ロウニア家に伝わる一角伝説
『何か違って伝わってゆく話を伝説という……?』
★ ★ ★
「ねえ、兄上。どうして毎年、誰もいない湖に樽ひとつ分のお酒を置きに行くんだろう?」
毎年の恒例行事に、ついに気がついてしまったらしいアルフレドが言い出した。
その顔にはありありと、抑えきれないワクワクが浮かんで見える。
「毎年、湖に住まう凶悪な魔物を鎮めるためだって、父上は仰っていた」
なるべく怖がらせるために、おおげさに言ってみた。
だが、逆効果だったようだ。
「へんっ! 魔物なんて怖くない。俺たちで沈めてしまえばいい!」
「……しずめる、の意味が違うと思う」
「何だよ、兄上の弱虫。いいよ! ボクだけで今夜、湖に行く!」
「それは駄目だ」
「……。」
「母上が心配する」
「じゃあ兄上も来てよ」
「……。」
好奇心には勝てなかった。
★ ★ ★
夜に訪れる湖は怖いくらい静かで、綺麗だった。
満月がうつり込んでいる。
まるで巨大な鏡のようだ。
しばらくそうやって樽の影に隠れていたのだが、何も起こらない。
でも異様なまでに空気が張り詰めている気がする。
見えない闇の向こうから、何者かに様子をうかがわれているような。
そんな不気味さを感じた。
「怖いか?」
言い出した割に俺の手を強く握り締める弟に声を掛けた。
「そ、そんな事!」
「じゃあ、もう帰ろう。抜け出したのがバレたら父上に叱られる」
「父上なんか、怖くない」
「母上は泣くだろうな。泣いて怒るだろうな。最低三日はおやつ抜きは確定だと思う」
何かと父上に張合いたがる弟だが、母上にはめっぽう弱い。
そして食べ物でつるに限る。
説得していると、湖の方から声がした。
『こんな夜更けに騒ぐのは誰だ!?』
★ ★ ★
ざばぁ! っと湖面がざわめき、水しぶきが上がった。
真っ白い毛並みの馬が、水面に立っていた。
ただの馬ではない。
その頭にはねじれた角がある。
――魔物だ。
本当にいたんだ。
少し震えてしまったが、わくわくもしてしまう。
弟と顔を見合わせた。
「すっっごいや! 本当に魔物がいた! 酒を飲みに出てきた!!」
★ ★ ★
魔物は目をギラギラさせて、俺達を睨んだ。
弟を背にかばう。
魔物は水面を走り、そのまま突進してきた。
だが魔物は樽まで来るとピタリと止まる。
『おおおおおおおおおぅ……!』
「な、何だよ、魔物? 腹でも痛いのか?」
『黙れ・黙れ・黙れ!』
「弟が失礼した、魔物殿」
『っくっ……。おまえら、反則だろう、その見てくれは!』
「見てくれ?」
『何故、男児とはいえ、そうもエイメに生き写しなのだ! そのくせ、中身はアヤツと同じでは無いか! こんな、こんな悔しさはあるまい。どこに怒りをぶつけていいのかわからん』
エイメ? アヤツ? 同じなかみ?
ふたたび弟と二人、顔を見合わせる。
確かに父上よりも母上に似ている、とは良く言われるが。
自分たちは母のような少女めいた所はどこにも見当たらない、と思っている。
――ガコォ!!
魔物は唐突に、一角で樽のふたを一突きした。
勢いが良すぎてしぶきがとんだ。
酒臭い。
そのまま魔物は樽に顔をつっこむ。
ゴッゴッ、ゴッゴッ……。
「おい、魔物? そんなに一気に飲んで腹壊しても知らないぞ?」
『ぃやかましい! 飲まずにやっていられるか!』
ぷっはぁー! と息継ぎと共に吐き出された。
酒臭い。
『座れ。』
「え?」
「え?」
『いいから座れ!』
そのまま「酒盛り」とやらに参加させられた。
★ ★ ★
『子供は酒が飲めないのだったな』
「うん。僕たちはいらないよ」
「それに、それは魔物殿のだから。それより、続きを話してくれ」
うむ、と魔物殿はひとつ頷くと語りを続けた。
『そこであわやという所で我が登場し、お前たちの父の危機を救ったのだ!』
「ええ! 本当っ!? すごいや!!」
弟も目を輝かせて聞いている。
父上の冒険。母上が母上になる前の出来事。
それらを聞くのは本当に、本当に、ワクワクした。
★ ★ ★
まあ、一角の君。
すみません。
この子達ったら、もう! 心配かけて!
――母上の、声だ。
恩に切る。
まったくこいつらは。
後で叱っておく。
――父上の声もする。
ふん。
まあ、良いひまつぶしになったわ。
――魔物殿?
でも眠くって目が開けられなかった。
★ ★ ★
よく朝、少し寝坊してしまった。
いつの間にかいつもの部屋に居た。
父上も母上も何も言わない。
夢だったのだろうか?
弟にも聞いたのだが、何も覚えていないという。
そんな馬鹿な。
「……。」
また抜け出して確かめてやろう。
今度は一人で。
★ ★ ★
『何しに来た』
「続きを聞きに」
ずいっと酒瓶を差し出す。
父上のところから失敬してきた。
魔物の耳がピン! と立ち上がった。
しかし思いなおしたように、小さく首をすくめた。
『さて? 何のことやら』
「……じゃあ、帰る」
『酒は置いて行け!』
「……。」
『わかった! わかった! ったく、貴様には術は効きにくいようだな』
それから俺には変わった友人が出来た。
とても永く生きていて、色んな事を知っている友人が。
★ ★ ★
「ここにね、こうやって……。」
「満月の晩にワインを置いて置くと、恋が叶うんだって!!」
「ええ?」
「ずっと昔から我が家に伝わる言い伝え。おばあちゃんから聞いたんだ」
「へ~?」
「もう! 信じてないの? おばあちゃんは、おばあちゃんのお母さんから聞いたって!」
「由緒あるロウニア家は言い伝えまでが古めかしいんだねぇ」
「いいでしょ。ロマンチックで」
――満月を映した湖面から、ぱしゃり、と水打った音がした。
『何かちょっとずつ、変化しながら。』
伝わっていくのだろうなあ、と思います。
乙女の想いやら、何やらで。