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三十文の豚汁

博之は、帳面を前にして手を止めていた。

 今日の仕入れ。

 十文。

 大根。

 豚の端肉。

 味噌は量を減らしたが、質は落としていない。

 博之の感覚では、

 十五文で売れたら上出来だった。

 料理場で覚えた勘だ。

 安く仕入れ、少し上を乗せる。

 それで十分だと思っていた。

「今日は、三十文だ」

 町人が、何気なく言った。

 博之は、思わず顔を上げた。

「……高いです」

 正直な言葉だった。

「仕入れは、十文です。

 十五文、せいぜい二十文かと」

 町人は、帳面を覗き込み、首を振った。

「昨日は二十四文だった。

 今日は、三十文だ」

「……来ますか」

「来る」

 理由は言わない。

 だが、その言い切りに迷いはなかった。

 最初の客は、昨日と同じ荷運びだった。

「今日は、いくらだ」

「三十文です」

 一瞬、男の手が止まる。

 だが、舌打ちはしなかった。

「……高くなったな」

 そう言いながら、銭を出す。

 博之は、黙って豚汁を注いだ。

 男は、椀を受け取り、すすった。

 何も言わない。

 だが、飲み干す。

「……明日も、やってるか」

「はい」

「じゃあ、また来る」

 三十文は、惜しまれなかった。

 昼過ぎ、もう一人客が来た。

「ここ、豚汁がうまいって聞いた」

 三十文と聞いて、少し眉を動かす。

 だが、去らない。

 食い、黙り、銭を置く。

 その銭が、博之の目に焼きついた。

 夜、帳面をつける。

 仕入れ:十文

 売値:三十文

 博之は、何度も見直した。

 料理場を思い出す。

 あの店では、

 客は同じくらいの銭を払っていた。

 だが――

 博之の使える仕入れは、いつも十文以下だった。

 安くしろ。

 味を落とせ。

 違う。

 安くされていたのは、自分たちだった。

 まかないは、情けではない。

 余りものでもない。

 値の付く飯だった。

「……儲かりますね」

 ぽつりと、博之は言った。

「儲かる」

 町人は、即答した。

「だが、理由は分かってるか」

 博之は、少し考えた。

「……安く仕入れたから、じゃない」

「そうだ」

「味を落とさなかったから、ですね」

 町人は、初めて笑った。

 ほんの一瞬。

 だが、商人の笑いだった。

「十文で仕入れて、三十文で売る。

 だが、騙してはいない」

 博之は、深く息を吐いた。

 自分で切り盛りすれば、

 いいものを出して、儲けることができる。

 それを、数字が教えてくれた。

 帳面を閉じる。

 三十文の重さが、

 はっきりと手に残っていた。

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