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置いていかれそうな夜

博之は、あの出遅れ気味の三井の小間使いを気にしていた。

仕事を放り出すわけでもない。返事もする。ただ、一拍、遅れる。

「向いてへんのかもしれん」

そう思い始めた顔をしていた。

ある夜、博之はのぶを呼んだ。

小さな巾着を渡す。

「これで、あの子連れて飲みに行ってこい」

ノブは一瞬だけ考えて、頷いた。「分かりました」

博之は、店には出なかった。

代わりに、翌日の仕込みを早めに終え、静かに待った。

夜更け、三人で酒を飲んだと、のぶから後で聞いた。

最初は気まずく、

そのうち、三井の小間使いが口を開いたらしい。

「自分、ここにおってええんでしょうか」

のぶは、すぐには答えんかった。代わりに、自分の話をしたという。

「俺な、三井で働いとった」小間使いが驚いた顔をした。

「三井はな、仕事できる奴ばっかりちゃう」

「向いてへん奴も、山ほどおる」

「でもな」「すぐ切られへん」

「着物が向いてへんかったら」「両替がある」

「帳場が苦手なら」「外回りもある」

「単価の高い商いも、細かい仕事も、全部“商い”や」

「向いてへんから終わり、やない」

小間使いは、黙って聞いていたらしい。

「ここはな」ノブは続けた。「忙しい」

「考える前に、結果が出る」「せやから、しんどい」

「でも」「この経験は、必ず残る」

「火の前で遅れたこと」「怒られたこと」

「自分が何が出来んか分かったこと」

「それ全部、次の場所で効く」

下働きは、ぽつりと言った。

「……博之さんは、三井なんですか」

のぶは首を振った。「違う」「拾われただけや」

「ユキさんにな」

翌日、博之はその下働きを呼んだ。叱るためやない。

「昨日、飲んだんやってな」

下働きは、少し身構えた。

「わしはな」博之は、静かに言った。

「三井のもんやない」

「ユキに拾われただけや」

「向いてるかどうか」

「分からんまま、ここまで来ただけや」

「せやから」「今すぐ決めんでええ」

「ここで踏ん張るか」「別の道、探すか」

「どっちも、逃げやない」

下働きは、深く頭を下げた。

「……もう少し、ここでやってみます」

博之は、頷いた。「それでええ」

店に戻ると、鍋の火が上がっていた。

ここは、厳しい。せやけど、出会い直せる場所でもある。

拾われた者が、次を拾う場所。

博之は、その火を見ながら、そう思っていた。

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