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値札の五文


三軒目の小間遣いが消えてから、店は表向き、何も変わらんかった。

豚汁は売れた。鶏汁も出た。味も、値も、昨日と同じや。

せやけど、博之には分かった。町の目が、ほんの少しだけ変わった。

昼時、いつも声をかけてくれる常連が、鍋の前で一瞬、足を止める。

それから、何も言わずに立ち去る。別の客が来て、鍋を覗き、値札を見る。

「……今日はええわ」その一言が、妙に引っかかった。

直接、文句を言う者はおらん。怒鳴り込んでくる者もいない。

せやけど、声は回る。

「店、増えたな」「豚汁で、そんな儲かるんか」

「原価、知れとるやろ」

それは悪口というより、計算の話みたいな顔で語られる。

さきちゃんが、夕方になって言いにくそうに口を開いた。

「……博之さん」「なんや」「ちょっと、そういう話、聞きます」

博之は、うなずくだけやった。驚きはせえへん。むしろ、来たか、と思った。

夜、帳場で一人になって、博之は値札を見た。

七十文、五十文。この数字は、間違ってへん。

抜いてもいないし、誤魔化してもいない。

それでも、そう見えへんようになったそれだけのことや。

博之は、筆を取った。墨をつけ、値札を書き直す。

豚汁 六十五文。鶏汁 四十五文。五文ずつ下げた。

理由は、商売としては単純や。仕入れは下がっている。

数も出る。五文下げても、回る。

せやけど、手は少し止まった。値を下げるというのは、

自分の値打ちを下げるみたいで、気分が悪い。

「ええんですか?」さきちゃんが聞く。「ええ」

博之は短く答えた。「続いた方がええ」

次の日、客はいつも通り来た。鍋も空いた。

ただ、一人がぽつりと言った。「安なったな」

それだけや。褒めもせえへん。疑いも口にせえへん。

せやけど、博之には分かった。この一言で、町はもう一度、こちらを見る。

夜、暖簾を下ろしながら、博之は思った。

値を守るより、場を守る方が、難しい。

商いは、数字やない。空気や。

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