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噂は、路地から来る

 噂は、正面からは来なかった。

 路地の向こう。

 鍋の湯気の向こう。

 博之の耳に届いたのは、何気ない言葉だった。

「最近さ、あっちの店、味が落ちたらしいぞ」

 荷を担いだ男が、豚汁をすすりながら言った。

「前は、もう少し腹に残ったんだがな」

 別の男が頷く。

「量はあるんだけどよ。

 なんつうか……薄い」

 博之は、何も言わずに火を見る。

 それが、元の主人の店だと分かっていた。

 数日後、町人が言った。

「昼の客が、少し増えた」

「理由は?」

「向こうで食って、

 こっちに流れてきた」

 博之は、椀を置く手を止めた。

「……うちの方が、安いからですか」

「違う」

 町人は即座に否定した。

「三十文は、向こうと同じだ」

 博之は、眉をひそめた。

「じゃあ、なぜ」

「腹に残るからだ」

 その言葉が、胸に落ちた。

 市場で、噂はもう一段、形を持っていた。

「最近、あの店の味噌、変えたらしいな」

「安いやつにしたんだと」

「そりゃ、そうなるわな」

 博之は、黙って大根を選んだ。

 主人の声が、頭の中で響く。

 安く仕上げろ。

 量を増やせ。

 味を落とせ。

 結果が、これだ。

 夜、町人がぽつりと言った。

「あの店、

 仕入れを減らしている」

「……続きませんね」

「続かない」

 町人は、短く答えた。

「味を落とすと、

 値は下げられない」

 博之は、帳面を閉じた。

 三十文。

 同じ値。

 だが、中身が違う。

 値段は同じでも、価値は違う。

 翌日、見覚えのある顔が来た。

 元の料理場の若い衆だった。

 目が合い、少し気まずそうに視線を逸らす。

「……ここ、やってるって聞いて」

「どうぞ」

 博之は、それ以上、何も言わなかった。

 若い衆は、黙って食った。

 そして、椀を置いた。

「……前の店より、うまいです」

 その言葉に、博之は返事をしなかった。

 必要な言葉ではなかったからだ。

 夜風が、路地を抜ける。

 噂は、もう止まらない。

 誰かを貶めなくても、

 無理に奪わなくても、

 味は、正直だった。

 博之は、鍋の底を見つめながら思った。

 あの店が苦しくなったのは、

 自分のせいじゃない。

 選んだのは、向こうだ。

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