ノブの話
その夜、ノブは下の者を集めた。
仕事終わり、鍋も片づき、火の気が消えた頃や。
「今日はな、説教やない」
そう前置きしてから、湯を配る。
「先の話をする」下働きたちは、自然と背筋を伸ばした。
「この店、まだ続く」「一軒、二軒で終わらん」
ざわっと空気が動く。
「九軒や」誰かが吹き出す。「九軒て……」
ノブは笑った。「俺も最初はそう思った」
「でもな」「博之さんは、本気や」
「せやから、今おる連中が、古参になる」
「古参になったら」「給金も変わる」
一人が聞く。「どれくらいです?」
ノブは、さらっと言った。「年で四両」
「店を回せるようになったら五両」「七両まで、見る」
一瞬、静まり返り、次の瞬間、どっと声が上がる。
「七両!?」「そんだけあったら……」
「遊び放題やな!」「酒も女も困らんやろ」
ノブは、苦笑いしながら続ける。
「そらな」「銭があったら、遊べる」
「給仕の子らにもモテるやろうな」
「弁当売りの子らから声かかるかもしれん」
が一気に和む。「せやけどな」
ノブは、少し声を落とした。「独立は、すすめへん」
笑いが止まる。「前に、一回やらかした奴、おる」
「勢いで出て、失敗した」「腕だけあっても」
「仕入れ、人、金」「全部、揃わんと持たん」
下働きの一人が、黙って頷いた。
ノブは、続ける。「独立せんでもな」
「店長いう道がある」「一軒、任される」
「鍋も、人も、金も見る」「それが出来るようになったら」
「古参集に入る」「採用の話も」
「誰を入れるかも」「俺らで相談して決める」
誰かが言う。「主人が決めるんちゃうんですか」
ノブは首を振った。「全部は見切れん」
「現場見とる奴が決めた方がええ」
「その代わり」「責任も重い」
「結果出んかったら」「古参でも、外れる」
場が静かになる。ノブは、最後に言う。
「遊ぶために、銭をもらうんやない」「背負うために、もらう」
「楽な道やと思うな」「でも、やりがいはある」
しばらく沈黙が続いたあと、誰かがぽつりと言う。
「……面白そうですね」
ノブは、ゆっくり頷いた。
「せやろ」「せやから、今は」
「火を見ろ」「仕事を覚えろ」
「その先は」「結果で決まる」
湯呑みが空になる頃、
場の空気は、最初と変わっていた。
夢の話はした。せやけど、逃げ道は塞いだ。
ノブは、皆の背中を見送りながら思う。
締めるだけやない。導く側に、もう足を踏み入れている。
火の前に立つ意味が、また一つ、重くなった。




