一章 雛鳥、外界へ舞い降りて その3
あまりにも行間が詰り、読者がサイトへ訪れてくれても、最後まで読む意欲を削いでいると感じました。
そこで段落をさらに分ける作業を全文に加えたので、続きの更新が遅れました。
少数かもしれませんが楽しみにしていた方はすいません。
また設定上、全文に渡って変更を加えた単語があります。
一等試験体→ゼロ等試験体に変更しました。途中で文中の単語を変えるのはルール違反に近いですが、Web連載の形式なのでご理解下さい。
また漢字等のミスはレビュー抜きに指摘していただければ、その都度、手直しを加えていく予定です。もちろん自分で発見すればできるだけ早期に編集します。
なお、一章はこの回を含めてあと二パートで終わりです。
次回から二章に突入開始!
ただ続きはすぐには更新できないかもと今から弱音を吐いてしまう自分です。
それではよろしくお願いします。
突発的に意識を失ったマヒルに、ソウゴはとにかくもみ合いで外れてしまった防塵マスクをしっかりと被せてやる。
そうして容体を確かめるように呼吸音に聞き耳を立てる。どうにか安定へ向かっているようだ。
念のために脈を測るがこれも正常。
体内に吸い込んだ感染型光化学粒子はどうやらごく微量だったらしい。
だがそれでも過剰反応を引き起こし、卒倒してしまうリスクがあるほど視認できない感染型光化学粒子は危険だった。
ソウゴは穏やかなマヒルの寝顔をあらためて見つめる。あどけなさが残るがどこか気品のある容貌。
それにしても、ゴーグルさえ装着せずに下界をさまよい歩いていた事実に呆れるしかない。
感染型光化学粒子は眼球の水晶体からも侵入して、人体に直接影響を与える心配はないが、長く晒されていれば炎症ぐらい起きる可能性はある。
そんな常識も知らない事情を考えると防空シティーからいきなりやって来たという彼女の言葉も強ち嘘ではないのかもしれない。
あの球状の飛行体は防空シティーにおける交通手段なのだろうか?
考えに耽っていたソウゴは自分を戒める。彼女の容体がこのまま安定する保証はないのだ。
とにかく自分の住居に運ばなければとマヒルを担ぎ上げように背負った。お姫様抱っこはさすがに恥ずかしいし、同居人に何を言われるか分かったものではない。
産業廃棄物場の敷地を抜けて、ソウゴは雑居街の入り口付近を急ぐように闊歩する。
ここはまだアスファルトが残っている。貧民たちが簡素な造りのバラックを道の両端に並べて地べたで生活を送っていた。要はその日暮らしがやっとな人間たちがいる場所だ。
だからといって治安が極端に悪いわけではない。この辺にいる人間は警戒心が強く、バラックから出ていることなど稀だからだ。
それよりも貧民層から抜け出そうと野心を抱く先ほどのような若者たちが集まる繁華街―中央地区の方がよっぽど危険だった。
ソウゴは雑居街でも人口密度が低い西地区へとつながる馴染みの路地を通る。自分の住居がそこにあるからだ。
旧時代に有名だった大企業の社宅が乱立している場所で、比較的安い賃金で住める好条件からソウゴも間借りしていた。
しかしながら、辺りに商店はもちろん露店も大規模な市場も全くない不便さから富裕層には敬遠されている。さらにバラックを作れるような空いたスペースがないので貧民層も寄り付かないのだ。
そんな独自の雰囲気を持つ西地区へ足を踏み入れる。
ソウゴは数ある社宅から迷わず、平屋タイプの簡素な一戸建てに足を向ける。集合型の社宅よりも値は張るが、周りを気にせず住めるのでソウゴは気に入っていた。
腕時計を見るともう夕食時はすっかり過ぎていた。手ぶらでしかもこんな遅くに帰宅するとなれば、あの同居人はさぞかし嫌味を言うに違いない。
ソウゴは半分癖になっているように溜息を吐き、玄関前に一端マヒルを安置する。
そうして備え付けの消毒気体が詰まっているボンベを手に取り、マヒルの全身にくまなく噴射して感染型光化学粒子を除去する。ソウゴも同じように洗浄した。消毒機体はワクチンなどでは決してない。 ただ衣服に付着した粒子を一気に洗い流すだけにすぎないからだ。
それでも下界で暮らす優性因子ゲノムは建物の中に入る度ごとに、こういった作業を繰り返さなければならなかった。
キレイにしたところでソウゴは再びマヒルを抱き上げて、感染型光化学粒子が侵入してこないよう、素早く玄関扉を開閉し家に上がる。
室内には空気浄化装置が備わっていて、感染型光化学粒子を吸い込んで外へ排出してくれる。ただ万が一のこともあるのでソウゴは出入りする際には洗浄に気を配っていた。
リビングにソウゴが顔を出せば、すでに同居人が待ち構えていた。
「ずいぶんと遅いご帰宅ですね、ソウゴ」
いきなり棘を含んだ声を放つ主からソウゴは怯むように半歩下がって見た。
ボブカット気味に切り揃えられた黒髪にふっくらとした頬。そしてくっきりとした輪郭の澄んだ瞳。 低い上背と相まって旧時代の人形さながらに愛らしいが、感情の全てが欠落した表情のせいで冷たい印象を与えてしまう。
これがありのままの姿なのだが、どうしてもソウゴは慣れない。その原因の一端はソウゴ自身にもあるかもしれないのに。
「ちょっとトラブルに巻き込まれてしまって遅くなった。すまなかったな、サク。せっかく夕食準備してくれたのに」
サクはソウゴが抱きかかえていたマヒルに視線を落とす。
「トラブルの原因はその女性ですか? ここは連れ込み宿ではありませんよ? ソウゴ」
抑揚のない声でそう詰られて、堪らずソウゴは言い返す。
「そういう理由でここまで運んで来たわけじゃねえよ! 盗賊グループに拉致されかけていたからあくまで手を貸してやっただけだ!」
「そうやって口説き落として手籠めにしたわけですね?」
「最近、お前が妙な言葉ばかり覚えるようになったのは俺の気のせいか……」
「アイシャからもらった、旧時代の<官能小説>という、活字媒体に書かれている表現を参考にしてみました」
「そんなもん参考にしなくていい! まったく、あのエセ看護婦、余計な旧時代の知識をウチの同居人に与えやがって……」
ソウゴが思わず愚痴っているとサクが的確な提案をする。
「とりあえず、その意識がない女性をソファーに寝かせることをお勧めします」
「……そうだな」
リビングの中央に鎮座している安物のソファーに、ソウゴはマヒルをゆっくりと横たえる。
ようやく人間の重さから解放されたソウゴ。
だが痺れの残る腕をほぐしているとサクが冷たい視線で呟く。
「寝かしつける手つきがまたイヤラシイかったですね、オーナー」
「まだ言うか、お前は!」
「冗談はともかく、この女性、明らかに優性ですよね?」
「ああ、マスクはしていたが、わけあって少しだけ感染型光化学粒子を吸い込んだんだ。
心配はいらないと思うが、念のために容体を看てやってくれないか、サク? 男の俺がやるわけにもいかないだろうし……」
ソウゴの求めに応じサクが手早くマヒルの状態を確認していく。容赦なく身に着けている物を剥ぎ取っていくのでソウゴは目のやり場に困り、横を向くしかなかった。
「右目の網膜にやや炎症は見られますが、体内に入ったという感染型光化学粒子の影響は今のところまったくありません。呼吸も脈も瞳孔も正常です」
「そうか……問題はこの後、どうするかだな……」
考えるような仕草を見せるソウゴにサクは容赦なく非難する。
「僭越ながら意見しますが、むやみに優性の女性を助けるのは、ソウゴの悪い癖です。関わるとこちらにも危険が及ぶかもしれないのを自覚してください」
「ああ、分かっているさ。そんなことは……」
「私のことをまだ気にしているのですか?」
「……そうじゃなくて体が勝手に反応したんだよ」
サクの指摘の正しさをソウゴは頭ではちゃんと理解していた。
だがやはり意識とは裏腹に体は何故か反応してしまうのだ。これもまだあの時のことを引きずっているのかもしれないとソウゴは自嘲した。
「それでどうするつもりなんですか? ソウゴ」
サクの問いかけにソウゴは、とりあえずの妥協案を提示する。
「まあ、意識が完全に戻るまでは、ここに置いておくつもりだ」
「それならこの女性のために下着を買って来てください」
突拍子もないサクの要求にソウゴは激しく混乱する。
この時間まで女性用衣類を販売している店はここからかなり遠い。何が悲しくて、夜も更けたと言うのに女性物下着を買いに遠出しなければならないのかソウゴには理解できなかった。
限りなく怪しい行動だ。
「……どうしてだよ?」
「一応、質の良い下着を身につけてはいますが、土による汚れがひどい上に、部分的に擦り切れてしまっています」
「お前の物があるだろうが」
ソウゴは必死に抵抗してみせるが、サクは切り捨てる。
「サイズが合いません。私の方がサイズは上です(少し自慢げ)
それに私は生憎ながら生身である女性の気持ちを正確に理解できません。けれど一般的に下着が清潔ではないと、気持ちが落ち着かないらしいですから」
思いがけないサクの意見にソウゴは言葉が詰まる。確かに普通の女性ならそうだろう。しかもさっきまで男たちに追われていたこの娘ならなおさら。
サクがこれほどまでに生身の人間女性の気持ちを理解しようとしていることに喜びを感じると共に一抹の寂しさも覚える。
――生身である女性の気持ちを正確に理解できません
「……分かった。また出かけてくる」
ソウゴは再び外出するため、ゴーグルとマスクを準備する。
サクからおよそのサイズを教えてもらいリビングを離れようとすれば、サクが追い打ちをかける強烈な一撃を食らわせた。
「それと念のため生理用品も買って来てください。どうかお忘れなく」
この時、遅まきながら自分の同居人が何故か怒っていることに気づかされるソウゴだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
防空シティーを実行支配する統治機関の司令塔にあたるコントロールタワー。
その上層部にある会議室には組織の幹部たちが集結していた。
ただし薄暗い室内のど真ん中に置かれた円卓を囲むように座るのは、青白く光を放つ立体ホログラムたちだ。唯一、生身で参加している白衣姿の男にホログラムたちから非難が集中する。
「ゼロ等試験体が脱走したというのは本当か?」
「この不祥事は君の責任問題だよ、タカミヤカルマ統括研究員。どうしてくれる?」
「報告によると外界へ逃れたらしい」
「外界だと? 一体どうやって……すでに死亡しているのでは?」
「内部で手を貸した不届き者がいるかもしれん」
各自好き勝手喚き散らすホログラムの幽鬼たちをカルマは冷めた目で傍観していた。
ようやく議長役を務める眼光鋭い初老の男が混乱を収拾しにかかる。
「皆さん、今は状況把握が最優先事項のはずでは? どうか静粛に願います。タカミヤ統括研究員に私から必要と思われる質問をいくつかしても?」
他のホログラムたちは一斉に静まった。誰も話さそうとしないのは了承したというこの場における暗黙のルールだった。
初老の男が続ける。
「まずはゼロ等試験体が脱走するに至った経緯を教えてもらおう?」
そう促されてカルマは、銀縁メガネのフレームを持ち上げてから淀みない声で話す。
「ゼロ等試験体が収容されていたコントロールタワーから最終臨床検査のために統合参謀ラボへ移送するわずかな間に護衛官たちを振り切って逃走しました。
その後、連れ戻すべく追尾しましたが、我々の管理対象外だった自立機能を持つシュートボックスに妨害されて、そのまま放射台の開閉口から外界への脱出を許してしまった次第です」
「何故、管理対象外のシュートボックスが防空シティー内に存在していたのだね? 一昔前に手続き無しの脱出を防ぐために残っているシュートボックスは全て処分したはずだが?」
「詳細に調べたところタカミヤヒイロ元主任研究員が極秘裏に設計した後、シティーの東端にある人工の湖に沈めて隠していたことが分かりました。おそらく、このゼロ等試験体の脱走劇を首謀していたのも彼女だったと思われます」
カルマの報告に黙り込んでいたホログラムの一部が悪態を吐く。
「タカミヤヒイロだと? 数年前に原初計画の存在を嗅ぎ付けてゼロ等試験体を逃がそうと目論んだあの裏切り者か!」
「だから、あの女を早く始末するべきだと私は当時に進言したんだ! 母親の過剰な情愛ほど厄介なものはない!」
再び紛糾しかける席上に議長役である男が割り込む。
「ご静粛願います、皆さん。それで連れ戻す対策はあるのかね? タカミヤカルマ統括研究員」
「現在、外界と繋がりのある人間を介して包囲網を整えている最中です」
カルマの返答に焦れたのかホログラムの一人が意見を述べる。
「代替はできないのか? 逃げ出したゼロ等実験体に拘わらなくてもいいだろう?」
「できますが、作り上げるのに数十年要します」
その返答に議長役の男は初めて感情を表に出した。
「それは困る。計画自体が後退するのは、絶対に避けなければならない。それはここにいる全員の共通認識だろう」
「ご安心ください、議長。たとえ外界の包囲網が機能しなくても、わが娘は必ずここに戻ってきます。こういう事態に備えてちゃんと保険はかけてありますよ」
口元をわずかに釣り上げながら語るカルマの余裕な態度にホログラムたちは、威圧され異論を唱える者はいなかった。
議長役の男はその空気を感じ取り、まとめにかかる。
「その根拠はここでしつこく追求する気はないが、つまり原初計画の遂行に支障はまったくないと理解してもいいのかね?」
「はい、そう受け取っていただいて結構です。原初計画は最重要実験体が手に入りしだい開始します」
「誰か他に意見は?」
議長役の男が一応、確認をとるも皆一様に口を堅く閉じたままだ。
「では、総意に基づいて会議はこれにて終了する」
議長の宣言と同時に立体ホログラムが消失する。室内をわずかに照らしていた発光一斉にが消えたことにより完全な暗闇が空間を支配する。
「少し外界を経験させた方が新世界のキーとしてよりいい影響を生むだろう」
静寂が包む最上階の一室に一人佇みながら、カルマはそう呟いて邪悪な笑みを浮かべた。
ラスト一回で一章は完結になります。同時に更新するつもりですので、最後まで付き合っていただくと有り難いです。




