第32話 鋼鉄の守護者
魔力を体内に巡らせながら廊下を進む。石造りの通路は静まり返り、響くのは自らの足音と鼓動だけ。やがて視界が開け、広間が姿を現した。
悠翔は足を止める。吐息を殺し、慎重に歩を進めた。冷気のような緊張が肌を刺し、指先がわずかに震える。
——そのとき。
右側の壁沿いに、圧倒的な質量を誇る“何か”が佇んでいた。
漆黒の鋼鉄に覆われた巨体。四メートルを優に超えるその姿は、ただの彫像に見えなくもない。だが、左腕に抱えられた城壁のような盾と、右手に握られた赤黒い光を宿す大剣が、明らかに「戦うための存在」であることを告げていた。
悠翔の頬が引きつる。
「……まさか……動いたりしねーよな」
乾いた笑いを漏らした瞬間、甲冑がきしむ不気味な音が広間に響き渡った。
鉄塊が軋みながら首を動かし、無機質な仮面の双眸がぎぎ、とこちらを向く。赤い光が灯り、視線が合った瞬間、広間全体に重圧が押し寄せた。肺が潰れるような圧迫感に、思わず呼吸が詰まる。
「……マジかよ」
吐き捨て、悠翔は一歩前へ踏み出す。
後方の視界に、石階段が見えた。上に続く出口だ。胸の奥で安堵と歓喜が小さく弾ける。
だが足は階段に向かわず、中央へ進み出る。鋼鉄の守護者から目を離さぬまま。
胸中で呟く。
(逃げれば楽かもしれねぇ……でも、それじゃあ——面白くねぇだろ)
悠翔は口角を吊り上げ、声を張った。
「魔力だけで……どこまで通じるか試してやる!」
体内の魔力を一気に循環させ、外へと押し出す。
次の瞬間——。
空気が震えた。
地面が鉛を落としたように低く唸り、石床にひびが走る。
悠翔の全身を包む雷哭装備が、眩い雷光を迸らせた。
青白い閃光が広間を照らし、金属の巨影を浮かび上がらせる。
熱を帯びた空気が髪を揺らし、耳奥でビリビリとした電流音が鳴り響く。
悠翔の瞳が鋭く光を捉える。
巨影が一歩、地を踏み鳴らした。
重厚な音が轟き、広間全体が震える。
悠翔の全身を覆う雷光がそれに応じるように爆ぜ——戦場の幕が切って落とされた。
全身に纏った魔力が弾け、悠翔は閃光のように巨体へと駆けた。
鋼鉄の守護者は鈍重な動きとは裏腹に、確実に盾を構え迎撃の姿勢を取る。その姿はまさに歩く城壁。
「——っらぁッ!」
悠翔は跳躍し、振り下ろす拳に魔力を凝縮させて叩き込む。
次の瞬間、
ゴウンッ!
金属と金属がぶつかり合う鈍重な衝撃音が広間に響き渡った。
拳に伝わった反動は、まるで巨岩を殴ったよう。腕の骨が震え、痺れる感覚が走る。
「っぐ……!」
悠翔はすぐさま盾を蹴り、反動を利用して宙へ跳ね退く。
その刹那、巨体が盾を横薙ぎに振るった。
ブォンッ!
空気が裂け、突風の衝撃が悠翔の身体を叩く。空中のバランスが一瞬狂い、思わず声が漏れた。
「うわぁっ——!」
着地の瞬間、膝を沈ませてどうにか体勢を立て直す。
痺れる拳を振りながら、悪態をついた。
「くそっ……硬ぇ……!」
グーパーと手を開閉し、関節の無事を確かめる。軽く痺れてはいるが、骨や筋はまだ問題なかった。
「……よし、まだいける」
悠翔は深呼吸を一つ。視線を巨体の盾に向ける。
「あの盾、正面から殴るのは無駄か……。まぁ、わざわざ正面で張り合う必要もねぇよな」
口元を吊り上げ、再び地を蹴る。
「もう一丁だッ!」
雷光を纏った残影を残し、再度一直線に突進。鋼鉄の守護者はまたも盾を構え、待ち受ける。
だが悠翔は直前で急停止し、刃のような鋭さで横へと切り込む。
——盾が追う。
視界の端で、巨体が悠翔を追尾するように盾を振るうのが見えた。
「……っ来るか!」
悠翔は外回りに回り込むように走り、鋭く直角に切り返した。
背後でゴォッと空気を裂く音。寸前まで自分がいた空間を、巨盾が唸りを上げて通過していった。
その瞬間、悠翔は敵の懐へと滑り込んだ。
悠翔は左手に魔力を集中させ、一気に拳を突き込んだ。
ガァンッ!
渋く重たい金属音が広間に響き渡り、巨体の腹部がわずかに揺れる。衝撃に押され、鋼鉄の守護者は巨足を一歩分後退させた。
「っ……!」
しかし振り抜こうとした腕は、岩壁に弾かれたように押し返され、痺れる感覚が骨にまで響いた。奥歯を食いしばり、悠翔は耐える。
「……もう一発だ!」
今度は右腕に魔力を集中。横から薙ぎ払うように拳を叩き込む。
ガァンッ!
再び甲高い金属音。巨体はわずかに後退するが、拳はまたも弾き返され、肩にまで鈍痛が走った。
「く……そっ……!」
呻きながらも踏みとどまる悠翔。その瞬間、鋼鉄の守護者が一歩後退したことで空間が開き、巨剣を振り上げた。
ズドォンッ!
剣が床を叩き割り、石床は蜘蛛の巣状に亀裂を広げる。破片が弾丸のように飛び散り、悠翔は後方へ跳んで直撃は免れたが、鋭い破片が頬をかすめた。赤い血が一筋、滴り落ちる。
「ちっ……」
痛みよりも、自分の攻撃が通じないことへの苛立ちが強かった。
(……なぜだ。威力は出ているのに、拳を振り抜けない。これじゃあ反撃の隙を与えるだけじゃねぇか……!)
荒い息を吐きながら視線を上げる。巨体の装甲には、確かに自分の拳で刻んだひびが走っていた。
「……効いてる。間違いなくダメージは通ってる……!」
だが次の瞬間、そのひび割れは黒い光を帯び、みるみる塞がっていく。
悠翔の目が見開かれ、悪態が漏れる。
「はぁっ……!? くそっ、自己修復かよ……!」
焦燥が胸を掻きむしる。
(結局、いくら殴っても意味がねぇ……! 一撃で回復できねぇほど叩き潰すか、隙を与えず畳みかけるか……。今の俺には、どっちも出来てねぇ!)
血の滴る頬を拭いながら、悠翔は歯を食いしばった。
どうする。
どうすれば、この鉄壁を打ち破れる。
巨体が動き出した。
ドスン、ドスン——。
鉄靴が床を叩くたび、石造りの広間が微かに震え、胸の奥にまで重圧が響いた。
悠翔は舌打ちを鳴らし、迎え撃つ構えを取る。
「……来いよ」
鋼鉄の守護者が剣を振り上げた瞬間、悠翔は足に魔力を流し込んで一気に加速。床を滑り込むように巨体の懐へ潜り込み、振り下ろされた剣を紙一重でかわす。轟音と共に床が砕け、破片が火花を散らした。
悠翔はそのまま背後へ抜け出し、即座に振り向く。
「っらぁ!」
反射的に右脚を振り抜き、鋼鉄の腹部へ蹴りを叩き込む。
ガァンッ!
鈍い金属音とともに巨体がよろめき、ぐらりと後退する。悠翔は蹴り抜いた勢いのまま一回転し、後方へ飛び下がった。
ギギギ……と金属を擦る音を響かせ、巨体はゆっくりと回り悠翔を再び正面に捉える。赤い双眸がぎらつき、睨み据えるように輝いた。
息を荒げながら、悠翔はふと己の動きを振り返った。
(……今の蹴りは通じた。なんでだ。さっきの拳は弾かれるだけだったのに……)
視線を落とす。
自らの両脚には濃密な魔力が纏われていた。対して上半身には、ほとんど魔力が流れていない。
さらに巨体の足元に目をやる。
そこには、さきほど蹴りを放った時の軸足の踏み込み跡が残り、石床ごとひび割れていた。
「……そういうことか」
思考の糸が繋がった瞬間、悠翔の口元がゆっくりと歪む。
ふっ……ふふ……ふふはははは……!
抑えきれない笑いが広間に響く。
「なるほど……なるほどね……! 簡単なことだったんだ!」
歓喜と昂ぶりが混じった声を上げ、悠翔は鋼鉄の巨影を真っ直ぐ睨み据えた。
「そうと分かれば……もう一回だ!」
悠翔はにやりと口角を吊り上げ、再び魔力を纏って駆け出した。
——その瞬間。
ズガンッ!
巨体が巨盾を垂直に振り下ろす。
質量と膂力が合わさった一撃は杭のように石床を貫き、凄まじい金属音と共に深々と突き刺さった。床石が粉砕され、衝撃で砂塵が舞い上がる。
「……なんだと!?」
一瞬の動揺。悠翔は慌てて盾を避けるように左へと飛ぶ。
その時——盾の影から覗いた視界に、巨体の剣が振り下ろされてくるのが見えた。
「っ——!!!」
バチバチッ! ズガァンッ!
剣が地を割り、爆音と砂塵が広間を覆う。悠翔は直撃を間一髪でかわしたが、耳を劈く衝撃音に鼓膜が震え、衝撃波が頬を叩いた。
「あっぶねぇ……!」
額を伝う汗を拭いながら、悪態をつく。
気づけば彼の全身には、無意識に竜気が迸っていた。雷光がバチバチと迸り、青白い閃光が影を裂いている。
「……っく、竜気を使っちまったじゃねぇか……」
呻く声と共に、纏っていた雷光はすぐに萎み、やがて霧散していった。
ガラガラガラ……と不気味な音を立て、鋼鉄の守護者は盾を地面から引き抜く。その仕草には無機質なはずの鉄仮面でありながら、まるで“してやったり”と笑みを浮かべているかのような雰囲気が漂っていた。
悠翔は歯を食いしばり、睨みつける。
「……俺が盾を避けて顔を出すのを見計らって……攻撃してきやがったのか。危うくやられるとこだったぜ」
肩で息をしながらも、瞳には闘志が灯っている。
「いいだろ……こっちも頭を使ってやるさ」




