大地主と大魔女の庭園
我が家の庭園に現れた奴のマントが、不自然に膨らんでいる。
そもそも、こんないい天気の日にマントで前面を覆うようにしている辺りで怪しい。
「やあやあ。こんな所で優雅にお茶会かい? 確かに天気もいいしね」
「まあ、スレン様。いらっしゃいませ。今、お茶をご用意しますね」
「ん。熱めで頼むよ」
「スレン、何しに来た」
「相変わらずつれないなあ、レオナル」
ニヤリと笑うこいつに警戒するなというのが無理な話だ。
「ええと。スレン様はその、マントの下に何を隠してらっしゃるのでしょうか?」
「レユーナ」
相手にするなとたしなめるよりも早く、妻は尋ねていた。
スレンの瞳が嬉しそうに輝く。
「ふっふっふ~。よくぞ訊いてくれたね、フルル!」
「まあ、なんでしょう?」
スレンが大げさにマントを払いのけた。
★ ★ ★
「どうだい、見てよ! 僕の、僕とリディアンナとの赤ん坊だよ!」
「スレン!?」
「ス、スレン様!?」
赤ん坊はすやすやと寝息を立てて、よく眠っていた。
「どう?」
「どうって……! おまえ、何を勝手に神殿から連れ出しているんだ!?」
「あ、あなた、どうか落ち着いて下さいませ。ジルエ―ル様が目を覚ましてしまいますっ」
赤ん坊は良く眠っている。
★ ★
赤ん坊はよく眠っている――。
「まあ、可愛らしい!」
レユーナは感嘆の声を上げた。
「そうでしょ! さすがフルルは素直でいいね。たんと見てもいいよ」
いつも通りに図々しい奴は、さっさと椅子に腰を落ち着ける。
よく見れば首から肩に掛ける紐付きの布に、赤ん坊をくるんでいる。
用意が良すぎる。
「あなた。ね、ご覧になって?」
「……。」
妻が顔を輝かせながら、俺の腕を引く。
「そうだよぉ。せっかくリディがジルエールの首がすわったから、叔父様とフルルに会わせてあげて欲しいって言ってたのに」
「リディ……。」
「そうだよ」
あの姉の産んだ赤ん坊が、同じく母親になったのだ。
彼女が巫女王の座についてから六年。
神殿内での立場も確立しつつある姪っ子に、かつてのように気軽に話しかける事はそうそう無い。
そんな若き巫女王はひっそりと母親になったのだ。
そこはスレンや重役達の計らいで、数限りないめくらましの術を用いて人知れず。
彼女は不可能とされていた奇跡を起こした。
この人では無きものとの間に、不可能とされていた奇跡を。
スレンは笑っている。
今までに見せたことのないような、誇らしげな落ち着きさえ感じる。
★ ★ ★
赤ん坊はよく眠っている。
金茶色の髪が陽射しを浴びて艷めいている。
『ジルエール』
古語できらめきを意味する名を与えられた赤ん坊に、触れる。
赤ん坊の瞳が開かれた。
目蓋の下から現れたのは、はっきりとした緑色の眼だった。
「あ」
「あっ」
――ふえええええっぇ!
「あ~あ。泣いちゃった」
「あらあら。おっきしちゃいましたね、よしよし」
わたわたと慌て出す父親に代わり、レユーナが赤ん坊を引き受けた。
「まったく。せっかく慎重に連れてきたのに~。おしめもミルクも済ませてさ」
「……。」
「はじめまして、ジルエール様。ふふ。元気がいいこと」
小さな体から上がる大きな泣き声に、妻はうろたえる事もなく笑っている。
「フルル、さすが。ちょっと見直した」
「まあな。そこは当たり前というか」
「レオナルを褒めたんじゃないよ」
スレンが憎まれ口をたたく。
★ ★ ★
「ちちうえ。ははうえ。あっ、スレンさまだ」
騒ぎを聞きつけたらしい息子が駆け寄ってきた。
「レナード」
「あ。また、うるさいのに見つかっちゃったなあ」
言いながらも、スレンはまんざらでも無さそうだった。
「スレンさま、いらっしゃい。ははうえ、その子は誰?」
「ジルエール様よ。静かにね。ジルエール様、レナードです」
「……小さいや」
「あなたもこうでしたよ」
「う、ん……。かわいいね」
おっかなびっくりといった様子で覗きこみ、レナードはじっと赤ん坊を見つめている。
「ジルエールは誰にもやらないからね」
「スレン」
早速、娘は誰にもやらないと言い出す父親に呆れた。
「うん?」
レーナドはよく解らないままに頷いている。
「ふふ。あっ、痛っ!」
「レユーナ?」
「ははうえ!」
「フルル、どうしたの?」
急に痛みを訴えたレユーナに驚く。
慌ててジルエールを引き受けると、妻はふくらんだ腹を包み込むように撫でた。
「イタタっ、もう。お腹の子が蹴るんです。大丈夫。きっと自分も話に加わりたいのでしょう」
そう言いながら愛しそうに撫で続けている。
「ははうえ。赤ちゃんはジルエールみたいにかわいいよね。僕、待ってる」
レナードも小さな手のひらで、母親の腹に触れた。
「もうじきですよ」
レユーナがゆったりと微笑む。
★ ★ ★
「いいなあ、レオナル」
スレンがしみじみと呟いた。
「いいだろう」
「僕にだってジルエールがいるもんね。返してよ」
「もう少しいいだろう」
「もうだめ。僕が落ち着かないから返して。と、いうよりもそろそろ帰らなくちゃ」
「そうか」
「うん。またね」
手放しがたい重みを名残惜しく感じながら、そっとスレンへと預ける。
赤ん坊は大人しく、自分の指をしゃぶっている。
★ ★ ★
「スレン」
「うん」
リディアンナの話しでは、スレンはこれで自由になったはずだった。
能力ある異類との婚姻の果てに、その血筋の者を得ること。
それがかつての契約のひとつであったのだと、リディは教えてくれた。
これでスレンは神殿に縛られる事も無くなる。
身ごもった嬉しさと、スレンを失うという悲しみを打ち明けてくれた巫女王は、昔から知る姪っ子のままだった。
だが、スレンはこうしてリディアンナと赤ん坊の側にいる。
「まったく。何が解放だよ。こんな宝を置いて誰が自由になんて飛んでいける?」
俺の口に出さない疑問を、見透かしたようにスレンは答えた。
「やっぱり、最強の術者だよ。リルディ……リディアンナはさ!」
『スレン、子供を授かる。』
幸せな、ある日の出来事でした。