のベッドに上がり込んだみたいに、足元にいる。
何をしているんだ、この人。
蹴りおとしてやろうか。
そう思ったけれど、寝顔を見てやめる。健やかな寝顔だ。
「いつになったら話すんだ? "アンタを愛してる"って」
耳元に囁かれて、震え上がる。蓮呀だ。
眠気たっぷりな声を出して私に凭れる。
「あたし、元カレを亡くしたばかりなの。気遣って」
「明日あるかもわからない命だ、伝えるチャンス逃しちゃうよー?」
皮肉たっぷりに言うのに、蓮呀は告白を促して囁く。こんな会話をしてても白瑠さんは起きない。
どんな状況でも笑って自由気ままに尻尾を振る猫め。
この表現実者達は苦手だ。
一緒に悪魔と戦争だなんて、先が思いやられる。
全員の生存確率を上げるためにも、細かい作戦会議を行った。
それからハウンくんから対悪魔武器の扱いを教わる。
悪魔を手早く殺す方法は、憑いている人間の首をはねることだ。
悪魔自体は煙になって容易く避けてしまう。銃弾は弾くことがあれば、そうでない時がある。
数撃てば当たるを期待して撃ち続けて首をはねる機会を待つことは出来ない。
だから赤い目の奴と会ったら、瞬時に首を落とせ。
ヴァッサーゴから教えてもらったことを、私が教える。
それから私に殺しを教えたように、蓮真くん達に手本を見せるために白瑠さんとラトアさんが向き合った。
革のソファをテレビに押しやりテーブルも退かして、スペースを作る。
テーブルの上に蓮呀が胡座をかいて、左右によぞらと蓮真くんが立つ。
私は革のソファの背凭れに座る。
「こーんな狭いところでやらなくてもいいじゃん。廃屋とかさ」
「悪魔避けしているこの家の方が安全。あたしはここで訓練を受けた。障害物がある方があたしは得意だから」
「……へぇ。じゃあアンタの最も得意なフィールドってわけか」
文句を洩らす蓮呀を宥めるために言えば、いわくありげな笑みを浮かべた。
お手本を見せようとしていた白瑠さんとラトアさんに、掌を向けて制止をかける。
「プロの殺し屋と吸血鬼の手本なんて、プロ過ぎて素人のあたし達じゃあ参考にならないさ。ここは素人のあたしと悪魔憑きのべっぴんさんが戦うのを、指摘してくれればいい」
テーブルから下りると、白瑠さんが持っていた短剣を取るとあたしに剣先を向けた。
「あたしはだめよ。憎しみで殺人衝動が増しているから、貴女達に刃物は向けられない」
「あっはっはー。自制も手加減も出来ないって言い訳にして、俺に負かされる前にそうやって逃げるんだ?」
「…………」
笑い声を上げる蓮呀は短剣を弄びながら、挑発した。
本当に殺したくなる。
黙って睨んでいれば、ラトアさんがソファに戻った。蓮呀の提案に賛成らしい。
唸りたくなるのを堪えて、あたしは痛め付けようとコートからカルドを取り出してラトアさんが立っていた位置に立つ。
蓮呀は白瑠さんが立っていた窓側。
クルリとカルドを回して握り直す。
「首、切り落とす勢いで掛かってきなさい。大丈夫、貴女にあたしは殺せない」
「見くびってると頭飛ぶよー、べっぴんさん」
「うっひゃーあ、おっもしろそぉ」
ピリピリとした空気を、白瑠さんだけが楽しげに笑ってソファに飛び込んだ。ポップコーンを食べながら楽しんで観そう。
白瑠さんを見ていたら、合図もなく蓮呀が首を狙って短剣を振った。
私は手首を掴んで止める。
「俺が勝ったら、例のあれをしてもらうから」
「……あたしが勝ったら、二度とそれ言わないで!」
あたしを挑発したのは、白瑠さんに告白をさせるためみたいだ。
蓮呀を蹴り飛ばそうと足を上げたが、防御された。
一度離れた蓮呀に自分から向かい、防ぎやすい箇所を狙ってカルドを振り下ろす。
キン、キキン!
一歩また一歩と下がりながらあたしのカルドを防ぐ蓮呀は、やがてそれがあたしの手加減だと知ると顔を歪めた。
防ぐのは止めて、攻撃に移る。
彼女の蹴りは強烈だ。
まともに受けていられない。
後ろに飛んで避ければ、蓮呀の攻撃が次から次へとくる。
彼女の動作は、切るというより叩き付けるものだった。
あたしの首を切るなんてさらさらないようだ。
壁にまで追いやられる。
蓮呀が勝った気になり、笑みを浮かべた。
確信するのは早すぎる。
蓮呀の頭を狙ってカルドを振り下ろす。蓮呀は短剣で受け止めた。狙い通り。
そのまま体重をかけて壁に足をつけた。
後ろ向きに壁を歩き、天井に足の裏をつけてそこを歩く。
蓮呀の頭上を過ぎてから、彼女の後ろに着地と同時に驚いたその顔をカルドで切りつける。
「はい。死んだ」
蓮呀の綺麗な頬に一筋の傷が出来て血がたらりと落ちる。
悪魔との死闘なら死んでいた。
「……聞いてないぞ、天井が歩けるって」
「悪魔は何でもありだと初めに言ったはずよ、蓮呀。ヴァッサーゴは未来の予測が出来る。他の悪魔もどんな能力があるかわからないんだから、天井を歩いたくらいで驚いて隙を作っちゃだめよ。悪い手本になったわね。覚えておいて、二人とも」
卑怯だと言わんばかりに睨み付けてくる蓮呀に、仕返しと言わんばかりに嘲笑を返す。
さらに怒らせるためにも、蓮真くんとよぞらに伝えておく。
「やめろよ」と蓮真くんがあたしを避難した。
先に喧嘩を売ったのは、蓮呀よ。蓮呀が悪い。
ビュウッ!!
背を向けていたら、蓮呀が首に短剣を突き刺そうとした。
避けて蓮呀の足元を崩して転ばせる。
「いいよもう! そこまでだ!!」
蓮真くんが仲裁に入った。
「椿の勝ちだ。蓮呀、負けを認めろよ。見てるだけじゃ訓練になんない、代わってくれ」
「……」
蓮呀は唸ったけれど負けを認めたのか、テーブルに短剣を突き刺して蓮真くんと代わった。
「ちょっと! テーブルに傷が!」と叱ろうとしたら、また蓮真くんがあたしを視線で非難する。
カノジョの肩を持たないでくれる?
「もういい。あとはオレがやる」
これ以上はあたしが殺人をやりかねないと判断したのか、ラトアさんがあたしの首根を掴んでソファに座らされた。
テーブルの下でぼんやりと傍観していたハウンくんが、テクテクとあたしの元にやってくると膝の上に乗る。
彼を抱き締めていれば落ち着くから人形みたいに抱き締めようとしたら、横から足が伸びてきてハウンくんが落ちた。
白瑠さんの足だ。
ハウンくんが座ることを邪魔するみたいに、肘掛けに置かれたまま。まるでシートベルト。
横目で睨み付ければ、白瑠さんは肩を竦めてそっぽを向いた。
「そう怖い顔をなさらないでください。椿さん。リラックスなさってください」
「悪魔の奇襲を今か今かと警戒しているのにですか?」
いつの間にかこちら側にいた幸樹さんがあたしの肩に手を置くと擦ってから揉み始めた
「昨日も今日も悪魔達は事件を起こしていません、大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけないですよ……虎視眈々と狙っているに違いありません」
「かもしれません。その時のためにも、疲れを溜め込まないでください」
幸樹さんの親指がツボを押すから、力が抜けてくる。
ほっと息を吐いた。
ふと、気付く。
またテーブルで胡座をかいいていた蓮呀があたしを見ていた。
じっと静かに私を見ている。
観察しているようで、不快だった。
対悪魔武器の扱いと殺し方を叩き込んで、その時を待った。
私が殺しを絶ってから十日が経ち、作戦開始の合図を待ってから五日目。
ヴァッサーゴからのゴーサインはまだ。
「なぁ、べっぴんさん」
「なによ」
「アンタは二日前から訓練に参加してないよな。鈍るぞ、家にこもってるんだからさ」
「ほっといて」
最後の殺しから十日だ。蓮呀と殺しの特訓なんてしたら、殺すに決まっている。
だからあたしは武器を持つことを避けた。
白瑠さん達はわかっていて訓練のサボりを黙認している。
「いいからやろうぜ。勝ち逃げなんて許さない、相手してくれよ」
「……わかった」
「そうこなくっちゃ」
ソファに座っていたが、蓮呀はしつこい。また軽く勝ってしまった方が楽だ。
カルドを手にして蓮呀と見向きあって立つ。
「あっ。そうだ。アンタと白いにーちゃんが戦うとこまだ見てないじゃん。見せてよ」
楽しいショーが見れるとご機嫌になった白瑠さんを見て、蓮呀が思い出したように提案した。
白瑠さんを引っ張って立たせると短剣を持たせる。
私と白瑠さんが向き合う。
何かがカルドを持つ右手に駆け巡った。
カルドが手から落ちて、床に突き刺さる。
「……嫌よ」
私は首を左右に振って白瑠さんから目を逸らした。
刃物を手に白瑠さんと向き合えない。
「嫌よ? おいおい、師弟だ。慣れてるだろう?」
テーブルに腰を下ろすと、蓮呀は笑って首を傾げる。
「つーちゃん。俺は元気だよ、大丈夫」
「貴方は黙って!!」
絶好調だと笑って見せる白瑠さんに思わず声を上げた。
笑えない。全然笑えない。
白瑠さんは短剣を落として、了解と手を上げて後退りをした。
「今回ばかりはよしてください、蓮呀。一度不調の時に殺人衝動で意識をなくしたまま白瑠を刺してしまったので、トラウマになっているのです」
「師匠を刺すなんて、弟子がいい方向に育ったね」
幸樹さんは蓮呀を宥めるために話した。皮肉が飛び、白瑠さんは上っ面の笑みだけを返す。
白瑠さんに突き刺した時を思い出して、震え上がる。
白いシャツに滲む血。
苦しむ顔の白瑠さん。
「椿、落ち着け」
「!」
気持ち悪さに襲われて、心臓に違和感がした。
すぐにヴァッサーゴが出てきてあたしの目を塞いだ。
………じゃあ、二人とも悪くないってことで。い?
白瑠さんはにぱっと笑ってあたしの頬を摘まんだ。
あの時の記憶だ。
白瑠さんを刺したあとの記憶をヴァッサーゴが見せている。
逃げ出してしまいたくなったけれど、白瑠さんが引き留めてくれた。
体調が悪くなって油断していた白瑠さんも意識を飛ばしてしまったあたしも悪くないと笑ってくれた。
無意識に刺したあたしとベッドの上に乗り、白瑠さんはあたしをいつから好きだったかを話してくれた。
ひゃひゃひゃ……きっと一目惚れだよ。
笑い転げた白瑠さん。
そんな椿を独占したかったのになぁ。
私を抱き締めてそのまま眠ってしまった白瑠さん。
「もう、もういいっ」
「別の意味で心臓が乱れるのか」
ヴァッサーゴの手を退けて記憶を甦らせることを止める。
ヴァッサーゴは鼻で笑い退けた。まだ放さないから、私は息を吐いては吸い込んで自分で心臓を正常に戻す。
「…………くっくっく」
そこに笑い声が聴こえる。
顔を上げれば、天井を見上げて蓮呀が笑っていた。嫌な笑い声だ。
あたしに顔を向けると、また観察するような眼差しをしていた。
不快だ。
「なんなよこの前からずっと!! 何が言いたいの!?」
「おい、椿、落ち着けよ」
「邪魔しないで!」
「椿」
「あたしは蓮呀と話してるんです!!」
この五日間ずっとだ。
ずっと蓮呀があたしにその眼差しを向けて、監視している。不愉快だ、不愉快だ。
「おーおー。怒ってるねぇ、べっぴんさん? これやったら、また怒るかな?」
「!!」
蓮呀が置いてあったダガーナイフをテーブルに突き刺してまた傷を作る。怒りが込み上がった。
「傷付けるなって言ってるでしょ!!」
ヴァッサーゴを振り払い、蓮呀に蹴りを飛ばす。が、幸樹さんに止められてしまった。
「止めなさいと言っているでしょう、椿」と幸樹さんは咎める。
「しょーがない。軟禁状態で悪魔に殺されるのを待つしかないんだ。苛々も積もるさ。しかも元カレが仲間ごと飛行機で吹っ飛ばされて欲求不満なんだ。禁欲の反動じゃないの?」
「っアンタね!」
「吸血鬼って不死身だけど、流石に木っ端微塵になって海に流されたら生き返んないよねー」
「この女っ!!」
恋人の兄も含まれていると言うのに、悪意を込めて蓮呀は嘲笑う。
ヴァッサーゴより質が悪い。
怒りに任せて蓮呀の胸ぐらを掴んで押し倒す。
蓮呀は笑った。
バカにしたような笑みだ。
不快で不快で仕方がない。
「なぁ、アンタ。言ったよな? 憎しみで殺人衝動が出るってさ。でもなんでアンタは胸ぐらを掴んでただ俺を押さえ付けてるんだ? ナイフが近くにあるのに、なんで俺の首を掻き切らない?」
「!? ぐっ!」
妙なことを言われて混乱している隙に、腹に膝を入れられた。
あたしはソファの背凭れに飛ばされる。
「……はは、見ろよ。ヴァッサーゴが笑ってるぜ。どうやら俺はこのまま続けるべきみたいだな」
起き上がった蓮呀の視線の先にいるヴァッサーゴは、笑みを浮かべていた。
何かを視て、笑っている。
あたしが問う前に、ヴァッサーゴはあたしの中に戻ってしまった。
「さて全員黙って俺の話を聞いてもらおうか」
蓮呀は注目を集めると、あたしを見下ろしたまま口を開いた。
「アンタが最初にビョーキを発症したのは、レッドトレインだな。意識が途切れて目を覚ました時には、犯人のべっぴんさんと白いにーちゃんしか生き残っていなかった。死者の中には俺の仲間のクラスメイトがいたんだが……まぁその話は置いておこう。それからべっぴんさんは白いにーちゃんに誘惑されるがまま裏現実の世界に入り殺し屋になったわけだ。殺して殺して殺して殺して殺して殺して、そしてやっぱり殺した。仕事中意識が途切れて殺人をしたことは? ないよな」
あたしの返答を待たずに、蓮呀は納得して頷く。
「二回目のブッ飛んだ殺人は、奇襲してきた殺し屋を返り討ち。生き残りは犯人のべっぴんさんに秀介。三回目は刺客の返り討ち。生き残りは犯人のべっぴんさんと黒の集団。四回目はぁ……未遂だな、生き残りは篠塚刑事に白いにーちゃん達。五回目が白いにーちゃんだな、未遂でよかったねぇ」
あたしが意識を飛ばして行った殺人を挙げた。
一つずつ思い出して、息を飲む。
「この五回には、共通点がある。一つ目、必ずしも犯人以外に生存者がいるってことだ」
人差し指を立てて蓮呀が言ったことに、吐き気を覚える。
てめえが意識を飛ばして殺戮した時には──────必ず現場に生存者がいた。
その場にいる全員を殺さないなら、殺さなくても満足する可能性がある。オレの推測だ。
ヴァッサーゴが以前言っていたことを思い出す。
蓮呀が何を言いたいのかが、やっとわかった。
「二つ、最後の殺しまで時間が経っているということ。意識を飛ばすまで、殺しを長い時間やってなかっただろう? べっぴんさん?」
ムカつくほどゆっくりとあたしを呼んで蓮呀は確認する。
一回目は、当然だ。
二回目は、怪我で安静にしていたため、最後の殺しから時間が経っていた。
三回目は、殺しの仕事をやる気分にはなれなかったから何日も経っていた。
四回目も、殺しを断とうと決めたあとだ。
五回目も、当然断とうとしていたから意識を飛ばして……。
「時間が経っているからっ、禁断症状でっ」
「禁断症状で? ふむ、禁断症状ねぇ?」
わざとらしく蓮呀は聞き返して考える素振りをした。
「べっぴんさんが最後に殺したのは吸血鬼もどき。あれは十日前だっけか? うん、時間が経っているなぁ。アンタが警戒するようにいつ禁断症状で俺らを皆殺しにするかわからないな。ほら、憎しみで殺人衝動が強まるんだろう? ウルフとネズミに挑発されて元カレも仲間も殺され、アンタは怒り狂う寸前だ。おまけに俺が逆撫でしてる。けど、あれあれ? べっぴんさん、意識ちゃんとあるねぇ?」
とぼけたフリして、蓮呀は首を傾げた。
「訓練中も一度たりとも、殺気だってないし、殺しかけてもいない。どういうことだと思う?」
全員が、蓮呀ではなくあたしに注目する。
あたしは動けなかった。
蓮呀は一人で喋り続ける。
「白いにーちゃんを殺しかけて自制心が強まった? ざぁんねーん。そんな愛ある奇跡な話じゃない。ロマンチックで俺好みだけど、残念ながら俺は優しくないんで現実を教えてやる。アンタらに必要なのはお伽噺じゃない」
テーブルから降りると、蓮呀は歩いた。
「俺の仮説は一つだ。思うにべっぴんさんは殺戮中毒ではない。そもそも殺戮中毒が実在するか疑わしいね、裏現実って病んでる連中の集まりって感じ……まぁそれも置いとこうか。何かに中毒になっていることは確かだ。問題はそれが何かだな」
左の廊下まで行くと、クルリと振り向き今度は右の窓側まで歩いていく。
「キーは刃物だ。肉を切り裂く鋭利なもの。それは欠かせないみたいだ。さて、べっぴんさんが最後に人の肉を切りつけたのはいつか、覚えてる?」
また蓮呀は答えを求めていない質問を口にする。
蓮呀の首には二日前に私がつけた切り傷が残っていた。
「そう、二日前だ。俺の首に傷を作り血を見た。この数日訓練中に俺や蓮真、ラトアを切ったよな。掠り傷だ。今までの殺しとの共通点は、刃物による切りつける動作。ここらでまとめようか。禁断症状が出るのは殺戮行為からかなりの時間が経ってからだ。だがしかし殺戮には必ず生存者がいる。殺人の数はてんでバラバラだ。けれども衝動を押さえる条件は一つ。殺人? いや違うね。この数日を見る限り、違う。衝動を抑える条件は、切りつける行為だ。俺達に掠り傷をつけるだけで、アンタは欲求を満たした。だから意識を飛ばしてこの家を血塗れにしていない」
パンッ!
蓮呀が掌を叩いて音を出した。それに反応してあたしは震え上がる。
「俺の結論!! 紅色の黒猫こと笹野椿は、殺戮中毒ではない! アンタはただの破壊衝動にかられているだけだ! 刃物で引っ掻く、ただそれだけで衝動は抑えられる! よってアンタは――――殺戮中毒ではなく、引っ掻き中毒だ!! 殺人は勢い余った結果! アンタは勢い余って死体を作り上げていたに過ぎない!!」
蓮呀の声が刃物のように突き刺さった。
殺戮中毒の否定。
勢い余った殺人。
あたしに必要だったのは、殺人じゃない。
切りつけるだけ、ただその行為だけだった。
「言い換えるなら過剰摂取! さぁ、ここからが本番だ! 何故べっぴんさんが殺戮中毒ではないのに殺し続けたのか! 過剰に与え続けた者がいるからだ! それはアンタらだ!!」
彼女の声に身体が震え上がる。
蓮呀は白瑠さんと幸樹さんを指差した。次は彼らを暴く番だ。
「白いにーちゃんよ、アンタは自分と同じ殺戮中毒と勝手に決め付けて殺し屋に引き込んだ。そして殺しをさせ続けた。ドクター、アンタもだ。そして藍くん、ラトア、皆が彼女に与え続けた」
コクウのように、白瑠さんを責め立てる。
その場にいるあたしの家族を責め立てた。
「アンタらはずっと、ずっと彼女を甘やかしていた。中毒に溺れる彼女をめいいっぱい甘やかした。アンタら全員狂ってるぜ」
ずっと蓮呀はあたし達を見定めていたんだ。
白瑠さんと幸樹さん、そして藍さんにラトアさんのあたしに対する言動を見ていた。
「勢い余った殺人をする殺傷能力を与えたのは、貴様らだ。そして殺戮を咎めることもなく"お前は悪くない"って宥めたんだろう?貴様らが殺人を容認して殺らせてきた。ゲロ吐きそうなほど、あまあまに甘やかして毒を飲まし続けただろう。自覚ない? 残酷だねぇ」
「黙ってよっ!!!!」
声を上げて蓮呀の言葉を遮った。立ち上がるが、覚束ない。
蓮呀は幸樹さんと向き合ったまま、横目であたしを見据えた。
「アンタに、アンタに、何がわかるのよっ!!」
「客観的だからこそ、言えることを言ったまでだ。アンタは殺戮中毒ではない! そして甘やかされてる!」
「あたしが甘やかされてる!? このあたしがっ、早坂達にやることなすこと許されているよぞらのように!?」
「ああそうだ、アンタは殺人を許されて甘やかされてる! やつらに許されるからアンタは罪の意識を持たないんだよ! 現実受け止めろ!! アンタは勢い余って多くの命を奪ったんだ!!」
「――――――っ煩い!!」
容赦なく突き付けてくる。受け止めきれずにあたしは蓮呀と向き合うことを放棄して家を飛び出した。
走り回った。
逃げるように、走っていく。
何処に行くかもわからず、道路を蹴って走っていった。
何かを振り切りたくて走り続けた。
蓮呀に突き付けられた事実。
それから逃げ切りたかった。
でも走っても走っても、走っても逃げ切れなかった。
逃げ切れやしないんだ。
事実からも。
「ハァハァ……」
気付けばいつかよぞらが、集団リンチに呼び出された倉庫にいた。
ここで切りつけた。
殺さずに切りつけた。
意識を飛ばさずに、切りつけるだけで済ませた。
あそこで気付くべきだったんだ。
殺戮衝動にかられなかった。
「椿! 椿!!」
真ん中で崩れ落ちていたら、名前を呼ばれた。
追い掛けてきた白瑠さんだ。
あたしを心配した眼差しで見て、顔を覗き込む。
優しい右手があたしの頬に当てられる。毒のように染み渡る甘い優しさ。
「……もう、殺してください。殺してください、白瑠さん」
「!」
「あたしを殺してくださいっ!」
「なにを言うんだよっ、椿!!」
白瑠さんはあたしの肩を掴んで問い詰めた。
「貴方はもう死んでると思ってるくせにっ!!!!」
押し退けて怒鳴れば、簡単に白瑠さんの手が外れる。
「あたしをっ、貴方はあたしをっ、異常にしたことに罪の意識を感じて、謝ろうとした。コクウには否定したのにっ、あたしの幸せを否定しようとしたっ!! 貴方が否定しようとするからっ!! 辛うじて動き続ける心臓が粉々になりそう!!」
立ち上がり胸を押さえながら、今度はあたしが白瑠さんを責め立てた。
嫌なほど倉庫にあたしの声が響き渡る。
「あたしは生きてるのにっ、白瑠さんはあたしを死人扱いっ……! 生きてることもっ、家族が出来て幸せだってこともっ、否定してる……っ」
ボロボロと涙がこぼれ落ちて、白瑠さんが見えなくなった。けれど彼はそこにいる。
「ち、ちがうっ、椿っ」
「殺してくださいっ! あたしは死ぬべきです! どうせ貴方は死んでいると思っているじゃないですかっ! 殺しを断っても、貴方がっ、貴方が否定するならっ、生きている意味なんてないっ!! 殺めた人達の償いのためにもっ……貴方がトドメをさしてよっ!!」
「……っ椿!!」
逃げ切りたくて逃げ切りたくて、悲鳴を上げた。
八つ当たりだ。
溜め込んだものを白瑠さんにぶつけた。
肩を掴まれて振り返れば、頬に衝撃を食らう。
涙が落ちて、視界が少し広がった。
そこにいたのは、蓮呀だ。
あたしを罰するように見据えている蓮呀に叩かれた。
「八つ当たりすんな。アンタもアンタで選んだんだろ。アンタが責め立てるのは可笑しい」
「煩いっ……もう、もう十分よっ……!」
「十分なもんかっ!」
掻き乱して責め立ててくる蓮呀の言葉はもう聞きたくない。
蓮呀はあたしの胸ぐらを掴んだ。
「いいか、よく聞けよ! アンタが死んだって死人も遺族も喜ばない! 一体被害者の誰がアンタの死を要求した!? アンタの死で償いなんて、出来やしねぇんだよ!! 誰も生き返らねぇんだよ!! 今更罪悪感を背負うな! 背負えきれず潰れて死ぬな!! アンタは生きなくちゃなんねぇ! 他人の命を奪った分! 生きやがれ!! それがアンタの償いだ! 生きろ! 俯くな前向け! 幸せだと笑え! 他人の人生を奪ったなら、奪ったほどの価値ある人生を送れ!! それが償いだ!! 逃げたいからって楽になりたいからって死にたいからって自殺なんて、アンタには一番許されねぇんだよ!!! アンタは末永く幸せに生きやがれっ!!!」
真っ直ぐに向けられ言葉は、やはり鋭利な刃物のようにあたしに突き刺さる。
あたしを見る目は、とても強い意思が在った。
美しく強く生きる彼女の言葉が、痛い。痛い。痛い。
乱暴すぎるけれど、生きろとあたしに言った。
人殺しを嫌う彼女が、勢い余って殺してきたこのあたしに、生きろと告げる。
それが償いだと、彼女はまた突き付ける。
涙が溢れて止まらなかった。
立っていられなくて、あたしは崩れ落ちる。
蓮呀は支えることなく、胸ぐらを放した。
「話は最後まで聞けよ。アンタが殺戮をやらないで済む方法は、適度に切りつければいいってことさ。以上が俺が伝えたかったことだ。すっきり」
平然と言う蓮呀も、涙を流している。
背を向けてあたしから離れる蓮呀と入れ違いに幸樹さんが駆け寄った。
後ろから抱き締められる。
「椿は生きてる。生きてるよ。生きてるから。生き続けようよ」
白瑠さんだ。
強く強く、白瑠さんはあたしを抱き締めた。生きることを懇願する。
「椿っ……」
幸樹さんもあたしを抱き締めた。息を切らした藍さんも駆け寄るとあたしを抱き締める。
あたしに生きてほしいと願う人達だ。
あたしを愛してくれる人達だ。
歪んでいても、あたしが愛している人達だ。
あたしを血塗れの殺戮者にしても、恨んだりしない。嫌いにもなれない。
彼らがいるから、あたしは生きられる。
「ごめっ……ごめんなさいっ……ごめんないっ……」
また傷付けた。
酷いことを言ってしまい、また傷付けた。
毒のように甘過ぎる優しさに溺れて真っ赤に染まったけれど、幸せも与えられてきた。
温かさを与えてあたしを生かす存在だ。
息が詰まるほどの苦しさを味わいながらも、償うために生き続ける。
殺してきた人達の分、幸せに生きる。
身勝手な償い方かもしれない。
それでも、生きたい。
この人達と、生きたい。
愛する人達と、生きたい。
勢い余って多くの人を殺してしまっても――――…。
蓮呀の乱暴な言葉に、救われた。