四軒目と三井の影
四軒目は、思ったより静かに開いた。
派手な触れも出さず、祝い酒も最小限。
それでも朝から人は流れ、昼前には鍋が軽くなる。
「……やっぱり足つくな」博之は、帳場の端でそう呟いた。
三軒やってきた積み重ねが、そのまま四軒目に乗っている。
昼過ぎ、裏が落ち着いた頃、見慣れた顔が暖簾をくぐった。
「久しぶりやな」ユキやった。
「相変わらず、増やすなあ」そう言いながら、周りを一通り見回す。
「四軒目か」「よう回しとる」
博之は苦笑いした。「ユキに言われたら、褒め言葉や」
湯を出すと、ユキは本題を切り出した。「頼みがある」
「またかいな」「三人、預かってほしい」博之は眉を上げた。
「三人も?」「せや」「今、三井の方で人が余っとる」
「勉強させたい」「この細路地、ええ教材や」
博之は、しばらく黙った。三軒ある。人手は、確かにいる。
「……分かった」「三人やな」ユキは、にやっと笑う。
「相変わらずやな」
翌日、三人が来た。三井の小間使い。年は若いが、立ち居振る舞いが違う。
「……空気、読むな」ノブが小声で言う。
さきちゃんも気づいた。「無駄な動き、せえへん」
給金の話をすると、三人は目を丸くした。
「この額で……?」「ここだけで、ですか」
「三井やったら、もっと大きいとこで使われるやろ」
博之が言う。一人が答えた。「いえ」
「ただこの規模で、この給金は、破格です」
その言葉に、周りで聞いていた下働きが、ざわっとする。
「……三井の人間が言うてる」「うち、そんなにええんか」
昼の仕込み。三井の小間使いは、黙々と動いた。
鍋の前に出しゃばらん。指示が出るまで、待つ。
でも、遅れへん。下働きの一人が、思わず言う。
「なんで、そんな動きできるんですか」
「見てるだけです」「流れを」
その答えに、のぶが目を細めた。
夜。博之、さきちゃん、のぶが集まる。
「ええ刺激やな」のぶが言う。
「下が、勝手に引き締まっとる」さきちゃんも頷く。
博之は、静かに言う。「混ぜるのは、こういう時や」
「同じ色ばっかりやと、淀む」数日で、変化ははっきり出た。
私語が減り、仕込みの手が早くなる。
三井の小間使いが、特別扱いされることはなかった。
給金も同じ。仕事も同じ。それが、逆に効いた。
「三井やから、偉いんちゃうんや」
誰かが、ぽつりと漏らした。
博之は、その言葉を聞いて、少し笑った。
四軒目は、まだ始まったばかりや。
でも、この細路地には、もう町の外の風が入ってきている。
人が集まり、人が比べ、人が学ぶ。
ユキは帰り際に言った。「ここ、育つで」
博之は、暖簾を見ながら答えた。
「せやな」「もう、戻られへんな」
四軒目の火は、その日も、静かに燃えていた。




