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裏切りと十字架



「なぁーんだ。俺のことは殺さなかったんだ?」


 死にかけた重傷を手当てされたくせに、幸樹さんに対して前回と同じく頭にくる態度を示すベッドの上の蓮呀。


「お礼が言えないのですか?」


 そんな態度は慣れっこなのか、苦笑するだけの白衣の幸樹さん。白衣姿が懐かしい……。


「お礼? 言うのはアンタの方だし。俺がアンタの妹を助けてやったんだ」

「死にかけたけどね」


 堪えきれずあたしは口を挟む。

幸樹さんが勤務する病院の個室。

医者と患者とは思えない会話に割って入った。


「それにしても人殺しセンセー。アンタ、偉くべっぴんな妹がいるよな……養女?」


 あたしをまじまじとみる蓮呀。


「自慢の妹ですよ」

「……ふーん」


 微笑んで答えた幸樹さんに意味深な目付きを向ける蓮呀に、あたしは組んでいる腕を指で叩いた。

命を救ってもらっても態度を改めない。一体この二人に何があったというのだ?

幸樹さんから彼女との関係は聞きそびれていたが、今訊いてもいいだろうか?


「ところで弓使いは?」

「放置よ」

「……いいのかよ、それ」

「いいのよ。襲ってきた奴をわざわざ病院に連れてけるほど余裕じゃなかったし」


 貴女が死にかけてたから、と皮肉で付け加える。

もう目を覚ました頃だから、あの倉庫に狩人はいないだろう。


「んで? アイツなに? 殺し屋?」


 間入れずに平然と蓮呀は訊いた。

負傷してまで倒したのに、相手の正体は言えません。なんて納得できないだろう。

隣に立つよぞらがあたしの顔を伺いつつも「狩人って…言ってたけど…」と小さく答えた。

あたしは幸樹さんに顔を向ける。


「……」


 あたしと幸樹さんに鋭い一瞥する蓮呀。なにかを感付いたようだ。なかなか鋭い。


「でも、よかった……蓮呀さんが死んじゃうのかと……」

「がはっはっ! 俺が死ぬ? んなわけねーじゃん。俺が死んだらこのドクターのせいだから」


 心底安堵して見せるよぞらには気さくに笑いかけるが、幸樹さんに鋭く尖った視線を送る。

コ、イ、ツ、め。


「いいえ、貴女は自殺したようなものよ。腹に突き刺さってるのに動き回るなんて、傷口を広げる行為よ」

「べっぴんさんだって、俺に武器投げたくせに」


 揚げ足をとられた。

「全員が生き残るにはあれが最善策だった」と言い訳する。


「下手をしたら死んでましたからね。一週間安静にしてください」


 幸樹さんが続いて言うと蓮呀は苦い顔をした。


「……おい、家に連絡してねーよな? してたらただじゃおかねーぞ」

「そうゆうことだと思ってしていませんよ」


 凄みをきかせて蓮呀は睨み付けるが、さらりとかわすように幸樹さんは微笑みを返す。

家。つまりは両親に連絡をされないために幸樹さんを指名したのか?

幸樹さんは連絡先を知っている仲なのか?


「べっぴんさん」


 安心したのか、ニッとあの笑みを浮かべた。


「自殺なんてとんでもねーな。俺は生きるために戦ったんだ。誰にも殺されるつもりはねーよ。死ぬつもりなんてさらさらねぇし。俺は生きたいんだから、まだまだ生き足りねーんだからさ」


 死にかけてたくせに、揺るがない意志を込めた瞳を向けて笑う。

至極楽しげな笑み。

 生きるために戦った。

 生きたい。まだまだ生き足りない。

彼女の言葉が胸にじんわりと熱としてこびりつく。


「……じゃあなんであんな無茶を? あたしが武器を渡さなきゃ確実に死んでたわ」

「でもアンタは俺に武器を渡したし、俺は死んでない。俺は死ぬ気なかったし、この人殺しドクターも俺に死んでほしくない理由があったから、絶対に死なせないと思った」


 あたしが納得できるように、蓮呀は説明し出す。

蓮呀に死んでほしくない理由が幸樹さんにあるの?


「まっ、このドクターに死んでほしい理由があっても俺は生きたけどね。俺には生きる糧の理由がある。ソレを否定されたって、俺が生きるって事実は揺るがない。だから、俺は死なない」


 まるで自分がその生きる糧の理由のおかげで、不死身みたいな口振り。

 否定されたって、生きている。

また熱さが胸にこびりつく。

 否定されたって。

 生きている。

ボロボロに泣く白瑠さんを思い浮かべた。

 ――――――――生きている。

得意気に笑ってせるベッドの上の蓮呀を見ていると、本当に何故彼女と自分が似ていると思ったのかわからなくなる。

 泥中之蓮という言葉がある。

泥の中でも美しく咲き誇る蓮の花を意味する。それはまさに、彼女だと思った。

血塗れに汚れても、美しく咲き誇るように笑う。

泥の中に咲き誇る美しい蓮の花――――…。


(レン)!」


 彼女を呼ぶ声に振り返ると、那拓蓮真が病室に入ってきた。兄弟に呼ばれたあだ名で、蓮真君は彼女を呼ぶ。

呼ばれた本人は、蓮真君を確認するなり顔色を変えて布団の中に潜り込んだ。


「な、なんでっ! お前がいんだよ! 蓮真!」

「よぞらに電話したらお前が入院したって言うから……大丈夫なのかよ? お前!」

「大丈夫に決まってんだろ! アホか! よぞらも大袈裟に言うなよ! つか蓮真帰れよ!!」

「はぁ!? なんだよ! 心配して走ってきたのに!」

「し、心配!? ……バーロー! 嬉しくねぇよ!」


 顔を見なくても蓮呀の声は動揺の色があって布団の中に閉じ籠る。

蓮真君はあたしとよぞらの中に入って、文句を撒き散らす。

先程よぞらに蓮真君から電話がきたので、テンパった彼女はつい蓮呀が入院したと話してしまったのだ。

本当に走ったらしく、肩を上下に揺らして汗を拭う蓮真君は「つか見舞いに来てやったんだから顔出せよ!」と怪我人がくるまっている布団を叩いた。

 あたしと幸樹さんとよぞらは置いてけぼりにされている。なんだ、この状況は。

幸樹さんが口元に手を当てたのが見えたので顔を向けるとニヤリと笑みを浮かべていた。

意地悪な笑みだ。

彼は布団に手を伸ばすと、容赦なく剥ぐ。

露になる蓮呀の髪はぐちゃぐちゃで、蓮真と目を合わせる。

途端に、彼女の顔は蒸気を上げそうなほど、真っ赤に染まった。


「〜っバカ蓮真!! 誰も見舞いに来いなんて言ってねーだろうが!」

「お前だってぼくが来るなって言っても、来たじゃん! 仕返しだ!」


 ガバッとまた蓮呀は布団で隠れる。

蓮真君は真っ赤になったのは見逃したのか、それともスルーしているのか威張ってみせた。

 幸樹さんに目を戻すと、ツボッたらしく腹を抱えて必死に笑い声をださまいと口を押さえている。


「帰れよ! バーカバーカ!」

「子供かよ! ……帰ればいいんだろ! ふんっ!」

「えっ? ……帰っちゃうの?」

「どっちだよ! お前!」


 あたしとよぞらの心の声は重なっていたに違いない。

 蓮呀は、ツンデレ……!!

真っ赤になって嫌がりつつも、引き留める。そんなツンデレな反応にキュンとするわけでもなく、ガミガミ言う蓮真。

気付いていないのか、それともこの二人にとって通常運転なのか。どっちだ?


「さて、私達はちょっと外しますので。蓮真君。彼女は重傷なので、安静にするよう見張っててください」

「あっ、はい。蓮を助けてくださり、ありがとうございます」


 笑いを堪えつつ、幸樹さんはあたしとよぞらの背中を押す。

蓮真君は生意気な口調の割りには、しっかりした子だ。ペコリと幸樹さんに頭を下げた。

それを見て、複雑そうな薄い笑みを浮かべた幸樹さんは、あたしとよぞらの背中を押して退室する。

 その表情のわけが知りたくて訊こうとしたが、先によぞらが爆弾発言した。


「……あたし、蓮呀さんは……男だと思っていました」

「え゛っ」


 何を言う。この子。

見てみれば本気で蓮呀を男だと思っていたらしく、真顔で俯いていた。


「女顔のイケメンだとずっと思ってました……一人称俺だし、いつも帽子を被ってたし……体型わからない服装だし……」


 それに声は結構低いし、と呟くよぞら。

それでも女だとわかると思うけど。あたしは最初から髪を下ろしていた姿をみていたせいかしら。


「気障で軟派な台詞を言うから、きっと男だと」


 嗚呼、そう言えば"かわいこちゃん"とかなんか結構女たらしみたいな台詞を並べてたな。無理もないかも。


「それに、なたく君は女の子を避ける方だから……てっきり男友達だと……」


 そう、それだ。

あたし以外に女友達なんていないと思っていた蓮真君に、まさかの女友達が二人もいた事実。

女の子にモテすぎて女の子にうんざりしているあの子が、女友達だ。驚き。


「……………………。……蓮呀さん、本当になたく君が好きなんだぁ……」


意味深な沈黙のあと、よぞらはにやけながら呟いた。


「え?」

「蓮呀さんがなたく君に対するスキンシップはもう激しいのなんのって、ゲイなのかな? って思った時もありましたが。元々スキンシップが激しい人だったんで、単なる男友達のじゃれあいだと思ってたんですけど。よくよく思い出してみたら、なたく君といる時の笑顔って恋する乙女だったなぁと」


ぶっちゃけるよぞら。ぶっちゃけすぎだと思う。

てか恋する乙女スマイルを見たら気付くでしょ、普通。

「蓮呀さん、可愛い……ツンデレツボっ」と今朝まで男だと思っていたくせに頬を押さえて赤らめるよぞらが、あの変態と被った。忘却しよう。

 確かに可愛かったな……あの真っ赤な顔。

あの様子からしたら本当に好きなんだろうな、蓮真君のこと。


「ふふ、彼女は普段強がっていますからね。弱い姿を見られるのは恥ずかしいのでしょう」


 幸樹さんは、笑って言った。

強気な人ほど弱い姿を見られるのは恥ずかしいってことか、なるほど。好きな人なら尚更だろう。


「あの、幸樹さん」

「わかっています、私の部屋に行きましょう。よぞらさん、その辺にハウンがいるので彼と待っていてください」

「あ、はい」


 あたしが言う前にあたしの肩に手を置く幸樹さんは、よぞらに伝えてから自室に向かう。

……あ、朝飯食いそびれた。それどころか昼飯も逃した時間帯。まぁいいか。

 幸樹さんのオフィスに入るのは初めてだった。この病院に来るのは入院して以来だったから入る機会はなかった。

医療の書物が詰まった本棚に机にパソコン。こじんまりした一室。

座るよう促された椅子に座れば、漸く蓮呀との関係を語ってくれた。


「蓮呀と名乗っているそうですが、彼女の本名は里中蓮華(さとなかれんげ)。年齢は貴女より一つ上です」

「一つ上? 高校生じゃあ……」

「留年したのでしょう。元々学校をサボるタイプだったらしいので」


 一つ上というと十九才。

制服姿を思い出して言うとさらりと推測を述べる幸樹さん。


「あれは白瑠が家に転がって来る前の頃ですかね……私が裏現実に入りたてで殺し屋と医者の両立が出来てきた頃に、ある交通事故で重体患者が運ばれたんです」


 あたしは黙って聞くことにした。


「酷い事故でしてね、意識があるなんて奇跡みたいなくらい……。でも"彼"は私の白衣を掴んで言ったんです」


 ――――俺とそっくりな奴がきたら伝えて。俺の分まで生きてくれ。生きろ。生きろ、蓮。……せんせー、俺の妹を頼む。


「"彼"は私に助けてくれと言うより、伝言を残したんです。これから来るであろう"妹"に。自分が死ぬと自覚していたらしい。手を尽くしましたが、救いませんでした。……そのあと"妹"は来ました、すぐにわかりました。本当にそっくりだったんでね。髪の長さだけが外見で違うところを見付けられませんでした」


 笑ってみせた幸樹さんは、漸く話の登場人物の名を口にした。


「事故死したのは、里中蓮真。彼女の双子の兄です」


 その名前にあたしは目を見開く。


「私も驚きました。蓮真君の名前を聞いて"彼"を思い出しました……まさか、彼女も蓮真君を知っていて、しかも想いを寄せているなんて……」


 蓮真君と、同じ名前。

蓮呀の双子の兄と、同じ名前。

いや、それよりも。

双子の兄の死だ。

"妹"はつまり、蓮呀のことだ。

彼は死に際に、幸樹さんに伝言を残した。そして"俺の妹を頼む"と伝えた。

 実の妹を失った幸樹さんに、その言葉はどう響いたのだろうか。


「……それが、死んでほしくない理由?」


 蓮呀の言っていた、幸樹さんが彼女に死んでほしくない理由かと思ったが、「いいえ」と幸樹さんは微笑みを浮かべたまま首を横に振る。


「里中蓮真が頼んだのは、"自分が死んで泣き崩れる妹"を頼むって意味だったんです。二卵性ですが彼らは本当にそっくりだったんですよ?黒の殺戮者と九城黒葉のようにね。そんな彼らは互いに依存しあっていたみたいです。たった一人の家族だと、思っていたようですよ。事故に遭ったのは両親と里中蓮真。運転ミスでの大事故で、幸い両親は生き延びましたが……兄の死を知ると彼女は直ぐに崩れ落ちました」


 その光景を思い出すように、幸樹さんは目を細める。


「涙を溢しながら彼女は、両親を罵ったんですよ」


 ――――あたしの家族を奪っておいて、何故アンタ達が生きてるのよ!?


「実の両親です。……しかし、彼女達はその両親と心が通えなかったらしいです」


 だから罵った。

家族と思っていない両親に向かって、怒りをぶつけた。たった一人の家族を奪った両親に……。


「ふふ、落ち着かせようと割って入ったら私のことを……」


 ――――人殺しっ!!


「彼女が初めてでした。……私を人殺しと呼んだ最初の人です。意図として殺したわけでもないのに、人殺しと呼ばれて……正直ショックを受けました」


 救おうとして手を尽くしたのに、人殺し呼ばわり。確かに一方で殺し屋をやっていた幸樹さんにとって否定もできない強烈な一撃。

どれほどのショックか、あたしには想像も出来ない。


「それでもちゃんと、伝言を伝えました。……兄の名前を何度も呼んで泣きじゃくる彼女を見て、本当に……痛々しかった……」


 幸樹さんの顔に笑みが消えていく。

あたしの視界を、ヴァッサーゴの手が塞ぐと過去の光景が視えた。

 膝をつく白衣の幸樹さんの前に、大粒の涙を流す少女が座り込んでいる。


「蓮真っ……蓮真っ……! …蓮真ぁっ!!」


 何度も兄の名を呼び、泣きじゃくる少女。その少女を痛々しく顔をしかめて見つめている幸樹さん。

あたしはヴァッサーゴの手を振り払い、それ以上視るのを拒否する。

 幸樹さんは、きょとんとした。ヴァッサーゴが何をしたか知らないのだ。


「それからずっと……彼女はああなんですか?」

「ええ、それでいいんですよ。彼女の怒りの矛先が私に向いているから、彼女は生きていられるんです」


 よくわからず、首を傾げる。


「両親とは向き合いもしないので、両親には怒りをぶつけられない。だから私にぶつけるんです。じゃないと彼女は自分の感情に押し潰されると思ったんですよ、きっと"彼"はそれをどうにかしてほしかったのでしょう。彼女もちゃんとわかっているはずですよ? だから会う度悪態をつくんです。ちゃんと生きるためにも、行き場のない怒りを放つ必要があった。それが"彼"を救えなかった私に向けられただけのことです」


 それでいい。

そう幸樹さんは、微笑む。

怒りの矛先を向けられる役で構わない。そうすれば蓮呀は生きられる。


「……彼女が生きるためにですか?」

「えぇ……。きっと"彼"の立場だったなら、私も"妹"に生きてほしいと願いますから」


 たった二人しか家族がいない兄妹に、幸樹さんは自分と重ね合わせた。

託されたから、幸樹さんは生きてほしい。


「彼女が言っていた死んでほしくない理由は、兄を死なせた負い目があるでしょう。確かに負い目もありますが……彼女に"人殺し"と罵倒されると裏と表の境目をしっかり思い出せる。目の敵にしてもなんだかんだで会いに来ては怪我を治せと頼ってきましたし……私は死んでほしくないし、生きてほしい」


 だからこそ、彼女との関係はそうなった。

きっと怪我を治せと頼ってきたのは治療費を浮かせるためで、その怪我の理由は自警活動と称した喧嘩だろう。幸樹さんは知らないみたいだからあたしは黙ることにした。

これで蓮呀との関係がわかったのでスッキリしたが、次は蓮呀と蓮真君の関係性が気になってしまう。

なんだかすごく歪じゃないか?

亡き兄と同じ名前の人に、想いを寄せている。それって、本当に愛?

 そこに電話が鳴る。

あたしは自分の携帯電話を取り出して、電話に出た。相手はコクウ。


「コクウ。貴方、ターゲットを放り出して何してたの?」

〔調べ事だよ。……ねぇ、椿。来てほしいんだけど、今すぐに来れない? よぞらはラトア達に任せてさ〕

「なんでよ?」

〔お願い、急用なんだ〕

「……わかったわ」


 文句を言ってやるがコクウは手短に用件を言う。

呼び出しに不快になったが、ついでに済ませたい用があるから行くことにした。


「コクウに呼び出されたので、ついでに家に帰ります。家にラトアさんがいるんですよね?」

「ラトアは藍乃介の家です、呼びましょうか?」

「えぇ、よぞらについてもらいたいです。あたしは家に戻ってから、コクウに会ってすぐ戻ります」

「……家には白瑠がいますよ?」


 立ち上がって部屋を出ようとしたら、幸樹さんは確認する。

やっぱり白瑠さんと顔を合わせないために配慮してくれたらしい。

いなくては困る。


「はい。白瑠さんに会いに行くんです」


 あたしはそれだけを言うと「おや」と幸樹さんは目を丸めた。

病院は嫌いなので、早足で外に出る。コクウとの待ち合わせ場所よりも、家の方が近い。

よぞらを病院に置いていくと幸樹さんに迷惑をかけられるかもしれない。

だから早く済ませて、コクウが滞在している屋敷にでも匿ってもらおう。



 白瑠さんはまだあたしの部屋で眠っていた。

それを見てから、あたしは白瑠さんの手を掴んで強引に起こす。熱は昨日よりも下がっている。

滅多に起きない白瑠さんも、流石に目を開いた。

だけどまだ覚醒しきれず、ポカーンと間抜けな顔をする。

 そんなのはお構いなしに、あたしは野球のピッチャーのように大きく腕を振りかぶった。

そして横スイングで思いっきり、白瑠さんの頬に掌を叩きつける。


  バチンッッッ!!!


 そりゃあもう、いい破裂音が響いた。

ジン、と叩いた手に痺れる熱が走るが、白瑠さんの方が痛かっただろう。

白っぽい肌が赤くなっていた。

そのおかげで覚醒した白瑠さんは呆然と目を見開く。

 よし、気は晴れた。

あたしは一言も口を聞かないまま踵を返して家を出ていく。

 宣戦布告だ。

 白瑠さんに否定されたって、あたしは生きてる。生きているんだ。まだ生き足りない。

 あたしは生きてる。

息を吐く。ちょっと清々しい。

首輪が外れたみたいに、自由になった気がした。

きっと彼女はいつも、こんな気分なんだろう。

青空を見つめて、少し冷たい空気を吸い込んでから軽い足取りで待ち合わせ場所に向かった。



 なんだかわからない建物の屋上に、黒の集団は集まっていた。

太陽の下に出たがらないディフォでさえ、日傘をさしてその場にいる。

全員集合していることに不信感が募った。

 急用って、なんだ?

カロライとナヤの前に立つコクウは、にこやかに笑みを浮かべている。


「……どうしたの?」


 警戒の色が滲む仲間の顔をそれぞれ眺めながら、あたしはコクウに訊いた。


「白瑠に直接訊いたら、椿、嫌がると思ってさ。君に直接訊こうと呼んだんだ」

「……なに?」


 ビル風で視界を遮る髪を掻き上げてから腕を組み、コクウの質問を待つ。

嫌な予感がする。

コートの中でもぞもぞと何か動くのを感じた。ヴァッサーゴが何かしているようだ。

嫌な予感は。


「椿。番犬の居場所ぉ、知ってるでしょ?」


 的中した。


「教えて」


 にこっと穏やかに笑いかけるが、その瞳は決して穏やかではない。


「白瑠に貰ったあの剣。番犬の物だろう? 出回っていない代物をアイツが持ってたってことは、正体……知ってるだろ? つぅばぁき」

「…………」


 あたしの迂闊さで、バレた。

昨日番犬の剣を白瑠さんから貰ったと言ってしまったせいで、コクウにバレてしまった。


「椿が話せないとなると……番犬の正体はぁ……大事な相手なのかな?」


 頭の回転が速いコクウはそこまで推測する。

とぼけても無駄だ。

もう確信を持っているからこそ、あたしを取り囲んでいる。あたしの大事な人だと推測しても、譲る気はないらしい。

裏切り者を、取り囲んでいる。

遅かれ早かれこうゆう事態になるとわかっていたが、よぞらを守る人手を失うのは痛い。そう思いつつ、やっと白状できることに安堵の溜め息を吐いた。


「教えない」


 あたしは袖の中にある短剣を抜いて、戦闘体制に入る。


「で? 優しく訊いても答えなかった時のプランはなにかしら?」


 目的達成を邪魔する者には容赦しない。歴史に事件を刻み込む目立ちたがり屋の吸血鬼。それがコクウ。

黒の集団の目的は、番犬。

目的に立ちはだかるあたしをただじゃおかないだろう。

 首を締め付けられる感覚で、自分の周りに見えない糸があることに気付く。既にあたしの身体は拘束されていた。


「拷問をさせるな……。話せ、椿」


 レネメンだ。

予め仕掛けていたのだろう。策略家であるコクウは罠を仕掛けて、あたしを呼び出した。あたしはのこのこ罠に填まってしまったわけだ。


「悪いと思ってるけど……あたしは番犬に寝返るわ――――V!」


 ブワンッと呼ぶなり躊躇なく現れたヴァッサーゴは、あたしのコートの中から取り出したナイフで拘束する糸を切り裂いた。

自由になったあたしは、ヴァッサーゴの登場に動揺した黒の集団に投擲ナイフを放つ。急所を狙っても当たる連中ではない。

素早くコンクリートを蹴り、隣の建物に飛び移る。

 あたしより素早い吸血鬼のコクウとディフォが先回りして行く手を塞ぐ。


「なんでだよ! 黒猫! 仲間だと思ってたのに!!」


 後ろからナヤが叫んだ。

チクリとそれが胸の奥に突き刺さる。


「ごめん」


 顔を歪ませてあたしは一言謝った。


「……椿」

「拷問されても、貴方達に番犬は渡さないわ」


 顔を戻してコクウにはっきり告げる。

ヴァッサーゴがまた現れて吠えた。

悪魔の攻撃を受けたコクウとディフォは耳を押さえる。隙を見せたコクウを蹴り飛ばして、ディフォを押し倒す。

「ごめん」と謝って、短剣を突き刺して磔にした。


「先行け。足止めする」


 ヴァッサーゴはめんどくさそうに頭を掻いて言う。

頷いて火都が放つ矢を避けながら建物から飛び降りた。

少し痛かったが走りだす。

病院に戻るべきかな。

吸血鬼の追跡から逃げるのは無理難題だ。

ああ、どうしよう。

とりあえず藍さんに会いに行くか? 彼は参謀タイプだ。何か改善策を出してもらおう。

 人混みを避けてなるべく遠くに行こうと駆けていた最中に、何か飛んできた。

 防ぐ動作は出ない。

ソレはあたしの身体まで届かなかったからだ。

視界に入るのは、死神の釜のような刃。

 それが。

 あたしの影を切った(、、、、、、、、、)

ヴァッサーゴと繋がっていたあたしの影が切られた。つまりはヴァッサーゴを切り離された。

 ズキン。

ナイフが突き刺さったような痛みが走る胸を押さえた。

落ち着け、落ち着け、落ち着け。

胸を押さえて取り乱す鼓動に言い聞かせた。

だけど走ったばかりの身体が仇となり、心臓は脈を打つ度出血して強烈な痛みを奏でる。

その痛みに堪えきれなくなって、膝をつく。

後ろにいる釜を持つ人物を見るが、男か女かも認識できないほど意識はぼやけている。

首に十字架のネックレスがかけてあるのが見えた。神父だ。悪魔退治屋の神父。

 コクウが呼んだの?

裏切り者には死をって、コクウはあたしを殺すために悪魔退治屋を呼んだのか?


「椿っ!!」


 切り離されたと気付いてすっ飛んできた煙の姿のヴァッサーゴが現れるが、悪魔退治屋は宿い主に近付けまいと立ちはだかる。

力尽きてあたしは倒れた。


「椿!! クソ、退け!!」


 視界の隅でヴァッサーゴが咆哮を上げて突進したが弾き返されたのが見える。

そのあとにあたしの前に、人が立つ。

白い背中を最後に、あたしは真っ黒い世界に呑まれた。






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