四軒目の始まり
四軒目は、始まりから忙しかった。
暖簾を出した瞬間に人が流れ込み、昼前には鍋の底が見えかける。
「これは……付きっきりやな」
博之がそう言うと、ユキは即座に頷いた。
「せやからや」「四軒目はスタートやし、ここは手薄にせん」
「三軒あるやろ。そこに一人ずつ付けてやってくれ」
「三井の小間使いを?」博之が聞き返す。
「せや」「現場、覚えさせるなら回ってる店や」
博之は少し考えたが、すぐに決めた。
「分かった。三軒で一人一軒や」
最初の数日は、ええ刺激やった。三井の小間使いは、無駄口を叩かん。
動きは固いが、流れを見ようとする。
下働きも、自然と背筋が伸びる。
「三井の人間が来とる」その意識が、場を締めた。
せやけど、三人のうち一人が、徐々に遅れ始めた。
仕込みの段取りが悪い。鍋の交代が遅れ、
声をかけられてから動く。
のぶが言う。「見てから動け」「はい」
返事はええ。でも、次も同じや。
ある昼、決定的な遅れが出た。
汁が足らず、客を待たせた。
のぶは、何も言わず、別の下働きを入れた。
その夜、もたついた小間使いは、肩を落としていた。
「……三井では、こんなに早く判断されませんでした」
博之は、静かに返した。「ここは三井やない」
「店は、待ってくれへん」
給金の話も、そこで出た。「この額をもろてる以上」
「結果が出んかったら、意味がない」
その言葉は、重かった。
翌日から、その小間使いは変わった。
早めに動き、周りを見るようになった。
完璧ではない。でも、遅れは減った。
下働きの一人が、ぽつりと言う。
「三井の人でも、苦労するんやな」
のぶは答えた。「せやから、ええ刺激や」
四軒目は、まだ走り出したばかり。
三軒の現場は、それぞれに色が出始めている。
三井の小間使いが混ざったことで、この細路地のやり方が、
はっきり浮かび上がった。
早さ。判断。結果。
博之は、四軒目の暖簾を見ながら思う。
増えたのは、店だけやない。人の目線も、責任も、
確実に一段上がっている。
まだ始まったばかりや。
せやけど、この忙しさが、次を選び始めている。
四軒目の火は、休む間もなく、
今日も鍋を温めていた。




