表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/26

忘れられた約束



 家のリビングには、あたしに告白した藍さんと白瑠さんと秀介───そして元カレのコクウが集まっていた。

 それだけならまだましだ。

顔を引きつらせて、一歩下がればある人にぶつかった。振り返らなくてもわかっている。

コクウ率いる黒の集団が狙っている獲物である番犬・篠塚さんが、この場に居てしまっている。


「…っ!」

「いて!?」


動揺のあまり、動かした腕が篠塚さんの顔面に入った。


「うっひゃあ、動揺してかぁわぁいー」


白瑠さんは笑ってあたしを抱き締める。


「くひゃ、気安く抱き締めるなよ。白」

「…あ?」


忽ち、裏現実で最も恐れられている殺し屋二人の殺気にその場は凍り付く。


「な…なんで…」


あたしは声が震えないように必死に自分を落ち着けさせようとした。でも動揺が隠しきれない。


「なんで、いるの?コクウ」

「君に会いたかった。ただそれだけだ」


白瑠さんからあたしに目を向けたコクウは綺麗な顔で微笑んだ。

あたしを抱き締める白瑠さんの腕に力が入った。


「いつまで気安く触ってんの?」

「は、白瑠さん」

「……」


腕を掌で叩けば、大人しく白瑠さんは放してくれる。


「コクウ。会いに来ただけなら帰って。話があるなら外で…」

「いいよ。先ずはさ、君の親友と話したら?」


落ち着け落ち着け、と言い聞かせながらコクウに近付く。コクウはさらりと向かい側に座る秀介を指差した。

不意打ちだ。

まさかコクウから秀介に振るとは。

あたしは秀介と目を合わせた。

数秒、何を言うか脳内で考える。


「久しぶり、つばきゃん」


先に秀介から挨拶をしてきた。いつもの明るい笑みだ。

あ、普通だ…。


「久しぶり、シュウ」


あたしは自然と笑みを返せた。


「…どうして、連絡しなかったの?」

「あー、悪い。クライアントに呼び出されてたんだ、今回はすげぇ大物で……ケンに言っておいたはずだけど」


何故連絡を返さなかったのか、聞いてみれば秀介は苦笑して見せる。

ケン?

秀介の目線を追えば、篠塚さん。

そう呼ぶほど仲が良くなっていたのか。まぁコンビを組んで行動を共にしてたから当然か。

だけど…。

篠塚さんは、秀介を知らない。

厳密に言えば、秀介のことは覚えていない。

それについて話したいが、コクウが居ては話せない。

あたしはキッチンに立つ幸樹さんに目を向ける。彼は肩を竦めた。


「コクウ。貴方邪魔だから、帰って」

「えぇ?親友に話さないの?俺とのラブラブな日々のことを」


コクウは首を傾けてにっこり笑いかける。

そうか。コイツはあたしを困らせたいんだな。

殺意が沸きそうだが、なんとか堪える。堪えろ。堪えろ。


「先客がいるんです、帰っていただけないでしょうか」


幸樹さんが秀介の前にお茶を置いた。横目で篠塚さんが勝手にソファーに座るのを見る。なにも言わなければコクウにはバレない。

下手を踏まないようにしよう。


「殺し屋が狩人をもてなすってどうなの?お兄さん」

「貴方にお兄さんと呼ばれる筋合いはありませんよ」

「そうかな?」


まるで二人の空間だけ吹雪いているような冷気が漂う。

戸籍上、幸樹さんはあたしの兄だ。兄は強し。


「コクウ…とりあえず……」


帰って。

そう言おうとしたが、頭がぼんやりしてきて思考が一瞬だけ途切れる。


「椿?」


コクウに名前を呼ばれてハッとした。


「早く、出てって!」


あたしはそれだけ言って、足早に自分の部屋に向かう。誰かに呼ばれたが、あたしは部屋に入った。

閉めたドアに背中を合わせて、深く深呼吸する。

落ち着け。

思考しろ。

意識を手放すな。

ギュッと自分の両手を握る。


「…椿。中に入ってもい?」


背中のドアがノックされた。コクウだ。


「帰って」

「…話があるんだ。入らせて」

「今度にして」


あたしはドアの前に座り込む。


「…椿。無理しなくていい。俺なら切り裂かれたくらいじゃあ死なないよ」

「……煩い」


祈るように、あたしは両手を握り締める。

意識が途切れるのは、殺戮の前触れ。

意識がなくなり殺戮衝動に支配されれば、ひたすら殺してしまう。

殺戮中毒の禁断症状。


「わかった。じゃあこのまま聞いて」


コクウは、話しかけ続ける。


「覚えてるかな?日本のネット上で人気の正体不明なシンガーソングライター、見つけにいこうぜ」


シンガーソングライター…?

ぼんやりと思い出してきた。以前にコクウが曲を聞かせてくれたっけ。


「仕事もないんだしさ、行こう。椿」


暇だから、行こう。そう誘ってくるコクウ。

あたしは黙り込む。コクウは答えを待つ。

数分、経った。


「出直すよ、また来る」

「…気が向いたらいくわ。だから二度とこの家には来ないで」

「クス、わかった。またね、椿」


また来られては困る。

あたしがそう言えば小さく笑ってコクウは帰って行ったようだ。

別れても、優しさは変わらないのか。

恐れられている殺戮者にして、彼は優しすぎる人だ。

自分の仲間に対してもあたしに対しても。

あたしはそんなコクウの優しさが好きだった。否、正直に言えば今でも好きだ。

ベッドの脇にある棚の上にある写真に目を向ける。一つの写真立てを見つめた。まるで家族写真のように並んで撮った写真。あたしの隣にいる女性。もういない亡き人。

あたしのせいで死なせてしまった。その傷を、コクウが癒してくれた。あたしを支えてくれた。その優しさで温かく包んでくれた。

好きな人だ。今でも。

だけど。

けれども。

あたしは息を吐き捨てる。

立ち上がり、部屋を出れば白瑠さんが立っていた。

白瑠さんは笑みであたしの頭を撫でる。それからあたしの手を引いて、リビングに向かう。

コクウのことは好きだ。好きだけど。

あたしはきっと彼らを愛している。

家族のような彼らを。

白瑠さん、幸樹さん、藍さん。

コクウよりも、大事なんだ。

だからこそ、別れた。

これでいいんだ。

コクウの優しさに甘えては、彼自身を傷付けることになるのだから────────。

 コクウが座っていた席に、篠塚さんがふんぞり返って座っている。


「貴様がポセイドンか。狩人の鬼と呼ばれてるにしては…軟弱そうだな」


いきなり相棒にケチつけていた。

そんな相棒の悪態に秀介はポカーンとする。

変貌ぶりにポカーンとしているんだ。


「……ケン?」

「あの、ね。秀介…あ、どうも」


間に立って首を傾げる秀介に説明しようとしたら、サッと藍さんが椅子を持ってきてくれた。それに腰を降ろす。


「あの、ね。落ち着いて聞いてほしいの。篠塚さん…記憶が戻ったのよ」


あたしはゆっくり話そうと言葉を選びながら秀介を見つめる。

あたしに任せると決めたので、他の人は口を出さない。白瑠さんなんて驚いた顔をする秀介の顔を見ようと、篠塚さんの隣に座ってニコニコと待ち構えている。


「本当か?よかったじゃん!」


自分のことのように喜んで秀介は篠塚さんに顔を向ける。あたしも向ければ彼は煙草に火をつけようとしていたが、幸樹さんに取り上げられて舌打ちをしていた。

秀介の知る篠塚さんではないから、秀介は困惑した顔をあたしに向ける。


「記憶をなくす前の篠塚さん」


これが、本来の篠塚さん。

記憶をなくしていた間の篠塚さんは、優しくて仕事熱心な刑事。

それはあたしと秀介がよく知る篠塚さん──────だった(、、)


「篠塚さんの正体はね、秀介。────────番犬だったの」


あたしは彼が驚くであろう事実を告げた。

秀介は真顔のままあたしを見る。

やがてあたしの言葉が頭の中で、徐々に解読されていったのか少しずつ目が開かれた。

 篠塚さんは番犬。

その事実がやっと脳みそに浸透したらしく、篠塚さんをバッと見た。


「よぉ、相棒」


その反応を気に入ったらしく、ニヤリと篠塚さんは笑う。隣の白瑠さんも至極面白そうに笑みを吊り上げていた。

パクパクと口を動かし驚愕する秀介。言葉が出ないのは、当然だ。

だって番犬は、秀介の。


「うわぁっ!!すげぇ!!」

「にゃ!?」


やっと声を出したかと思えば、あたしに抱きついてきた。びっくりした…。


「すっすっすげぇ!!俺今まで番犬と仕事してたんか!!」

「うん…まぁ…うん」


興奮しだした秀介。

あー、あたしより理解が早かったな。あたしは白瑠さんから聞いた時、もう少し放心してた。

ていうか、その白瑠さんが真顔になってるんだけど…。秀介。気付いて放してくれ。


「うあああっ!すげぇっ」


興奮するのもわかる。

番犬は、秀介の憧れ。

何故狩人になったのか問えば、きっと"番犬に憧れて"と答えるだろう。

その憧れだと知らないでコンビを組んで仕事をしていたんだ。


「やっぱり生きてたじゃんかよ!クラッチャー!」


漸くあたしを放して、秀介は白瑠さんに言った。まるで賭けに勝ったみたいにニッと勝ち誇った笑みで。


「ううん。番犬は死んでたよぉ」


にんまり、と白瑠さんは意地悪な笑みを浮かべて篠塚さんの肩に手を置いた。


「飛び降りでグシャリ地面にぶつかってぇ、自分殺しに成功ぉ。番犬は一度死んだ」


自分殺し。自殺。

五年前。篠塚さんはビルから飛び降りて自殺した。白瑠さんは気まぐれで悪戯に救ったが、篠塚さんは記憶をなくした。

あたしが出会ったのはあたし達が知るのは、記憶をなくした篠塚さん。

その篠塚さんはもういない。


「生き返っちゃったけどねぇ」


今目の前にいるのは、番犬である篠塚さん。

「さわんじゃねぇ」と篠塚さんは白瑠さんの手を払い除けた。

「んひゃひゃ」と白瑠さんは笑うだけ。


「あっ。でさ。で?どうなんの?椿。約束は」


思い出してあたしを振り返る秀介。

約束。思い浮かべるのは一つだけ。


「約束?」


自分に関係あることだと気付いて篠塚さんが反応した。


「あ…それはいいの。秀介」

「なにがだよ?よくねぇよ。約束だろ。約束のためにもケンは記憶を取り戻したんだぜ。約束破るのかよ?」

「そうじゃなくて…」


テーブルに手をつく秀介が顔をしかめた。

説明しようとしたら、先に白瑠さんが言ってしまった。


「約束なんて、なかったことになったんだよ。だってぇ、しーのちゃん忘れちゃってるもん」

「………は?」


あたしに任せてくれ。なんでわざわざ秀介がライバル視している白瑠さんが逆撫でするように言うんだ。


「…記憶をなくしていた間の記憶…つまりはあたし達と会ったのも貴方と仕事をしていたのも…五年間の記憶はないの…」


説明を求めるように秀介の黒い瞳があたしに向けられたので、理解できるように答えた。すぐに秀介は目を見開く。

あたし達の知る篠塚さんはいない。

今の篠塚さんはあたし達を知らない。

だから約束だって、彼は知らない。


「…なんだよ……それ…」


秀介の顔が歪む。


「忘れたのかよ…?」


秀介は直接篠塚さんに問う。


「何のために……裏に戻り記憶を取り戻そうとしたのか…それを忘れた…だと?」

「……ああ。この娘を守るだ助けるだの話か」


秀介を見上げていた篠塚さんが、あたしに目を向けた。それについて、白瑠さんが篠塚さんに話していたんだっけ。

 俺が止める!!お前の中毒を治す!俺が治るまで側にいて君を助ける!

最後に会ったあたしの知る篠塚さんの言葉。

 椿は殺戮中毒者。突然発症して殺し屋になった椿を、裏を忘れて表で刑事をやってたぁ君が、救おうとしたんだぁよっ

 記憶を取り戻そうと狩人に戻って、ゼウスって名前で裏に復帰したんだ。相棒はポセイドンだから君はゼウスぅ。椿に過去の自分も知らないくせに!なんて言われて助けを拒まれちゃったからぁ記憶を取り戻そうとしてたんだぁけぇど、その様子じゃあもう椿を知らないから、救うつもりはないみたいだねぇ?ばぁんけぇんくぅん

皮肉まじりに、そう今の篠塚さんに白瑠さんは言ったんだ。

もう忘れたから。

あたしを知らない今の篠塚さんに、助ける筋合いも理由もないんだ。


「なんで大事なことを忘れたんだよ!アンタ!」


秀介は篠塚さんに掴みかかった。


「椿をっ!椿を助けるんだって!言ったじゃねぇか!そのためにっ!そのためだけに記憶を取り戻そうとしたのに!アンタ言ったんだ!記憶を取り戻して椿を、椿を救うって!必ずっ…救うって!」

「秀介!」

「椿をっ!椿のためだったのに!椿を守るって!約束したじゃねぇか!椿を救うって約束したじゃねぇか!」

「秀介っ!」


止めさせようとしたが、秀介は篠塚さんの胸ぐらを掴む手を放さない。ギッと睨み怒鳴る。


「ざけんなっ!!椿を見捨てる気かっ!!?」


怒りをそのままストレートに、秀介はぶつけた。篠塚さんがしかめっ面で何かを言おうと口を開く。

それよりもあたしが、叫んだ。


「止めなさい!!秀介!」


叱るように叫び、篠塚さんを放させる。


「いいのよ!」

「よくあるか!俺達はっ」

「あたしは殺しを断つことにしたのよ!」

「!!」


ちゃんとすべてを聞いて。

あたしがそれを言えば、これでもかと目を見開いた。篠塚さんが番犬だと知った時より、驚いた表情。


「殺し屋。やめたの」

「……ほんと…?」

「本当よ。まだ殺しを断って一週間だけど…中毒を治すつもり…。だから、責めないで。あたしは……殺し屋をやめたから」

「……」


篠塚さんを責めることない。

だってあたしはあの時の篠塚さんが望んだ通りに、殺しをやめようとしているのだから。

その事実が、何よりも慰めになったのだろうか。

秀介は泣きそうな顔になった。

彼の黒い瞳が、潤んだ。


「…そっか。よかった」


本当に自分のことのように、嬉しそうに微笑みを溢した。

それを見てあたしは気付く。

秀介はまだ────…。


「おい。放せ」

「あ、すみません」


何故か右手が上がったかと思えば、篠塚さんの左手を握ったままだった。あたしは放す。


「ほらほら、しゅーちゃん座りなよ。話があるんだからさぁ」

「あ?これ以上なんの話があんだよ?」


白瑠さんが座るようにと促す。


「本題はこれからよ」


秀介に腰を下ろさせてからあたしも椅子に座る。

幸樹さんは夕食の準備をしていて、藍さんはソファーでPCと向き合っていた。白瑠さんも秀介を怒らせるだけなんだから、他のことをしてほしい。


「あたしが黒の集団に属していることは知ってるでしょ?」

「うん、噂で聞いた」

「そのメンバーの目的は、番犬に喧嘩を売り番犬を負かすこと」

「なるほど。つまりは番犬である篠塚さんを、匿ってんのか」


……そこはさらりと受け止めるのね。

頬杖をついて、秀介は冷静に考えた。


「クラッチャーは黒のそんな目的を阻止したいし、椿は記憶をなくしても篠塚さんを守りたいわけだ。なるほど。それでここにいるのか」

「まっ、そぉゆぅことぉ」

「で?俺もそれに加われって?」


あたしは他のことに気が逸れて、後ろを振り返る。代わりに白瑠さんが秀介の相手をした。


「別にぃ?現相棒の君に報告してあげただけぇ。どぉするかはお好きなように。番犬くんは君のことなんかも忘れちゃってるしねぇ、どうでもいっしょ」

「どうでもよくねーよ。相棒は相棒だ。これからも相棒続けるかは…本人次第だけど」

「……」

「まぁ、その話は置いといて。今聞いた通り、つばちゃんは殺し屋をやめたけどいつ禁断症状が出るかわからないわけだ。守る番犬を殺しかねない」

「こんな小娘に殺られるかよ」


……。

あたしは白瑠さんの説明が心配でこちらに集中することにした。


「どちらにせよ、あたしの禁断症状で迷惑かけてしまうから…。話し合った結果、ゼウスとして活動してた方がいいんじゃないかってなったの」

「あぁーね。誰も番犬の素性は知らないから、ゼウスとして活動してても黒の殺戮者には見付からないか」


ゼウス。それは秀介の相棒として活躍していた篠塚さんの通り名だ。

秀介はポセイドン。ポセイドンだからゼウス。神コンビとも謳われていた。


「中毒を治すだけでも問題なのに、犬を守らなきゃなんないってゆう問題まであるなぁんてつーちゃんが大変でしょ?」

「問題はそれだけじゃないさ」


そこに割って入った声に、一同は振り返った。

草臥れたシルクハットの神父に、白銀の髪をした少年が立っている。

もう一人、黒いコートの男がソファーへと腰を下ろした。


「こんにちわ。ラトアさん、ハウン君、それにジェスタ」

「やぁ」

「おう」


彼らが来る気配には気付いていたので、あたしは平然と挨拶をする。


「おや?連絡もなしにお揃いで、どうしたんです?」


キッチンから出て、幸樹さんが訪ねた。

草臥れた神父・ジェスタが答えようとしたが、それは叶わない。

テーブルを越え、飛び掛かった白瑠さんに狙われたからだ。

ガッ。

彼の手がジェスタの頭を掴んだ。

ブシャッ。

その瞬間、水風船が割れたかのように頭蓋骨は粉砕した。

頭をなくしたジェスタの身体はその場に崩れ落ち、頭蓋骨と脳ミソの残骸の上に落ちる。

これが頭蓋破壊屋と呼ばれる所以。

一見華奢な身体に見えるが、物凄い怪力で人間の頭蓋骨を粉砕するのだ。何故か粉砕させた手は、いつも血一滴もつかない。


「全く……誰が片付けると思っているんですか、白瑠」


一同がポカーンとしている中、幸樹さんが溜め息をついて叱り口調で白瑠さんを睨み付ける。

ピカピカだったフローリングは赤黒く染められた。


「本人」


ケロッと反省もせず白瑠さんは答える。

鬼畜だ。…頭を撒き散らされた人が自分の残骸を片付けるのか。なんて鬼畜なんだ。


「まっ、当然の報いだよねー」


藍さんは大して気にしていないのか、またPCをいじりたおす。


「これから食事だって言うのに…回復にはどれくらいかかりますか?ラトア」

「十分といったところだろうな」


ラトアさんも溜め息をつく。


「こうなることは目に見えてたのに、なんで彼は来たんです?」


あたしは椅子の背もたれに腕を置いてラトアさんに訊いた。


「問題は中毒に番犬だけじゃない。吸血鬼達について、話に来た」


吸血鬼。

あたしはジェスタに目を向けた。首が徐々に再生を始めている。

裏現実者と表現実者の明確な違い。

それはあることを知っているか、知らないかの違いである。

殺し屋とか裏社会に思われるだろうが、裏社会の人間が皆裏現実者とは限らない。

裏現実者の秘密。

秘密その壱。吸血鬼は存在する。

ジェスタも、ハウン君もラトアさんも。あの黒の殺戮者のコクウも、吸血鬼。

人間より俊敏で強靭。バラバラにして燃やさない限り、吸血鬼は再生して生き続ける。

そして秘密その弐。


「ぶわーはっはっはっ!ざまぁねぇな、草臥れ神父!」


高らかに嘲笑い、黒い煙とともにヴァッサーゴが姿を現した。

忽ち、ラトアさんとハウン君が顔をしかめる。


「煩い。笑うな。貴様の声は耳障りだ」

「へっ」


秘密その弐、悪魔も存在する。

そもそも悪魔が吸血鬼を生み出したのだ。悪魔は人と契約を結び、魂を頂く。契約をした人間が吸血鬼になり、噛みつき吸血鬼を増やしていった。

しかし、悪魔と吸血鬼が戦争をして吸血鬼は壊滅に追い込まれた。噛むだけ仲間を増やせるのは初代吸血鬼とその初代に噛まれた二世の吸血鬼だけ。悪魔は初代吸血鬼と二世吸血鬼を殺した。

残されたのは仲間を増やせない三世の吸血鬼だけ。ある一匹の吸血鬼が人間に助けを求めたことで、戦争は悪魔が負けた。

人間の科学で、悪魔は機械へと閉じ込められ吸血鬼に始末された。

だが、まだ世の中には機械に閉じ込められた悪魔が居る。ヴァッサーゴもその一匹で、不幸にもあたしはそれを手にしてしまった。

不幸中の幸い。あたしはその不幸のおかげで生きているのだ。


「ああ?よぉ、小僧。ハジメマシテ、ククク!」


忘れていた。秀介のこと。

彼だけはヴァッサーゴの存在を知らなかった。いきなり現れて、ギョッとしている。その反応を見て、あたしの頭に腕を置くヴァッサーゴが笑う。


「これはヴァッサーゴ。悪魔だけど、気にしないでね」

「そりゃ無理だろ」


篠塚さんからツッコミを頂いた。


「燃やしちまえよ。ソイツは愛しの椿を殺しかけたんだぜ」

「んぅ?」


にたにたと白瑠さんに笑いかけるヴァッサーゴが余計なことを言おうとしたので胸ぐらを掴む。ジェスタを見てみれば顎まで治癒していた。

吸血鬼が傷口を塞ぐのを何回か見たが、ここまで破損し治すのは見るのは初めてだ。ジュワジュワと細胞が再生していく様はなんともグロい。


「つ、椿……悪魔と契約したのか?」


秀介が訪ねたので、白瑠さんの気を逸らせた。


「違うわ。あた」

「コイツに住み着いてるだけさ」


あたしが好きで取り憑いている。そう答えようとしたが、ヴァッサーゴは嫌らしくあたしの口を押さえて遮った。


「あん?あん?なにポカーンとしてんだよ、小僧。最初に気付いたのはてめえだろーが」


あたしの目が赤いと一番最初に気付いたのは秀介だ。

赤い瞳は、悪魔と契約した証。

そう思われていたが、悪魔が憑くだけで目が赤く染まるのだ。

現にあたしはヴァッサーゴと契約していない。


「ずぅと、椿の中でてめえを見てたぜ?てめえが酔って椿を犯そうとし…ぶ!?」


また余計なことを言おうとヴァッサーゴに頭突きを食らわせた。悪さに夢中で気が緩んでいた彼の顔にヒット。


「えっ?」

「なんでもないわ。コイツのことは空気として扱って」


あたしははぐらかして、掴んだ胸ぐらをテーブルに叩き付けようとした。今度は煙になって避けたヴァッサーゴ。


「てめえこのアマ!殺しができねぇからってオレに欲をぶつけてんじゃねぇよっ!!」

「お黙り、欲求不満悪魔」

「その話。聞かせてください、悪魔」


ポン、とヴァッサーゴの肩に手を置いたのは幸樹さん。…過保護なお兄ちゃんが食い付いてしまった。


「この小僧が酔って椿を押し倒しただけだ、未遂さ」

「え!?いつ!?…てっ!あの時か!!」


お兄ちゃんの威圧感に負けたのか、さらりと暴露。秀介が声をあげた。

心当たりは一つしかない。あの夜だけ、彼はあたしの前でお酒を飲んでいた。


「あっ…てか。あのアパート、どうしたんだ?カトリーナもいないし…」

「…ああ、それは…」

「んなのあとにしやがれ。ヴァンパイアどもが持ってきた問題を聞こうじゃねぇか」


ヴァッサーゴが強引にあたしを椅子に座らせる。幸樹さん達の手前、話しにくいことだったため助かった。

するとずっと黙って突っ立っていたハウン君が腹に抱きついてきた。あたしは頭を撫でてやる。


「例の悪魔ですか?」

「いやぁ…それは私達が片付けるから、君は吸血鬼達の方に集中してもらいたい」


漸く復活したジェスタが起き上がり、あたしに答えた。


「ちゃんと掃除してくださいね」

「…鬼畜だね…」

「私達に悪魔は退治したと嘯いたのが悪いのですよ」


幸樹さんがジェスタに雑巾を投げ渡す。

ヴァッサーゴがあたしに入り込んだ際、ジェスタが呼ばれた。ジェスタは悪魔ハンター。

悪魔を退治するよう呼ばれたが、ヴァッサーゴを引き剥がすことが出来ずやむを得ずあたしの中に封じた。その封印は1ヶ月もしない内に破られたけど。

ジェスタは密かに退治するからとあたしにだけ封じたことを話し、幸樹さん達には退治したと嘘をついた。

それを白瑠さんと幸樹さんは怒っているのだ。


「燃やされないだけマシか…。これでも最善を尽くしてお嬢さんを生かすために」

「うひゃあ、もっかい頭粉々になるぅ?」

「……遠慮するよ、ははは」


笑いかける頭蓋破壊屋に何を言っても無駄だと悟り、ジェスタは弁解もやめた。どんまい。


「それで?ヴァッサーゴを生かしておけないから、あたしごと殺せって吸血鬼達が言ってるの?」


戦争が終わった今でも、悪魔と吸血鬼は敵対関係。悪魔を見つけ次第始末をする吸血鬼達は、ヴァッサーゴを殺したがっている。ヴァッサーゴが死ねばもれなくあたしも死ぬ。

それは幸樹さん達にはまだ話してないけどね…。


「いや、今のとこ落ち着いてくれているさ。けどね、お嬢さん。ちょっとばっかし進展早すぎないかい?あのあとすぐにコクウと別れちゃうなんてさ」


ジェスタは床を拭きつつ言った。

ラトアさんからコクウと別れたこと、聞いてたのか。


「奴が居たからこそ、吸血鬼達が引き下がったんだ。盾を失ったも同然だぞ。どうするつもりだ?」


なるほど、そうゆうことか。

コクウ。彼が自分を犠牲にしてまで吸血鬼の存亡を繋ぎ止めた吸血鬼。

謂わば救世主。

そんな彼に盾になられては、悪魔を殺したくても吸血鬼達は飛び掛かれなかった。

コクウの恋人だったから、守られていたのだ。

その盾を失ったのならば、吸血鬼に首を飛ばされかねない。

あたしは吸血鬼に命を狙われているわけか。


「それ考えてなかったわ…」

「心配しなくても、黒野郎は喜んでてめえの盾になるだろ。自己犠牲の塊なんだからよ?」


額を押さえたが、ヴァッサーゴは軽く考える。


「だが、流石の黒も番犬を匿っていると知れば敵に回る」


目的を果たすためなら手段を選ばない策略家。あたしを愛していても、あたしが立ちはだかれば容赦しないだろう。


「悪魔を引き剥がせばいいじゃねぇーか」


篠塚さんが解決法を言う。

それができれば吸血鬼の問題は解決するが、生憎それはできないのだ。


「…話してないのかい?お嬢さん」

「んぅ?」

「今は吸血鬼と番犬について話しましょう」


ジェスタの呟きに白瑠さんが反応したから慌てて議題に戻す。

「あと中毒も」と秀介。

問題は山積みだ。

そこで着信音が鳴り響いた。甘ったるい声の着うた。


「ああもうっ!だめだってば!しつこいよ!?」


電話に出て立ち上がったのはずっと黙っていた藍さん。

そのまま外にいこうとしたが、ジェスタの血に気付かず、踏みつけてズテン!と滑って転んだ。


「大丈夫ですか?藍さん」

「………お嬢が優しいっ!!」


笑う白瑠さんを横切って藍さんに手を差し出せば感動された。


「僕っ…本当に嬉しいよっ!」

「君はどんな扱いをされてたんだい?」

「足蹴にされてました」


藍さんがジェスタに励まされているのを呆れながら見つつ、藍さんの携帯電話を拾う。

「出てみろよ」とヴァッサーゴが言うものだから、あたしは通話中の携帯電話を耳に当てた。


〔紅色の黒猫?〕


第一声から通り名を呼ばれるとは驚き。落ち着いた若い男の声。


「はい」

〔君に仕事を頼みたい〕

「仕事?」


直ぐ様藍さんは立ち上がり、あたしから携帯電話を奪い返す。


「だから駄目だって言ってるだろ!しつこいな!」


背中が血塗れだと言うことを忘れて、藍さんは外へ出ていった。

仕事の依頼か。ずっと相手してたのか。

あたしを指名ということは、殺しの仕事だろうな…。

殺し。血。赤。

赤。紅い。紅い。紅い。紅い。紅い。紅い。

かぷっ。

いつの間にか目の前に現れた白瑠さんが鼻に噛み付いた。


「中毒患者は部屋に閉じこもってろよ」


ヴァッサーゴが言う。


「休んだらぁ?」


白瑠さんも部屋に行くよう言った。

またぼんやりしてしまったか。

あたしは額を押さえる。


「少し休みます…。V、代わりに聞いといてね」

「おう、余計なことを言わねぇようにしてやる」


ケタケタと意地悪を言うヴァッサーゴはあたしの座っていた椅子に座った。

引っ掻き回しそうだが、信頼しておこう。

あたしは部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。

殺しを断って、一週間と二日目だ。

そろそろ糸が切れたかのように、大量殺戮をしかねない。

最長記録は二週間と三日だが、二週間持つかどうかも怪しいものだ。

あたしは髪を掻き上げる。

そこでポケットに入れていた携帯電話が鳴った。見てみれば、着信は蓮真君。


「なぁに?」

〔…暗い声だな〕

「殺戮衝動と戦ってるのよ」

〔電話越しに殺す技は持ってないよな?〕

「ふふ、生憎ないわ」


冗談を聞いてホッと安堵を感じる。


「君から電話なんてよっぽどな用件なんでしょうね?」

〔就職の件。とりあえず、爽乃兄貴と狩人の体験することにしたんだ〕

「へぇ?君があの爽乃と仕事に行くなんて意外だわ」

〔神奈兄貴よりはましだ〕


まぁ確かにな。

だけど狩人を体験してみるとは、意外だ。本当に興味なさげだったのにな。


〔狩人もしっくり来なかった場合、黒の集団に会わせてやるって兄ちゃんが〕

「黒の集団に…?」

〔一応集団の裏現実者に会って、話を聞いて興味がわいたもんをやってみろって。黒の殺戮者も、経験豊富だし参考になるだろう?〕


ああ、なるほどね。

遊太の案ではなく、蓮真君の案みたいだ。

長年生きたコクウからアドバイスか。

経験豊富な吸血鬼なら参考になるだろう。あたしはラトアさんに聞いてみようかしら。


〔その時、椿も聞こうぜ〕


あたしは首を傾げた。

あたしも?


〔まだ黒のメンバーだろ?仕事もないんだし〕

「んー…。ニート発言はしたくないけど…閉じこもってた方が楽なのよね。前にも禁断症状で黒のメンバーを殺しかけたことあるし」

〔あー…。それについてさ、兄ちゃんがなんか言ってたな。レネメンだっけ?そいつがなんとかぁって〕

「なんとかぁ…って」

〔悪い、忘れた。なに?黒と別れたから顔を合わせられないわけ?〕


黒の集団の一人。眼帯の手品師”のレネメン・ジャルット。

確か彼も殺戮中毒者だったはずだ。

電話してと言われたが四日経った今も連絡していない。

既に仲間を裏切っているから、顔を合わせられないんだ。


「気が向いたら行くわ。貴方が行くとき、電話して」

〔わかった〕

「…はぁ」

〔…電話越しに溜め息を吹き掛けんなよ。どした?〕


溜め息を溢せば、訳を聞いてくれる。お人好しなのよね、この子。


「モテ過ぎて困ってるの」

〔そうか、いいことじゃない?〕

「嫌よ」


電話越しで蓮真君がクスクス笑うのがわかった。


「このモテ期は一体全体なんなんだろ?」

〔んー…。それはアンタの魅力のせいだろ。だからモテる。別に意識して好きになるように仕向けてるわけじゃないんだから、どうしようもないだろ?〕


………まともな回答がきた。

あたしは起き上がる。


「蓮真君」

〔なに?〕

「君が友達で嬉しい」

〔…あっそう〕

「だかしかし、我儘を言うなら。解決方法を出してほしい」


電話越しに呆れたのがわかる。

かと思えば女の子の声が聞こえてきた。

那拓家は男兄弟しかいないはず。

なら客人か。


〔げ!なんで入って来れたんだよ!?〕

〔神奈が入れてくれた。これ見舞品〕

〔いらねーって言ったろ!〕

〔誰と電話?〕

〔あー、椿とだろうね〕


女の子の声の後、神奈の声が聴こえてきた。見舞品、ということは例の蓮真君の女友達か。

何処かで聴いたことある声だな。

するとドタンッと物凄い音が聴こえてきた。

倒れた音…?


〔っ!!〕


蓮真君の、声?

どうしたんだろう。


〔はは、私もまぜて〕

〔はあ?〕

〔ちょっ!!やめてくれよ!〕


ガヤガヤドタドタ。

なんだ。蓮真君も女の子も神奈に襲われてるのか…?

取り込み中みたいだから電話を切ろうかな。

はぁ…。

蓮真君にも女友達がいるのに、どうしてあたしには恋愛相談出来る女友達がいないんだろう。

思い浮かべる女の知り合い。

武器職人の松平兎無(まつだいらうな)さん。次期大統領と噂される政治家、ミリーシャ・ビアンキ。

………………………………。

い、な、い、なぁ…。


「つばきゃん」


彼だけが呼ぶ愛称に、あたしは振り向く。ドアの元に秀介。


「明日、デートしよう」


無邪気な笑みで、秀介は誘った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ