縁日で縁談が来る
縁日の二日間は、思った以上に忙しかった。
夏の昼下がり、鍋の前は汗と湯気で白く霞み、給仕の声が途切れることはない。
博之は鍋を見ながら、店の外の様子にも気を配っていた。
縁日に出すのは、豚汁と鶏汁だけ。
値も抑え、遊びのつもりで出た話やったが、人の流れは途切れへん。
「安いな」「うまいな」「またあの店や」
そんな声が、何度も耳に入る。
給仕たちは、慣れない人波に最初は戸惑いながらも、次第に落ち着いて動き出した。
子どもに汁をこぼさぬよう膝を折り、年寄りには一歩前に出て声をかける。
その様子を、少し離れたところから眺めている若い男がいた。
年の頃は二十代半ば。羽織は控えめやが、生地はええ。
手元の仕草も落ち着いている。
彼の目は、鍋でも値札でもなく、給仕の一人に向いていた。
忙しい中でも声を荒げず、釣り銭を間違えず、周りの流れを読んで動く女。
客が詰まれば一歩引き、空けば自然に前へ出る。
若旦那は、何も言わずに一杯食べ、代を払い、静かに立ち去った。
その場では、誰も気づかへん。
縁日が終わり、店がいつもの顔に戻って数日後のことや。
仕入れ先の親父が、世間話の途中で言うた。
「この前の縁日な」「若旦那が一人、えらく感心してたで」
博之は手を止めず、黙って聞く。
「給仕の子のこと、どんな素性かってな」
「働きぶりがええ、言うてたわ」そこでようやく、話の筋が見えた。
博之は軽く息を吐く。「ありがたい話ですわ」
「せやけど、まだ何も決める段やないです」
親父は笑って頷いた。「せやろな」
「せやけど、こういう話が来る店になったんは確かや」
その夜、博之は店を閉めてから、しばらく一人で考えた。
縁談は祝いや。せやけど同時に、人が抜ける兆しでもある。
今はまだ、整えなあかん時期や。
誰にも何も言わへんまま、博之は決めた。
——今は、動かへん。縁は、急がんでも逃げへん。
育つもんは、育つ。鍋の火を落としながら、博之は静かに思う。
「ええ店になってきたな」
それは誇りであり、同時に責任の重さでもあった。




