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九つの灯り

夜。二軒目の暖簾を下ろしたあと、博之は一軒目に戻り、帳場で湯をすすっていた。

火は落ちている。鍋も空や。帳面だけが、まだ開いたままやった。

「……落ち着いたな」

ぽつりと呟くと、向かいに座っていたユキが鼻で笑った。

「落ち着いた、言うたら聞こえはええけどな」

「要は、止まらん形が見えただけやろ」

博之は否定せん。

帳面を閉じ、指で表紙を軽く叩いた。

「せやからな」

「もう一回、細路地もう一軒やる」

一瞬、空気が止まる。

ユキはすぐには返さへん。湯呑みを置き、博之を見た。

「……お前な」「何がしたいねん」

責めるでも、諭すでもない。純粋な問いやった。

博之は、すぐ答えられへん。

「売上が」とか「人が育ったから」とか、

そんな言葉は、今ここでは弱いと分かっとった。

少し間を置いて、ようやく言う。

「一軒やと、俺が火を守るだけで終わる」

「二軒で、任せる形が見えた」

「三軒目は……確かめたい」

「何をや」ユキが聞く。

「このやり方が」

「俺がおらんでも、生きるかどうか」

ユキは、ふっと息を吐いた。

「……それだけやないやろ」

博之は、笑わへん。

代わりに、指を折った。

「細路地で」

「高単価で」

「固定費を背負わん」

「人を縛らん」

「それをな」

「九件やる」

今度は、ユキが黙った。

「路地裏に、九つ灯りを点で置く」

「全部、似た匂いの商いにする」「派手にせん。目立たせん」

「せやけど、消えへん灯りや」

ユキが、ゆっくり言う。

「……九件、散らすだけか?」

博之は首を振った。

「囲う」その一言で、空気が変わる。

「九件を囲うように」

「居酒屋を一軒やる」

「そこは、稼ぐ場所やない」

「人が集まる場所や」

「話す」「決める」「分ける」

「仕入れも、勘定も、喧嘩も、そこでやる」

ユキは、ようやく笑った。

「なるほどな」

「点を先に打って」

「あとから面で回収するんか」

博之は、湯呑みを置いた。

「増やすのは、店やない」「理解や」

ユキが、小さくうなずく。

「九件目ができる頃にはな」

「お前、もう“料理屋”やないで」

博之は、静かに答えた。

「最初から、そのつもりや」

外では、夜の大阪が静かに流れていた。

路地の奥に、二つの灯り。

まだ弱い。まだ少ない。

せやけど、その影は、確かに九つ分の場所を空けていた。

博之は、帳面を閉じる。

「次は」「もう一軒や」

それだけ言うて、立ち上がった。

暖簾が、夜風に小さく揺れた。

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