年の瀬、路地裏にて
松阪で、ユキに拾われて三ヶ月。
大阪に出て、店を構えて九ヶ月。
合わせて、十二ヶ月やった。
博之は、帳場で帳面を閉じながら、その数字を頭の中で並べた。
一年。せやけど、大阪では、まだ九ヶ月や。
暖簾を下ろす刻限が、少し早くなる。年の瀬の空気は、松阪とも違う。
人の流れが速く、せわしない。せやのに、路地裏だけは、少し時間が遅い。
御縁の日。味噌替えの日。手習いの日。
この三つを回し始めて、三ヶ月。大阪での九ヶ月のうち、後半の三ヶ月や。
店は、ようやく「落ち着いた」と言える形になってきた。売上が跳ねるわけやない。
せやけど、客が“店の都合”を分かり始めとる。
「今日はどの日や?」そんな一言が出るようになった。
博之は、火を落としながら思う。――やっとやな。
大阪に来て、九ヶ月。まだまだ途中や。
せやけど、ようやく地に足がついた。
ユキと話した、路地裏九件の構想。灯りを点々と置いて、
それを囲う居酒屋をやる話。
――全部やるには、まだ早い。せやけど。
「来年は……」博之は、独り言ちる。
「二、三件は、いけるかもしれんな」
人を増やさなあかん。鍋を任せられる料理人も、増やさなあかん。
手習いの日が、「安い日」やなく「試される日」になるように。
その日の昼下がり。弁当売りの女の子たちが戻ってきた。
「今日も、筋違いで買うてくれた人、いましたよ」
博之は、顔を上げる。「筋違い?」
「はい」「いつもの通りやないところで」「二軒分くらい先です」
のぶも、横で聞いとる。
「毎日やないですけど」「たまに、決まって買うてくれる人がいます」
博之は、帳面の端に、そっと印をつけた。二つ。
「その両隣は?」
「一つは空き家っぽいです」
「もう一つは、前に飯屋やったとこです」
一瞬、沈黙。誰も、すぐには口にせえへん。
――三件目は、もう“場所”として、出とる。
夜。大阪の年の瀬は、冷たい。
せやけど、松阪ほど静かやない。
博之は、二つの灯りを見回した。
大阪で九ヶ月。まだ短い。せやけど、増やす理由は、もう揃っとる。
「来年は、動くで」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
路地裏の灯りは、まだ二つ。
せやけど、次の一軒は、
もう、見える距離まで来ていた。




