気の緩み
客足は、途切れへんようになっていた。
昼も夜も、鍋は空き、弁当は出る。
値を下げんでも、声を張らんでも、自然と人が流れてくる。
それが、始まりやった。二日酔いの下働きが、朝の仕込みに遅れてくるようになった。
顔色は悪く、返事も雑や。「昨日、ちょっと飲みすぎて……」
言い訳は、軽かった。弁当売りも同じや。
昼の分が早うはけた日、裏に戻らず、そのまま姿を消す。
「今日はもうええやろ」そんな空気が、当たり前みたいに漂い始めていた。
最初に気づいたのは、さきちゃんやった。
鍋の回り、弁当の出、掃除の手。どれも致命的に崩れてへん。
けど、締まりがない。のぶも、同じことを感じていた。
「売れてるから、ええ」その言葉が、少しずつ現場を甘くしてる。
二人は、博之に言う前に、話し合った。
「まずは、俺らで言おう」「全部、主人に持っていく話ちゃう」
そう決めて、下の者を集めた。
言い方は、選んだ。怒鳴らず、理屈で話す。
「今は回ってる」「せやけど、このままやと、崩れる」
最初は、黙って聞いていた。
けど、すぐに声が返ってきた。
「なんで、あんたらに言われなあかんのです?」
「主人からは、何も言われてませんけど」空気が、冷えた。
「決められた仕事は、してます」「値も下げてません」
「売れてるんやから、問題ないやろ」
言葉は丁寧やったが、棘があった。
さきちゃんは、言葉を失った。のぶも、返す言葉が見つからん。
確かに、仕事は回っている。帳面も、崩れてへん。
「……せやな」
その一言が、逆に火をつけた。
「ほら」「問題ないやないですか」
話は、そこで終わった。
その晩、帳場の奥で、二人は黙って座っていた。
「俺らが、出過ぎたんかな」のぶが、ぽつりと言う。
さきちゃんは首を振る。
「でも、何も言わんかったら、もっと緩みます」
二人とも分かっていた。これは気合の問題やない。
売れ始めたときに出る、「自分はもう大丈夫や」という慢心や。
博之は、まだ何も言ってこない。それが、余計に重かった。
「主人は、見てる」「でも、今は言わん」
それが分かるからこそ、下の者が締まらん現状が、怖かった。
「……これ、いつ言うべきやろ」
のぶの問いに、答えは出えへん。
さきちゃんは、帳面を見つめながら言うた。
「言わんで済むなら、それが一番ええ」
「でも、崩れてからやったら、遅い」
二人は、その夜、結論を出せずに店を閉めた。
売れている。回っている。せやけど、芯が緩み始めている。
それを、主人に告げるべきか。それとも、もう一度、下から締め直すべきか。
その答えは、まだ見えなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この店は、鍋だけで回っているんやない。
人の気の張りで、立っている。
その張りが切れたとき、次に試されるのは――
主人やない。自分たちや。




