線を渡す
その日は、いつもより早く暖簾を下ろした。
鍋の火を落とし、帳場の灯りだけを残す。
博之は、全員を座敷に集めた。弁当売り、下働き、給仕。
空気が張る。最近のことを、皆うすうす感じとったからや。
博之は、まず言う。「先に言うとく」「怒鳴る話やない」
それでも、背筋が伸びる。
「最近、気の緩みが出とる」「売れとるからや」
誰も口を挟まん。
「せやけどな」「売れ始めた時が、一番危ない」
一拍置いて、続けた。
「もう決めた」場が、静まり返る。
「二日酔いで来とった下働きは、今日で終いや」
理由は説明せん。それだけで十分やった。
次に、さぼっていた弁当売りへ目を向ける。「三ヶ月、出来高は半分」
「それで続けるなら、雇う」「嫌なら、ここで終い」ざわ、と空気が動く。
「給仕を希望する者」「楽や思たら、やめとけ」
「今までの倍、動いてもらう」
ここで、博之は視線を変えた。
「それからな」のぶと、さきちゃんを見る。
「今日から、この二人の役をはっきりさせる」
のぶが息を呑む。
「のぶ」「お前は番頭や」
場が、どよめいた。
「現場の締め、段取り、人の動かし方」
「全部、任せる」
次に、さきちゃん。
「お前は、給仕頭や」「配膳、教育、女衆の采配」
「採用の口出しも、許す」
さきちゃんの手が、膝の上で固くなる。
「二人とも」「俺の代わりやない」
「俺の“下”やなく、“横”や」
その言葉に、皆が黙った。
博之は、懐から包みを二つ出す。
机の上に、音を立てて置いた。
「祝い金や」「一両ずつ」
思わず、声が漏れる。
「それと」「年の給金も上げる」
のぶは、立ち上がり、深く頭を下げた。
さきちゃんも、同じように頭を下げる。
博之は、最後に言う。
「勘違いするな」「金は、ご褒美やない」
包みを指で叩く。「責任の重さや」
「文句も、恨みも」「これからは、この二人が先に受ける」
「それでも、最終は俺が持つ」
場に、重たい納得が落ちた。
博之は、立ち上がる。
「この店はな」「もう、一人で回す場所やない」
「続ける場所や」
暖簾の向こうは、静かな夜やった。
けど、この店の中では、
確かに一段、線が引かれた。




