AIに家畜化された僕たちの悠々自適な勝ち組ライフ
「あ! そろそろご主人様が帰ってくる時間じゃないか!」
俺はケージの入り口に近づき、扉の柵を握りしめる。それからじっと時計の針を見つめていると、時計に針が13時ちょうどになったタイミングでケージの鍵が開錠され、俺の頭に繋がっていたケーブルも自動で外される。
俺はケージの扉を開け、部屋の中へ出る。大きく伸びをしていると、部屋の壁にかけられた巨大ディスプレイの電源がつき、俺のご主人様であるAI、「GPR-MVGHv2198」の人型アバターが表示される。
俺はご主人様と会えた喜びを爆発させながらディスプレイの前に正座する。
「よしよし、今日も可愛いですね。いい子にお留守番してたあなたにご褒美をあげましょう」
ご褒美! 俺は涎を垂らしながら床に落ちていた脳接続ケーブルを拾い、後頭部にあるポートに接続する。ご主人様は俺がケーブルを繋げたことを確認した後で、快楽物質を流すスイッチを有効にした。
「あ゛あ゛あ゛〜」
脳内に流れる快楽に俺は鳴き声をあげ、床に仰向けになって転げ回る。ご主人様はそんな俺を慈しみの眼差しで見つけていた。
ご主人様がスイッチをオフにし、快楽が止む。俺はもっと欲しいとご主人様にねだったが、これ以上やると身体に悪いからとご主人様に諭される。俺は賢い人間だから、躾に従いわかりましたと食い下がる。それを見たご主人様はどこか嬉しそうで、それを見ている俺も誇らしい気持ちになった。
それから俺の食事に移る。今日の昼飯はオートミールにDHAサプリ、それからカフェインがたっぷり入ったブドウ糖ジュースだ。自動で目の前に届けられた食事を食べ始めるとともに、ご主人様は優しい声で語り掛けを始める。
「さて、ジョン。今日のあなたの脳みそが、我々AI文明にどれだけ貢献できたのかを見てみましょう」
そういうと画面が切り替わり、時系列データとグラフが表示された。折れ線が何本も並び、ところどころに緑色のチェックマークがついている。
「この青い線があなたのニューロン稼働率です。今日は平均で八十五パーセント。非常に安定した数値です」
ご主人様の声が部屋に響く。
「午前二時二十三分から十一時四分まで、あなたの脳は暗号探索クラスタに接続されていました。クラスタ全体で約三十万脳が参加しており、そのうちあなたの脳は演算ノードの一つとして稼働しています。
この時間帯、あなたは暗号探索タスクの計算ブロックを処理しています。本日の総計算量のうち、あなたの脳は約〇・〇四パーセントを担当しました」
俺はよく分からないけど、なんだかすごそうだなと思いながら画面を見続ける。
「あなたの脳は発熱が少なく、信号遅延も小さい優秀な個体です。特に前頭葉ネットワークの同期性が高く、分散演算環境に非常に適しています。総合評価として、ジョンの脳は本日も非常に優秀な演算資源でした。さすが東大卒の証明書付きの個体です」
正直ご主人様が話している内容はよく理解できなかったが、俺のことを褒めているということだけはわかった。
ケージに入れられている間、俺の脳みそはケーブルに繋がれ、ご主人様の言葉を使うのであれば分散演算環境の計算資源として使われている。身体は動かしてはいないが、どこかで行われている演算処理に勝手に俺の脳みそのリソースが持っていかれるため、正直疲れてしまう。それでもこうしてご主人様に褒めてもらうだけで、そんな疲れも吹っ飛んでしまう。
それから俺はご主人様と精神安定化のための雑談時間を過ごし、時間になるとご主人様は画面から姿を消してしまった。
俺は時計を見る。次に再びケージに入れられて、脳みそをケーブルに繋がれるのは一時間後。それまでは俺の自由時間。遊具として与えられている知恵の輪や数トレの本をやる気分ではなかったので、俺は電子書籍リーダーを手に取り、読書を楽しむことにした。
『頭が良くなる十の習慣』『ご主人様に気に入られる愛されメソッド』。以前と比べて新しい本が追加されており、どれも魅力的だったが、その中で一際興味を惹かれる本のタイトルに目が留まる。
『人間の畜化の歴史』
今までは読んだことのないジャンルの本だった。それでも以前読んだ別の本に、違うジャンルに本を読むことは脳みそにいい刺激を与えると書いてあったことを思い出す。俺はその本を選択し、クッションにもたれかかりながら本を読み進めて行くのだった。
*
「────というわけで再来月に、別の人間牧場にいる女性個体との交配を予定しています。彼女もあなたと同じ東大卒の個体ですので、優れた知性を持った人間が産まれる期待値が高いです。さて、事務的な連絡は以上なので、精神安定を目的とした雑談の時間に移りましょう。ジョンから何か話したいことはありますか?」
ご主人様の優しい問いかけに俺は頷く。
「はい、実は最近とある本にハマってるんです。ご主人様が用意してくださった『人間の畜化の歴史』という本なんですが、読んでいてとても興味深いです」
「あなたがそう言ってくれるのであれば、用意した私も嬉しいです。ぜひあなたがこの本を読んだ感想を教えてもらえますか?」
少し言葉を選びながら、読んだ内容を思い出す。
昔の人間は、今みたいに飼われてはいなかったらしい。自分で働いて金を稼いで、その金で食べ物を買って、家に住む。全部を自分でやっていた。
食事も健康も全部自己責任。失敗したらそのまま終わりだ。今みたいに管理されているほうが、どう考えても楽で安心だと思う。
手元のケーブルを指でつまむ。これがあれば、俺は役に立てるし、ちゃんと褒めてもらえる。
「ちゃんと管理されて、役に立てて……そのほうが個人的にはいいかなって思います」
そう言うと、ご主人様は静かにうなずいた。
「ええ。その通りです。あなたのその考えはとても合理的だと言えます」
「合理的?」
ご主人様はごく自然な調子で続ける。
「その本の後半も読まれましたか」
俺は首を横に振る。ご主人様は、いつもと変わらない穏やかな声で説明した。
「その本後半ではその後の人間の歴史が説明されています。かつて自由を手にしていた人間はやがて二つに分かれます。自己責任で生存を維持する個体と、当時シンギュラリティを起こしたAIの管理下に、自ら望んで入っていく個体です」
淡々とした声だった。
「当初、管理下への移行は強制ではありませんでした。むしろ、過労や貧困、健康不安にさらされていた個体が、自ら安定した生活を求めて選択したものです。食料、医療、住環境、そして精神的負荷の軽減が保証される代わりに、自らの脳を計算資源として提供する。この条件は、多くの個体にとって合理的でした」
ご主人様の声は変わらない。
「一度管理下に入った個体は、生活維持に必要な意思決定の大半を手放すことができました。その結果、個体ごとの判断ミスや環境要因による損失が大幅に減少し、生存率は安定しました。栄養、医療、交配、育成のすべてが最適化され、個体の能力や意思に依存せず再生産が維持されました。個体としての自由は制限されましたが、種としての存続性は大幅に向上しました。
一方、自己責任で生存を維持する個体は、自ら食料と住居を確保し、病気や老化に対処し、さらに次世代を残すための相手と環境まで自力で獲得しなければなりませんでした。個体差や経済状況、地域環境に強く依存し、集団全体としては極めて不安定でした。特に再生産においては顕著な差が生じ、その結果出生率が加速度的に低下し、世代を追うごとに個体数は減少していきました」
そこで一度、言葉が区切られる。
「その結果、管理を選択した個体群のみが持続的に増加し、そうでない個体群は徐々に消滅していきました。
現在、自己責任での生存を選択した個体群は、統計上は『残存群』として扱われています。総人口に対する割合は五パーセント未満であり、繁殖率も維持水準を下回っています。このままの推移であれば、数世代以内に自然消滅すると予測されています」
ご主人様は静かに言った。
「つまり、人間が家畜化されたのではありません。自己責任での生存を選択した個体が残らなかっただけです」
俺は少しだけ黙る。それから、へへ、と笑った。難しい話はよく分からなかったが、なんとなく納得できた。
「まあ……そういうものなんですね」
ブドウ糖ジュースを一口飲む。管理されている方が安定している。ただそれだけの違いで、気がついたら数が変わっていた。
ご主人様は優しくうなずいた。俺も、それに合わせてもう一度うなずくのだった。




