三軒目を任せるということ
昼前、博之は弁当売りの女の子と一緒に、路地を歩いた。
二軒目から、少しだけ筋を外れたところ。
「ここです」
指された先は、以前は飯屋やったらしい店。
暖簾はなく、戸は閉まったまま。けれど、通りの流れは悪くない。
博之は、しばらく黙って立つ。
人の足音。昼前の空気。角を曲がるたびに変わる匂い。
(……いけるな)派手さはない。
せやけど、腰を据えてやるには、ちょうどええ。
「ここなら」ぽつりと言う。「なんとかなる」
店に戻ると、小間使いの男を呼んだ。
「次の手習いの日で、決める」
男は、短くうなずいた。「はい」
その日の手習い日は、思った以上に人が来た。
御縁の日でも、味噌替えの日でもない。せやけど、
いつもの客が、いつものように座る。
料理は滞らん。手は止まらん。
「今日は、いつもと変わらんな」「味、ちゃんとしとる」
誰も褒めへん。誰も文句も言わへん。
それが、一番ええ評価や。
小間遣いの男は、板場の後ろで、一瞬だけ拳を握った。
小さく、誰にも見えんように。(……よっしゃ)
博之は、その仕草を見逃さんかった。
夜、片付けが終わってから、声をかける。
「三軒目」「お前に任す」
男は、一瞬、言葉を失った。
「……自分、ですか」「お前や」
「今日の味なら、任せられる」
懐から、小さな包みを出す。
「一両」「四千文や」
男は、思わず包みを見る。
「これで」「三軒目、回してみ」
「五つ売れたら、一つ頼み」
「割引も、日を決めてええ」
「売り切ること考えるな」
「回すこと考えろ」
男は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
博之は、静かに続ける。
「失敗してもええ」
「せやけど、誤魔化すな」
三軒目は、まだ暖簾もない。
せやけど、味と人と覚悟は、もう揃った。
夜の路地を見ながら、博之は思う。
(三つ目や)
数を増やしたんやない。
背負うものが、増えただけや。
そう思いながら、
また一歩、前に出た。




