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番犬と狼



否定をしないで

あたしの全てを

否定をしないで

あたしのことを

否定をしないで

大切な人だから





「どうにかしてくれませんかね?」


 微笑みを浮かべた幸樹さんは、その美しい笑みとは裏腹に背景にどす黒いオーラを漂わせていた。

朝イチに蓮呀の家に来たかと思えば、第一声に主語が抜けていてあたしは首を傾げる。


「白瑠ですよ。じめじめじめじめといじけてこの上なくウザいんです。どうにかしてください」


 幸樹さんの不機嫌の原因は、白瑠さんのようだ。ウザい、に力が込められたところを見ると相当ウザいみたい。

 昨夜は襲撃の気配もなく、静かに朝を迎えた。

蓮呀の家に泊まったのは、あたしとよぞらの他に蓮真君とハウン君。

あとは外で待機していた。

きっと昨夜は幸樹さんは白瑠さんとずっといたのだろう。


「無視すればいいのでは?」

「私は家でも一緒なんですよ?椿さん。貴女がいない家に、男が啜り泣くリビングで食事なんて…なんの拷問ですか」

「………」


拷問だ。白瑠さんが啜り泣くリビングで食事。ある意味ホラー。

 幸樹さんに迷惑をかけてしまっているが、あたしはまだ口を聞く気はない。

 沈黙をして何気なく後ろを振り返る。夜通しウノをやっていてついさっき寝付いたよぞら達。

ソファーにずっと気にしてみていた携帯電話を握り締めてよぞらは毛布にくるまって寝ていて、そのソファーに寄り掛かる形で眠っているのは蓮呀と蓮真君。二人とも寄り添って寝ていると、お似合いに見える。


「椿さん」


穏やかに呼ぶと幸樹さんはあたしの顔を両手で包んだ。


「怒る気持ちはわかりますが…白瑠も人間。病気で弱っていたせいなのですよ。治った白瑠の言い分も聞いてあげてください。このままでは貴女も辛いままでしょう?」


 親指であたしの頬を撫でながら、幸樹さんは言い聞かせるようにあたしを見つめて微笑む。

あの時、幸樹さんは一部始終を見ていた。

あたしが白瑠さんを無視する理由を理解している。

 このまま無視をしていれば、平行線だ。早く仲直りをするべき。


「……でも…」

「一言話すだけでも、してあげてください」


しぶったが頷くことにした。

ついでに服を取りに行こう。


「椿の代わりに私がここに残りますよ。白瑠は家にいますから」

「俺が送ってやる。オレオレ小娘のバイクでな」


 幸樹さんの後ろに篠塚さんが立った。

オレオレ小娘って…オレオレ詐欺か。

バイクで行くのは構わないが、持ち主は寝たばかりだ。

 あたしは困って蓮呀を振り返ってから幸樹さんを見上げる。幸樹さんは蓮呀の家を興味津々に見回していた。

 とりあえず蓮呀を起こそうと歩み寄る。

美少年と美少女の寝顔が並んでいる光景。蓮呀は蓮真君の肩に頭を乗せていて、蓮真君はその蓮呀の頭に頬を寄せている。なんとも微笑ましいが、ちょっと妬けた。

 これ、見たら蓮真君は赤面するだろうか。

ちょっと好奇心にかられて、あたしは携帯電話を開いて二人を写メした。


「ほら、ここだ」


 久しぶりに聴いた声に振り返ってみれば、ヴァッサーゴがバイクの鍵を手にしている。

それを篠塚さんに投げ渡すと消えた。

 なんなのよ、お前。昨日の問いを無視しやがって。

ヴァッサーゴに言ってやったが返事はない。沈黙の悪魔め。


「行くぞ」


篠塚さんが煙草の煙を吹かして急かす。いいのか?勝手に使うなんて。

するとあたしの顔の横に銃が出てきた。

 ぱぁんっ!

と軽い音を上げた後、篠塚さんの煙草が弾かれた。

エアガンだ。それも改造したエアガンでビービー弾に威力があった。


「禁煙だっつーの…」


 撃ったのは蓮呀だ。

煙草を吸わない人間は煙に敏感。それで起きたようだ。

欠伸をした後、蓮呀は「使えば」とあたしにバイクの使用許可を出すとエアガンを置いて、蓮真君に再び寄り添うように眠り始めた。

 篠塚さんを見てみれば、加えていた煙草を弾かれたのが原因なのか、青筋を立てている。

それから銃を取り出した。


「対抗しないでください、エアガンですから…エアガンです」


慌てて止めてから、幸樹さんにここを任せて外に出る。

篠塚さんは物凄く苛ついた様子だ。


「あ、最初あっちの方に行ってもらえませんか?」

「あ?」

「若者が溜まっているはず」


元々、昼の見張り役についた蓮呀賊を見に行くつもりだった。

篠塚さんが運転するバイクの後ろに乗っていき、道を塞ぐ若者達の元に行く。

 昨日料理を作ってくれた青年を含め、一度見た顔が並んでいた。蓮呀を見舞いに来たメンバーだ。

ギャングと名乗るような強面な顔立ちはいなく、どちらかと言えば大学生のチャラい若者といった連中だった。


「おはようございまース」


バイクから降りると戸惑いつつも一人が挨拶すると他の青年達も会釈をする。


「あれ、篠塚刑事じゃん。お久しぶりース!休暇中って聞いてましたけど、刑事やめちゃったんですか?」


 社交的に笑いかける青年は、ヘルメットを取り煙草を吸い始める篠塚さんに声をかけた。

事件に首を突っ込んだり暴力沙汰を起こす蓮呀賊は、警察のお世話になることが多く篠塚さんとはその縁で会ったらしい。

 篠塚さんのことだ。放っておけなかったに違いない。

最もそれは記憶を失っていた間の篠塚さんだが。

今の篠塚さんは、無視して煙草を吹かしている。

 ヴァッサーゴ、こいつら死ぬ?

今回顔を見に来たのは、彼らの未来を知るためだ。ヴァッサーゴは短く「死なねーよ」とだけ答えた。


「忠告しに来たの。事情は話せないけど……死ぬわよ。貴方達のボスは好き勝手させろと言っていたけど、無駄死にされては気分が悪いわ。死ぬだけだから…首、突っ込まないで」


 死なないと未来が見えるヴァッサーゴが言っても、未来は選択次第で変わっていくものだ。

万が一のために、この件から引くよう忠告した。

 篠塚さんに笑いかけた茶髪の青年はたじろぎ、仲間と顔を会わせる。それからあたしに苦笑を向けた。


「えーと、忠告ありがとうございまッス!俺達のことはどうか気にしなくていいッスよ!」


首を引く気はないようだ。


「忠告ならボスから受けましたよ!死にたくない奴は絶対に関わるなって!毎回危険なことに首を突っ込むとボスったら心配性で、何度も訊いてくるンスよねー」


にへらと笑う青年は、嬉しげだった。


「でも、俺達は首を突っ込んでおいたいので!ご心配なく!」


忠告した蓮呀にも、そうやって返したのだろうか。


「心配をしているわけじゃねぇよ、餓鬼共。人質になったらどうするつもりだ?あ?」

「人質になったら、ボスが助けに来ますので間に合ってます!」


篠塚さんの問いに、青年は笑って返す。

事情を知らないから、軽く見ている。蓮呀は強いと思うが、殺しをする連中相手に敵うはずはない。


「色々危ないことに首を突っ込んできたようだけど…今回は桁が違う。貴方達が捕まれば、助けにいった蓮呀は死ぬことになるわ」

「いいえ、ボスは助けてくれますよ」


はっきり言ってやると、即答された。微塵も揺らいでいない。

絶対に助けてくれると信じている様子だった。


「ボスは仲間を見捨てたりしません。助ける前に自分が先に死んだりもしませんよ。あの人はそうゆう人なんです」

「あの方は"殺される可能性があるから死にたくない奴は絶対に関わるな、死にたい奴は好きにすればいい"と冷たい口調で忠告しても、必ず死なせない人なんですよ。死なせたくないと思ってくれるんですよ、仲間想いなんで」

「それでも僕達があの人の力になりたいとスリルを味わいたいと望むから、この見張り役を与えた。ギリギリってとこだろ」

「ボスは無駄死になんてさせません。私達はボスが死なないように考慮した命令に従うだけです」


 死なないように考慮された命令。

彼らは蓮呀に絶対の信頼を寄せている。

全員の目は戸惑いも揺るぎも見えなかった。あたしに敵対心を向ける者もいた。


「……随分と彼女を、理解しているのね…」

「いいえ」


青年はキッパリ、首を横に振る。


「ボスが俺達を理解してくれているんです!」


嬉しげに言い切った。


「むしろ俺達があの人を理解するなんておこがましいって言うか!なんていうか!猫みたいに気ままで自由で自分勝手だけど、仲間のためだとライオンになって立ち向かう人なんッス!」

「もういい。黙れ」


熱く蓮呀について語り出す青年を、あの寡黙な青年が頭を鷲掴みにして止める。


「私達はボスの命令で見張りをしています。足手まといと言われても引く気がありません。…用件はそれだけでしょうか?」

「……えぇ。せいぜい蓮呀を道連れにしないように」


 わからない奴らだ。

寡黙な青年に嫌味ったらしく言えば「あれ?ボスの心配をしてくれたんスか!?」と的はずれなことを言う青年が拳骨を食らった。

 好きにすればいい。

あたしは肩を竦めて、篠塚さんの後ろに戻る。それからヘルメットを被れば、篠塚さんはエンジンをふかしてバイクを走らせその場を去った。

 理解してくれている、か。

順番を謝ってしまったようだ。これから白瑠さんと顔を会わせなくてはいけないと思うと、気が重くなり溜め息が零れ落ちた。

 理解してくれている人。

 口にしなくても、自分よりも理解している人だと思っていた。

いや、あの人は、理解しているからこそ、あたしが許してくれないとわかっていて落ち込んでいるのだろう。

口をきかないとわかっているから、しつこく付きまとうことをしない。

 あたしは許せそうにない。

口にしなくても、あたしに申し訳ないと思ったこと。後悔して泣いたこと。

 許せそうにない。

だって。

 あの人だけには、否定されたくなった。


「……あれ?篠塚さん、道が違いますよ?」


 ぼんやり見つめていた移り行く景気が見覚えがないものばかりで、全然幸樹さんの家に着きそうにもない。聞こえなかったのか、篠塚さんに反応がなかったので、身体に回す腕で気を引いてもう一度言う。


「意外に胸が大きいんだな」

「………あの、方角違いますよ」


 篠塚さんに胸のことを言われて、どう反応すればいいかわからずとりあえずもう一度言った。篠塚さんの背中に抱きつくようにしがみついているため、当然胸が当たっている。

不可抗力だけど、わざわざ言わなくても…。反応に困る。


「あってる」

「何処かに寄るんですか?」

「海」


…………海?




 聞き間違いかと思ったが、本当に海に着いた。季節が春前なので海風は寒く、人気のない海岸は寂しげ。

 海に何の用なんだろう。

首を傾げていれば、篠塚さんはバイクから降りると砂浜を踏みつけて、何処からか流れ着いたであろう大きな枯れ木に腰を下ろしては煙草を吸い始めた。

 たそがれるタイプではないはずだけど…。

あたしもバイクから降りて、篠塚さんの元へ行く。

砂浜に沈むブーツを気にしながらも、篠塚さんの元に到着。


「あの……篠塚さん?」

「行きたくねぇなら、行かなきゃいい」


 海に来たわけを訊こうとしたら、篠塚さんはそれだけを答えた。

パチクリと瞬きをする。

遅れて篠塚さんが何を言ったのか、理解した。ああ、なるほど。

あたしは篠塚さんの隣に腰をかけた。

 サラサラと聴こえてくる波の音だけが、その場の沈黙を中和する。

でもあたしは、吹いてしまった。


「なにが可笑しい」


不愉快そうに篠塚さんは横目で睨んでくる。


「いや…やっぱり、篠塚さんは篠塚さんだなぁと」


口にしない本音を見抜いてくれる、嘘を見抜いてくれる、それが篠塚さんだった。

ある意味理解してくれていたのかも。

 あたしが行くのを嫌がったから、方向転換して海に連れてきてくれた。

嫌なら行かなくてもいい。

篠塚さんの優しさ。


「…前も言ったが、どうゆう意味だ。それ」

「記憶を失っている間の篠塚さんは、本心を見抜いてくれる人でした」


美しいとは言い難い海を見つめながら、思い返す。

温かみある笑みの篠塚さん。


「普通にしていても怯えていることに気付いてくれたり、悲しんでいることに気付いてくれたり、助けてって心の叫びを聴こえてるみたいに手を差し出してくれる。そんな人でした」


もがいてもがいて、行き場のない助けてを口を押さえて上げていた。

それに気付いてくれた人。


「記憶を取り戻した貴方も、あたしの本心に気付いてくれたじゃないですか。覚えていてほしかった…あの約束。覚えていなくても十分でしたが…やっぱり覚えていてほしかったなぁと思っていたんです。それを見事に貴方は見抜いてくれました」


 あたしの殺戮中毒を治す、治るまでそばにいる。

その約束を、果たしてほしい。

記憶を取り戻して篠塚さんに、言って欲しかった。

なんて我が儘なことを言うつもりはない。十分だった。

あたしが殺しを断つ理由に、なってくれたのだから。

それ以上は求めない。

 隣の篠塚さんを見上げてみれば、不可解そうにしかめていた。


「なにを自意識過剰なことを言ってやがる。気付いてないのか?秀介が俺に覚えていないのかと問い詰めた時、お前は俺の手を強く握り締めていたんだぞ。ずっと震えていた。丸分かりなんだよ」


心底呆れたように、吐き捨てて煙草の煙を吹き出す。


「さっきもどでかい溜め息ついてたじゃねぇか。わかりやすいんだよ。アホか」

「…そうかもしれませんね」


 あのわからず屋の青年達に呆れてついた溜め息ではなく、白瑠さんに会いに行くことに溜め息をついたとわかるなんてよほど人を見ているんだろう。

警察の刑事故に観察力がいいのかな。

 悪態をついても、優しさでここに連れてきた事実があるので笑みを漏らす。


「で?お前にゾッコンな白い小僧がなにやらかして怒らせたんだ?」


篠塚さんは話題を変更した。

嬉しくない話題だ。


「なにをやらかした…というか…」

「なんだよ?」

「………」

「早くしろ。なにを言われたんだ」


どう言えばいいかわからず、口を閉じていたら脇腹をつつかれた。くすぐったい。


「初めてみた時、お前とアイツは恋人なのかと思った」

「皆そう思ってしまうんですね」

「お前のためなら俺を殺すって目をしてたぜ。どう見たってゾッコンじゃねぇか」

「はは…」


あのゾッコンをあたしは、白瑠さんが奇人故の行動だと思っていた。あたしだけなのかな、そう思うの。

乾いた笑いを漏らしてから、あたしは立ち上がり波打ち際まで歩む。

湿った砂にブーツの足跡がついた。


「あの人があたしを裏現実に引き込んだんです。あたしに裏現実を教えてくれた人です……そのおかげであたしはこうしてここにいられるです」


サクサクと踏みつけて、意味もなく砂を蹴り上げる。


「血塗れな手ですが…それでも…幸せに生きれています。彼のおかげで、彼がきっかけで、人の命を奪っておいてなんですが、幸せなんですよ」


この世界があたしが、本来いるべき場所だと思った。

初めからこの世界に生まれてくるべきだったと痛感することもあった。

血塗れでも、初めて愛に包まれたんだ。

あの人のおかげで。それなのに。


「…篠塚さん。人殺しを肯定しているわけではありませんが、あたしは間違っているのですか?人殺しは幸せを知らないまま…死ねばよかったのでしょうか?この世界に、来るべきではなかったのでしょうか?…この世界に来たのは間違いだったのでしょうか?愛を知ったのは、間違いだったのでしょうか…?」


 口にしたら、痛かった。

水平線を見つめながら、胸を押さえる。

白瑠さんの泣き顔が浮かんできた。

もう十分泣いたのに、また泣いてしまいそうだ。

 間違いだと、白瑠さんは泣いて謝ろうとした。

否定して、泣いて謝ろうとした。

 足元まできた波が砂を奪い去っていく。

白瑠さんが手を掴んでくれなければ、あたしは監獄で死んでいた。愛を知らないまま心臓は止まってしまっていた。

感謝をしているのに、白瑠さんは罪悪感を抱いて泣いた。あたしが傷付くとわかっていたくせに、目の前で泣いた。

 きっと彼女なら即答で「間違いだ」と告げるだろう。幸樹さんを人殺しと罵る蓮呀。

歪みきったあたし達に容赦なく突き付けるだろう。あの真っ直ぐで揺るぎない意志のある瞳で、鋭利な言葉で突き刺してくる。

 マチガイダ。


「────…俺じゃないだろう」


静かな波の音がする中、篠塚さんの声がして振り返る。

 枯れた大木に座ったままの篠塚さんは、あたしを真っ直ぐ見据えて言う。


「その答えを聞きたい相手は、俺じゃないだろう」

「───…ほら、本心を見抜いてくれるじゃないですか」


ちょっと泣きそうになったが、あたしは笑いかけた。

変わってしまったけど、変わらない優しい人に。

 そう、その答えを訊きたい人はあの人だ。

イエスでも、ノーでも。あの人から答えを聞かないと、あの人ではなくてはいけないんだ。

 でもその答えは、出ているも当然だった。


「まるでもう…死んでしまったように言うんですよ…あの人。まだ脈打つこの心臓が…止まってしまったみたいに言うんです」


胸に当てた手に、確かに感じた心音。

生きていることを否定された。


「悪魔に生かされているんですよ、あたし。心臓が停止寸前、寿命ゼロ。───あたしって、生きていないのですか?」


 あの人が始まりだったのだ。

彼が一番わかっていたはずなのに、一番理解してくれていると思っていた。

あの人に、問わなければいけない質問を、あたしは篠塚さんに笑いかけて問う。

涙で視界が歪んでいく。


「…聞こえねーよ」


 目を丸めて驚いた反応した篠塚さんはまた答えてはくれず、そっぽを向いてしまった。あたしの情けない顔を見ないように。

 悪魔に生かされたこの命。

白瑠さんが裏現実に連れてきてくれなければ、ヴァッサーゴに会えずに心臓は止まっていた。

心臓が動いていたから、愛に包まれた。愛を知ることができた。

 まるで死刑の執行猶予だ。

死ぬ前に、最後の極楽を与えられたみたい。

 まだ生きたい。

 まだ一緒にいたい。

 大切な人達と、まだ生きたい。


だけどあたしは、もう───死んでいるのですか?白瑠さん。


 きっと涙を流しながら、問うことになるだろう。

結局、あの人を責め立ててしまうのだろうか。

選んで突き進んだ道は間違いではないと信じたいのに、手を引いた本人に間違いだと言われては責め立ててしまう。


 椿はっ!間違ってなんかない!!血塗れになってもっ椿は笑った!笑って笑ってっ幸せも手に入れたんだ!それを否定っっっすんなぁあっ!!!


白瑠さんがコクウに間違いではないと言ってくれたから、肯定してくれたから、証明しようとした。

 否定をしないで。

 お願いだから。

 あたしを生かして。

初めて会った、あの時みたいに。

あの電車の中で、笑いかけた時みたいに。

あの病室に迎えにきた時みたいに。

生きる道を教えて、手を引いて、誘ってください。白瑠さん。

温かい場所に、居てください。

一緒に居てください。

あたしの大切な人なんです。

あたしを肯定してください。

 白瑠さんに伝えたい言葉が次々と出る。それが我が儘すぎて、それが押し付けがましくて、笑ってしまった。

その震えで落ちた涙が、砂浜に落ちる。吸い込んだ砂は、波に浚われていった。


 白瑠さん、愛しているなら

 あたしを助けてください。


ポロポロ、落ちていく涙。

 ああ、どうしよう。

白瑠さんに会いたくなってきた。あの笑みが見たくなってきた。どんな笑みでもいい。白瑠さんの笑顔が見たくなった。

 顔も見たくないと無視をしていたのに、本当にあたしは我が儘だ。

傷付けてきた人に、どうしても会って、どうにかしてもらいたい。

この苦しみを取り除ける相手は、他でもない───白瑠さんだから。


「あは、泣きすぎてしまいました」

「……煙草が切れた」


 涙を拭って一息つく。

篠塚さんは一瞥してから空の煙草の箱を握り潰して放り捨てた。それを拾い篠塚さんの草臥れたコートのポケットの中に入れる。

なにすんだ小娘、と睨まれた。


「買うついでに捨てればいいじゃないですか」

「……」


どでかい溜め息をつくと、バイクを停めた場所まで篠塚さんは歩き出す。


「んで?目的地は何処だ、オレオレ小娘の家か?お前の家か?」


背を向けて歩いたまま、篠塚さんは聞いた。


「あたしの家で、お願いします」


あたしも砂を踏み締めて歩き出す。

さっきよりは足取りは軽かった。


「一発かましてやるのか?」

「いえ、もう一発叩きました」

「もう一発おまけに叩いてやればいい」


とっくに思いっきりひっぱたいた。

もうそんな機会なさそうだから、おまけにまたひっぱたいてやろうか。

気が楽になり笑う。


「煙草買ってくる、待ってろ」

「はい」


バイクの元に戻って、すぐにコンビニを見付けた篠塚さんはそこに向かった。

 煙草、やめる気ないのかしら…。

深呼吸して、泣いた余韻を吐き捨てる。

きっと白瑠さんと話したら、また泣く羽目になると思うと苦笑が漏れてしまう。

 白瑠さんは、なんて答えるかな。

ちょっと怖くも思うけど、逃げていないで向き合おう。

ちゃんと、あの人と。

ちゃんとあの人の答えを聞こう。

あの人は、逃げたりしないから。

 生かすも殺すも、白瑠さん次第。

何度も彼に言ってきた。

不要なら殺してください。

もう一度、選択してもらう。

寿命ゼロなあたしを、生かすか殺すか。

 責任を押し付けてしまう行為だと言うことはわかっている。でも、どうしても、彼でなくてはいけない。

その返事を、どうしても、白瑠さんに出してほしいんだ。

 白瑠さんが始めたから。


「…白瑠さん、じゃなくちゃ…か…」


 惚れた弱味に漬け込んで、あたしの命を背負わせようとする相手をいつも言い訳に使っていた気がする。

生き方を教えてくださいとか、殺してくださいとか、生かしてくださいとか。

今度こそ白瑠さんは怒っちゃう気がしてきた。

壊れ物みたいに慎重に扱って、でも強く抱き締めてくるあの白瑠さんは、どんな反応するのかな。

 もう最後のお願いとして、言おう。

肯定してくださいって。

貴方は大切な人だから。

否定しないでください。


「大切な人って、どうゆう意味だ?」


 不意にヴァッサーゴが口を開いた。

 大切な人。それはつまり、家族のように愛する人という意味だ。

幸樹さんと藍さんと由亜さん。あたしの大切な人。


「でもその三人に否定されても、傷付いたりしないんだろう?」


想像してみたが、白瑠さん以外に否定されても、大丈夫な気がした。

既に恋人だったコクウに、否定されたから。

そりゃ傷付く。でも白瑠さんに目の前で泣かれた時よりも、傷付くことはないと思う。

今いる場所は、紛れもない白瑠さんが立たせた場所。そこから突き落とされたようなものだ。

白瑠さんほどあたしを傷つけられる人はいないと思う。

 あたしの心の声を聴いたヴァッサーゴは、重たい溜め息をついた。


「恋人だった黒野郎より、白野郎に否定されてショックを受けたんだろ?」

「そう言ってるでしょ」

「……………てめぇは本当にムカつくほど鈍感だな…クソが」

「なによ、はっきり言いなさい」

「誰が言うか!このクソアマ!」


 頭の中で怒鳴られる。

いきなり喋りだしたかと思ったら、なんなんだこの悪魔は。

追及しようとしたその時、ズキンッと頭痛が走った。


「!?、V?」


 ズキンズキンと締め付けられる痛みに頭を押さえる。そんなに怒らせたたのか?と思ったが、この現象はあれだ。

悪魔が、近付いている。


「かわい娘ちゃん」


 声を弾ませて近付いてきたのは、灰色の髪をした男。あたしと同じ赤い瞳を細めて笑いかける。


「こんなところで会うなんて奇遇だね。運命感じるなぁ、お茶しない?」

「……何故貴方が…」


日本にいるんだ。

てっきり海外にいるとばかり思っていた。

宿敵である吸血鬼が集まってきている日本に、何故いるんだ?


「何故日本にいるかって?ちょっと捜し物だよ、捜し物。オレ、ジャパニーズ大好き」


笑いかけてくる笑みは薄い。

捜し物…?


「あれ、そう言えば仕事中じゃなかったの?」

「え…?」

「殺し屋やめて狩人になったんだろう?かわい娘ちゃん。ちゃんと、守ってあげないと、か弱いか弱い表の女の子をさ」


屈んであたしに顔を近付けて、灰色の男は意味深に言う。

表の女の子───よぞらのことだ。

噂になって知り渡っているはずだから彼が知っていても可笑しくはない。だがその口振りは、誰かに依頼されて守っていることを知っているようだった。

 そこで吸血鬼モドキを思い出す。

まさか。


「…なにをやっているの?」

「……面白かった?吸血鬼モドキ」


睨み付けて問えば、なにを問われたのか理解して男はニヤリと笑った。

彼らの仕業か!

吸血鬼モドキを作り出した!


「よぞらちゃんだっけ?彼女が誘発してくれたおかげで、吸血鬼になりたがるおバカさん達を集めることができたんだ。ネットは便利だねぇ、ほんとほんと。やりたい放題だ」


ポケットから取り出した携帯電話を開いて見せる灰色の男。狐月組のサイトが表示されていた。

裏と表の境界線が崩されかけていた最中、どさくさに紛れて志願者を集めたのか?そしてあの吸血鬼モドキを作り上げた。


「あれ試作品でさ、吸血鬼作ってスパイさせようとしたんだけど…失敗しちゃったんだ。でも困惑してくれたかな?君の元カレはさ」


 試作品だと?

生きた人間を化け物にしておいて、コイツ。

あたしは覗き込むように見てくる灰色の男を睨み上げた。

どさくさに紛れて面白半分に、吸血鬼モドキを送り込んだ。

 なにを目論んでいるんだコイツ。

よぞらを消すことに躍起になっている間、なにを暗躍しているんだ。

悪魔達が、闇の中を蠢いている。


「おい」


どうしたらいいのか、迷っていたら篠塚さんの声がして震え上がった。

 新しく買った煙草を加えていた篠塚さんが視線を送るのは、灰色の男。

その篠塚さんの目が見開かれた。

悪魔憑きの証である赤い瞳を視認した途端、銃を取り出すと躊躇なく発砲。

 雷鳴のような銃声が轟く。

弾丸は、灰色の男の額に撃ち込まれたように見えた。しかし間一髪、後ろにバクテンして灰色の男は避ける。

もう一発、篠塚さんは撃ち込んだ。

今度は悪魔が弾き返した。

篠塚さんはあたしを庇うように前に立ち、銃を構えたが銃では悪魔憑きを殺せないことを理解して撃つことはやめる。


「っっっ番犬!!!」


 目を見開いても口元に笑みを浮かべた灰色の男は、数人しか知らない篠塚さんの正体を口にした。


「え、何故っ…」


あたしは篠塚さんを見上げたが、険しい顔をして灰色の男と対峙している。


「死んでないってわかってたけど…こんなところにいたのかよ。番犬さん!ははは!かわい娘ちゃんの次の彼氏?傑作だな!番犬と黒猫!ははは!運命感じるなぁ!」


狂ったように笑いだす灰色男が、不愉快だったのか篠塚さんは発砲した。しかしそれは全て当たることなく弾かれる。


「誰なんです?知り合いなんですかっ?」

「知り合いって言うか、番犬が唯一取り逃がしたエ・モ・ノ」


篠塚さんの代わりに、灰色男が答えた。

 番犬が唯一取り逃がした獲物。

それは────ウルフだ。

ウルフ。頭を撃ち抜かれて死んだはずの殺し屋。


「ウルフ…?」

「あれ、知っててくれてうれしーな…最も、それの通り名は奪われちゃったんだけどね…」


赤い瞳を細めて、薄く笑いかける───ウルフ。


「嬉しい誤算だ…まさか番犬にまた会えるとはね!ははは!また追い掛けっこするか!番犬!」

「武器貸せ!椿!あの野郎の首を落とす!」


 ウルフは背中を向けて走り出す。

一度取り逃がした篠塚さんは声を上げて手を出したが、あたしの方が早かった。投擲ナイフを、ウルフの背中に投げて命中。

勿論殺していないし、そもそも心臓を狙ったところで再生して立ち上がる。

よろけたウルフに、つかさず篠塚さんが撃ち込んだ。

今度こそ弾丸は当たり、ウルフは倒れた。

 悪魔が治癒する前に、首を落とそうと篠塚さんにカルドを渡して駆け寄る。頭と身体が離れれば死ぬ、と以前ヴァッサーゴが言っていた。

コイツは脅威だ。

始末するべきだ。


「いってーなぁ…!!」

「っ!!」


ガンと殴られたような衝撃を頭に食らい、その場に崩れ落ちそうになって踏みとどまる。


「椿逃げろ!」


ヴァッサーゴが叫ぶ。

 倒れたウルフを守るように、数人の男が現れた。吸血鬼に似た雰囲気────吸血鬼モドキ。

牙を晒して威嚇した吸血鬼モドキに、発砲する篠塚さんの腕を掴みバイクに引き返す。

バイクに股がってエンジンをかける。篠塚さんが乗ったと同時に、タイヤを滑らせるようにバイクを方向転換させて道路を走り出す。

 ミラーで確認すれば、吸血鬼モドキは追ってきていた。

人間ではあり得ないほどの速さで駆けている。ある者は行く手を遮る車をぶん投げて退かした。

アクション映画さながらな光景が日本の街で、というか道路で真昼間から繰り広げられる。

 人間が怪物並に走ってバイクを追い掛けているだけで十分まずいと言うのに、篠塚さんは通行人の視線などお構いなしに発砲した。


「篠塚さん!まずいですよ!」

「アレを野放しにした方がまずいだろうが。殺せば人間として死ぬんだろ?生きて人間食ったらそれこそ吸血鬼の存在を公表することになる」


 それがウルフの悪魔の狙いなのか?

悪魔にとって、裏と表の境界線がなくなろうが関係ない。宿敵である吸血鬼を殲滅したいだけなのか。

本当にまずい事態だ。


「せめてヘルメット被ってください!」

「俺を振り落とすなよ」


 片手でヘルメットを被り、篠塚さんにもう一つのヘルメットを被らせる。落とすわけないじゃない。


「車だ!」


 その意味を理解することに時間がかかった。

ミラーで後ろを確認すれば、車が飛んできている。───吸血鬼並の怪力で車が投げ飛ばされたんだ。

 右に移動して避ければ、車はコンクリートの上に落ちて大爆発した。

大爆発したぞおいっ。顔が引きつる。

真昼間から吸血鬼モドキが引っ掻き回した。表現実者の目の前で。

こりゃあ狩人達と攻防している場合じゃない。

 この吸血鬼モドキを始末してから、報告しなくては。

エンジンを捻り上げて、違犯スピードで、先を走る車を避けて突き進む。


「おい!」


吸血鬼モドキから随分離れた。

モドキの始末が最優先だと篠塚さんに怒鳴られたが、あたしだってそれをわかっている。

 信号が赤になったのが見えた。

あたしは急ブレーキをかけて、赤信号で停まった車の前で停止する。

 振り返れば、信号で停まった車が次から次かへと飛ぶ光景が目にはいる。

まるで人込みを掻き分けるかのように、近付いてくるのがわかった。

その方にバイクを向けて、エンジンを捻り上げて、後輪のタイヤをその場で回転させる。

キュイインッと悲鳴のような音が響き渡る。

何事かと目の前に並ぶ車の運転手達が顔を出す。


「仕留めてください。突っ込みますよ」

「誰にものを言ってやがる、小娘が」


 あたしの意図を察した篠塚さんは弾倉を込めた銃を二丁構えた。

ヴァッサーゴもあたしの目を塞いで未来を見せる。どれがいいコースかを。───今だ。

 急発車させて、左側に停車していた車を土台に、宙へと飛び出す。

吸血鬼モドキが飛ばした車が当たらないコース。視界に映る全てがスローモーションに見える。赤い車が掠めたが問題はない。


  ズガガガガンッ!!


 吸血鬼モドキの頭上を飛んだ。

篠塚さんはその間に真下の獲物を、雷鳴のような銃声を轟かせて撃ち抜いた。

ダン!と着地してから、停止して振り返る。吸血鬼モドキは全員、倒れていた。

 一掃完了。流石は番犬だ。

死亡を確認してから、あたしはバイクを発進させた。

 全速力で蓮呀の家に戻る。

ガレージにバイクを止めてヘルメットを投げ捨てて、階段を駆け上がった。

鍵がついていない扉を開けば、一番最初に携帯電話と向き合うよぞらと目が合う。

ゼハァと荒くなった呼吸を押さえつつ、部屋を見回すと幸樹さんは蓮呀と一緒にキッチンに立っていた。


「ラトアさんは何処です?」


息を切らしながらあたしは問う。


「…どうしたんですか?」

「襲撃に…遭いまして…モドキに」


悪魔の存在を知らないよぞら達の手前、悪魔とは言わない。

流れ落ちる汗を拭って、椅子に座る蓮真君に視線を移す。


「爽乃を呼び出して」

「緊急か?」

「緊急もなにも…戦争よ」


悪魔と吸血鬼の戦争が起こりかねない。

いや、ウルフは戦争を望んでいる。

 あたしは携帯電話を開いてコクウに電話を掛けた。

幸樹さんが歩み寄るのを見て、玄関の外に出る。階段下では、ミリーシャの元に行った秀介に連絡しているであろう篠塚さん。


「コクウ。モドキを作った犯人をわかったわ」


電話が繋がってすぐにあたしは言った。

犯人の名前を口にしようとして躊躇する。

ウルフが番犬の顔を知っている事実を、コクウ達は知っている。下にいる篠塚さんを見たが、躊躇している場合ではないと、口を開いた。


「ウルフ。一回死んだウルフが、どさくさに紛れて吸血鬼モドキを作り出した。悪魔憑きよ」


既にジェスターが吸血鬼達に知らせたと思うが、今動き出していることを伝えなくては。


「吸血鬼達に知らせて。戦争を起こす気よ」

〔ウルフ…ね。了解。こりゃあよぞらよりも脅威だぁ。狩人にも伝えておきなよ〕

「えぇ」

〔気を付けてね、椿〕

「…貴方も」


電話を切って幸樹さんを見上げる。


「狩人と吸血鬼の標的が変わるでしょう。よぞらを狙うことを諦めてくれればいいのですが…」

「ウルフは狩人達に任せましょう。私達は私達でよぞらさんを守りましょう」


 いつまでも狩人達と攻防を続けてられない。

これを機に諦めてくれればいいが、問題は悪魔憑きのウルフを危険視した彼らが、同じく悪魔憑きのあたしをどう考えるか。

同じく脅威だと判断すれば、あたしを殺しに来る。

 ──────どう転ぶ?






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